切島くんとの話は、思ったより早く済んだ。
というより、まだ結論は聞いていない。
明日には返事する、と請け合ってくれたから、八百万さんと待ち合わせている場所と時間を、切島くんにも伝えておいた。
自分の勝手な都合で、次々と人を巻き込んでいる。それなのに、みんなちゃんと話を聞いてくれるし、こんなに短い時間で答えを出そうとしてくれる。
そういうところが、いちいちさすがだと思う。この調子だと、それぞれの返事が、今日明日のうちに出揃ってしまうかもしれない。
次に向かったのは、飯田くんのところだ。
トガさん曰く、彼はこの時間、担当区域をヒーローとして巡回しているらしい。
事前に連絡をしておいて待ち合わせ場所のある大通りへ出た、ちょうどその瞬間だった。
風が、横殴りに通り抜けた。
何かが通り過ぎたと頭が認識したときには、もう僕の数歩先で、それは止まっている。
脚部のマフラーから白い排気をふかし、きっちりと手刀を構えたイメージよりもがっしりした男性。間違いなく、飯田くんだ。
「緑谷くん! また会えたな」
排気の余韻も収まらないうちに、彼は大股で詰め寄ってきた。目を覚ましてすぐ、真っ先に見舞いに駆けつけてくれたのも、この男だった。あのときはまだ僕の頭がぼんやりしていて、ろくに話もできずじまいだった。
「うん。昨日はありがとう、飯田くん。今日はちゃんと、頭も働いてるよ」
「それは何よりだ。顔色もずっといい」
手刀をひとつ振って、飯田くんが律儀にうなずく。
後から駆けてくる音がして振り返ると、そこにはまた懐かしい顔がいる。
「積もる話は山ほどあるんだろうけど、緑谷くん、急いでるんじゃないの?」
聞き覚えのある声だ。飯田くんの隣に、髪をサイドテールに結った女性が立っている。
「拳藤さん……! いや、大丈夫だよ。もしかして、二人で組んでるの?」
「いや、まあね。いろいろあってさ。事務所立ち上げしてんのよ。ほんとに色々あったんだから」
「下積みの、つもりだったのだ」
飯田くんが、神妙にうなずいた。
「兄のインゲニウム事務所で、まずは一から学ばせてもらおうと考えていた。だが……うまくいかなくてね」
そこで、ぷつりと話が途切れる。
「いやいや、省きすぎでしょ。天哉が言うと深刻に聞こえるけど、逆の苦労話っていうかなんというかね」
拳藤さんが苦笑して、後を引き取った。
「ヒーロー科のみんな、経験を積みすぎててさ。UAIにいた頃の実戦量が、よその新人どころかプロと比較してもとまるで桁が違うわけ。既存事務所のほうが、こんなの下積みさせる段階じゃない、うちじゃ持て余すって丁重にお断りしてきたの。それで、だったら自分たちでやるかって、二人で事務所を立ち上げたってわけ」
経験値がありすぎて、下積みを断られる。一般のヒーローからすれば、まるで意味のわからない理屈だ。けれど、あの一年間の雄英生活を思い返せば、おかしくないどころか、納得しかなかった。
「立ち上げって……二人だけで?」
「いや。同じ悩みはみんな持ってたからね。雄英の先輩や同期に、何人か声をかけて入ってもらってるよ」
飯田くんが指を折りながら挙げていく。上鳴くん、芦戸さん、常闇くん。それから物間くんに、イナサ、峰田くん、鉄哲くん。他にもいるようだ。名前を聞いているだけでずいぶんと濃い顔ぶれだ。
「まぁ要領いい奴らは好きにやってるけど、うちに来るようなのは見事に問題児ぞろいでさ」
今度は拳藤さんが、こめかみを押さえながら続ける。
「戦力としては、ヒーローとしては一級品なんだよ。本当に、文句のつけようがない。なのに独断専行、臨機応変、即断即決。うちらは雄英で合理的になりすぎた。実力はあるのに、周りに合わせられないやつばっかり集まっちゃってさ。だから、そのへんの面倒を、ぜんぶあたしと天哉とで見てるってわけ」
「もともと、人の面倒を見るのは好きで、クラス委員をしていたからな!渡りに船というやつさ!」
飯田くんが、なぜだか少しだけ誇らしげに、また手刀を振った。
渡りに船という割には、船を作って出している側のようにも思えるが、根っこの部分は変わっていない。
「それよかさ。なんだか、本気のお誘いみたいじゃん?」
拳藤さんが、面白がるように片眉を上げた。
「緑谷がいれば退屈しないとは思ってたけど、まさか目を覚ました翌日とはね。いーよ、聞かせて? 何を企んでんのさ」
僕は、さっき切島くんに話したのとほとんど同じことを、もう一度繰り返した。
みんなには失われた記憶があること。
世界樹のなかでは、いまもまだ戦い続けている同級生がいるはずだということ。本人からは、放っておいてくれと拒まれているけれど、それでも今のままにしておいていいとは、どうしても思えないこと。あいつを助けたいし、あいつだって幸せになっていいはずだから、一度ちゃんと話をしにいきたいということ。そのために、危険を承知のうえで、UAIへ向かうつもりでいること。
そこまで聞いて、飯田くんと拳藤さんが、ちらりと顔を見合わせる。先に口を開きかけたのは、拳藤さんだった。
「いや。ここは、僕が言おう」
それを、飯田くんがやわらかく遮った。
「緑谷くんには、同じクラスで過ごした僕が向き合いたいんだ」
拳藤さんは少しだけ目を丸くして、それからふっと笑った。
「しょうがないね。じゃあトガちゃん、あたしたちは向こうでお茶でも飲もう。久しぶりに、ゆっくり話そ」
「え〜。やです。絶対良い顔が見れそうなので。ていうか、いいんですか?飯田くんに任せちゃって」
「ああ、信頼してるからね」
拳藤さんは、なんでもないことのように言ってのける。
「あのUAIの日々ほどじゃないにしても、こいつとはずっと、いろんなものを一緒に乗り越えてきたんだから。あたしたちのこと、なめんなよ。それに、やです。じゃないの。ほらいくよ!」
言いながら、彼女はひょいとトガさんを横抱きにして、歩き出してしまう。止める暇もなかった。サイドテールを揺らして、こちらへ片手をかざしながら、あっというまに遠ざかっていく。
片手間でトガさんを封じて持っていくあたり、同学年最強との評判はいまだに健在らしい。
ひらりと翳した左手の爪には、相変わらず色とりどりの模様が描き込まれていた。
指にはきっと特別な力が込められている指輪がいくつも光っていて、手首には腕輪と、見慣れないサポートアイテムがいくつも巻かれている。たぶん昔よりもずっと多くの人が、彼女のことを支えているんだろう。
なんというか、かっこいい背中だった。
「すまないね。一佳さんは、いつもこうだから」
飯田くんが、苦笑まじりに肩をすくめた。
「僕よりずっと決断が早くて、踏み込みも深い。助けられてばかりいるよ」
その言葉に、僕は小さな違和感を覚える。けれど、それがどこから来るのかをうまく掴めないまま、いまは目の前の本題のほうへ意識を戻すことにした。
「さて。先ほどの話だが」
飯田くんは、いちど姿勢を正してから、まっすぐに僕を見た。
「まず、話してくれてありがとう。緑谷くんが僕を頼ってくれたこと、素直に嬉しいよ」
手刀ではなく、今度はきちんと膝に手を置いている。それだけで、これから返ってくるのが軽い答えではないと知れた。
「僕らが忘れてしまっている同級生がいる、という話。正直、驚いた。だが……驚いたのと同じくらい、妙に納得もしているんだ。何かが足りない。その感覚は、たぶんこの世界の誰もが、どこかで抱えている。だからこそ、僕は君の話を信じられる」
「そのうえで、僕の回答をさせてくれ」
ひとつ息を継いで、飯田くんの声が、少しだけ硬くなる。
「僕と一佳さんが代表を務める事務所、UAヒーローズは、君の試みに関わることはできない。従って、僕も一佳さんも参加はできない。……本当に、すまない」
頭を深く下げられて、僕はとっさに言葉を返せなかった。
「もちろん、この話は、所属している同級生のみんなにはきちんと伝える。隠すつもりはない。ただし、もし彼らが参加を望むなら、その時は事務所を抜けてもらうことになる」
「え、どうして……?」
問い返す声が、自分でも情けないくらい掠れた。
「シンプルさ。これは、明確な法律違反だからだ」
飯田くんは、ごまかさずに言い切った。
「いくつかの国際法と、国内法にも抵触する。あの世界樹をどうにかするということは日本でもここ南極でも関係なく違反だよ。調査もあくまで平和的に進めるべきだと、いまや世界が合意している」
「これに違反した個人は当然として、関わった人間まで、連座で世界樹の加護を剥奪される。そういう罰則が、国連から提案されて、すでに採用されているんだ」
加護の剥奪。死なないこの世界の、その保護から外されるということ。意味するところを察して、背筋が冷えた。
「しかも、それは……必ずとは言わないが、本人の家族にまで及ぶことがある」
飯田くんは、いったん言葉を切ってから、続けた。
「ようやくなんだ。今の世界で、あいつらがようやく自分の居場所を作って、互いを支え合って、市民の人たちを守る活動を始められた。そこまで、来られたんだ。……その彼らを、危険に晒すわけにはいかない。僕らを信じてくれている人たちの、その信頼を裏切ることも、できない」
これ以上ないというくらいの、苦渋の表情をしている。それでも飯田くんは、目を逸らさずに言い切った。
僕には、何ひとつ反論ができなかった。彼の言っていることは、どこまでも正しい。
「ここからはさらに、大人としての言い分になってしまうんだが」
飯田くんは、いったん言葉を探すように目を伏せた。
「今いった理由以上に、もう……僕は、自分の気持ちだけで動ける立場ではないんだ」
「立場、って」
「これは、まだ誰にも言っていないことなんだが」
声を落として、彼は続ける。
「一佳さんが、子供を身ごもっている。僕は、彼女を危険な場所へ行かせるわけにはいかない。そして僕自身も、命を懸けるような真似は、もう控えなければならないんだ」
世界の時間が止まった。
……
……………
……………………
「……っおめでとう!!!!???」
捻り出した言葉は本心だが、それでも自分で何を言っているかわからない。
え、どういう……。そういうこと!?
「ああ、すまない。緑谷くんにとっては、いきなりの話だったな」
僕の固まりようを見て、飯田くんが申し訳なさそうに手刀を下ろした。
「同級生のあいだでは、もう当たり前のことになっていてね。……僕は、一佳さんと結婚しているんだ。一年ほど前に、式も挙げた」
ようやく言葉が脳に到達し、ちゃんと絶句した。
三年という時間の重みを、僕はたぶん、このとき初めて本当の意味で理解したんだと思う。
「黒色くんと希乃子さんは、もう子どもを育てているよ。ほかにも、所帯を持った者は何人もいる」
飯田くんの口ぶりは、それを特別なことだとも思っていないようだった。
あの夜を越えて、世界樹がそびえ立ってから、世界じゅうで婚姻も妊娠も、目に見えて増えたのだという。いつ死ぬともしれない夜をくぐり抜けて、人がごっそり減って、それでようやく平和になった世界で。残された人たちが、誰かと繋がることを強く求めたのは、僕にもなんとなくわかる気がした。
「僕自身としては、ひとりの友人として、君の挑戦を応援したいという気持ちが、確かにある」
飯田くんは、まっすぐに僕を見た。
「だが、それとちょうど同じだけ……友人だからこそ、僕は君を止めなければならないとも思っているんだ」
応援したい。止めたい。彼はそのどちらも、本気で抱えている。声の重さで、それがわかった。
「仮に、話し合いですべてが丸くおさまったとしても。君は世界樹から疎外されてしまう。たとえ後から法が変わるとしても、いま犯した罪は、罪のままだ。ヒーローたるもの、率先して規範を示さねばならない。……君のヒーロー資格は、まず間違いなく剥奪されるだろう」
ひとつずつ、事実を積み上げるように言ってから、飯田くんは声を和らげた。
「君を、そんな立場に追い込みたくないんだ。だから、どうだろう。いきなりすべてを賭けるのではなく、まずは世界樹を通じて、対話のかたちで投げかけてみないか。何もかもを壊す覚悟ができてしまうのは……失礼を承知で言う。緑谷くんがまだ、今のこの世界を、よく知らないからだと、僕は思ってしまうんだ」
その言葉は、不思議と僕を責めなかった。ただ、どこまでもまっすぐだ。
「ここには、あまりにも多くの人が生きている。これから生まれてこようとしている命も、たくさんある。世界の歴史をどれだけ遡っても、これほどに平和で、争いのない時代はなかった。……その平和を壊すことを、僕は看過できない。ヒーローとして。夫として。これから父になる者として。そして、友人としても。だから僕は、君に行ってほしくないんだ」
言い切ってから、飯田くんは少しだけ間を置いた。
「それでも、明日の返事の場には、立ち会わせてほしい。みんなが、どんな結論を出すにしてもだ。それをこの目で見届けることが、いまの僕に果たせる、ヒーローとしての責務のはずだから」
三年越しの世界には、変わらない友人たちがいて。
そして、変わることのできていない自分が取り残されている。