暗闇の中から鈍く輝く殺意がそっと下ろされる。
自分と緑谷以外、反応できていない。そしてその軌道が読めなかった。
脅威そのものは感じられずとも、俺たちの反応を見てどうにか反応し、反射的に氷の防壁で周囲を囲うのは流石の防衛本能か。
そして、血色の花が氷の庭園に咲き誇る。
滴る鮮血はじわりと氷に染み付いて、少し窪ませて凍りつく。
氷が間に合ったと思った瞬間には刃がその氷をすり抜けてるように切り裂いており、あまりの切れ味に物理的な干渉を無視しているように見える。氷が盾として機能できていないのだ。
轟焦凍の左腕が落ちた。
切断面が綺麗で、抵抗がなかったことが分かる断面のまま、轟が一瞬何が起きたか理解できない顔をしてから崩れた。飯田が支えようとした瞬間にその右脚に刃が走り、エンジンごと断ち切られた脚が石畳に転がる。
「っっ!!」
「ぐああ!足がっ」
友人たちの四肢が欠ける姿を見て、自分と緑谷の違いが浮き彫りになる。
ヒーローは即座に反撃を選び体を動かしていた。自分は、衝動的に自分のこめかみを撃たないように必死に自分を制御していた。
緑谷の決死の反撃に、すうっと消えるのは刃の持ち主だ。捉えどころのない鋭い気配は、今はどこにも感じることができない。
もう少しだけまともな思考がやってきた。
手癖で懐を探った。指先が注射器を探して、ない。輸血液はもうなかった。以前の夢の持ち物はたった一つを除いて持ち込めないらしい。
求める輸血液はどこにもなく、懐にあるのは不気味な『へその緒』のみ。
二人の断面に手が届いた瞬間、止血バンドの封を切っていた。
「止血に炎は使うな!すぐ止める!」
飯田くんはもう限界だと思う。
右脚の断面が先だ。エンジンごと断ち切られた断面は綺麗ではあるがあまりに大きな血管が断ち切られてしまっている。バンドを断面の上で締め上げながら、飯声を押し殺している気配を感じた。鎮痛剤を足の付け根に刺しておく。
最低限の処置だけ済ませて、轟の左腕に移る。
断面が小さい分、締め上げやすい。轟は処置の間、右手の炎を細く出し続けていた。骸骨が近づくたびに焼く、すべきことを腕を失ってなお、やっていた。
鎮痛剤を刺し込み最低限の指示を送る。
「飯田を守ってくれ。俺は敵を殺す」
それだけ言って向き直った。二人が頷いた。
そして上位者がどこかに消えると、骸骨たちが雪崩れ込んでくる。
霧の中で白い輪郭が動いていた。十五体、また十五体。石畳の継ぎ目から這い上がって四方から来る。どこから再び刃が振るわれるかわからないが、今は骸骨を処理しないと二人どころか自分も押し殺されてしまう。
緑谷が前に出た。
黒鞭が四方に伸びて骸骨三体を同時に掴み、床に叩きつけた。砕ける音が霧の中に散って、それでも動こうとする頭部を踏んで次に向き直る。右腕の包帯が解けかけていて、その下の赤い皮膚が見えていた。それでも動きが止まらない。
拳の一撃が衝撃を伴い、一気に五体を砕いてくれる。
俺は右から来た二体に向かった。
一体目の頭部をノコギリ鉈で薙いでその勢いで体を回転させながら二体目の胸骨に刃を入れると、崩れる前に霧の奥から三体目が来た。歩き方が違う。他より速い個体もいるらしい。だんだんと個性的な骸骨が増えてきた。
異形型の骸が起き上がり、その体格の良さを押し付けてくる。
「二人を壁際に移動させる、援護を」
緑谷が頷いて黒鞭を群れに向けて一斉に展開した。五本の鞭が骸骨を薙ぎ払って通路を作り、その隙に飯田と轟を壁際まで引きずる。
轟が壁に背中をつけて右手だけで炎を出した。
あまりに弱々しい炎。残り火程度だったが目の前の骸骨二体を焼いて、飯田に迫る。右手で壁を掴み直して倒れないようにしていた彼はもう戦えないがそれでも抗って、どうにか生きようとしている。
骸骨の群れが向きを変えた。怪我人に集中してくる。
さらに数が増えて、二十体近くが霧の中から立っていた。それぞれ個性的でこの世界の地獄にふさわしい光景が広がっている。
それでもヒーローたちは諦めない。絶体絶命の状態など、失ったものなど気にせずに立ち続けるのが彼らなのだ。
俺は彼らとは全く違う理由で諦めない。少しでも今を良く。次回をより良くするために全力で足掻く。
オルゴールの音色が来たのはその時だった。
霧の奥、世界の底から這い上がってくるような単音で、まるで子守唄のようだった。
石造りの天井に反響してどこから来るのか分からなくなる。骸骨を薙ぎながら緑谷が一瞬動きを止めた。
闇が降りてくる。また、全てが見えなくなってしまった。
その隙間に刃が差し込まれていく。
緑谷の危機感知が反応する前に終わっていた。右腕のガントレットが切り裂かれ、その下の皮膚と筋肉が露わにされている。
乳母が現れるたびにこちらが削られていく。
またしても霧の奥から輪郭が滲み出るように来た。
全身が黒く、衣服と装飾のようなものを纏い、背中に烏羽に似た翼が折り畳まれている。腕が多かった。六本の腕それぞれが鎌に近い刃を持って霧の中で静かに揺れていた。
顔は見えず、自分ですら見えない何かに肌が泡立つ。頭部があるであろうフードだけがそこに何かがあるのを示し、どこを向いているのか分からないまま近づいてくる。
赤子の声が大きくなった。
耳の奥に入ってくる音で、骸骨の音も緑谷の声もオルゴールも、全部その泣き声に埋まっていく。
一度目は躱した。六本の刃が同時に来て全部の軌道を読んで飛び退くと、着地の瞬間に二度目が来て腕で受け流す。装甲が削れる音がした。
三度目が来た時、闇が落ちた。
オルゴールが止まらないまま光そのものが消えて、石畳も壁も天井も全部が黒くなる。センサーが拾えない暗さだった。
刃が来た。
来たと気づいた時には轟の首が飛んでいた。
緑谷が守っているはずなのになぜ?そう思えば、緑谷も乳母と戦っている。
乳母が三体そこにいて、そして闇と一緒に消えようとする。
「あああああああ!!!!」
「轟くん!!」
血が霧の中に散って轟の体が壁から崩れ、飯田の絶叫が暗闇に響いた。
その声が止まる前に通路の奥で光が瞬く。
いつの間にかいたドクターが何かを叫ぶ。老人の動作とは思えない速さで手を掲げると、頭上に光が集まった。小さく、密度が高く、星のように圧縮されてそれが一瞬で弾ける。
光球が複数、霧の中を飛んできた。
ホーミングしていた。障害物を迂回するように軌道が曲がって飯田に向かって収束する。左脚が既にない状態で一本の脚で壁を支えに立っていた飯田に、光球が連続で着弾した。
爆発が重なる。
壁ごと吹き飛んだ。石造りの破片と飯田の体が霧の中に消えて、着弾の残光だけが石畳に落ちていた。
オルゴールが鳴り続けていた。そして赤子は泣いている。
友人二人を失い、緑谷がワンフォーオールの力を爆発させる。
きっと上位者にも通用するかもしれない。オールマイトを彷彿とさせるような剣幕の全身全霊の一撃。
今にも消えようとしている化け物にその拳を届かせようと力を込めた。
その体から緑の閃光を発して、世界を変えるほどの一撃が放たれる。
彼はそこまで激昂しても、相手を殺すような攻撃を加えることはない。けれど相手がロボットだったり、それこそ人ではない場合リミッターが外れて最も強い力を発揮する。
けれどその寸前に、霧が晴れた。
そこで見えるのは、壁面に埋め込まれた人間たち。きっと不本意なのだろう。誰もが泣きながら助けてくれとヒーローへと目を向けている。
その無数の目線に晒されて、緑谷出久は停止する。体が助けに走ってしまう。
もちろん目の前の敵を倒すことから逃げることなど決してしないが、それでも周囲を巻き込むような全力を彼は出せなくなった。
その力の不自然な弛緩を、上位者たる存在は見逃すほど甘くはなかった。
消えかけた乳母たちはその実体を取り戻し、こちらを殺すべく刃を振り下ろす。
補助に入ろうにも、こちらにも乳母が襲い掛かり邪魔をされて進めない。
その闇振り回す殺意を必死で避け続けると、それが止んだ。
そこには、ヒーローたちの死体が揃った悪夢の光景がこちらをじっと見ている。
助けを求める人々が絶望し、そして敵が狂笑するという最悪の光景が広がっていた。
これまで何度も見た絶望だ。
「狩人には効果がないと思ってな。それほど多くは用意していなかった人の壁じゃが、青臭いヒーローには覿面じゃい!やはり奴らが来るまで待ってよかった。さぁこれは筋書き通りか?それとも失敗か?何をするのか見せてくれ!!」
唾を飛ばして喚き散らすドクターは。この状況での勝利を確信していないようだった。これは中々ないことでもある。絶対的に有利な相手が負けるだろうと思っているというのは、こちらの理解度が高い証拠だろう。
「君はどんな反応をする?さぁさぁさぁ!自害でもするかね!?それで良い!この世界が消えようと私にはそれが認識できない!よって恐怖は感じない。それどころか分岐して別世界が始まる可能性もある!そうなれば君の死体を私は好きなだけ研究することができそうだ!」
ヒーローたちが無惨に殺され、残されたのは自分だけ。この現実は絶対に否定しないといけない。
それは当たり前のことだ。これまで何度やってきたと思っている。
「脳を無事のまま自害してくれるなら、君の家族は助けると約束しよう。これでどうかな?」
「嫌だね。100%対照実験するだろうが。双子と『科学』の相性の良さは知ってんだよ」
血塗られた双子の歴史は十分に学んでいる。こいつはあらゆることをするだろう。
自分のやることは何も変わらない。
銃と鉈を構えてその意思を示し、彼らの遺志を全うする。
「人でないと言うがそちらも大概らしい!友人が死んでその反応とは!やはり我らで手を組まないか?そちらの情報をくれれば」
「そちらが俺を信用できないと知っているのに、握手なんてできるか、よ」
最後の一言と合わせて、背後に迫った刃を防ぐ。
闇を発生させないでも現れることができるらしい。これは良いことを知った。
「最終的にはヒーローが勝つ。それは絶対だ」
「犠牲はつきものだと?それは誰もが知っているヒーローとは随分違うな!」
「俺はヒーローじゃないから」
これはきっと、俺が最高のヒーローを救うまでの物語だ。そうすると決めていた。
宣言の通りに、受け継いだ通りに、教わった通りに、戦い続ける。
そして最後の最後まであらゆる手段を用いて戦い。それこそ友人の死体すら使って戦って。
全てを体に叩き込む。
そしていつしか闇の中で、無数の骸に足を掴まれ。そして首を刎ねられた。
くるくると回る世界を見ながら、この切り方ならひいばあちゃんの方が上手いなと。
最後に考えるのはそれだけだった。