新たなる平和
笑顔の渡我被身子という人間は、その牙を見せた相手を威圧する。
肝の据わったヒーロー科の面々でも最初は慣れないほどだったはずだ。
それが以前、噂みたいになっていて。そんなの陰口みたいで嫌だったから本人にちゃんと会ってみようと思い、淡輝くんに頼んで話したことがあった。
単純な顔の怖さなんて気にしないけど、その笑顔はどうにも好意的すぎて自分が苦手な目線だって気づいてしまった。
その口角、目線、赤く染まった頬は自分なんかでもわかる。まるで恋をしているみたいな熱量が放射されていて、なぜかそこにいた淡輝くんと八百万さん。僕と麗日さんの四人に同じような熱を送っていたのだからわからない。
人はわからないものが怖いんだ。
だから、トガさんは少し怖がられていたんだと思う。
またしてもなぜと聞きたくなる好意と、期待の眼差しを至近距離で
「な、なんで。麗日さんの格好を……」
「奇跡の再会じゃないですか。だったら一番いい反応を見たいのです。これまでずうっと見守っていたんですし、これくらいはもらっていいかなって。淡輝くんには怒られそうですケド」
昔と同じだ。理解ができない言葉で説明をされている。
そこまで混乱して、気づいた。見落としちゃいけないこの事実にようやく頭が追いついた。
「っそうだ変身!変身……してる……?」
「はい。お茶子ちゃんは元気ですよ。今は働いている時間なのでいませんが、みんな定期的にお見舞いに来てくれてます。もう連絡は行ってるはずなので」
みんな。みんなと言っているのは一体誰のことを指すのだろう。
「これからきっと忙しくなりますよ。また明日話しましょーね」
意味深に笑った彼女は、ようやく距離を離してくれたがそれを今度はこっちが詰めなきゃいけない。
今話せばいいのに、いろんなことが気になりすぎている。聞きたいことは山ほどあるんだ。
「と、トガさん!ちょっと待って!」
廊下のほうから、足音がいくつも重なって近づいてくる。
ひとつじゃない。何人もが、競うように走ってくる音。それがどんどん大きくなって、勢いよく引き戸が開いた。
遠くから、みーどーりーや〜〜〜!!という誰かの声が響いていた。
トガさんが、そっと壁際へ下がって、表情だけ気配のないものに変えた。
「緑谷くん!意識が戻ったと聞いて飛んできた!」
先頭は飯田くんだった。右手をぴしりと水平に伸ばし、いつもの手刀のような身振りで部屋を指し示しながら、律儀に一礼してくる。
「起き抜けに騒がしくしてすまない!だが、無事を確かめずにはいられなかった!」
直角に折った腰を戻すその動きまで、相変わらず生真面目で、思わず笑いそうになった。だけどもはや彼はどこか社会人のようなエリート会社員といった風格すら感じる。
記憶にある飯田くんより、ずいぶん背が伸びて、肩も厚い。右手の手刀こそ健在だけど、その身のこなしには、もう生徒のものじゃない落ち着きがある。
「すまない、起き抜けに騒がしくして。だが、三年だ。三年待ったんだ。確かめずにはいられなかった」
深く一礼するその仕草に、いつのまにか、人を率いる者の重みが乗っていた。
ちょっと泣きそうになりながら、その変化の中でも見逃せない違和感が口をつく。
「飯田くん!でも、廊下を走るなんて意外だよ。病院だと思ったけど……」
「やはり君は、そういったことに気づける人物だったね。安心したまえ!ここは病院ではなく、雄英高校の施設の一つさ。あらゆる規則は刷新され新しいものになっている。僕はルールを守っているが、それは前と変わったというだけさ。今では個性の規制はほぼないからな!」
彼を最後に見たのは南極を脱出するその直前。こうしている姿が見れて、本当に安心した。
その後ろから、見慣れた、けれど少しずつ変わった顔が次々と雪崩れ込んでくる。
「うおっ、ホントに起きてる!」
切島くんが真っ先に駆け寄って、僕の肩をばしばし叩いた。腕がひと回り太くなっていて、力加減をしてもらっても結構痛い。眉のあたりに小さな傷が増えている。それだけの時間をきっと体を張って戦ってきたんだろう。
「心配したんだぜ緑谷。漢が三年も寝坊とか、ホント、お前らしくねぇっての!」
白い歯を見せて笑う顔だけは、昔のままだった。
校庭でかっちゃんの鉄甲榴弾に砕かれていたはずのその顔面は、綺麗に整っている。
「ちょっとー、起きて早々に叩かないの!」
芦戸さんがその腕を横から引っぱって、ぴょんと跳ねるようにベッドの反対側へ回り込む。動きは相変わらず軽いけど、女性というかなんというか。堂々とした華やかさが乗っていた。
「うちら、どんだけお見舞い来たと思ってんのさ!はい証拠ね!」
と、枕元に積まれた折り鶴の山を両手で示してくる。
溶解液の中で骨になっていたいくつかの死体を思い出す。けれどここにはツンとする酸の匂いはどこにもない。
「マジで戻ってきたじゃん……よかったぁ。てか飯田ぁ!抜け駆けはせこいって!」
上鳴くんが後頭部を掻きながら、ちょっと鼻をすすった。ネズミに齧られいたはずの頭部はそこにある。
「……深淵をの淵を彷徨い三年、よく戻ったな」
『しっかりしろヨ!ヒーローだロ!』
常闇くんが腕を組んで芝居がかって言うけれど、肩の上の黒影は以前のようにカタコトではなくなっていた。きちんと育ったその影が、彼の積んだ年月を物語っていた。
黒色くんと一緒に真っ黒になって焦げて死んでいた彼の名残はどこにもなく、健康的な黒だった。
「緑谷くん、顔色は思ったより悪くないと思う。ケロ。でも気になるわ。私たちが来てからちょっと血の気が引いてる気がするの。無理していない?」
蛙吹さんが指を口元に当てて、淡々とではあるが優しい心配を口にする。背が伸びても、まっすぐ言い切るところは変わらない。耳郎さんがその隣で腕を組み、伸ばしたイヤホンジャックを揺らして「相変わらず人騒がせなやつ」と苦笑した。葉隠さんの制服が「もー、心配したんだからね!」と袖を大きく振る。声の張りに、ずいぶん大人びた響きが混ざっていた。
女子たちが大きなネズミに食われていたのなんて、やはり夢だったのだろうか。
障子くんが何本もの腕でそっと人混みを整理して、その陰から口田くんが顔を覗かせ、前より少しだけしっかりした声で「……おはよう」と言ってくれた。砂藤くんが「腹減ってないか?焼いてきたんだ」と紙袋を掲げ、尾白くんが尻尾の先で律儀に手を振る。峰田くんまで、神妙な顔で「ちゃんと帰ってきたな」と頷いていた。
全員が全員。悲惨な死を遂げたはずの仲間たちが、ここにいる。いてくれている。
嬉しい。安心した。本当に良かった。
そんな感情を、僕は持っていいのか?なんでこんなことになっているのかわからない。
ベッドのまわりが、あっという間にいっぱいになる。
口々に名前を呼ばれて、肩を叩かれて、お土産を押しつけられて。みんな、それぞれの三年を生きて、それぞれに大きくなって、それでも今日、こうして集まってくれた。
体を起こそうとするたび、あちこちから手が伸びて「まだ寝てろ!」「無理しないの!」と、やんわり押し戻される。
「みんな……でも。なんで、どうして?」
それだけ言うのが、精一杯だった。声が掠れて、視界がじわりと滲む。
僕だけが、三年ぶん眠っていた。みんなが前へ進んでいるあいだ、何も積み上げられないまま、ここで止まっていた。それなのに、誰一人それを責めず、変わった姿のまま、変わらない顔で笑いに来てくれる。
「みんな!落ち着きたまえ!緑谷くんが目を回している!」
飯田くんが両腕を大きく上下させて仕切りはじめ、それでまた一段と部屋が騒がしくなった。
その騒がしさが、三年ずっと聞きたかったものだったとようやくわかった。
同時に気づく。何名かがいないことを。
中でも特に、自分がこの手で殺してしまった友人のことを聞かずにはいられない。
彼は他の人とは違って、
「かっちゃんは……?その、かっちゃんはどうなって……」
「爆豪はさ。あいつ今週の担当だから戦いに行ってるよ!多分、明日には会えると思うぜ!襲撃は今日終わるはずだしな。轟とイナサと、あとは八百万も一緒だぞ」
生きて、いるらしい。
……もうわけがわからない。そんなはずがないのに。
戦いとか襲撃という不穏な単語が聞こえるが、むしろそんな言葉があることが安心している自分がいる。
「どうやって?みんな、酷い怪我だったと思うんだ。みんな、それこそ死んじゃったんじゃないかって……」
どうにかしてちゃんと生きているらしいが、信じることができない。
何度見回しても、欠けている誰かがいるんだと思ってしまう。目の前には確かに笑っている顔が並んでいる。もうわけがわからなかった。
掠れた声で、ようやくそれだけ絞り出す。みんなが一瞬、きょとんとした。
「僕は見と思うんだ。みんな、酷い怪我だったと思う。あんなの、それこそ……死んじゃったんじゃないかって、ずっと」
言いかけて、喉が詰まる。口に出すのが怖かった言葉が、勝手にこぼれてしまった。
さっきのトガさんみたいに、全員が溶けて別人になるんじゃないかと恐ろしい。
切島くんが、ふっと表情を緩めて、僕の頭をぐしゃっと撫でた。
「あー、なんだ、そこ気にしてたのか。安心しろよ。重症だったのは確かだぜ。マジで死にかけたやつもいる。なんなら俺なんて心停止して割と経ってたらしい。みんなあの木に救われたんだ」
「木……?」
「おう。窓、見てみ」
切島くんが親指でくいっと窓のほうを指す。つられて何人もの視線がそちらへ流れて、僕も体を傾けた。
空に、あの大きな木が立っている。
直前まで見ていた時と雰囲気がだいぶ違っている。黒いのに青白い木が、赤い月を侵食するように伸びていたように見えていたが今のこの木は、透明で輝いている。
半透明の枝が空いっぱいに広がって、朝日を受けて、淡く光っている。光を遮るどころか、世界ぜんたいがその木を透かして、やわらかく明るんでいた。
「世界樹って、呼ばれてるんだよー」
葉隠さんの制服が、袖でぴっと木を指した。
「あれに触るとね。どんな傷でも嘘みたいに治っちゃうの。あれのおかげってこと。もう病院もほとんどないし、大体の建物にあるから、怪我知らずだよみんな!」
「超再生ってあんな感じなんだろうな。二度とごめんだけど、マジで助かったよ」
切島くんが腕をさすってみせる。
光り輝くそれを、僕はただ見上げていた。きれいで、巨大で、見覚えがないようなそれを見る。
眠ってしまう前の木の姿こそが本物で、今のあれは偽物に見えてしまう。
「……三年間。あれ、世界樹はずっとみんなを守ってくれてたの?あれは、どうやって出来たのか知ってる?」
僕の問いに、飯田くんが一歩前へ出て、いつものように手刀の手つきで順を追って説明をはじめた。
「正式な発表によればだ。あれはUAIの研究から生まれた、個性科学の結晶だそうだ。複数の個性を統合し、世界そのものを救うために開発されていた、と」
きっちり区切るように言葉を置いていく。
「本来はもっと先に、満を持して使われる予定だったらしい。だが三年前のあの事件で、計画より早く起動させざるを得なかった、と聞いている」
「らしい、とか、聞いている、ばっかなのは」と上鳴くんが頭を掻く。
「正直、上のほうもよくわかってねぇんだよ。UAIのAI。マリアっていたじゃん?あれが中心にあるってのは間違いない。今でも色々話せるしな。でもAIだけじゃああはならない。誰が動かしたのか、なんでこんなに優しくて都合いいのか。気づいたら、世界が救われちゃってた感じ」
芦戸さんが続けて明るく解説してくれる。
「おかげで死者はほとんど出なかったし。他にもいろんなことしてくれてるからね。今の世界はあの木のおかげってわけ!もちろん、どんな風に反動があるのかって心配はあるけど。現状あの木を無くそうと思っても無理そうなんだよね」
あの木が、嘘みたいに全部を救ってくれた?そうやってこの三年は平和になった?
目の前で、みんなが生きて笑っている。まずはそれだけで、じゅうぶんすぎるくらいに嬉しい。
それでも、自分が失ったものを確認しないと。そうしないと壊れてしまいそうだった。いよいよ僕はおかしくなっているのかもしれない。
『もう、俺は頭おかしくなってるんだよ』
正気の顔でヘラヘラとそんなことをずっといっていた友人の顔が浮かぶ。淡輝くんに会いたかった。そうだ。彼はどこに……。
窓の外が、ふっと翳った。
何かが日を遮ったと思った次の瞬間、ガラスの向こうに巨大な人影が立っている。窓枠を蹴破る勢いで、それでも丁寧に窓を開けて素早く大きな何かが病室へ飛び込んできた。
「私が、来た!!!」
オールマイトだった。あの大きな体で、両手を腰に当て、満面の笑みでそこに立っている。死んだはずの、もう力を使い果たしたはずの、僕の憧れが、まるで全盛期みたいに笑っている。
「緑谷少年のカムバックだ。親御さんにご挨拶しないとな」
彼がその丸太のような腕を広げれば、そこには小柄な人間が収まっていた。
そのスピードに目を回しているだろうに、そんなこともどうでもいいと目が合うなり飛びついてきた。
「出久!ああ、出久!!」
声と同時に、飛び出してきた母さんが、僕にしがみついた。背中に回された腕が震えている。
その後にすぐ後ろから父さんも駆け寄って、肩に手を置いてくれる。母さんは何も言えずに、ただ僕の名前を呼びながら、ぼろぼろ泣いていた。
そして、窓の縁から、ふわりと。
「デクくん!」
麗日さんが、無重力に身を任せて、軽やかに室内へ舞い降りてくる。とん、と床に足を着けて、いつもの笑顔で。あの校庭で消えてしまったはずの彼女が、ちゃんとそこにいた。
オールマイトも、両親も、麗日さんも、クラスのみんなも。失ったと思っていた何もかもが、欠けることなく、この部屋に集まっている。手を伸ばせば、ちゃんと触れる。母さんの腕はあたたかいし、オールマイトの手はかたい。
夢でも、まやかしでもない。本物だ。
信じられないというのに、涙が止まらなかった。
良かった。本当に、良かった。
ずっと張りつめていたものが、音を立てて緩んでいく。その緩んだ隙間に、ひとつだけ、するりと滑り込んできた名前があった。
ぐるりと部屋を見回して、最後に空白に気づく。
「……そうだ。狩峰くんは?」
賑やかだった部屋の温度が、わずかに止まる。
「狩峰、くん?」
切島くんが首をかしげた。「なんだそれ。なんで君呼び?」
「狩峰さん、なら……。雄英高校の看護科で君も大変お世話になっていると記憶しているが……。男性の狩峰となると、まさかUAIの出資者の世界一の富豪を君呼びかい?」
「そうじゃ、なくて。狩峰。狩峰淡輝君だよ!Cクラスの、いっつも一緒にいた!」
自分のことを大事に思ってくれる顔が、一様に心配そうに変わっていく。
おかしいことを言い始めている。記憶が混乱しているとかなんとか。
結局のところ、一言だけで理解できた。
「狩峰淡輝って、誰?」
まったく心当たりのない顔で、そう聞き返してきた。
おかしい。忘れているんじゃない。最初から、知らないみたいに振る舞っている。あの苛烈な戦いを、UAIの中心に陰ながらずっといた彼を、誰一人として覚えていない。
名前を口にしても、波紋ひとつ立たない。ただこちらの心配をされるだけ。
この世界には狩峰淡輝だけが、いない。らしい。
その衝撃を受けて、なぜか無性に安心する。そんなバカなという気持ちはかけらも湧かない。むしろ笑えてくるのだった。
「ははっ。いや、ごめん。ちょっと疲れてるのかも」
彼のいない、完璧な世界がそこにあった。みんなが生きて笑って救われている。たった一人ぶんの存在と引き換えに、何もかもが丸く収まった、欠けたところのない世界。
こんなバカみたいな状況が、彼の仕掛けでないはずがないじゃないか!!
自分のことを棚に上げて、一番大変なところだけをカバーするようなやり口には、見覚えがありすぎる。
ようやく現実味が出てきた。そうだ。きっとやれることがあるはずだ。
この世界はどこかがおかしいんだ。それをどうするかなんてどうでもいい。何があったのかを知らないと、本当におかしくなりそうだった。
思考が加速しまた気づく。トガさんは最初なんと言っていた?淡輝君の話をしていなかったか?
『淡輝くんには怒られそうですケド』
彼女を探して顔を上げると、その姿はすでにない。いや、ぼうっと浮かび上がってくる。
部屋の隅で、いつの間にか透明になったトガさんが胸から上だけを半透明にして見せるようにして笑っている。彼女は淡輝君を覚えているはずだ。
そして、すっと、人差し指を唇に当てた。
しいっ、と。それは、二人だけの秘密だとでも言うように。
口だけを動かして、「またあした」と音もなく話し、そして完全に透明になって消えてしまった。
機械仕掛けの神が全てを夢みたいに救った新世界。
この上なくみんなに囲まれなが、孤独に置き去りにされたような気分だった。