塔へと戻ると使者たちが待っていた。
いつもと雰囲気が少し違う。近寄ると、数体が揃って下を指している。腕が短いから指というより体ごと傾けているような格好で、それでも必死さはちゃんと伝わってくる。
ただ、全員じゃなかった。
後ろの方で数体が上を向いている。指というか、頭を反らせている。顔のない頭を精一杯そちらへ向けて、こちらを見ていない。初めて見る光景だった。こいつらの意見が割れるとは思っていなかった。
下からは明確に血の匂いがする。フレッシュな獣の匂いではなく、腐臭に近い、古臭い死臭といえる。それと同時に懐かしさを多分に含んでいるのは下である。
「ここで二択かよ。まぁ両方確かめるとして、先にどっち行くか……」
使者たちは答えない。下を指しているものは変わらず下を、上を向いているものは変わらず上を向いている。どちらも譲る気配がなかった。
どちらが正しいとか、どちらが安全とか、そういう判断をこいつらに求めるのは筋違いだ。分かっている。それでも今まで割れたことがなかったから、少しだけ途方に暮れている。
直感を信じるなら血の匂いの方だと思う。
けれど、目的の聖堂は上だ。目的地は上がらないと辿り着けないのは間違いない。
よし。決断した。
というか、この古工房に寄り道をした時点でもう最短を走るルートではなくなっている。今回は勘を頼りに行くとしよう。つまりは下だ。
塔をさらに降りていくと、すぐに最下層に突き当たった。そこにあったのは、井戸である。
なんでここに井戸?と思うが整合性などはもういい。問題は、その井戸が見るからに怪しいものであるということ。21世紀で一世を風靡した妖怪や幽霊の類が躍り出てきそうな雰囲気がある。
くる、きっと来る……。
そう思いながら、ひょいとその内側覗いてみる。井戸の縁に手をついて、下を手早く確認する。
暗い。底が見えるかと思って目を凝らすと、思ったより近くに地面がある。石畳ではなく、土だろうかあれは。汚泥のような色をしている。
少しの油を燃やしながら落としてみると、やはりそこまで高さはない。落ちても死ぬ距離ではなさそうだった。
一筋の炎によって、暗かった地下に色がつく。ほとんど黒で、たまに赤がある程度。死体と血だけがある場所だと分かった。まるでゴミ捨て場のような、そんな場所だった。
炎が揺れるたびに影が動いて、一瞬だけそれらが生きているように見えるが、その全ては死んでいる。もはやそんな惨状を見ても酸欠でもなさそうだ。火が生きているなら空気は通っているという感想しか湧いてこない。
縁から足を出して、降りた。死体の重なっている場所をわざわざ選んで衝撃を殺す。
着地の感触は申し訳ない感じだが、素早く状況を確認する。
油の炎が照らしている範囲、壁に近づくほどに死体は重なっていた。数百体はあるのではないか。南米でも近い光景を見たはずだ。あの儀式に使われていた死体の扱いに似ている気がする。
倒れ方が雑で、整列しているわけでも、逃げようとした様子でもない。ただ積み重なっているところを見るに、ここで殺されたのではなくどこかで死んでからここに遺棄されたのだ。
死体と血以外に見るべきものはもう一つあった。それは傷跡である。
この空間にはあらゆる場所に、激戦を物語る傷がついている。
壁には石をえぐった跡があり、深い溝が走っている。剣のようなものだろうが、人の手では到底届かない高さにまで続いている。
床に視線を落とすと、石畳が割れている箇所が何か所もあった。陥没というより、上から叩きつけられたような割れ方だ。中心から放射状にひびが走って、巨大な何かが力任せに叩きつけたような攻撃があったことがわかる。
血の色にも種類あることに気づいた。
黒ずんで乾いたものと、まだ色が残っているもの。古い血と新しい血が同じ場所に重なっている。古い方は相当前だ。壁の染みになっている。溝と同じ高さに飛んでいて、激しくやり合ったことだけは分かる。
天井にも届いているらしい血飛沫はどれだけ派手にやり合ったのかを想像させた。とはいえ、ここで何があったのかを知っている者は、おそらくもうここにはいない。
二つある階段のまずは片方を登っていくと、そこには牢屋があるようだった。
いくつか部屋があり、閉まっていたり空いていたりしている。乱暴に物色された形跡もあるため、どうやら俺のような誰かに目ぼしいものは取られた後だろう。
その扉の一つに、人がいるような。獣がいるような感覚を感じて立ち止まる。
そういばここだけ深いな。中を覗こうとした時に、声がする。
「…ほう、狩人か。おかしなところに現れるものだ。お主、今、鐘の音は聞こえているかね?」
英語だが、これくらいは聞き取れる。自動翻訳に頼り切らずにいて良かった。
牢獄に入れられているというのに、当たり前のように話をするものだ。そして鐘の音というのに心当たりはないので正直に答えておく。
「聞こえていない。鐘とはなんだ?お前は誰だ?」
拙い英語で問い直した。
同時に見えば、中に獣がいるのかと錯覚した。いや、あれは毛皮を纏っているのか。人の体格ではある。
「……ならばよい。お主の敵は獣、こんなところにはいないだろう。狩りに戻るんだな。そして、叶うなら夜を忘れることだ。……囚われるべきでない場所、知るべきでない事……。近付くなど愚か者の……。いや、今更か……。もう何もかも……」
無視して扉を開けた。どうやら鍵はすでに空けられている。
すると、そこにあるのは死体であった。死体は当然ながら喋らない。さっきのは本当にこいつだったのか?
「マジで幽霊かよ。ホラーじみてきたな」
けれどまぁ。この方向性の演出ならまだ得意だ。もっと嫌なのはWHOの正体に気づいた時のような、これまでの前提が覆されるような。否定したい閃きによって気付かされる瞬間である。
それにこれは確信をもっていえるのだが、これまでの悪夢のような体験の傾向からして。凄まじく強く理不尽な目に遭うことはあれど、同時に殺せないような敵もいなかった。その点についてどこか自分は安心している。
なんだかんだ、殺せるならば怖くない。
抵抗できるなら、ホラーは成立しないのだ。
ちなみにだが、こんなことを考えながら看守のような存在を制圧して何か情報を吐かないか、痛めつけたが会話にならなかった。
探索と一応の物色をしながら地下牢の通路を進むと、ようやく上へと続く階段が見えた。
そこを登ると、そこにあるのは教会だった。いやまぁ、当然ながら普通の教会とはいえない。
ベッドは整然と並んでいる。上を見ると天蓋がついていて、患者への配慮か別の理由があったのかは今となっては判断できない。分かるのは、その天蓋の下で全員が死んでいるということだけだ。
きっと死にかけたものたちが最後に運ばれてくる場所だったのだろう。懸命な手術室というよりは、最後を看取る場所という印象が強い。
観察を続けたいが、凄まじい速度で飛来した光を避けるために視線を切った。
光は奥の祭壇の方から飛んでくる。目を焼くような閃光で、見てから避けると遅い。軌道を読んで体を横に逃がした。着地と同時に剣が来る。大きい。人が扱う剣としては大きすぎる部類で、振りが遅い代わりに範囲がおかしかった。後ろに跳んで間合いを切る。あれは絶対に防げないな。
すでに戦闘には慣れているし、相当に強いと自覚しているが自分も容易に死ぬことがある。
それは複数戦闘だ。よーいドンで始まる1v1の決闘ならパターン化も楽だが、相手が二人いて連携をしてくるとなれば変数は爆発的に増加する。遠距離近距離のコンボというのは絶対にダメだ。
オールフォーワンのハワイにおける布陣はまさに完璧だったと言っていい。あれに対して自分一人で勝つのは無理だ。いくらやり直そうが無理なものは無理である。
さらに後ろへ下がった。上がってきた入口の方まで引く。
追ってくる速度を見ながら、遠距離の方が少し遅いと分かった。もう一人との間に差がある。そこを使ってやろう。
階段を下がって、わざと転ぶ。
きっとバレているだろうが、それでも階下で倒れているのは事実だ。上から襲いかかるのが当たり前である。
飛びかかった狩人の体が真っ二つになって回った。
血飛沫と剣だけが空中に残った。
柄を掴む。重い。人間が片手で扱う重さじゃない。握ったまま変形させると、大剣から直剣を引き抜くことができる。これでいい。
奥で動く気配があった。
顔を出しかけていた。光を溜めている。撃つ前に投げた。全力で、狙いだけ丁寧に。
直剣が回転しながら飛んで、頭を貫く。
貫通した先で光が爆発した。頭がなくなっても体はまだ立っていて、腕が宙を掴もうとするが無駄だ。一秒も経たないうちに膝が折れて、そのまま崩れて、ちゃんと死んだ。
ふうと息を吐きながら立ち上がり、張っておいたカーボンナノチューブ製のワイヤーについている血液を拭き取っておく。敵の服を使わせてもらったが、許して欲しい。
勝つためには準備が肝心だ。待ち伏せ、罠というのはどんな強者であっても不利であっても巻き返せるポテンシャルを秘めている。やれるのなら自分に有利な場所で敵を待つべきだ。
先ほど敵がいた祭壇まで進むと、仕掛けがあるらしく踏んでみた。周囲の鎖や埃の積もり方から察するにこれは動くらしい。エレベーターにくっそ重そうな石像を載せておく意味ってなんだ?
というかエレベーターの中心に死体があるというのはどんな作りなのかと文句も言いたくなる。
ブツクサ言いながら死体を漁っていると、頭部に何かペンダント的なものが埋め込まれているのが見つかった。もらっておこう。
広い。
天井が見えないくらい上まで吹き抜けていて、螺旋階段が中央を貫いていた。木と石で組まれた構造で、複数の踊り場が重なって上へ続いている。手摺に松明が括りつけられていて、緑がかった光が壁を照らしていた。
そういえば血の匂いがしなかった。
ここまで来て初めて気づく。代わりに別の匂いがある。塩気を含んだ、湿った匂いだ。海から遠い場所のはずなのに、なぜかそれを思わせる。どこから来ているのか分からない。水の匂いにしては種類が違った。
下を見ると、水があった。少し窪んだ床が水没している。水たまりといった様子だ。その中に人影があって、何かを探すように腕を動かしていた。患者服を着ているが、頭がおかしかった。
いや、語弊がある表現だ。
人間の頭の数倍に膨らんでいて、それを布袋で隠している。必死に手探りで何かを求めている。
近づくと、話しかけてきた。
「誰か、俺の目玉を知らないか……。水たまりに、落としちまったみたいなんだ。ここはずっと、青白いんだよ」
自分のヒアリング能力不足だろうか。相手が言っていることがおかしいのかわからない。多分両方ある気がしている。
「あなたは……」
問い直そうとしたら、気づく。
それはすでに死んでいる死体である。なぜ話せるなどと思ったのだろう。記憶の中の光景が、現実に重なって混乱している?これは幻聴なのだろうか。マリアがいるなら音声として認識していたのか確認できるのに。
そして気づく。これを殺した凶器について直感的に理解した。
死体にある傷跡は、自分でもよく知っている傷であった。遺跡でお世話になったノコギリ鉈としか考えられない刃渡。そしてズタズタになっている切り口はあれで間違い無いだろう。
目玉を探しているこのどうみても何かの被害者という狂人を、ノコギリ鉈で殺した人物がいる。
いや、過去形なのかもしれない。あの意思の無いような敵を除けば、対話可能な存在はみんなその残滓だけ。そんな残響には、その後も何度も出会うことになる。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
登るほどに、踊り場ごとに何かある。
最初の踊り場に器具が置かれていた。金属製で、用途が分からない形をしている。鋏にしては刃が多すぎるし、鉗子にしては角度がおかしい。錆びていて、先端に黒く固まったものがついていた。
「……殺してくれ…もう、殺してくれ」
「こんなところは、もう嫌だ。頭がおかしくなっちまうよ……」
そこかしこに、かつてその苦痛を受けた残滓の声がする。使われた後、そのまま放置されている。
壁に染みがあった。飛沫の形で、高さがばらばらだ。
「ああ、誰か……助けて……」
わかるのは、誰も助けなどくれなかったのだろうということだけ。
次の踊り場に椅子があった。背もたれに革のベルトが取り付けられていて、座面にも同じものがある。固定するためのものだ。座らせて、動けないようにして、何かをする椅子だ。ベルトの内側が黒ずんでいた。
「懺悔します。もうしません……もう2度と……しませんから……」
その隣に台があって、頭蓋骨が載っていた。
一つではなく、並んでいた。丁寧に等間隔で並べられていて、全部に穴が空いている。同じ位置に、同じ大きさで。揃いすぎていて、作業だったのだと分かる。
「ウアアアアアアッ!」
上へ行くほど頭が大きくなっていた。頭蓋はもう骨という体をなしていない、
死体が踊り場の隅に寄せられていて、患者服の首元が裂けている。頭の重さに耐えられなかったのか、もうただの死体になっている。
「暗闇の底から……」
「恐ろしい、恐ろしいのです……この湿った、暗闇が……」
生きているものは何もなかった。苦痛の残響だけが一度だけ響き、そして消えていく。
もう終わってしまったことなのだろう。
「ああ、マリア様、マリア様」
「お願いします。手を握っていてください」
「そうでないと、もう……溺れちまうよ……」
「ああ、マリア様……」
「救いを……救いを……私何も聞こえません……」
最悪な形で、最悪な名前を聞いてしまう。マリア?なんの冗談だろうか。
いや、彼らがキリスト教徒である可能性もある。マリアというのは珍しい名前ではない。
しかし、どうしても自分の分裂した自我が名乗ったその名前は無視できない。ここまできて無関係などあるはずがない。
戦闘があれば良かったが、それもない。ただ上に登っていく。
「チュパ、チュパ、チュパ…」
「ピチャ、ピチャ、ピチャ…」
上へ。上へ。
「…聞こえる…耳をすませば……水の音が聞こえる…」
落ちるように上へと登っていく。
「ピチャ、ピチャ、ピチャ…」
水の音が聞こえてくる。気のせいだろうか。
「私の底から響いてくるの……私の底から、やってくるの……でもゆっくりと、滴るようにね……」
上へ上へと。落ちていく。
「私には無理だったんです……お願いですマリア様……ウッウッウウッ…」
登っていくとそこには青白いひまわりが咲き誇る中庭があった。そこには空が広がっている。
星が瞬くそこに何一つ温かな印象を抱けなかった。
その奥ですでに開けられている扉が、こちらを誘っているように奥の景色を垣間見せてくる。
誰かがいる。大仰な歯車を背にして、ぐったりと椅子に座っている。
最上階に人がいた。あれが、マリアだろうか。
椅子に座っている。背筋が伸びていて、膝の上に手が置かれていた。深く頷いた姿勢は眠っているようで、しかし不気味な座り方だ。死体が、かろうじて座らせられている。そういう印象だった。
その表情は見えない。
服装は西洋の昔の貴族らしいと言えるだろうか。いや、女性がこんなに動きやすい服を着ている印象はない。戦うための女性貴族服というのはあまり記憶にないな。
細い線が幾何学的な模様を描いていて、遠目には装飾に見えるが近づくと縫い目の細かさに気づく。首元に白いクラバットが巻かれていた。
革手袋をはめていて、指の先まで覆っている。長く使い込んだ革の色で、手の形に馴染んでいた。肩に当て布があって、狩りで擦り切れる部分を補強した跡がある。
ズボンは細く、ブーツが膝まで伸びていた。
どうみても死んでいる。
これまで通り、死体を検めようと手を伸ばす。そして、反応できない速度でその腕が掴まれた。
「死体漁りなんて、ダメじゃない」
すでにそれを聞く頃には、体が動かなくなっていた。
「けど、そうね。秘密は甘いものだからこそ、恐ろしい死が必要。だったっけ?」
首が体がから離れて回る。自分の死体をそしてそれを抱きしめる女を横から見ている。自分には何もできない。
「好奇を人から奪おうなんて、それこそ愚かだというのにね」
その女は黒髪で、話しているのは日本語で。その尖った帽子は見たことがある。
目元はどこか、おばあちゃんに似ている気がした。
おばあちゃんと一緒にやったラジオ体操を思い出しながら、俺は死んだ。