全へと迫る者
赤い月に照らされたUAIの状況を整理する。
何度もやり直して、今ここにある脅威を知ることができた。同時に進行するそれらの脅威にどう対処するのかを決めて、この状況を打破しなくてはいけない。
やり直す場合、ミコラーシュの迷路を毎度攻略することになるのだがそれはもう問題ではない。彼らを今根絶させることはできないが、今こちらをどうにかできる力もない。
全てを拾うことはもうできないかもしれないが、それでもここからならばきっとできることがあるから。
状況を整理する。
まず、一つ目。雄英高校に現れた巨大な獣が大きな問題だった。
その正体は根津校長だが。基本的に戦闘が終わってからでなければ生徒たちはそれに気づけない。一部教員が途中で言ってしまうこともあるが、それさえケアしておけば最後まで隠すことはできる。できるが、それだけだ。戦闘をしている爆豪を中心としたヒーロー科の生徒たちが心折れずに戦うことができる最低限の条件だ。
そして彼の戦い方は非常に厄介で、獣の本能にまかせて暴れるだけでなく。あらゆる手段を用いて人類に害を与えようと行動してくるのだ。人を超えた知能の獣の牙は、我々には気づけないような鋭さを持っている。
校長に対しては爆豪勝己を主軸にしてヒーロー科の面々がサポートする形が最も有利に戦いを進めることができるのだが、全体を考えると爆豪には別の対応をしてもらうべきと判断した。
そして二つ目。ここが爆発ヒーロー『ノーベル』の正念場といったところだろうか。
赤い月に当てられて内なる狂気を爆ぜさせようとしている人物がいる。彼を止めるのはノーベル以外にできそうもない。自分でも緑谷でも能力自体はありそうだが、これは彼でなくては。
三つ目。死柄木弔がやってくる。彼の『崩壊』の個性は進化しており、その破壊は伝播していく。空中に縫い止めるような繊細な戦いを強いられるため。CCセレブリティ&スカイクロウラーのコンビとデクによる対応が必要だった。それほどまでに黒霧と死柄木弔のセットというのは反則だ。
こちらが事前に破壊の手順を知っていなければ、絶対に守りきれないのだから。
最後の問題は、個別に挙げればキリがなく。『その他の全て』という汎用カテゴリとして表現するしかない。現状、最も良いパターンで状況が推移したとしてUAIランド内での死者は1万を超える。この挫折は人々の心を折るだろう。
なぜなら市民が獣に変わり人を襲い始めるのだから。
俺が対処すべきはここだ。ヒーローたちが生き残っても、他の全てがダメになるようでは元も子もない。すでに対応を決めた事柄は全て、UAIを根本から破壊する可能性のある重大な脅威であるが。それらがなくても、多くの人々は脅威にさらされている。
以前から大切な人だけ助けられればいいと思っていた節はあったが、ここまで広範囲に影響が出るとなれば無視できない。
そうだ。何よりも、人々の精神状態が悪化すればそれだけ獣になる人が増えるのだから。
故にこの状況で、オールマイトを殺す。ナイトアイの死を証明するなど、悪手も悪手なのだ。
それでもしなくてはいけない。
なんと皮肉なことじゃないか。あれだけ打倒しようと、何度も倒した相手と同じことをしなくてはいけないなんて。
全体の破滅を招く三つの災厄にヒーローたちが抗っている。
空では緑谷が、先輩ヒーローと協力して覚醒しつつある悪と戦っている。
中心である雄英高校では、生徒たちが恩師と知らず苛烈な戦いを演じている。
それらの影で静かに時を刻む爆弾と、爆豪勝己は向かい合う。
俺はその他の全てをどうにかしないといけない。
けれど、その前に何度やり直してもどうにもならない問題があった。
それの解決を、糸口でもなんでもいいからと何度もやり直しを繰り返している。
俺がどこにいるのか。最も致命的で最も大事な、それでいて世界から一番関係のないここにいた。
ここは狩峰家の子供用の寝室である。双子の部屋で、すでに見慣れた光景というか。普通に我が家だ。
滝のような汗を流して、苦しんでいるのが姉である狩峰
顔はそっくりだが、女性らしく丸みを帯びた輪郭は、同じでも違うのだと改めて考えさせられる。
その輪郭が、今はおかしい。本来はここまでの違いはないはずなのだ。
今朝までは普通だったのに、今ではまるで臨月の妊婦のようなお腹になっている。
すでに陣痛が来ているのだろう。恐怖と困惑、何より強いパニックの中ですでに精神は限界を超えて、もう意味のある言葉をその口から聞けていない。
「っはぁ。ああ!あぁ〜!海の音がね。水のがね止まらないの。そんなの嘘よ。悪い夢よ。いや!違う!私じゃない。こんなの私じゃない!!だから…ああ、気持ち悪いの……選ばれてるの。分かる?頭の中で蠢いてるの……」
口調が別人のようだった。きっと彼女の中にも何かの記憶があるのだろう。その気持ちと気持ち悪さは誰よりわかる。
彼女がこうなってしまえば、もう手の施しようがない。それくらいは繰り返しの中で気づけていた。だから、想像を絶する痛みを経験してその先に異形を産み落として発狂し切る前に殺してあげるのが一番彼女のためになる。
そうわかっているが、毎度気は進まない。それでもやらなくてはいけない。
銃を向けて、目が合った。その瞬間に理性と理解の色が見える。
撃って欲しいという願いをその色の中に見出したと感じるのは、俺の勝手な願望なのだろうか。
このところ、幾度も考えている。
全てを救う行動の前に、たった一人の自分の家族を救うことを諦めないといけないのだろうか。
こうしている間にも、今頃校庭では友人たちが死んでいる。彼らが守ろうとした人々が街の至る所で死んでいく。
肉体の傷を癒すことは不可能ではない。けれど心が壊れてしまったら、それはもう手遅れだ。俺のような手遅れには絶対になってほしくない。本人の意識がなくなれば発狂は免れるかと思ったが、用意した薬品と対策は全く意味がなかったらしい。
姉を諦めることは決してしない。そこで自分を撃ち抜いた。
これが今の状況だった。
現実的な問題への対処方法は概ね解明している。その後にやるべきこともわかっている。
けれど、前に進むことができない。諦めることができないのは自分にとっての成長だと思っているが、見方を変えれば枷なのかもしれない。
この意味不明な妊娠と出産。かつて曽祖母も経験したというこれを彼女は耐えられない。
自分と瓜二つの存在が、人でないものを生み出して狂って死んでいくのを何度も何度も、ただ眺めることだけしかできなかった。
その後の赤子を殺してしまえば、何かが変わったのかもしれない。あの『へその緒』が得られる可能性が高く。そうすべきとも思っていた。
しかし、どれだけ繰り返しても。それを使わなかったひいばあちゃんのあの顔を思い出す。
俺はあれを殺して使うべきなのだろうか。きっとそうなんだろう。それを試さずに別の方法を模索している今の状況はどうにも逃げているような感覚が拭えない。
やはり自分は無力だ。
けれど、無力なりにやるべき方法は試している。
早めに姉のところに駆けつけると、まだ何の異常も起きていない彼女と少し話すことができる。まだお腹は膨らんでおらず、周囲の被害を心配していつ医療科の自分たちが動くべきかと指示を待っているのだ。
もう少し経てば彼女は自分の腹部に違和感を感じ始め知識の中で現在の症状を分析し、病院へと向かうか迷い始めるだろう。
それまで30分もない。貴重で重要で、本来なら取り返しのつかないこの時間を全く別のことに使うことができるのは、自分だけだ。
これまで得たすべての人との関わりと言葉。助言、学び、気付き。それらを忘れずにこの問題と向かい合う必要がある。
「聞いてほしい。俺が今まで、何をしてきたのか。これから、何をしようとしているのか」
こんな目で向き合ったことはこの数年間一度もなかった。確実に何かが変わった。もうこれまでのような関係性には戻れない。俺が守って平穏を感じさせてくれる存在から、変わってしまう。
「うん。聞かせて。私にも、できることがある?」
わずかな時間ではあるが、どうにか要点だけを伝える。今更信じる信じないという話は一つも出てこない。雫月は真剣に話を聞いて、どうにか理解しようと努めてくれていた。
やり直しを繰り返していることを伝えた時には涙がつうっと流れていくが。それだけだ。
今の問題点について。この状況についてを簡易的に伝えることはできたと思う。
「私を助けるために、みんなを助けるのを待ってるって。そういうこと?」
概ね合っている。頷いて肯定すると、雫月は強い目線で返してきた。きっとそんな顔をするだろうとは思っていた。
「最近はさ。やり直しが朝じゃないことが多いんだ。悪夢みたいな世界に連れてかれることも多い。だから今のところはやり直しができる範囲でそれ以上は進みたくない」
「私は……死にたくない。そんな風に訳わからない状態で子供を産むのも嫌。でも、私のせいでみんなが死んじゃうのはもっと嫌だよ。あーくんだって何度も死んでるんでしょう?それは、嫌だよ……」
「でも俺は、雫月が死ぬのが嫌だ。だから、俺はこれからもいろんなことを試そうと思ってる。ここで話すのもその試行の一つだと思ってる。だから、ごめん」
こんな風に話すのはこれが最後かもしれない。お互いに同じ理解をしている。俺たち双子は全くタイプが違っているが、同じことを同じタイミングで考えていることがたまにあった。
「私は死にたくない。でも、戦いたいよ。これはどんな私でも同じことを言うと思うの。命を助けるのが、私の夢だから。知ってるでしょ?そこで逃げたりなんかしたくない。戦闘でも、救助でもいいから。何かをさせてほしい……」
「気持ちは、わかるよ。でも流石に戦いには巻き込めない。戦力的には意味がないし、足手纏いになるのは間違いない。俺はこれまで、お前を巻き込んで戦いを組んだことは一回もない」
雫月は大きく息を吸って、そして吐いた。
先ほどまで緊張した面持ちをゴシゴシと顔を拭くように揉んで、出てきたのは日常にある姉の顔だった。
のほほんとした笑顔がそこにある。一体なぜ笑えるのだろうか。
「何も変わらないことなんてない。私のことは任せるからどうなってもいいよ。ほら、勝手にじゃなくて相手の許可があるんなら、肩の荷が一つくらい降りたんじゃない?」
「それは……。今まであんまり経験したことないかもな」
意外な言葉に衝撃を受けるも、時間制限がもうすぐやってくる。
「あんまり時間ないんだよね。急いで考えよう。リラックスした状態なら、何か思いつくかもしれない」
リラックスしているのはそっちだけだ。こっちは無理である。
新しいことを思いつく可能性はある。けれど、そんな風に都合の良いことは今まで起きたりしなかった。勝つときは無数の負け筋を潰した末の必勝であり、必然なのだ。俺の戦いに奇跡は起きない。
そういえば、いつもそんな確率をぶっ飛ばしてくれる存在は確かにいた。
「あーくんはさ。自分で全部やらなきゃって思ってるでしょ。人にやらせることはあっても、全部自分の責任で自分が考えてどうにかしようとしてる。でも、ヒーロー科のみんなも。先生たちもオールマイトも。みんなはなんて言ってた?そこに見落としてるものはないのかな」
ぶつぶつと、まるで緑谷のように呟きながら。色々なことを考えてくれている。
「ここにはいろんな個性を持っている人がいるでしょ。使える個性は?」
いくつか試したことを話す。有力ような案があるだけになぜ失敗したのかわからないのは、歯痒そうだ。自分の命がかかっているのだから、こんな状況はそうそうない。
現在のUAIには20万人を超える個性持ちがいる。きっとその中にはあるだろうが、今のところ思いつけていない。そもそもこの妊娠という現象は物理的なものではない、個性に一体何ができるというのだろう。
それでも話していれば、今までよりは違う発想が出てくるかもしれない。できる限りの時間を使って相談して発想を出し合った。
「今のあーくんが考えなさそうなこと。そういうのを考えなきゃ……」
すでに体調に変化が出ているのだろう。立っているのが辛そうで、ベッドに座り込む。
もう間も無く、会話ができなくなってしまう。
その時まで話し続けた。
「そう……だ。ずっと、大変で。辛いでしょ?だから面白かったこととか。好きなこととか。笑ったこととか。そういうのを思い出してみるのはどう。分かる?頭の中で良い思い出が蠢いてるの…
幸せなのよ……ヒヒヒッ、ヒヒヒヒヒッ……」
なんでそんな不可能なことを言うのだろう。自分がもう何かに飲まれて、顔の半分が狂笑に侵されていながらに、なんでそこまでできるのだろうか。
そして、その指摘は確かに自分の思考形態の中で、苦手としていることだった。
楽しい思い出、上手くいっていた時の出来事。そして好きなもの。
過去に何度も聞いたあの宣言を思い出す。
『私が、来た!』
どこまでも、オールマイトのことを思い出す。
やはりあの世界最強の男の言葉と姿が、何よりの……。
ふと思い出した彼の姿。印象的で忘れもしない、イレギュラーなその言葉を思い出す。
これなら、いける。
「雫月。ありがとう、次は絶対に助けてみせるから」
きっと次は助けることができる。
だからこそ試行をして、それを見届けてからやり直す。
『指令6を実行しろ。オールマイトが死なないときっと、条件は満たせない』
そして家族は死に。憧れのヒーローは死んだ。
その訃報が世界へと巡り、地球の全てが荒れていく。獣たちの爪によって、人の世界は決して癒えない傷を負う。
その結果は、空振りだ。
今見ている範囲ではそう見える。
だが、もっと試して確かめなきゃいけない。絶対に
自分を撃って死ぬ最中、一つのアイデアが思いつく。
今まで、ずっと客観的なデータから調査を始めるのが常だった。それを少し変えてみよう。
自分にとって都合が良くて、最高に都合の悪いところから。
自分勝手にやってみるのも悪くないのかもしれない。
目が覚めて、いつも通りにUAIへと戻り。そしてずっと遅らせていたことを先にする。
ハズレるのが当たり前の当てずっぽう。それこそ、20万分の1くらいの確率の負けるはずの勝負。
そして俺は、最初の一度目で当たりを引いた。
「はは。こんなに都合の良いことってあるんだな。いや、悪いのか」
ホントにユーモアってものは大事らしい。真剣にやって見つからないものも、笑いながら見つけることもあるのだ。本当にナイトアイはすごい。凄すぎる。
ようやく見つけた魔王と狩峰淡輝は対峙する。
「僕をどうして見つけることができたのか。それはいい。でも、僕が目覚めたと言うことはつまり、僕の勝ちだぜ?」
確信をしている魔王は、決して誇張などしていない。彼にとっては勝利したのは間違い無いのだろう。
オールマイトとナイトアイ、狩人が死んだと確信したら。こいつは現れるのだ。どんな風に知らせるのかは未知だったが、広く知らしめればそのうち当たる。
その覚醒の瞬間に立ち会いたかったから、無数の機会を使う覚悟はしていたのに。たったの一度でたどり着いた。
「いや、ここからが勝負だよ。俺と戦おうぜ。全一くん」
「君が、僕と?面白い冗談だ。そんなのは到底……」
魔王らしい侮りの言葉を、モノマネで中断させてやる。今の俺はユーモアの化身だ。
「私のひ孫よ。それだけで、十分に興味があるでしょう?」
声質や高さは似ても似つかないが、イントネーションや発音の仕方。感情の乗せ方は誰より上手く模倣できている自信がある。
目が見開かれ、魔王の体が震え始める。
それは恐れではなく、きっと怒りと歓喜だろう。殺したくても殺せなかった相手がようやく現れてくれたのだ。
その気持ちには嘘はない。けれど、ほんの少しの影を見落としはしない。
こいつは俺を畏れている。ひいばあちゃんを神格化しているのだ。
「ねえ。全くん。ゲーマーの先輩の言うことは?」
ぜったーい!と楽しそうに声を張る女とハンチング帽子の姿をこいつは100年ぶりに思い出している絶対に。
絶対零度の無表情だが、その内心は1世紀ぶりの苛立ちでいっぱいに決まっている。
全部を拾うための最後の戦いを始めよう。