世界を支える英雄が死んだ姿を見て、動揺しないものなどいないはずだった。
コンパクトで速く、最短距離で顎を揺らすアッパーが先に入る。死柄木の体勢が崩れ、軌道の上に大きく引いて体重を全部乗せた右が来る。迷いがない。振り切っていた。
霧を割って死柄木が回転し、吹き飛んでいく。
溜めて、体重を乗せて、迷わず振り切る。あの人がやっていたことと同じ動きが今さっき自分の体から出ていた気がした。
拳が起こした風が遅れてやって来る。衝撃波の余波が顔に当たって散っていく。
くるくると回転する死柄木は、空中でその姿勢を正し、突如現れた脳無の上へと着地した。
しなやかな猫を思わせる、体の動かし方に秀でた天才というよりは。幾度も死線を潜って、体得した野生の生存本能を思わせる無駄のない動き。
どこか、狩峰淡輝に似ている動きにゾッとする。
その拳を放ったヒーローも。
その拳を受けたヴィランも。
その一合ののちに感じたのはお互いに疑問であった。
なんで、まだ動けてる?完璧なカウンターが入っていたと思ったのに、あそこから避けるというのは無理なはずなのに。それでも相手は思いっきり首を振り、体ごと回転するようにしてダメージを逃し。意識を失わずにそこにいる。
黒鞭を伸ばしながら位置を探した。胸の奥がまだ燃えている。
燃えているのに、手が震えていた。
さっきの感触が残っていた。体重を乗せて振り切った右の感触が、手のひらから消えていかない。当たった。確かに当たった。殺す気で打ったわけではなかった。でも、確実に無力化できる力で拳を届けた確信があったから。
オールマイトの訃報よりずっと今の方が動揺している。
少し高度が下がったところに、いまだに死柄木が動いていた。
純白の髪が乱れていて、コートも一部が破れている。両手からの血はいまだに止まっていない。でも、それだけだった。彼はまだ、倒れていない。いったいなぜだ?
すると、死柄木からも声が来た。
「なんで」
ゆっくりと、今の自分の無事をたしめるようにして自らを眺めて疑問を投げる。
「なんで、殺す気で打たない。この後に及んで、殺す覚悟もないのかよ。やっぱヒーローへの憧れなんてみんな嘘なのか」
言い間違いも、どもったりもせずに、この返答は短く言い切る。絶対の確信があることだけは、昔からちゃんと言えるから。
「僕は殺すつもりなんてない。君だって誰かの、何かの被害者なら助けたい!!」
目を細める怪我だらけの男。そこにあるのは理解できないものを見る目だった。値踏みでも分析でもなく、純粋に理解できないという顔で、しばらくそのまま見ていた。
「本気で、言ってんだろうな」
「すごいよ。ここまで人がバタバタ死んで、世界が燃えてるってのにワンフォーオールの後継がこれか。しかも、その甘ったれた気持ちがなけりゃ今頃俺はもう死んでたってのが最高だなおい」
s笑っていない。どこかのスピーカーか声が来た。
『暴力、戦争なんてのはさ、結局わがままを押し付ける能力勝負だもん。ガラキンはさぁ〜。奇襲と生き残る才能はあるけど、正面から人傷つける力に関しちゃイマイチだよね。煽った理由で生かされてるなんてさ、滑稽で面白いねえ〜』
聞くものをあえてイラつかせるような、ふざけた調子で声を放つ主任AIは主人のサポートをするでもなくただ両者を煽っただけだった。
そして、ちゃんとこちらのサポートをしてくれるAIはこちらにだけついている。
『敵の回避能力は、個性を使用したものではありません。超人的な身体能力は付与されていないはずです。普通の人のように倒れるはず。面攻撃で攻めてください』
しかし、その言葉はどこかで緑谷出久にブレーキをかけてしまう。だって普通の人と同じような耐久性ならば、思いっきり攻撃したら死んでしまう。
『スカイクロウラーとCCセレブリティの攻撃すら回避しています。彼らほどの実力者が脳無だと思って殺害を意図して奇襲したにも関わらず腕の無力化にすら失敗しています。彼の能力は未知数、出し惜しみは危険です。いますぐ無力化し人々の救助に向かってください』
ワンフォーオールの中からも、そんな想いが伝わってくる。相手を殺してでも止めてくれという、そんな肉親の複雑な思いすらこの胸中にあるのだ。
「僕は、君を、助けたい!」
叫んでいた。
空中で、霧の中で、世界が燃えている夜に、それを叫んでいた。自分でも信じられないくらい本気だった。
「余計なお世話だってんだよ!何様だ!?助けたいなら握手の一つでもしてみろよ!!」
霧が裂けて手が来る。黒鞭で弾いた。また霧が裂けて別の角度から来る。飛んで避けた。着地する前にまた来る。
「いっつも後から!口だけだ!都合の良いことだけ並べてさぁ!」
終わらない。
決定打がなかった。死柄木に届く一撃が出せなくて、死柄木の手も届かなくて、二人が空中で互いを避け続けている。
「いつもそうだ。お前らは何にもかわっちゃいない。人に勝手に押し付けて、こっちの方が正しいからと人のことを殺そうとしやがる。そこまではいい。俺たちと変わらないからな」
手だけじゃなくなっていた。
「でもな、自分たちのことだけを、まるで正義のヒーローみたいな顔してんのがムカつくんだよ!」
蹴りが来た。死柄木の足がワープの向こうから出てきて胴体を狙っている。黒鞭で軌道を変えた。脳無の腕が別の亀裂から伸びてくる。上から、横から、手と足と脳無の腕が混ざって来る。どれが死柄木でどれが脳無か咄嗟には判断できない。
危機感知は麻痺しているが、それでも体は動いてくれている。訓練で得た経験値が全部の脅威を拾っていた。体が先に動いて避け続けている。
「結局は暴力で人を従わせようとしてんだろうが!良いことしてるなんて、どうやったら思えるんだ?」
違和感がある。
彼にとってこの叫びに嘘はないのだろうが、どうにも彼自身と話している感じがしない。
いったい何を、どんなことを心の奥底で考えているのかわからない。
まるで悪を演じるように、彼の言葉は嘘っぽい。
「じゃあさ、ヒーロー。こんなのも用意したんだぜ。お前はどうする?」
それでもその行動は立派な悪そのものだった。
左の霧が空間を裂いた。そこから子供が一人、落ちていく。
右の霧が裂けた。老人が五人、落ちていく。
血の気と一緒に時間の感覚がぐいっと引いていく。
『激突まで十二秒』
上空800メートル。重力加速度9.8、空気抵抗を考慮して子供の着地まで約十二秒。老人は体重差で十三秒前後であるとマリアが結論を出してくれていた。
十一秒。
黒鞭が伸びた。子供に向かって走らせながら体ごと右に飛んで老人の一人を掴む。黒鞭が子供を捉えた瞬間に体を捻って減速させる。老人が叫んでいた。
九秒。
いつもこうだ。なんてどこか冷静な自分がつぶやいた。いつも何を捨てるかと問われ続けている。
残り四人が落ちていく。下に向かって飛んだ。加速しながら発勁を溜めて二人目を掴んで黒鞭を建物に巻きつける。衝撃が腕に来た。肩が外れかけた。
六秒。
何を捨てるかと聞かれるその度に、自分は捨てることを拒否してきた。
三人目が見える。四人目が見える。五人目が一番遠い。いやらしくバラバラに投げ出されているから厄介だ。
飛行型の脳無まで来た。
翼を広げた大型の脳無が正面から来て進路を塞ぐ。その背中に死柄木がいた。
「せっかく用意してやった10秒トロッコだ!逃げないで選べよ!ヒーロー!!」
四秒。
これまでは、たった一度を除いて諦めないでこれたはずだった。全部を救えたわけじゃない。でも無理だと言われたよりも多くを助けてこれたんだ。
老人が落ちていく。脳無が前にいる。
黒鞭が三本同時に伸びた。一本が三人目を掴んで、一本が脳無の翼を掴んで軌道を変えて、一本が建物の外壁を掴んで体を振った。死柄木の手が来て、肩口を掠める。崩壊が装甲の端を削り始めてパージした。
三秒。
でも、オールマイトを安静にさせることだけは同意した。彼を騙して眠らせてしまった。だからもし彼が本当に殺されたとしたら、殺したのは自分だろう。
四人目が見えなくなっていく。
黒鞭を四本目に伸ばした。三本を同時に操りながら四本目を出す。明らかに今扱える許容量を超えていて、焼けるような感覚がある。それでも伸ばして人に届けた。
四人目を捉える。
二秒。
オールマイトを殺したかもしれない逡巡も、目の前の人を助けるときには忘れてしまう。自分は薄情な人間だ。それでも、助けたい!!
五人目が見えた。一番遠い老人が地面に近い。黒鞭がもう出ない。体が限界を超えていた。
もう無理だ。間に合わない。
そんな思考がよぎった瞬間に、別の声が聞こえてくる。
『ケツの穴ギュッと引き締めて、心の中でこう叫べ!』
「SMAAAAAASH!!!」
ワンフォーオール400%。空気を蹴って、衝撃波を背中で生みながら加速する。
五人目に手が届いた。
両腕で抱えて体を丸める。地面が来た。黒鞭を四方に伸ばして減速した。建物の外壁、電柱、橋の欄干、掴めるものを全部掴む。全身が悲鳴を上げた。
止まった。
地面まで三メートルだった。
老人が咳き込んでいる。抱えたまま地面に降りた。子供が泣いていた。老人四人が壁際に座っている。どうにか黒鞭で全員をここまで運んでいた。
肩から血が出ていた。崩壊が肩の肉まで届いていて、それでも腕は動く。人は生きてる。
自分たちに白い雪のような粉がかかって、上を見た。
死柄木が脳無の背中から見下ろしているがその表情はわからない。嫌な予感が背筋を凍らせる。
「不正解だよ」
嘲笑も何も乗っていない平坦な声が、嫌な想像を加速させる。
死柄木のいる場所から、白い粉のようなものが雪のように降り注いでいた。風に乗って広がりながら落ちてくる。何かが崩壊し続けているのだと分かった。
「人を助けたいんなら、俺を殺すべきだった。ヒーローはいつもそうだ。助けたいって衝動だけで動くから、助けられない。人を助けようとして。それで死なせ続ける。あの狩人とかいう殺人鬼が一番、人を救ってるってのは笑えるよなぁ?」
脳無の上には二人の子供と、10人ほどのの老人たちが今まさに崩壊させられている。
この雪のようなものは、彼らの残骸だ。
「全員を助けたいなら、助ければいい。でもな。そんなことできないんだよ。それは相手がお前らにとって都合よく弱かったり馬鹿だったり。誰かさんが優しく条件を整えてくれてでもない限り、人は死ぬんだ。あっけなくな」
叫んで飛びかかる。今すぐに、どうにか一人でも救うために地面を割って敵へと迫る。
緑の閃光のように到達し、最速の踵落としを死柄木へと浴びせるときに敵はただ、体を傾けた。
「ほら、もう助からないってのにさ。お前はこれを蹴れないだろ」
体が崩壊していく女の子の体の影に隠れ、ニヤリと笑いこちらを見ている。
無理矢理に『発勁』を応用してそのエネルギーを吸収し、そして崩壊しかかっている子を支えた。
その子を受け止める間に、死柄木は再び距離をとる。取られてしまう。
「これでもダメなのか。まだ殺意を感じないなぁ。じゃあさ。最後にこれでおしまいだ。これでダメならお前のことを認めてやるよ」
そして黒々とした霧から出してくるのは、あまりに見慣れた二人である。
一人は小柄で、自分より頭一つ分低くて、黒髪が風に揺れていた。いつものエプロンをして、家にいる時のままだった。
その隣には自分より背が高く、地味なスーツを着ている人。黒髪で、眼鏡をかけていた。穏やかそうな顔をしていた。
「母さん!!父さん!!」
ピトッと彼らの手に触れる。その五本指は、ゆっくりとその手先から彼らを崩壊させてゆく。
やけにゆっくりとしたその速度はわざとだろう。
ごめん!!!
内心の謝罪と一緒に実の親に向かって蹴りを放った。彼らの肉体ならば容易に破壊できるそれを使って、彼らの崩壊が進む腕を吹き飛ばす。
黒鞭で体の方を保護しながらのあまりに早い措置。それは一切の淀みなく行われ、今両手に大切な人を抱えることができている。両手にあまりに重みがのしかかる。
そして違和感を感じる前に、それは来た。
「酷いことするなぁ。親の死体を壊すなんてさ。塵にしてあげたほうがよくないか?」
何を、言ってる?
そんなわけないのに。僕は、何をしてる?脈なんて確認する意味ないだろ。絶対生きているんだから。
それでも指は止まらずに、母の首筋を触ると。それはすでに冷たかった。
急ぎ父に触れても、動いていない。何一つ。
そして、そこまでを認識して。ぶちりと音がして。
目の前が真っ暗になった。
体から黒鞭がまるでもがき苦しむ異形の腕のようにのたうち回り、たった一つの目的だけを掲げる。
全身の細胞を一つのこらず動員し、たった一つのシンプルなことだけに集中する。
黒くうねる怒りが形を変えて、まるで翼のように後からついてくる。
「死ねえ!!!!」
「やっと俺を見たな!」
死柄木は歓喜を持ってその叫びに呼応して、黒霧が空間を切り裂いた。
まるで、黒い翼が両肩から生えたように見えるその姿。傷だらけでかろうじて動くその手を差し込んで、崩壊を叩き込むために動き出す。
黒い翼を背負ったヒーローとヴィランが。殺意という共通の想いを胸に向きあった。
ずっと慈愛を向けていたヒーローが、初めて殺意を向けたとき。
慈愛を拒否しづけていたヴィランが友愛を示して受け止める。
「今ならお前と友達になれそうだよ!!緑谷出久!!!」
赤い月の残光に照らされる狂った世界で、誰もが新たな何かと邂逅していく。