夢のヒーローアカデミア   作:ZAT23

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平和の対価

 

いくつかの検査を受けてはいるが体そのものは、どこも悪くない。

それを医者の方も知っているようで検査はまるで形式だけの儀式のように流れていった。

 

ひとしきり検査を受けて、最後に白衣の人が「もう帰っていいですよ」とあっさり言ったときには、流石に拍子抜けした。三年眠っていた人間の体じゃない。むしろ意識が戻る前より調子がいいくらいで、それがかえって落ち着かなかった。

 

みんなは流石に帰ってもらい、母さんも腰を抜かしてしまったので家まで運ばれたらしい。

オールマイトに付き添われて、施設の外へ出る。

 

街は、穏やかだった。建物の輪郭はそのままに、白い根が壁を這い上がり、柱を抱き、それでも何ひとつ壊していない。頭上では半透明の枝が空を覆って、朝の光をやわらかく通している。

 

人々はその下をそれぞれに、急ぐでもなく歩いていた。誰の顔にも余裕があるように見える。三年前に地獄のような夜があったなんて、この景色からは想像もできない。

 

きっと自分が知らない時間がその後にもいっぱいあるんだろう。

すれ違う人の、髪の色だ。緑がかった髪が、やたらと多い。子供も、大人も、申し合わせたように似た色に染めている。流行っているらしい、と通りの広告がそう言っていた。

 

かなり自分の地毛と似ていて、それが人種に関わらず流行で量産されている。寝ているだけで流行の最先端を走らされていたというのは、なんとも言えない気分だった。

 

「いい景色だろう、緑谷少年」

 

隣を歩くオールマイトが、丸太のような腕で街を示す。全盛期の体のまま、死んだはずの彼が、平然とそこにいる。それも、まだ僕は飲み込めていない。

 

オールマイトにどこまで聞いて良いのか。彼とのピクニックの記憶まではあることは聞き出せているが、彼は自分が死んでいたとは自覚していない。

もちろん。ヴィランがその映像を世界に流したことは知っているが、今自分が生きている以上それは偽装か、修復可能な出来事だったのだろうと思っている。

 

僕だけだ。生きていて欲しくて、何より嬉しいのにオールマイトが生きていることに違和感を抱いているのは、この世界で僕だけらしい。

 

自分の気後れも気にしないで、明るく説明をしてくれている。

 

「三年前まで、難民国家カルブラとして機能していた場所だけどね。だが、AIが反乱を起こしたということになっている。インフラもロボットも、住民が信用できなくなってしまった。この国そのものが立ち行かなくなった。あの世界樹の直接介入と保護がなければ、最悪の事態になっていただろう」

 

語る声は朗らかなのに、中身は穏やかじゃない。

僕は黙って、頭の中でそれを別の絵と並べた。眠る前に見た、赤い月を侵食していくあの黒い木。あれと、今頭上で光っている透明な木が、同じものだという実感が、まだどうしても繋げることができない。

 

「世間的にはね」とオールマイトがヒソヒソ声で続ける。

 

「催眠の個性を持ったカルト集団が、WHOを乗っ取っていたという説明になっているよ。世界的な危機に際して、世界樹が一時的に人類の保護を申し出て、国連がそれを承認した、と」

 

「承認……?できたんです、か?」

 

そんなの、受理されるわけがないと素人でも疑問に思ってしまう。

 

普通なら得体の知れない巨木に人類の保護を任せるなんて議決が、通るはずがない。それどころかごく普通の戦争をやめようという決議だってまともに通ったのをみたことがない。

 

僕がそう言いかけると、オールマイトは少しだけ声を落とした。

 

「私も、最初はそう思った。そしてこれは、ぶっちゃけどうかと思うが……。国連に集まった代表たちが座る椅子には、はじめから種が、世界樹のカケラが仕込まれていたそうだ。彼らは席に着いた時点で、世界樹と、深いところで対話をした。それで、全会一致で承認が起きた」

 

騙して、悪用して、一番抵抗される手前を先回りして潰しておく。

その手口に、僕は見覚えがありすぎた。

 

「もちろん精神鑑定や確認はされていたが、悪い影響は確認できなかった。本人であり意思も縛られてはいない。だけれど。明らかにIQが高くなっているという不思議は残ったらしいけどね」

 

国連に派遣された人物がみんなして思考が明晰に聡明になって帰ってきたと怪訝な目で見られていたらしい。

 

『まともな相手じゃないと、話ならないんだ。仕方ないだろ?』

 

ヘラヘラ笑いながらそう言っていそうな友人の声が、聞いたこともないのに勝手に蘇る。自分の名前すら世界から消しておきながら、一番面倒な根回しだけはきっちり済ませていく。

 

「洗脳されたんじゃないかと、根強く噂は立った。だがそういう者にはなんと世界樹が直接、説明をしてくれるのだそうだ。納得して帰ってくる。今も世界樹に触れず、ずっと危険だと叫び続けている者もいるにはいる。だが……」

 

そこで、ほんの少し言葉が濁った。

 

「その声は、あまりに弱くてね。私も力になれていないよ。あの木を恐れる気持ちはわかるが、触れてしまえばあの木についてはわかるんだ。あれが最終的にあの力を奮って人類に仇なすとしても、それはすでにいつでもできるはず。今こうやって平和でいることが、敵意のなさの証明であると多くの人が判断している」

 

危ないと叫ぶ側が少数で、信じる側が大多数。

多数決だし民主的だし、現状は確実に恩恵があるのだとわかる。

 

この2年のうち、即死の事故以外で亡くなる人はいなかったらしい。それが悪いことなわけがない。街は以前と比べ物にならないほど穏やかに回っている。

 

緑がかった髪の人たちが、笑って、すれ違っていく。

平和だ。文句のつけようもなく、平和だった。

 

その明るい景色に、オールマイトが影を落とすように低い声で言った。

 

「もちろん。これが仮初の平和ではないかという声は絶えない。特にこれから話す内容はショックを受けると思うが、他でもない君だから受け止められると信じているよ」

 

息を吸って吐くだけで、彫像のように決まっている姿だ。真剣なその青い瞳から、衝撃的な言葉が届けられるのに備えた。

 

「実のところ、世界樹は人々の記憶を操作できる。その機能があると自ら告白して提案したんだよね。あの日のことを、それぞれの人生のあまりに凄惨な経験を完全にでなくても薄めることができるのだと。記憶を風化させる処置を施せると言ってきたんだ」

 

息を呑んだ。そんなことができるなら……。

直感的に良いとは思えないが、それは自分だって欲しい治療だった。

 

なぜなら。あの日は、よくないことが起きすぎた。人類は大切な人を失いすぎたんだ。

 

「獣狩りの夜。あの日をそう呼びはじめたのが誰だったのかは、もう誰も覚えていない。あの日の記憶を消せるのならばとそれを願い人は多かった。私の映像も、多くの人を傷つけたよ。全く他人事じゃない。私の死によって絶望して死んでしまった人すらいた」

 

握り拳が、ミシリと音を立てている。そのやるせなさは間違いなくオールマイトだと言える。大好きで憧れのヒーローが健在なんだって実感が湧いてきた。

 

今更自覚したオールマイトが健在という事実。それが心にようやく届いて、涙になって溢れてくる。次から次へとこぼれるそれを拭っていると、大きくて安心できる手が頭をワシワシと掴むように撫でてくれる。

 

久々に師弟として触れ合えた気がして、もっと泣いた。

 

その後も、あの日以降のことを聞かせてもらった。

家族が家族に牙を剥き、隣人が人を食い荒らし、昨日まで隣で笑っていた者同士で殺し合った。そういう夜だった。それを抱えたまま、何事もなかった顔で平和に帰れる人間が、いったいどれだけいる。

 

だから、あの事件は語られない。語ろうとした口が閉じていく。当事者の中からさえ記憶は加速度的に薄れて、誰も確かめないうちに、起きたという事実だけが残り、手触りのほうが先に消えていく。

 

淡輝君と以前に記憶について語ったことがあった。

記憶を消せる存在というのは、それだけで脅威だ。それは一種の死であるかもしれない。今日のこの安らぎごと、明日には無かったことにできる、ということなのだから。わかっている。わかっているのに、恩恵が大きすぎて、誰もそれを拒めない。

 

本来なら五十年とかそれ以上の時間をかけて誤魔化して、見ないふりをして、少しずつ薄めていくしかなかった傷だ。それを世界樹は、まるで心に作用する超再生みたいにあっという間に撫で消していく。

 

自分の名前を世界から消して見せた誰かが、今度は、みんなの心を救おうと世界から記憶を削っている。覚えていなければ、傷のことを忘れられるから。

 

「それって、優しさなんだよね……」

 

それは本当に優しさなのか?といつも物事の別の側面を突っついてくるのが淡輝くんだったはずなのに。今度はこちらが考える番なのかもしれない。

 

「本当に、嘘みたいに平和だ。AIインフラが破綻したら、その食料とかどうなってたんです?」

 

 

オールマイトは答える代わりに、通りを行く人たちを、丸太のような腕で示した。

 

「ほら。みんなの髪。光に通すと、けっこう緑がかっているだろう」

 

言われて目を凝らす。子供も、大人も、人種に関わりなく、申し合わせたように緑がかった髪をしている。流行りだと思っていた。けれど朝日に透かすと、染めた色じゃない。毛の一本一本が、内側から緑を含んでいる。

 

「あの樹はね。治療のついでに、人の体まで勝手に作り替えていたらしい。最初は『着色』の個性で、ちゃんと偽装されていた。その個性が解けて発覚する頃には、世界中であまりに多くの人が、もう治療を受け終えていてね。慎重に物事を進めるにはあまりに手遅れさ」

 

オールマイトは、自分の拳で腹を軽く叩いた。

 

「気づくと、治療を受けた人々の飢餓感が消えている。葉緑素が髪や体毛に入って働いているんだ。日に当たれば、栄養を作れるそれを変換すらしているらしい。水と光と二酸化炭素さえあれば、一日に要るぶんのいくらかは、自前で賄える。これは本当にすごいよ。これだけで戦争がいくつも不要になってくれた」

 

北朝鮮で使われていた緑化の個性。あれも、回収していたらしい。

緑人兵、と呼ばれていた人たちを思い出す。お世辞にも健康そうには見えなかったけれど、かなりの数がUAIで治療を受けていたから、よく覚えている。

 

オールマイトが、少しだけ困ったように眉を上げる。

 

「ちなみに、私には、どういうわけか、これが入っていないらしくてね。腹は、ちゃんと減る。今まで通り、というか全盛期くらい食えているよ。食の喜びを思い出した三年だったぜ」

 

なんでもないことのように言う。でも、僕はそれを聞き流せなかった。皆が作り替えられた中で、この人だけが、もとのままだ。死んでいたはずの人が、作り替えられてもいない体で、平然とここにいる。引っかかりが、また一つ増えた。

 

自分の前髪を、一房つまんで光にかざしてみる。

生まれつき少しだけ緑がかった髪が、今は本当に、緑として機能しているのかもしれない。自分はどうなっているのだろう。

 

「世界は変わった。飯が以前ほどいらなくなれば、畑もいらない。世界中で、人手不足と需要の低下で耕す土地がごっそり見捨てられた。概算で五十億ヘクタール近く。日本が百個以上、まるごと収まる広さだ。耕されなくなった土から、緑が戻りはじめた。森が、草が、人の退いた跡を、黙って埋め直していく」

 

この話を聞いて分かった。この街の活気にどこか違和感があった理由がこれだった。

この街にはやけに飲食店が少ないんだ。何かを煮る匂いも、焼く匂いもしない。腹が減らないなら、食卓はいらない。人の営みの大きな一部が抜け落ちている。

 

「食料問題が解決すると分かればね。腹を空かせた者から順に、自分の足で世界樹へ触れにいく。それを止めることなど、誰にもできなかった。なにせ触れてしまえば、いろいろとバレるからね。悪人はこぞって逃げ出したが、半年も逃げ切れた者は、そうそういなかったんじゃないかな」

 

腹を空かせるほど、自分から捕まりにいく仕組み。逃げる理由のある人間ほど、先に音を上げる。

よくできすぎているがこれはちょと聞き捨てならない。

 

「食べ物が大事だって、言ってたじゃないか」

 

狩峰淡輝にとって、あれだけ熱弁していた食べ物について。これでいいのだろうか。

言いたいことが、聞きたいことが止まらない。

 

この状況についていくらでも話し合いたい。そして、僕ができることをしたい。

まだ友人として助けを求めてくれるのだろうか。

 

・・- ・-・・-- ・・- ・・・・- 

 

その時、警報が鳴り響いた。

 

街じゅうのスピーカーが、一斉に同じ音を吐き出す。穏やかな朝にはまるで似合わない、けたたましい電子音。反射でびくりと身構えた僕の横で、けれどオールマイトは眉ひとつ動かさなかった。通りの人たちも、慌てるでもなく、ただ歩みを止めて、そろって顔を上げる。

 

怪獣警報、と街頭のスクリーンに赤い文字が走ったがまるで何かの映画のようだった。

 

次の瞬間、そこら中の掲示板も、申し合わせたように同じ映像へ切り替わる。ライブ配信だ。

 

どの画面にも、戦っているヒーローの姿が映っていた。

 

どこかの沿岸の風景が映し出されている。

 

波打ち際に、ビルを何棟も束ねたような巨体がそびえている。濡れた甲殻が朝日を鈍く弾き、一歩動くたびに、岸壁が砕けて海面に白い柱が立つ。警報の名の通り怪獣、と呼ぶしかない何かだ。

 

それに、何人ものヒーローが挑んでいた。

 

絞り込まれた爆発が、一直線に怪獣の関節を撃ち抜く。

 

「かっちゃん!!!」

 

思わず叫んだ。まるで中学3年の時にオールマイトと会った時のようなそんな構図でそれを見上げる。

 

煌めく爆破の指向性を持たせた一撃はますます鋭くなっている。

 

すかさず巨大な氷壁がせり上がって怪獣の脚を縫い止め、反対側から炎の奔流が舐め上げる。轟くんが、左右を淀みなく切り替えていた。

 

そして、宙だ。何もない空間から、見上げるほど大きな砲架が一息に組み上がり、固定された怪獣めがけて振り下ろされる。八百万さんの『創造』だった。昔とは比べ物にならない速さと規模で、必要なものを必要なだけ生み出している。

 

三年ぶんたくましくなった彼らが、画面の中で躍動している。

 

あの三人が、揃って、当たり前の顔で戦っている。胸の奥が、嬉しさと困惑で騒ぎ立つ。

 

ただ、それ以上に妙だったのは周りだった。

いいや、きっと自分が妙なんだ。これは日常の風景でしかなく、この戦いはいつものこと。

 

担当であるということを言っていた気がした。きっと定期的な戦いなんだ。

 

それを証明するように通りの人たちは、誰ひとり不安そうな顔すらしない。スクリーンを見上げて、決定的な一撃が決まるたびに小さく沸いて、隣の人と何か言い合っている。怪獣の襲来が、まるで時間どおりに始まった、よく出来た興行みたいに受け止められていた。

 

 

決して脅かされない平和の中で、戦いというものが画面の中で煌めいていた。

 

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