夢のヒーローアカデミア   作:ZAT23

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迷い込む子守唄

戦いが始まったのだろう。最初に気づいたのは壁に起こった変化である。

 

均一だった白い表面に石造りの質感が滲み出てくる。塗装が剥がれるのではなく、下から別の建材が押し出してくるような変化で、照明が揺れて天井の一部が暗くなった。

 

「我らの願いはすでに種として星にあまねく撒かれておる!それを今更どうすることもできまいて!」

 

テーブルが残っていた。椅子も残っていた。でもその足元の床に、石畳の継ぎ目が現れる。大きく不規則な石の継ぎ目が、カルブラの白い床の下から押し出てきた。

センサーが拾った。温度変化なし。気圧変化なし。生体反応は室内にいる目の前の人のみ。幻覚ではない。現実の事象として起きている。

 

「当然ながら推測されていると思いますので、忠告させていただきますが。我らを殺したところで意味はない。この二人は重要な存在だから、バックアップをとってある。今更我らが、クローン如きで足踏みをするはずないと、理解してくれているといいがね」

 

口調が混ざっておかしなことになっている。ドクターの自我は強すぎて、こちらの方がミコラーシュに侵食されている。

 

部屋の侵食は止まらない。

これは南極全土を覆ったヤーナムの影と似ているが、どれくらいの規模なのだろう。カルブラの応接室という器の中に、別の場所の記憶が重なっていた。

 

「狩人よ。君を捕まえて複製したら、一体どうなってしまうのだろう。ところで君はすでに持っているのかな。赤子ばかりが持つそれを、三つあるはずのへその緒を」

 

霧が出てきた。

床を這う低い霧で、石畳の継ぎ目を埋めながら広がっていく。換気システムが正常に動いているのに消えない。物理的に干渉できない霧である。

 

「やっぱり、これが欲しいんだろ。人を超えるってのが目的らしいが、これを使えばできるのか?」

 

「悲しい。悲しいね。偉大なる上位者の赤子たちが持つそれを、もっとも近い狩人たちこそ理解せずに賜っている。人が人を超えることの意義すら分からず、ただ狩り尽くす狩人に、よくよく終わらせられたものだから」

 

膝の高さまで達した頃には足元が完全に見えなくなっていて、その霧の中に白く細い人型が浮いていた。

 

「これで死ぬとも思えんが!餓死するまで付き合うぞぉ!!」

 

細い腕、不自然に長い首、白く濁った輪郭が霧の中に立っている。血のない乾いた形で、こちらを見ていない。壁際にもう一体、同じ姿勢で存在していた。

 

赤子の泣き声が大きくなってきた。

 

壁がアーチ構造に変わっている。

カルブラの平坦な天井が石造りの丸天井に置き換わっていく。左右に柱が並んで、その奥に廊下の続きが見えた。古い書物が積み上がった棚、血の染みがある石畳、遠くに続く階段の輪郭。ドクターが両手を広げたまま、その霧と柱の間で揺れていた。

 

 

最後に窓枠だけが残っていた。

カルブラの氷床の暗闇が見えるはずの窓が石造りの外壁に置き換わっていく。細い縦長の開口部、その向こうに霧に包まれた塔の外観、遠くに見える鐘楼の輪郭。窓が完全に消える直前だった。

 

ガッシャアン!という唐突な衝撃に、悪夢の住民たちも身構える。

 

変わりかけていた窓枠ごと砕けて、石と白い壁材の破片が霧の中に散らばる。その破片をかき分けるようにして、三つの人影が転がり込んできた。

 

それは予想し得る展開の一つだったが、それでもこのタイミング。彼らがきたということに純粋な驚愕を味わう。

 

飯田天哉が先だった。

正確には、飯田が轟を抱えるようにして飛び込んでくる。脚部の排気部分が赤熱し左側が半壊してエンジンが沈黙している。轟が凍らせて、それこそジェットエンジンのような速度でここまできたのだろう。その最後に残った勢いを右脚一本で跳んで、着地の瞬間に膝をつきながら転がり込む。

 

「飯田くん!!」

 

その背後から黒い鞭が複数本、室内に向かって伸びてそれぞれががっちりと床や天井を掴む。

 

緑谷の黒鞭が展開される。

砕けた窓枠の破片を弾きながら、三人の軌道を制御する。飯田が轟を抱えたまま石畳に叩きつけられる寸前、黒鞭が床に巻きついて衝撃を殺した。着地の瞬間に膝をつきながら轟を下ろした飯田の右腕の袖が焦げていた。

 

緑谷が最後に降りた。

両腕から伸びた黒鞭が窓枠の残骸を掴んで制動をかけて、石畳に足をついた時には息が上がっていた。右腕の包帯が解けかけていて、その下の皮膚が赤くなっている。左目の周囲に打撲の痕があった。

 

「もう、大丈夫!」

 

轟が石畳に転がった。

左半身全体に焦げた痕が走り、左腕が動いていない。右手だけで体を支えようと石畳に手をつく。口元に血がにじんでいて、右側の炎も弱々しい残り火が出ている程度。珍しく息が上がっているようだった。

 

悲痛で深刻な顔をする飯田と轟を見れば、彼らとUAIに何があったのかは多少想像ができる。

けれど、誰よりそんな悲劇を絶対に認めたくないヒーローが。まずは自分のすべきことを宣言する。

 

敵の戦意を削り、仲間を鼓舞する言葉が最優先ということだ。ヒーローとして彼はしっかりわかっている。

 

 

「僕たちが、来た!!!」

 

 

壮絶な戦いがあったのだろう。けれど彼らはここに来てくれた。

緑谷がここに来たのは想定外だが、その意表をつく行動は彼だからという理由で全部片付く。

 

轟が顔を上げた。石畳と白い床が混在する床を見て、霧の中に立つ傀儡を見て、アーチの天井を見て、檻を被った二人が霧の中から笑っている様子を確認する。

 

「……何が起きてんだ、これは」

 

「説明は後、俺はナイトアイじゃない。UAIの報告をまずくれ、最優先だ」

 

 

何かを言いかける飯田を緑谷が制して、口を開いた。

 

「赤い月の影響が一気に出たんだ!市民とヒーロー。雄英教師にも獣化した人が出て、みんなでそれを抑えようとして戦ってる!結構な人が重傷で……ううん。多分何人かは確実に亡くなってると思う。それでもみんな、諦めないで戦ってるよ」

 

赤い月から隠れるためにここに来て、もっとも接近していたという訳だ。取り返しのつかない一手になったかもしれない。けれど、そうだ。諦めても意味がない。

 

軍へ、プロヒーローへ、マリアへ。そして彼らへ。この通信封鎖がされている状況でもこちらへの連絡を取れるようにアナログな方法を用意していたが、まさか学生の彼らがたどり着くとは思っていなかった。

 

あの状況でここまで来るのに何があったのかは三人の体を見れば分かる。

 

「じゃあ、早くここを片付けて戻らなきゃな。南極土産はまた今度だ」

 

「っっ!うん!」

 

彼は目をぬぐい、そして戦う姿を示してくれている。本当に心強い。負ける気がしない。

 

しかし今もらった情報を整理しながら、同時に最悪のパターンを頭の中で並べてもいた。

状況によっては今すぐやり直しをすべきなのかもしれない。死んで、また目覚めて、別のルートを探す。それが判断として正しい場面は多い。

 

でも、目覚めた場所がここだったら。扉の前だったら。今朝に戻ることはもうできないとしたら。

 

確かめる方法はない。死んでみるまでは分からないから。

だから今ここで最善を尽くす。それだけだ。

 

ふと気づいた。

 

三人が破って入ってきた窓が、消えていた。

石造りの壁が完全にそこを塞いでいる。外への出口がなくなった。完全に異界に閉ざされて、檻で笑う狂人と同じ部屋に押し込められているが、こちらにはヒーローが三人もいる。

 

「君はぜひ研究したい!その個性こそ瞳を得るためのキーなのじゃ!繰り返しとは、それはつまり夢と現の境界を自在に往来するということじゃろう!素晴らしい!実に素晴らしい!」

 

何が自在だふざけるな殺すぞ。

 

短絡的に殺しにかかりそうになるが、グッと堪えた。まだ対話の余地はある。

 

ドクターが霧の中で両手を上げて叫んでいた。にも関わらず、どこからか聞こえる赤子の泣き声がやけにうるさい。

 

「ほどほどになさってください」

 

エメリアが静かに言った。檻を被ったまま、表情が変わらないまま。「予備はあるとはいえ、移行には時間がかかりますから」

 

二人が同時に笑った。

 

笑い声が重なって、その頭の檻から金属音が響いた。似たような音が二つ、室内に反響した。部屋の四方に扉があることに気づいたのはその瞬間だった。来た時の扉だけではなく、別の三つが石造りの壁に存在していた。

 

ドクターとエメリアがそれぞれ別の扉へ向かった。似たように笑いながら、似たような歩き方で、似たような金属音を頭から響かせながら、霧の中に消えていった。

 

四つの扉が残った。

 

「……何が起きてんだ、これは」

 

またしても轟が正しい疑問を提示する。右手だけで体を支えたまま、四方の扉を見ていた。

しかし、ゆっくりとミコラーシュというものへの解説をできる状況ではないらしい。

 

答える前に霧が動いた。

 

白いものが浮き上がってきた。霧の中から、骸骨に近い形をした死体が立ち上がった。一体ではなかった。二体、三体、石畳の継ぎ目から這い上がるように次々と現れて、気づけば十五体ほどが室内に立っていた。

 

轟が右手を床についたまま左を向く。

 

氷が走った。

 

左腕が動いていないのに右側だけで出した氷が床を這って、骸骨の群れを根元から一瞬で包んだ。音もなく広がって、十五体全部が白い塊になった。

 

うわぁ。範囲攻撃ってすごい。一瞬で世界が凍りつき静かになった。

 

「これでいいだろ。話をしよう」

 

けれど、三秒も経たないうちに、また浮き上がってきた。氷の中から這い出るのではなく、別の場所の霧の中から新しいものが立ち上がってくる。同じ数、同じ速さで。

 

「マジかよ。無限じゃねえだろうな」

 

そう言いつつも、反応は早い。

次は炎を使ってそれを薙ぎ、少し時間がかかってそれらを完全に焼却している。

 

『炎は有効なようですが、酸素量に限りがある場合もあります。お気をつけください』

 

扉を確認した。四方全部。開けると長い通路に繋がっていた。四つとも同じらしい。霧が通路の奥まで続いていて、どこに繋がっているのか見えない。

 

「多分、ここでやらされるのは鬼ごっこだ。パターンを解析して追い詰めればいいはずだが、相手もアップデートしてるだろうから、ただじゃ済まなそうっていうのが俺の予想」

 

「敵のやりようを知ってんだな。まぁ珍しいことでもない。こっちは指示に従うだけだ。早くやろう」

 

「淡輝くん!敵の狙いは、どうすればいいのかだけ教えて!」

 

「あいつらは同一人物の意識に寄生されてるような状態だ。それで、他に何人いるかわかったもんじゃない。あいつらを南極から排除して赤い月の儀式を止める。そのためにここを抜け出さなきゃいけない。俺は手段を選ばないぞ」

 

「……。彼らは、無理やり意識を奪われてるってことはない?」

 

「中にはいるかもしれない。けど、あの二人は違う。というか、別人格と親和するのは感覚的な話だけど、似てないと無理だと思う。俺はあいつらを殺してでも止めるぞ」

 

そこまで言いつつ、緑谷の目を見て何かを感じ取る。

 

少し考えを落ち着かせるべきかもしれない。ここに来てからあまりに殺しに偏っていないか?

あの二人は確保した方が有効な場合も多いにあるだろうに。そうだ。仲間内で争うことになるかもしれない。ここは確保を目的にしてもいいだろう。

 

息をついて。そして話す。

 

「いや、わかったよ。確保が優先だ。無理だったらそうするが、最優先じゃない。これでいいか?」

 

コクリと頷いて、状況へと向き合う時間がきた。

 

飯田くんの怪我はひどい。個性のエンジンがすでにボロボロになっているから、戦わせることはできないだろう。

 

 

ここで時間を浪費して、無限湧きする骸骨に消耗している場合じゃない。四つの扉のうち一つを選んだ。

 

理由はない。直感で右の扉を開けて、通路に入った。霧が膝まで充満していて、石畳の継ぎ目が足元に続いている。

 

通路の先に人影が見えた。

体格ですぐにわかる。ドクターがそこにいる。

 

こちらに気づいた瞬間に笑いながら走り出した。走り方が老人のそれではなかった。檻を被ったまま、白衣を翻して霧の中を走っていく。それなりに速い。

 

笑い声以外には返事がなかった。しかし元気すぎるとはいえ非戦闘員の徒歩による逃走だ。ヒーローたちが追いつけないはずもない。

 

しかし、後少しのところで扉が閉まったり、骸骨が壁を形成していたりと妨害が多い。

 

通路が折れて、階段があった。上に続いていた。まるで騙し絵の中を走っているような感覚になる。

 

ドクターが階段を上りながら何かを言っていた。ミコラーシュの言葉なのだろう。瞳について、夢について、研究について、走りながら理解できない独白を続けていた。

 

階段を上ると部屋があった。

ここは上下に分かれた無限回廊のような妙な構造になっているらしい。どうやって建築するのか教えて欲しいくらいだ。

 

「ミコラーシュ……。あんたのことは聞いてるぞ。どう考えても、俺に戦いで勝てるタイプじゃない。時間稼ぎか、他の目的か?教えてくれるなら、へその緒の使用感を伝えてあげるが」

 

「なんと!ぜひもない!ああ、そうとも。君に勝てるなどとは思わない。狩人には原理的に我らは勝利できん!けれど、けれどね」

 

おぎゃあ。おぎゃあと。無視できない程の絶叫が、耳を押さえたくなるほどの叫喚に刺される。

 

白い霧によって悪かった視界が、今度は溢れ出る闇に覆われる。

視界がなくなっていく。一寸先は闇だった。

 

「君はおそらく、不完全な狩人なのではないのか?そして、この罠で満ちた空間で、自分以外を守りながら。我らだけでなく狩人にとっての真の脅威がいるとしたら、どうなるかね」

 

どうやっていくのかわからない、一つ上の踊り場にが見える窓がある。

 

そこには乳母車があった。

 

「ああ!それでも!狩りによる死を避けることはできないのだろう!いつも何度でも観測しようではないかああああああああぁぁああああああ」

 

その絶叫をもう誰も聞いていない。

 

全員を抱く深い暗闇。白い霧。その深淵から何がか来ている。いや、ここにいる。

 

頭蓋に何か注ぎ込まれるような感覚に溺れそうになる。

その暗黒の中から、刃がキラリと光りヒーローたちに触れていた。

 

血飛沫が上がり、人ならざるものが現れる。

 

新たな上位者。きっとあれは知っている。聞いていた名前は『メルゴーの乳母』というもの。

 

 

苦悶と悲鳴に混ざって、悲しげなオルゴールの音色が聞こえた気がした。

 

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