怪獣が崩れ落ちて、戦いはその巨体が暴れたとは思えないほどあっさり終わった。
歓声が、少しずつ凪いでいく。
ヒーローたちが引き上げ、入れ替わりに見慣れない重機の群れと、揃いの作業着を着た一団が崩れた巨体へ近づいていく。
実況の声が戦いのときとはまた違うどこか商売っ気の混じった調子へ切り替わった。
「さて、お待ちかね。今週の『探鉱』ですッ」
タンコウという言葉が一瞬わからなかった。怪獣を倒したあとの話に、その言葉が当たり前みたいに使われているが一体それはなんだ?。
「ご存じの通り、怪獣の体には、大量の重金属や希少元素が含まれています。そして、ごくまれに、未知の物質まで。昨年討伐された個体からは、なんと、常温常圧で固体のキセノンの塊が見つかりましたッ!」
え、と声が出かけた。
キセノンはたしか希ガスで。つまり気体だ。うんと冷やすか、とんでもない圧でもかけないかぎり、塊になんてならないはずの。それが、ふつうの温度と気圧のまま、固まって出てくる。
なんでこんなことを知っているのか、それは淡輝くんからものすごく面白いとおすすめされたSFでそれを素材に宇宙船を作っている人がいたから、だから覚えている。
「あの作品から命名されたキセノナイトは皆さんすでにお馴染みですね。他にも不可能と言われてきた新物質の数々に世界中が沸いています。怪獣はいわば、向こうから歩いてくる重金属鉱床。これを目当てに、解体専門の企業も、ずいぶん増えましたねェ」
画面の中で、作業着の集団が、まだ湯気を立てる残骸へ群がっていく。砕けた硝子質の破片を、宝石でも拾うみたいに、手際よく仕分け、コンテナへ積み込んでいた。怪獣の体はスキャンされお宝を探しているようだった。
傍らでは別の中継が、新素材の価格や、参入企業の株価を、めまぐるしく流している。
「麗日少女のお父さんの土建会社もUAIで大きくなった。ほら、ウラビティのマークがあるだろう」
すごい、と、もう何度目かわからない感心がこぼれる。同時に少し笑えもした。
ちょっとやりすぎなんじゃないかと思うから。
戦いは、見世物になって人を熱狂させる。倒した怪獣は、まだ平和には対価があるのだと、世界に思い出させてくれる。そのうえ死体は、二度と手に入らない宝の山になって、新しい産業まで生む。怖いくらいに、どこにも無駄がない。
世界中が拾い集めて沸いている、このきらきらした宝石は、彼の終わらない夜から、こぼれ落ちてきたかけらなのかもしれない。
つまり、この平和もこの熱狂も生まれたばかりの産業も。ぜんぶ彼がが流し続けている何かで、できている。
だとしたら、淡輝くんをもしを外へ連れ出そうというのならこれを壊すことになる。誰も困っていない、こんなによく回る世界のいちばん都合のいい歯車の軸を、根元から引っこ抜くということだ。
これは寝る前に見た数時間後の感想になるが、さらに驚かされたのは戦いが終わってからの街の立ち直りの速さだった。
崩れた瓦礫がまだ湯気を立てているうちから実況はもう次の話題へ移っていて、早くも再建計画の青写真が映し出されている。家を失った住人の中から今回の抽選者が選ばれて報酬が与えられるという段取りまであるらしく、被災したばかりのはずの人たちが当たりますようにと笑いながら画面の前で手を合わせていた。家は都市から与えられるらしい。
世界中から難民が前線都市へと移住しているとか。
土木工事用の重機とロボットが地平を埋めるように展開していき、そこへ修復に向いた個性を持つ人々が総動員でくわわって、倒壊した区画を見ているそばから組み直していく。
ただ建物をもとどおりにするだけでは復興とは呼ばないのだとアナウンサーは説明する。人の暮らしていないただのハリボテだと怪獣が見向きもせず素通りしてしまうため、本物の生活ごと迅速に戻さなければ迎撃都市として成り立たないのだという。
つまり人々は怪獣に襲われるためにわざわざ最前線へ戻っていくことになるのだが、それを嫌がるそぶりは誰にもなく、この破壊と再生の繰り返しそのものに街じゅうがむしろ張り合うようにエネルギーを注いでいる。数ヶ月に一度まっすぐ自分の国へ降りかかってくる災厄を、まるでお祭りでも待つようにして受け止めているのだった。
「世界樹はね……」
と、オールマイトが少しだけ声を落とした。
「地震や台風といった自然の激甚災害には、あれは基本的に手を出さないんだ。そこはまだ、ヒーローの領分さ。去年マレーシアで大きな地震があったときも、事前の警告のおかげで死傷者はずいぶん抑えられたが、それでも犠牲をゼロにすることまではできなかった」
悔しさに拳を握り、思い出すように語っている。
「世界樹に強化された家のなかにとどまってさえいれば潰れても助かったはずなんだが、昔ながらの習慣が抜けきらずに慌てて表へ飛び出してしまった人が多かった。落ちてきた屋根や柱の下敷きになって即死する、そんな悲劇も残念ながら今なお無くなってはいなくてね」
そこで少し間を置いてから、彼は表情をやわらげた。
「裏を返せばだよ。閉じ込められようと押し潰されようと、あの木に触れてさえいればたいていのことはなんとかなるということでもある。おかげで世界じゅうで亡くなる人の数は、もう昔とは比べ物にならないくらいに減ったんだ」
「もちろん問題もある。いまだに世界樹とは距離をとって過ごしている人々も20%ほどは残っている。彼らのことを批判するような流れも生まれてしまった。世界樹に頼っていれば子供を死なせなかっただろうってね」
ちょうど画面では、コメンテーターがその問題について解説をはじめていた。
世界樹に触れて恩恵を受けようとしない者たちを不可触民などと呼ぶ動きもあったのだと彼は前置きする。そうした露骨な呼び名そのものは時間とともに下火になっていったものの、触れない人間をどこか一段低く見るような意識は今も社会のあちこちに残っているらしい。
そして最近になって、無視できない研究の途中経過が発表されたのだという。世界樹との接触を深く多く重ねた人間ほど知能指数が上がっていく傾向があるそうで、国連の代表たちに見られたようなあからさまな変化ほどではないにせよ、人類全体の知性がじわじわと底上げされつつあるという報告だった。
とりわけ世界樹の補助を受けて生まれてきた二歳前後の子どもたちが以前の世代より平均して非常に高い知能を示しているという話になると、コメンテーターの口ぶりはいよいよ熱を帯びてくる。
「お子さんを世界樹に触れさせずに育てる。これはもはや、立派な育児放棄と呼んでいいのではないでしょうか」
そんな言葉から追い風を受けるようにして、世界樹信仰派は日に日に勢いを増しているのだそうだ。
聞いていて、また同じ手触りがした。
国連の椅子に仕込まれていた種も、腹を空かせた者から順に触れにいくしかない食料の仕組みも、子どもを触れさせない親を悪者にするこの理屈も、根っこはみんな同じだ。差し出される恩恵そのものはどれも紛れもなく本物で、ただ断るという選択肢だけが、優しい顔をしたまま少しずつ外側から塞がれていく。
きっとこれから生まれてくる子たちは選択肢もないだろう。物心ついたときにはもう触れているのが当たり前で、そもそも断れるものがあったことすら知らないまま大きくなっていく。あと何十年かすれば、この仕組みをどこかおかしいと感じられる人間のほうが、世界から綺麗に消えてしまうのだろう。
それを正しくておかしいと思える自分が残っているうちに、僕はあの根元まで行かなければいけないのかもしれない。
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もうすぐ自宅というところで、番組は突如として雰囲気を変えた。
「ここで、速報です」
アナウンサーの声が、潮が引くようにすっと沈んだのだ。
その瞬間だった。さっきまで歓声を上げて沸いていた通りの人たちが、まるで一斉にスイッチでも切り替えられたみたいに表情を改めて、誰もが口を結び神妙に画面を見上げる。怪獣の撃破に酔っていた熱が、たった一拍で葬列のような静けさへと変わっていった。
画面が切り替わり、献花を背にした顔写真が、ひとつ、またひとつと静かに並んでいく。
「あらためまして、悲しいご報告です」
アナウンサーの声は、先ほどまでの熱がうそのように、落ち着いた弔いの調子へと変わっていた。
「本日の防衛戦におきまして、前線で交戦にあたっておられたヒーローお二方、そして住民の避難誘導を担ってくださっていたヒーローお三方、あわせて五名の尊い命が失われました」
ひと呼吸ぶんの、長い間が置かれる。
「最後の最後まで、誰ひとり見捨てることなく、その身を賭して私たちの暮らしを守り抜いてくださいました。皆さま、心からの感謝を込めて、ただいまより五名の英雄に黙祷を捧げたいと思います」
どこか遠くで、低い鐘の音が鳴った。
そうして、亡くなった五人の名前がひとりずつ読み上げられ、それぞれに添えられた感謝の言葉が、ゆっくりと、噛みしめるように画面の向こうから流れていった。
「それでは……黙祷」
あちこちから、すすり泣きと、こらえきれない嗚咽が漏れはじめる。
なんなんだろう、一体これは。
その流れにまるでついていけなかった。
ついさっきまで祭りみたいに笑っていた人々が、号令ひとつで完璧に揃った悲しみへ切り替わっていくその一糸乱れぬさまが、悲しみよりも先にぞっとさせた。
そして何より、本当に人が死んだのだという当たり前の事実だけが遅れて胸に届いて、足が小さく震えた。
「安心してくれ、今のはね。おそらく嘘だよ。そしてこの感情は演出だ」
僕の様子に気づいたオールマイトが、静かに言った。
「うそ……。嘘ってどういうことですか?」
「私も初期はよく出撃していた。確実ではないが、肌感覚としてあるんだ。誰も死なずに敵を倒せたのに、数名が死んだと報道されることがあった。実際に調べても彼らは実在したという記録が出てくるし、友人たちや家族も葬儀をしたりしている。その映像が届くが、確かめることはできない。被害者のプライバシー保護だってね。中には本当に亡くなっているヒーローもいるが、被害は誇張されている」
そんなことできるものか?と思うが、あらゆる個性を使えるのなら、トガさんの変身のような個性や、分身や複製体を生み出すなんてこともできるかもしれない。
というか、そうだ。『二倍』があるじゃないか。誰かを増やして、殉職させることはできる。
毎回違う人でなくてもいい。合意を得た誰かを変えて、それを手を変え品を変えて別人に見せることはできそうだ。
「あとみんなの様子についてだけど……。これは明確に個性の影響だよ。一定以上の強さの精神を持っている者には効かないらしい。だから君の目にはかなり不気味に映っているだろうね」
「個性って……人の、感情を、ですか」
「世界樹は人々の感情に干渉できる。メディアとしては、これ以上ないほど最強というわけだ」
そう言って、オールマイトは少しだけ遠い目をした。
「昔、日本で捕まったヴィランがいてね。ミスタースマイリーと呼ばれていた。彼の笑顔を見ただけで誰もが二時間は笑い転げてしまうという、それはそれは恐ろしい力だった」
「覚えてます!でも確か、大事にはならなかったんじゃ……」
「報道規制をしたからね。個性『スマイル』。リアルタイムでありさえすれば、ロボットのような無機物にまで効いた。映像ですら同じ効果なんだぜ?裏を返せば、目隠しでもして笑顔を直接見なければ、それだけで防げたんだがね」
オールマイトの声が、低く沈んでいく。
「それが全国放送に乗ってしまったときは、まさに悪夢だった。病院でも高速道路でも、ありとあらゆる場所で同時に事故が起きてね。私がオールフォーワンを倒してからいちばん多くの人が亡くなった、大規模なテロだったよ」
ミスタースマイリーはタルタロスの最深部に収容されたあと、UAIへ移されたのだという。
「世界樹には今、あの男のような、広い範囲で人の心を揺さぶる力がどこかで使われている気がしてならないんだ。とくにあの夜のあとは、世界ぜんたいに強めの『笑い』がかけられていたように思う。あれだけのことが起きたのに、なぜか誰の気持ちもひどくは沈まなくてね。そんな状態のまま記憶ばかりが薄れていくのはどう考えても不自然だったが、それでも誰ひとり止められはしなかったよ」
気づけばすでに日も暮れていて、良い子であれば家に戻る時間になっている。
それにしても、三年ぶんの留守を、こうもいっぺんに詰め込んで聞かされることもなかったんじゃないか。いや、でも聞きたいことはひとまず聞けた気がする。これを聞かないと寝れなそうだったから、よかったかもしれない。
家だと教えられた場所の前まで来て、いよいよお別れというところで、オールマイトが気がかりそうにこちらを見ていた。
「大丈夫です」
強がりじゃない、誰かに与えられたわけでもない笑顔を見せる。
「やるべきことが、ちゃんと見えたから。ひとりで先走ったりしません。準備して、仲間も頼って、ちゃんと相談して。それから、友達に会いに行きます」
オールマイトはほっとしたように肩の力を抜いて、それからふと、言いにくそうに目を伏せた。
「……安心したよ。こんなことを言ってしまってはなんだがね、緑谷少年。夢にまで見た平和がこうして本物になったというのに、私はどうにも違和感が拭えないんだ。心から喜ぶべき場面で、何かを起こそうとしている自分がいる。世界樹を解き明かしたほうが安全なのか、それとも下手に刺激しないほうがいいのか。世界の総意は放っておけというものだが、私はそこにずっと引っかかっている」
そこで彼は、自分を笑うように口の端を上げた。
「何か問題が起きてくれと、心の隅で願っていやしないか。そう思うと、自分で自分が怖くなるよ。ヒーロー失格だぜ、まったく。新しい魔王になるなんてのは、真っ平さ」
僕は、首を横に振った。
「世界樹を倒そうなんて、僕は思いません。でも、もしあそこでたった一人で戦い続けている友達がいるなら、絶対に一人になんてさせない。そう思うんです」
オールマイトの青い目が、静かに僕を見た。
「緑谷少年。やはり君は、その人物のことを覚えているんだね」
「……狩峰淡輝、君です」
口にすると、胸の奥があたたかくなった。
「僕がオールマイトに会えたのだって、きっと彼がいてくれたからなんです。ナイトアイの、弟子でした」
オールマイトが目を見開いて、それから豪快に笑った。
「はっは、それなら納得だ。ナイトアイのやり口には、私も何度、ホーリーシットと言わされたかわからない。お互いに、やけに未来を見通す頭脳派と組むと大変だな」
笑いがおさまると、彼はもう一度、穏やかに僕を見た。
「また今度会うときは、きっと、戦いのときだろうね」
「はい。そのときは……オールマイト。どうか、助けてください」
まっすぐに見上げた僕の目には、誰かを助けたいという思いが溢れすぎていたかもしれない。
彼の瞳に反射して、その熱を自分で感じるくらいはそう思った。
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そうして迎えた、久しぶりの家族の夜だった。
すっかり痩せた母さんが、泣きそうな顔をしながら、いやもう泣きながら、それでも精いっぱいの笑顔で僕の食べる様子を見守っている。
帰り道でほとんど嗅ぐことのなくなった、何かを煮炊きする匂いが家じゅうにあたたかく満ちていた。
湯気の立つ白いごはんに味噌汁、母さんの得意な肉じゃが、それから僕の好物の唐揚げまで、小さなテーブルに並びきらないほど用意されている。
腹が減らなくなった世界でわざわざ手間をかけて作ってくれたその一皿一皿が、その味がなんとも言えない幸せを感じさせてくれる。
僕は、生きている。母さんも生きているんだ。
ひとくち頬張るたびに母さんが嬉しそうにまた少し泣くものだから、僕もしょっぱいのか甘いのかわからない味のまま、ごはんを掻き込んだ。
生き返ってからの最初の晩餐は、本当に涙が出るほど美味しかった。
食事を終えて、自分の部屋だと教えられた扉を開ける。
そこは子どもの頃から集めてきたオールマイトのグッズにぐるりと囲まれた、懐かしい場所だった。フィギュアもポスターも当時のまま並んでいて、三年ぶんの埃すら一切感じさせないほどに、母さんがこまめに払ってくれていたらしい。
ただ、ひとつだけ見慣れないものがあった。
部屋の支柱のひとつが、生きた木の根になっている。白く太いそれが大黒柱のように天井へ伸び、静かな存在感を放っていた。世界樹は、こんな家のいちばん奥まで、もう根を下ろしている。
僕はしばらくそれを見つめてから、意を決して手をのばした。
木とも肉ともつかない感触に手のひらを預けて息を吸う。
「久しぶり、淡輝くん。いるのかな」