画面の中の怪獣は、ビル何棟ぶんという見立てを軽く超えていた。三十メートルは下らない。
ただ、第一印象とは体のつくりがまるで違って見える。
バキバキと音を立てて、甲殻が盛り上がっている。
濡れた甲殻だと思っていたものは磨かれたガラスや黒曜石のように光を放っていて、表面のあちこちに、髪の毛のような細いひびが走っている。巨体が動くたびに、そのひびが増えたり、塞がったりを繰り返している。日光が当たると内側まで透けて、奥のほうで何かがゆっくり脈打っているのが見えた。
頭から冠のように突き出した触手も、根元は同じ硝子質で、先だけが濡れた肉みたいに蠢いている。動物と植物と鉱物のちょうど境目。そんな姿でヒーローごと街を破壊しようと暴れている。
カメラの感度では限界を超える光量を大炎が生み出している。
轟くんが炎で全体を炙り続けているのだ。まるでエンデヴァーのような。いやそれ以上の炎を轟くんは出し続けている。
よく見れば、炎のよく当たる側の甲殻が、うっすら白く曇って、ぼろぼろと粉を吹いている。熱を浴びているだけで、表面が少しずつ傷んでいる。
「あれは、熱に弱いのか……。衝撃でも、なんか、やけに脆くないか……?」
気づけばその映像を見てぶつぶつと独り言を言いながら分析をしてしまっている。メモやノートが欲しいところだが手元には何もない。
「懐かしいぜ。その感じ。緑谷少年って感じだな」
怪獣の巨体が、ゆっくりと片腕を振りかぶった。
腕というより、ひびだらけの太い柱だ。それが、街路を横薙ぎに振り抜かれる。空気がうなりを上げた。けれど、ヒーローたちは誰ひとり、まともに受けようとしない。空を飛ぶ者は一気に跳ね上がり、壁を蹴る者は身を低くして腕の下を潜り、地を駆ける者は紙一重で背後へ抜けていく。全員が、申し合わせたように、当たる寸前で軌道から消えた。
代わりに、街が砕けた。
逸れた一撃が、沿岸のビル群を横一列に薙ぎ払う。ガラス張りの高層ビルが、上から三分の一のところで、ぼきりと折れた。割れた窓ガラスが朝日を弾いて、滝のように降り注ぐ。
「あ、あそこに住民の人って!」
「いいや。大丈夫だよ。あそこは最前線都市さ。世界で一番避難が上手な人たちだ。残っている人はいない」
折れた上半分が隣のビルへ倒れかかり、その重みでまた隣がひしゃげて、ドミノみたいに連鎖していく。鉄骨が悲鳴じみた音を立ててねじれ、コンクリートの塊が跳ねて、立体駐車場を紙細工のように押し潰した。粉塵が一気に噴き上がって、沿岸の半分が灰色に霞む。
街が、たった一振りで、景色をまるごと変えていく。
「街に一般人はいない。彼らは全力で力を振るうことができる。ああいった迎撃都市は南極から発生する怪獣対処のために世界の各国に作られているのさ」
一撃で街が壊されてもヒーローたちは怯まなかった。むしろ、その振り抜きの一拍を待っていたみたいに、一斉に間合いを詰める。
最初に動いたのは、轟くんだった。左半身から噴き出した炎が、腕を振り切って隙だらけになった脇腹を、長く舐め上げる。硝子質の甲殻が、熱を浴びてみるみる白く濁り、ぱきぱきと細かい音を立てて爆ぜはじめた。脆くなったその一点へ、かっちゃんが自分を砲弾みたいにして突っ込んで、怪獣の体内から最大の爆破をお見舞いしている。
盛大に砕けた。
甲殻が、皿を床に叩きつけたみたいに、放射状に砕け散る。透明な破片が体の奥から噴水のように噴き出して、陽の光をきらきらと散らしながら、海へ降っていった。歓声が上がったのも共感できてしまう。その光景は、キラキラときれいだった。
かっちゃんはそれだけで終わらない。剥き出しになった内側の、まだ濡れた肉へかっちゃんの一撃が突き刺さる。
絞り込まれた爆発が、熱と衝撃を同時に流し込んで、ひびを内側から押し広げた。怪獣の上半身が、根元から大きくぐらつく。触手の冠が、行き場を失ったみたいに、空をかき回した。
「決まったァ!熱で脆らせて、衝撃で割る!今週も完璧な連係ですッ」
最初からあったのだろう。ライブ映像についている実況の声が裏返る。通りの観客が、地鳴りのように沸いた。誰かが、砕ける瞬間をスローで巻き戻して、何度も流している。怪獣が崩れるたびに、歓声が大きくなった。
すごいと思う。
三年ぶんたくましくなった仲間が、手のつけようもない化け物を、段取りを踏んで、確実に解体していく。子供の頃の僕が見たら、間違いなく飛び跳ねて喜んだはずの光景だ。
でももうそれにただ憧れて、強いヒーローに喝采を送るだけの少年はもういない。
今自分の目には、ヒーローの一人が崩れる瓦礫に巻き込まれているのを確かに見た。
それに気づいたら、僕の足は、もう一歩を踏み出していた。
あの画面の向こうへ、今すぐ。三年も寝ていた体だってことを、頭のほうがすっかり忘れている。
直後に急制動をかけられバランスが崩れる。肩を、大きな手にがっちりと掴まれていた。
「落ち着け、緑谷少年。最善の対策は済んでる。君は今、そこへ駆けつける番じゃない。彼らを信じよう」
オールマイトの声は、どこまでも優しかった。優しかったから、よけいに動けなくなる。
「でも、ここにいるだけなんて、そんなのは!」
言い返そうとして、僕は横顔を見上げて、続きを失った。
僕を止めているその人が、奥歯を、ミシリと食いしばっている。街を踏み砕く怪獣を見据えた青い目の奥で、行きたい、という衝動が、抑えつけられたまま暴れていた。
誰よりも先に飛び出したいのはオールマイトに決まってる。それを、自分の手で、無理やり地面に縫い止めている。僕を止めながら、同じだけの力で、自分自身を止めている。
「……すみません」
「ヒーローってのは、死ぬまでこうなんだ。全くやれやれだぜ、ほんとうに」
いや、死んでもこうだったかと豪快に笑う彼は、体から力を抜いていない。
オールマイトを失った世界の記憶は二度と繰り返してはいけない。よほどのことがないと、彼はもう戦ってはいけないのだろう。
肩に置かれた手は重い。
嫌じゃないその重さは一人で抱えて飛び出すなと、そう言われている気がして、僕は、踏み出しかけた足を、そっと元に戻した。
オールマイトが、画面から目を離さないまま、静かに口を開いた。
「あれはね緑谷少年。世界樹の根から、生まれてくるんだ」
え、と僕は隣を見上げる。
「みんなと世界を救いに出かけたUAIランド。今はあそこに、世界樹が根を張っている。あの夜から一年ほど経った頃かな。あの根の先から、ああいう異形が、ぽつぽつと生まれはじめた」
最初はもっと小さかったがね。と思い出すように呟いた。
画面の中で、崩れかけた怪獣が、最後の力で触手を振り回した。轟くんの炎が、その薙ぎを真正面から焼き払う。硝子質の触手が、熱で飴みたいにとろりと垂れて、ぶつりと千切れた。
「警告は、ちゃんとあったよ。世界樹いわく、これは新陳代謝のようなもので、自分でも止められないんだそうだ。生まれてくる怪物は、どういうわけか、人類を恨んでいるみたいに振る舞う。放っておけば、当然、危ない。中には脳無みたいな人型もいてね。出はじめた当時は、それはもう、世界中が大騒ぎさ」
かっちゃんが、千切れた触手の断面へ、絞り込んだ爆発を撃ち込む。脆くなった甲殻が、内側からひびを広げて、怪獣の巨体がついに膝から崩れた。砕けた破片が雪崩のように海へ落ちて、白い飛沫を高く上げる。観客が、その瞬間、最高潮に沸いた。
僕は、何かがおかしいと思った。
止められないはずの、人類を恨む怪物が、毎週のように沿岸へ現れて、判で押したように倒されていく。手順が決まっている。被害の出る範囲まで、あらかじめ決まっているみたいに。
オールマイトが、ふっと笑った。困ったような、少し後ろめたいような笑いだ。
「でもね。ちょっとだけ、みんな安心したんだよ」
「……安心、ですか?」
「腹は減らない、傷は治る、人は死ななくなる。あんまり都合のいい平和に、みんな戸惑っていたんだ。何かがおかしい、いったい何を対価に払わされているんだと、誰もが落ち着かなかった。そこへこれだけの脅威が、これだけの対価がちゃんと用意された。それを見て、各国はむしろ、ほっとしたんじゃないかと私は思う」
そこで、ほんの一拍、声が沈んだ。
「情けない話だが。私も、そうだったからね」
でも、聞きながら、僕の頭の隅では、別の声がしていた。都合がよすぎる平和を、人は信じられない。そういうものだと、誰よりわかっていた友人がいる。
ちょうど耐えられるぶんだけの敵と、対価を先に用意してやればいい。そう考えてヘラヘラ笑いそうな顔を、僕は、たった一人だけ知っていた。
それは、優しさなのか。それとも、ただの帳尻合わせなのか。
本当にそうなのか、と突っついてくるはずの友人は、もうどこにもいない。だから今度は、僕が自分で、問い返さなきゃいけないんだ。
「今、世界樹の根元はどうなってますか?」
「怪獣たちが跋扈している魔境だよ。怪人と怪獣が戦い続けて、より強い個体だけが生き残っている。でもそこにいて戦うだけの彼らは、まるでずっとあの夜を。『獣狩りの夜』を続けているように私は見えたね」
なぜだか直感する。
きっと淡輝くんは呼んでいる。ここから世界樹に問いかけても何も答えてくれないのだろう。
もちろん後でやってみるけど、でもそんなことで簡単に解決させてくれるような気がしない。
ちょっとだけ、やりたいことが見つかって。息をつけた気がした。
「これは、私だけに教えられた秘密なんだがね」
オールマイトが、声をさらに落とした。
「あの世界樹には、どういうわけか、オールフォーワンも組み込まれているらしい。すでに死んだと思っていたが、生き残っていたんだろう」
息が、止まった。
「これで色々と納得さ。そりゃそうかとも思うんだ。あの底なしの攻撃性も、何もかも飲み込もうとする衝動も、ああやって体の中に切り離して押さえ続けていないと、あの平和は保てないんじゃないかとね。だからきっと、今この瞬間も、世界樹の中では、オールフォーワンと、誰かが戦い続けている」
オールマイトの目が、遠くなる。
「その誰かを、私は……知っていた気が、するんだ。名前も、顔も出てこないのに。世界樹で戦うその誰かはきっと私に会いたくないんだろう」
僕は、何も言えなかった。
知っている。僕は、知っている。世界樹の真ん中で、たった一人、魔王を抱え込んだまま、終わりのない戦いを続けている奴のことを。みんなが腹を空かせず、傷も忘れて笑っていられるのは、あいつがずっと、内側で歯を食いしばっているからだ。誰にも覚えてもらえないまま。
「世界樹の恩恵を保つため。世界は外から来る脅威のほうに、対処することを選んだ。これを見るといい」
手元のデバイスに、動画が流れはじめる。これまでの怪獣との戦いを、手際よくまとめたものらしい。顔だけになったオールマイトがゆっくり解説してくれていた。この素材はとても欲しい。
「戦争を続けていた国はね。世界樹の恩恵を受けられていなかったから、順番に負けていった。攻められた側は、撃たれたそばから傷が治る。PTSDすら、なかったことになる。そんな相手と、勝負になるわけがない」
画面の中で、矛先を失った各国の軍隊が、その武力を、こぞって怪獣へ向けはじめる。
「軍隊が崩壊しかけていた新しい時代でも、自分たちの存在意義を示したかったんだろう。最初の二十メートル級を仕留めたのは、とある国の海軍だった。だが、次に現れた怪獣は」
オールマイトの声が、重くなる。
「同じような近代兵器を、全身に積んでいてね。前に砲撃を浴びせた国へ、まっすぐ向かっていった。世界樹が生えてから、いちばん多くの人が死んだ日だ。これ以上はまずいと、私とスターが出張って、ようやく止めた」
「科学で倒すと、それが真似される……?」
「そうだ。再現可能な理屈で倒した手は、次の怪獣にそっくり積まれて返ってくる。だから決まったんだ。怪獣は、ヒーローが倒す。科学で再現できない個性で倒すことになった」
ひときわ大きな歓声が上がった。
八百万さんが組み上げた巨大な砲塔の中で、かっちゃんが爆発を起こす。詰められた砲弾が、爆圧で一気に撃ち出されて、崩れかけた怪獣の胴を、轟音とともに貫いた。死に体だった怪獣が、完全に崩れ落ちる。
「あれが止めなら」とオールマイトは静かに言った。「次に来るのは、きっと爆発と熱に強い、炎と爆破を操る怪獣さ。砲塔だってあれみたいなのが体じゅうに生えてくる。だが、撃ち出すことはできない。科学の形を真似るのが、あいつらの限界でね」
頭の中で、勝手にピースがはまっていく。
「……じゃあ次は、空気を操ったりするヒーローが担当になるんですね。前は、たぶん斬撃かもしれない。だから今回は硬さで殴るのが有効打だった。だから今、かっちゃんたちが呼ばれてる。次の怪獣の弱点が、ちょうどかっちゃんたちの個性とすれ違うように、わざと組み替えてるんだ。順番ごと、ぜんぶ」
口にしてから、ぞっとした。きれいに回るそのシフト表の、いちばん奥に、あいつがいる。
「時々その法則が乱れるから、いくつものチームが控えてはいるがね。概ね、その通りさ。ヒーローオタクは鈍っちゃいないみたいでよかった」
オールマイトが、少しだけ感心したように僕を見た。
僕も感心している。本当にすごい。
すごく、よくできている。文句のつけようもなく。
だからこそ、僕は決めた。この完璧な時計の真ん中で、たった一人で回り続けている友達と話さなきゃいけない。
世界樹のところまで歩いていって、ノックしてあげなきゃ彼はずっと孤独のままだ。
僕の記憶も消しておけばいいのに、それをしないのには意図があるはず。僕は思った通りにやってやる。
「そういえば、オールマイト。戦えるんですか?ワンフォーオールは……。ここにあるのに……」
自身の中には燃え上がる10もの光がある。
「目覚めた時に、私は力を自覚した。けれど、これはワンフォーオールではないよ。同じ個性をストックしたものが、私の中にあるのは感じる。譲渡もできるだろう。なんなら前よりも強力なものがありそうなんだけど、どうにもね。そこに魂を感じない。私はきっと強いが、かつてのような不可能に挑戦できるかはわからない」
「……割と気合いでやってましたもんね。あらゆることを」
くすりと笑いながら、それでも嬉しく思う。彼がこの姿で過ごせているのはあの痩せた姿より絶対にいいことだから。
「もし、僕が世界樹まで行きたいっていったら。オールマイトは、どうしますか?」
「何をいってるんだ緑谷少年」
その眼差しには平和の象徴としての覚悟が圧となって光っている。
「君が起きるのを待っていたんだぜ。もう2年も誰かさんを一人で戦わせてしまってる。あと一年遅く目覚めていたなら、私一人で行っていたよ。ようやく世界は怪獣に対処できるようになったところさ」
HAHAHA!と笑い自分の役割はすでにここにはないと宣言している。平和の象徴はもういらないとその象徴自身が言っている。
「これはただの勘だが、きっと君の相棒なんだろ?そのナイトアイみたいな誰かさんに会って、こう言ってやろうじゃないか」
「———私たちが、来た!ってね」
もう一度だけ泣いて、前を見ることにする。
今日だけは許してほしい。少しだけ、この平和に浸ることを許して欲しい。
淡輝くんに謝りながら、この暖かさを感じていた。