UAIで異変が各地で起きている。そんな中、ヒーロー科に与えられている今の指令は待機だった。
今まさに市民たちが傷ついているだろうに、1分でも1秒でも早く動いて助けに行きたいのに。それでも戦って救える彼らに動いていい許可はまだ出ない。
「なぁ。……みんな聞こえてんだろ!これこのままここにいていいわけ?」
上鳴が言った。窓の外を見ていた。市街の方向から声が聞こえていた。叫び声かどうかも分からない距離だったが、何かが聞こえていた。彼の聴力は並である、中には人を超える索敵能力を持つものも多い。彼らにはもっと鮮やかに街中と付近の被害が聞こえているだろう。
誰も答えなかった。
廊下が静かだった。全員が窓の外を見ていた。見ていないふりをしている人間もいたが、それも同じことだった。
「なんでいつもは危ないところに真っ先に投下されんのに、今日はこの距離で待機なんだよ。おかしいだろ……」
峰田が言った。いつもの声ではなかった。
「戦えるのに。今すぐ行けるのに。オイラたちがここにいる意味って……」
「訓練しただろ。適切な段階で動かないと、被害がかえって大きくなる場合がある。何度もシミュレーションした」
障子が冷静に努める声でどうにかそう言う。彼は直接聞こえている。それでも必死に抑えて正しいことを言っているのだった。
拳藤はクラス委員として、彼らに手を挙げて制止してくれる。それは峰田ではなく、もっと感情的で直情的な、鉄哲や切島に向けた忠告だった。
「私たちが動くのはその命令があってから。ナイトアイを信じるってみんなでもう決めてるでしょ」
常闇が目を閉じた。
「ダークシャドウが騒いでる。外に出たがってる。俺も、同じ気持ちだ」
一旦それで話がつくが、また五分も経つと同じ思いが噴出する。
特に、職員室の方面で大きな音が連続している状況ではなおさらだ
夜嵐が腕を組んで天井を見ていた。
「でも、命令が来ないっていうイレギュラー想定の訓練もしてるっスよね。さっきの音は無視できない。状況は変わったと判断していいと思うんスけど」
行動をするか否か、ヒーローたちは兵士ではない。
究極は自分の信じる正義のために動くのだ。でもここには仲間としての絆もある。
ここで勝手な行動をしていいのか。それとも自主的に動くべきか。
マリアの文章には、八百万百に判断を任せると書いてあり。それはこの場にいる生徒全てに共有されている。
判断のために、全員が百のことを見たまだ誰も勝手に走り出してはいない。
昔だったら、真っ先に心配していただろう爆豪勝己という身勝手の権化も、今は静かにこちらを見ているだけ。何も言ってこない。
決断を示す必要がある。そして彼らの心に訴える言葉を使う必要もある。そうでなければ人を助けにいくだろうから。
「聞いてくださいみなさん。私たちは信じるべきです。すでに動いている仲間がいるでしょう。緑谷さん、飯田さん、そして私は狩峰淡輝という人間を信じています。彼らが先に動いているのには意味がある。私たちにとって、ヒーローにとって一番難しい戦いは、何もせずに待つということではないでしょうか」
胸に手を当てて、祈るように目を瞑る。いや、祈りなんていらない。知っているから、彼らが決して諦めず、そしてあらゆる困難を打ち砕くことを知っている。
「私は、困難な道から逃げたくはありません。これが一番多くの人を救える方法だと信じています。みなさんは、どうですか?」
「……そう言われちゃあな」
「もっと大変なことをしようって言うのはずるいっスね。自分そういうの好きっス!!」
熱血バカ三人が待機に燃え始め、そしてヒーロー科の意思が固まった。
今できることを考えようと、救助の想定。ヴィランの想定。襲っている何かの予想をして時間を使う。
その数分後、八百万百の端末に連絡が届いた。
同時にみんなの端末にも届いているらしい。彼らはの音はみんな同じでマリアからの指令であるとわかる。
待ちに待ったその音に、全員が覚悟の表情で息を呑み。それを読み込んだ。
百の連絡だけは、マリアから連絡に追加して、淡輝からのものもある。
『そこにいるヒーローだけでどうにかしてほしい。頼んだ』
短く、それだけだった。こんなの断る理由などあり得ない。彼はどこまでも自分がやる気を出す言葉を知っている。
それだけで100万人力である。いや、彼なら八百万人力とでも言うかもしれない。
「分かりましたわ。任せてください」
直後に端末の電波が落ちる。マリアの補助信号が消えて、情報支援、位置情報、AIによるリアルタイム分析、それら全部が一瞬で消える。残ったのは自分たちの目と耳と判断だけだった。
それらの異常にみんな驚きはない。こうなるだろうことは、すでに直前の連絡に書いてあったから。
相手はどうやら、雄英高校の設備をある程度使えてしまうらしい。なんと厄介な。こんな考えは嫌だが、内通者でもいたのだろうか。そうであれば書いてあるだろうからきっと違う。
ナイトアイが見守っている中で裏切り者は出ようがない。そんな議論はとうの昔に済ませてある。
北朝鮮でオールフォーワンが打ち砕かれた時、こちらの陣営に入っていたスパイだった人々には保護と恩赦が与えられたらしい。きっといたのだろうが、もう今はいないのだ。
それぞれが指示を受けて動き始める。
決意を新たに、今この廊下に集まっている全員を見回した。
1年のヒーロー科からすでに別の指令を受けて動いて移動するものもいる。
「おい!!俺が戻るまで、親玉は取っとけや!死んだら殺すぞ!」
爆豪勝己は間違いなく最高戦力だが、彼には別にやることがあるらしい。爆発しながら、ドップラー効果を伴ってすごい速さで暴言と共に飛んで行った。
「バクゴーは変わんないね〜」
夜嵐が腕を組んで前を向いた。いつもの馬鹿でかい声量が響き渡る。
「きっと先生たちも戦ってるっス!すぐ俺たちも!」
誰かに言ったわけではなく、全員に元気が伝わるように鼓舞してくれる。
全員が頷く。声を揃えたわけではなかったが、口々に同意して走り出すのはいつも通りだ。
「障子、外の状況は分かる?」
「壁越しでも拾える。大型一体、小型といっても人間くらいの大きさだが、多数。正確な数は出ないが、三十は超える何かがいる」
「連絡にあった獣ですわきっと。校庭に出ましょう。各自、準備の足りない人は言ってください。なんでも作りますから」
廊下を進んで、いつも使っている扉を開ける。いくつかの運動場を抜けていき、目当ての校庭へと移動した。
誰かの個性だろうか、霧が出ていた。UAIの校庭に霧が這っていて足元が見えない。霧の中に白い輪郭が複数動いていて、散らばって、あるいは固まって霧の中を移動している。
倒れている人が校庭の端にいた。教員か用務員か。戦えない人だってここには大勢いる。彼らを助けなくてはいけない。
霧越しには動いているのか判断がつかない。制服の切れ端が複数見えて、教師のものだった。誰かは遠目には分からない。
職員室の壁が崩れていて、激しい戦闘があったよう思える凄惨な状況だ。ネズミの群れが霧の中で動いていた。
思ったより大きかった。犬に近い体格で前足が後足より太く、走る姿勢になると頭を低く突き出す重心前寄りのシルエットが、霧の中に無数にある。三十では足りない。
「いや、さっきより。増えてるぞ」
見た目で敵の脅威を推し量るのは危険だが、それでも視覚からの情報は頼りになることも多い。
明らかに大きな個体が奥で何かをしていて、そして小さな群れがそれを守るように動いている。
霧の中でも分かる。他と大きさが違って、四足で立ったまま頭の位置が人の頭上にある。低く唸っていてその振動が霧を揺らしていた。大型の獣の怪物は、きっと誰かの成れの果てなのだろう。
今まで、そんな辛い戦いを。どうにか殺さずに制圧してきた。
赤い月によって獣になった人々は、今もUAIの冷凍仮死施設に収容され続けている。
「やってやる」
「やってやろう」
「やってやろうじゃん!」
「やろうぜ!」
拳藤が続けて拳をぶつけると、衝撃破が生まれる。誰かがのけぞって笑った。短い笑いだったが、それで全員の肩から少し力が抜ける。
八百万は校庭を見渡した。負傷者の位置、群れの分布、本体の位置、動ける人間の数と個性の組み合わせを頭の中で並べる。AIの補助なしで全部自分でやる。何度も訓練したことを実戦でも再現するだけ、それだけだ。
「行きます。まず負傷者の保護と戦闘を同時。索敵班は負傷者の位置を全部拾い続けてください保護班は彼らを安全なところに。戦闘班は敵の無力化を行います!」
霧の中で互いの群れが動き始めた。
ネズミの群れは散開するのではなく、一方向に向かって走った。負傷者の方向だった。倒れている人間を囲むように群れが走って、保護班が向かう前に先回りした。どうにも統率が取れている。個別に動いているのではなく、どこかから指示が来ているような動き方だった。
この動きはまずい。敵はこちらの不利になることがわかっていて、嫌なことを知っている。
ただの獣との戦いではない。悪意ある知性との戦いだ。
急ぎ先ほどの指示を更新する。拡声器を使って、一瞬で散会した全員に叫ぶ。
「やはり命令系統、支持役がいますわ。保護班、止まって!」
蛙吹たちの足が止まった。群れが負傷者を襲う姿を見せながら保護班に迫っていく。突っ込めば群れに不利な状態で飲まれる。
「……救護は後回しにします。全員切り替えて。トリアージ戦闘状況です!」
言いながら頭の中を切り替えた。手遅れになる怪我人がいることを覚悟してでも最善を尽くす。負傷者は今すぐ命に関わる状態ではないかもしれないし、死にかけているかもしれない。
だが、群れを倒せば確実に助けに行ける。この判断ができるヒーローは少ない。だから誰よりも立派なヒーローであるのに、雄英高校は緑谷出久には指揮権は与えないのだ。
「レップウ!群れを二つに割って。イヤホンジャック!地面に音波を走らせて動きを鈍らせて。二人ともこちらを!」
待ってましたと言わんばかりに夜嵐が前に出る。
すでに風が集まって、凝縮していたそれは次の瞬間に解放された。烈風が群れの中央を縦に薙いで、左右に分断した。そこに百から手渡された粉末が混ざる。
それは獣にとって致命的な目潰しである。すでに仲間たちには目薬を配布済みのそれは、粘膜にあたれば炎症は免れない。
耳郎のジャックが同時に用意されたスピーカーに刺さって起動する。音波が地面を走った。ネズミの動きが乱れた。耳が人間より発達している分、効いているだろう。そしてその揺れる振動は間隔ごと相手を揺らし続けている。
群れが二つに割れて、視覚と嗅覚と聴覚を奪う。
「左右に分かれて各個撃破!ツクヨミは後方、逃げ道を塞いでください!」
拳藤の右手が巨大化した。左の群れに向かって踏み込んで、まとめて薙いだ。左手から紫の拘束光が走って、複数のネズミを無力化する。まさに鎧袖一触という光景だ。
動きを止めたところを砂藤が糖分を口に入れながら踏み込んで殴り抜いた。さらには一撃ごとにカロリーを奪っていって、ネズミの動きが急速に落ちた。非殺傷の制圧は彼が最も上手いかもしれない。
夜嵐は右の群れに烈風を叩き込んで壁際に押し込んでいく。逃げようとした個体を常闇の黒影が掴んで投げた。黒色によって強化されたダークシャドウは拳藤とすらタイマンを張れるフィジカルがある。いや、この場合は拳藤の性能の方がおかしいのだが。
夜嵐の風がそれを受け取って壁に叩きつけ、群れの数が減っていく。
それを奥の巨大な個体はただ見ている。ただただ、見ているだけ。
群れが減るのを見ながら動かない。こちらを恐れてすくんでいるようには見えず、品定めをしているような動き方に見えるのは疑心暗鬼になっているからだろうか。群れを囮にして、こちらの手札を全部見てから動くつもりにしか見えない。
ちょうど、情報が揃うまで動かなかった先ほどの自分達の姿のようで。嫌な予感が止まらない。
いや、まるでネズミの王といった風格だ。王が試練を与えているかのような、そんな上位からの視線すら感じる。
「青山さん!奥を牽制し続けてください。動かないなら動かないで構わないので。距離を保って欲しいですわ」
「誰も僕のヒーロー名で呼んでくれないね!でも、キラキラは止めないよ!」
臍からレーザーが走った。ネズミの王の側面に直撃して毛皮が焦げる。本体は動かなかった。当たっても動かなかった。ただ、黄色く濁った小さな目がレーザーの出どころを追っていた。
覚えている。
「引き続き各個撃破。拘束できる人は本体の足元に仕掛けを。動き出した瞬間に使ってください」
「残り六!」
群れが四になって、二になった。
本体が動いた。
群れが全滅した瞬間だった。見届けてから動いた。霧を踏んで前足で石畳を削りながら、突進の構えを作った。品定めが終わったということだった。
「来ます!拳藤さん、お願いしますわ!!」
「待ってたっての!」
拳藤の右手が巨大化して踏み込んだ。突進の軌道に正面から拳を合わせて、衝撃が広場を揺らす。本体がよろめいた。止まらなかった。
「硬い。骨格が変質してる」
「構わず続けて。拘束してください!」
本体が動こうとした瞬間に芦戸が走った。足元に酸を撒いて土を溶かしていく。足場が崩れて本体が沈むように体勢を低くした瞬間、峰田のモギモギもそこに投げ込まれていく。瀬呂のテープが四肢に絡みついた。
砂藤や障子がダークシャドウと一緒に両端を掴んで引っ張った。糖分を口に入れながら力を込めていく。筋力が跳ね上がってテープの拘束が締まった。本体の動きが鈍くなっていく。
ネズミの王が動けなくなっていた。モギモギで縫い止められ、四肢が絡まって、キノコが体表を覆って、足場が溶けて沈んでいた。頭だけが上を向いていて、黄色く濁った小さな目がこちらを見ていた。
百はずっと考えていた。ネズミの王は、何をしている?
四肢は止められていて、何もできるはずはない。
けれどそこで気づいた。まだ動かせるものがある。尻尾を使って何かを、突いているように見える。
それは雄英高校の設備を制御する端末であり、教師にしか使用できないはずのそれ。
咄嗟にまだ無事だった教員の一人に視線を投げれば、彼ははっきりと自信を持って答えた。
「無駄だ!教師権限でロックしているお前には……」
オールグリーンでシステムが怪物を受け入れる。そして、雄英高校の警備システムが起動した。
パネルと校内放送に、その獣の入力した読み上げ音声が残酷に響く。
「どうして僕を殺すんだい。僕は貰ったものを返しているだけさ!」
その言い方に、ヒーローたちの動きが止まる。そこにいるのは、恐ろしい何かを見て体が動かない高校生だ。
「校長先生からの時事ネタ紹介さ」
最後にネズミのマークがウインクしている絵文字まで添えられ、画面が切り替わる。
リアルタイムのライブ映像だった。
人が、誰かに引き裂かれている衝撃的な光景が放映されている。
誰もが、世界が言葉を失う。
その人物と同じようにして、心を引き裂かれるようにみんながそれを見ることしかできない。
オールマイトが、引き裂かれていた。あの体が、あの腕が、人間の形をしていないものになっている。
ありえない。ありえない。ありえない。
そんな人類の否定を、さらに強く否定する顔が横にある。
画面の端に人間の顔があった。
脱獄囚のようなヴィランが笑っていた。得意げに、誇らしげに、勝ち誇った顔で映像に映り込んでいる。カメラに向かって何かを言っていて、音声は聞こえないが聞こえなくても大体はわかる。
誰かの膝が地面についた音がして、そこから崩壊が始まった
障子と常闇の体が変化する。
熱血バカ三人組の、瞳が溶融するように溶けていく。
女子たちのガラスを引っ掻くような悲鳴が響き渡る。
どこかから宍田の、ジェヴォーダンの遠吠えが聞こえる。
人こそが獣であると、ネズミの王たる聖職者の獣が嗤っていた。