大筋は変わりませんのでお気になさらず。
精神世界というものを人に説明するときにどうすれば良いか。
これはとても難しい。
自分でも全てを知覚できているとは言い難く、絶対に正確な表現にはならないということだけはわかる。
細部を見ようとすれば淡く消えて、焦点がズレるし。途端に風景や背景が変わったりもする。とにかく定常的ではない。目を瞑った時の赤黒く、カラフルな様子を思い浮かべてくれば良いかもしれない。
何かが見えたと思えば消えて、妙な透明の粒を見つけたと思って視線を向けると逃げていく。
そういう場所に自分はいた。
とはいえそれは細部にこだわろうとするとするりと認識の網を抜けていくという意味であって、大雑把にこの場所の名前はわかる。懐かしい小学校の図書館だ。
小学校の図書館にしては天井が高くて、でもそれがおかしいとは感じない。本棚がどこまでも並んでいた。背の高い本棚が左右に伸びていて、その先が霞んで見えないほど。棚の数もどんな本があるか中身まで知ってるから終わりはあるはずなのだが、そこまで見えない。
「妙なイメージだ。どこまでも続くような場所。けれど狭さを感じるね。幼少期に閉じ込められたループというのはこんな風に精神を歪ませるものなのかな。ここまでの心象世界を持っているなら、もっと発狂しているべきとも思うがどうにもおかしいね」
いつも司書先生と二人きりだったこの空間に、今は異物が入り込んでいる。
彼はつまらなそうにそこら辺から本を取り出して適当に眺めているようだった。端っこから順に、何かを探すように本をめくっている。こいつは読書が趣味という情報はなかったはずだが。
「やはり、ディティールが細かい。一字一句とは言わないが、大体の中身がこの本には全て揃っている。これだけ本が好きだったのか。……いいや、違うね。ここにずっと逃げ込んで本を読むことだけが君の世界だったんだろう。可哀想にね。そんな酷いことを体験するなんて、悲劇だぜ。一体何と争ってそんなことになったのかな?」
「やめろおい。その煽りは流石に効くぞ。この世の全てがお前のものなら、大体お前のせいになるだろうがよ」
窓から外も見える。
大きな窓で、外が見えた。外に何があるかは分からない。光だけがあって風景はない無機質な情景ともいえない虚無が先まで続いている。午後の光に近い色で、きっと自分が時間を把握する以外に何も興味を示していなかったからこんな風景になっているのだろう。
机はいつも通りに並んでいる。
図書館の読書用の机で、椅子が向かい合わせに置いてあった。誰かが使った跡があって、椅子が少し引いたままになっていた。
「ああ、5年前の。あの銀行の時が始まりだったのか。嫌になるね全く。あの時には単純に情報を奪いにいくだけの、ありふれた強盗だったはずなのに。あの女の子孫がそこで働いているなんて誰が予想できるのかな。その子供があの女と同じように覚醒するなんて。そんな化け物に巻き込まれたのは事故みたいなものと言われて納得できるわけがない」
それなりに相手も苛ついているらしい。こちとら家族を数えきれないほど殺され、拷問され、筆舌に尽くしがたい苦痛を与えられてきた思い出である。
一方で向こうは必死に力を集め抜いて世界を安定させ。ようやく色々と自由にやれる素地ができた頃なのだろう。盤石に作ってた土台からひっくり返された恨みは100年分以上に及んでいる。
馴れ初めの話はするだけお互いのはらわたを煮えくり返らせてくれる劇薬だということがわかる。
青筋を浮かばせるオールフォーワンがそこでストレスを緩和するように小刻みに足を動かしている。
「その顔で、その声でこっちを責めてくるとやる気が湧いてくるわ。うちの家族はお前にやられ続けてたからな。最終的には完勝したからまぁ耐えられるけど」
ブチりと音がした気がする。
魔王は机の向こうに立って、床を小刻みに上履きの底で叩いている。メガネをかけている小学生のときの雫月の格好で。
ぱっと見では黒縁のメガネをかけている女子小学生がキレている。ただそれだけの光景だ。
「見た目に引っ張られて冷静な判断ができていないようだね。君はやり直しができない。つまり君は脆弱な、無個性のただの人間だ。雑魚のくせにイキがるなよ」
レンズが少し大きくて、顔の半分が埋まるような形をしていた。おとなしそうな顔立ちで、黒い目が真っ直ぐ前を向いていた。黒髪は肩のあたりで切りそろえているいつも通りの髪型。
ピンクのハートがあしらわれた可愛い服を着て、腕を胸の前でしっかり組んでいた。
この服装の小学生がやるには変に見えるはずだが、妙に様になっているのがおかしい。唇を少し結んでいて、眉が中央に寄っている。普段なら圧力を全ての人間が感じるのだろうが、流石にその見た目じゃあ怖くない。そのキラキラスパンコールをやめろ面白すぎる。
メスガキ全一君、そういうものもあるのか……と感心していると、いよいよ攻撃をしてきやがった。
ほとんど音もなしに白い光のような線がうねって首に向かって飛んできた。
爪が伸びて刃のように切り裂いてくるが、その斬撃をなんとなくで避けた。
かつて無数の戦闘を繰り返した中で見たことのある個性は対処可能だし、今はひいばあちゃんとの戦闘を終えて仕上がっている。あんまりに派手なことをされなければ簡単には負ける気はない。
雫月がこんなに早く動いているのが違和感でしかないが、それではっきりと別人であると認識できてきた。
避ける。避ける。
それでも厳選された個性を組み合わせて範囲攻撃をされてしまえば、ACもなく事前の予測も完璧でない状況では被弾していく。
床下から影が伸びてくる。妙な力で体が相手に引き寄せられる。そして隙を少しでも見せれば爪がこちらを抉っていく。
手をパーにしてこちらに向ければ、爪が鞭のように空間ごと裂いてくるのは避けづらい。グッと握ると広がっていた網が絞られるように逃げ場を失い、両肩を切り飛ばされていた。
激痛とともに命である血が噴出して散っていく。夢の中でもこんな重傷がイメージとしてあまりにリアルなのはそれをよく知っているからだ。自分の凄惨な死に様を俺より知っている人間はいない。夢の中でも苦痛は、紛れもない本物だった。
結果として数度の攻撃を避けはしたが、もう負けだ。
思いっきり殴られ、頭部陥没するだけでは足りずに飛んでいく。
痛みはオーバーフローなどしない。死の直前まで苦しんで苦しんで。そしていつも通りに死んでいく。慣れないはずのその苦悶を記憶に刻みつけて、絶叫をすることすら許されずに死んでいく。
俺は、夢の中でまた死んだ。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
目覚めたのは、子供の時の実家の部屋。
雫月とは相部屋だった頃。5年前の頃の部屋だった。
布団から起き上がると、横で寝ていたであろうメスガキ魔王様も起床したらしい。
その目は寝起きの姉の目ではなく、獲物を狙う肉食獣のような目である。
「終わらない戦い。決して明けない夢。相手の心を潰し切るために普通なら一度殺せば十分だ。死の苦痛は耐えがたいはずのもの。芯のあるヒーローやヴィランなら数度耐えることもある。けれど、拷問まで加われば彼らは必死になってやめてくれと懇願し始める。そこまでやることはそうそうないけれどね」
「お前に勝てば逆に俺がいじめられるんだろう。フェアな戦いだよ本当に、しかもお前はすでに持ち込んだ個性しか使えないみたいだな。あの場面であれだけしょぼい個性を使う意味もない。全然勝ち目はあると思うけど。ていうかプリキュアパジャマで拷問とか脅すのやめてって」
年齢にしては割と幼な目の、日曜朝アニメのパジャマを着ているのは物持ちがよく、あまり成長していないからだった。数年前の服が着れているが、ここら辺からこいつは身長含めて相当デカくなっていくはずだ。その身長の伸び具合を羨んでいたのが懐かしい。
「ここには親もいるようだ。君への嫌がらせはいくらでも思いつきそうだぜ。そうだ。この夢の中で個性が奪えるか試してみようか?」
「知ってるくせにさ。まぁ試してみればいい。いくらでも時間はあるんだから。俺らはこれから、仲良く喧嘩し続けなくちゃいけないんだからな」
枕がふわりと浮かんで、光を纏い猛烈な速度で飛んでくる。枕投げとは可愛い攻撃だ。
避けると後ろの壁を全て破壊して戻ってくる枕は、十分すぎるほどの殺傷力を秘めていた。
部屋の隅に置いてある野球用のバットを握り、前へと踏み込んで反撃を試みる。
硬質化して隆起した左腕に防がれたが、お得意の無敵バリアや斥力波のような全体防御は持っていないらしい。これならやりようはある。
肉食獣がいつも狩る側とは限らない。冷徹な狩人こそが獣たちを狩る存在なのだから。
不死の狩人と最強の魔王は、殺し合いを続けていった。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
かつてゴミの漂着をどうにかしたハワイの沿岸で大きくなった自分と雫月が睨み合う。
お互いに海水浴でもするかのような水着スタイルだが、無数の殺し合いの記憶の一つとして取り立てて驚くことでもない。
その剣呑な表情には不快感が募っており、この長きにわたる戦いに嫌気が差し始めているのだろう。こんなに戦い続ける存在なんていないのだ。
まだたったの数ヶ月程度だが、初めての人には嫌な負荷になっているだろう。自分が個性で無視し続けていた負荷をそのままに受け入れて、『不快』程度で済んでいるのだからおかしい。
そろそろ現状の互いの手札は把握し合えたと思う。次の一手を打つときだ。
「よし。そろそろ変化を加えよう。精神と時の部屋で永遠と戦い続けてもいいけど。現実世界で動くからそっちに意識を割けるか?」
「何を言ってる?君が僕の意識を押さえ込んでいるんだろう?現実の光景なんて見えていない。それはわかっているだろうに」
「ああ、だからちょっと譲るよ。それに、『オールフォーワン』を使わせてやる。どうせ今の手札じゃそろそろ限界だろ。色々抱えて欲しい個性があるからさ。用意もしてるんだ」
有利すぎる提案に警戒を滲ませるが、実際に精神の抑えを外してやる。
こいつがこの数ヶ月、ずっと奪おうと思っていた精神領域の支配権を無防備に差し出して、太平洋を眺めている。
まぁ別にここで食いつかなくても、こいつはいつか絶対に受け入れるはずだ。そもそもの目的なのだから。
「僕は君への嫌がらせのためにそれをしないという道もあるんじゃないか?」
「そりゃそうだ。でもさ、俺らが争っていられるのも前提があるからだろ。たとえば、俺が生きているという前提が」
「自殺教唆でもして脅そうとでも?それがどれだけ無意味かは……」
「俺は現実時間の15分後、発狂して死ぬ。これは確定だ」
「何を言ってる?これだけの目に遭っていながら精神を揺らがせなかった君が発狂死だと?大体、なぜ狂って死ぬんだ。何一つ意味が通らない」
俺は深くため息をついて、これから起こる死に様についてなんと言えばいいか言葉を選んだ。
「俺はこれから、人外の異形を出産する。だから、超再生をはじめとする命を繋ぐ個性を積んで、対策しないと一緒に死ぬことになる」
絶句する雫月はちょっと面白い。本人でもそんな顔をするだろうから。
そして、俺はそれと同じ顔で笑った。
「性別の反転。……ミャンマーの愚かな女王気取りか。それで女になったからと言ってなぜ出産なんて戯言を言い出す?」
「こっちだって知らねえよ!なんか知らんが、数分で妊娠して速攻で産まれるんだからどうしようもないだろ。こんなところで使えるとは思ってなかったけどな。でも使えるものはなんでも使うよ」
今現実世界ではすでに俺は女になっていて、姉は男になっている。
これで望まぬ妊娠出産は防ぐことができるだろう。あとは俺が耐えるだけだ。
「ああ、あと。俺が多分発狂するから、睡眠関連の個性も集めておいた。全部取り込んで、俺のレム睡眠とノンレム睡眠を連続で起こして目覚めさせ続けてくれ。そうしないと多分俺らは死ぬから」
「待て、待て待てまて!何を言っている?現実的な話をしろ!おかしくなっているのか?」
「壊れてるのは最初からだけど、これも現実らしいんだよ。一心同体なんだから、よろしく頼むぞマジで」
狩峰淡輝の妊娠出産。そしてオールフォーワン(産婆)による新たな戦いが始まろうとしていた。