これで言うべきことは、本当にぜんぶ言えたはずだ。
そのうえで、正直に思う。たぶん、僕の言っていることのほうが、間違っているんだろう。
まるごと間違い、というわけじゃなくて。なんていうか、間違いの色のほうがほんの少しだけ多くまじっている。
物事はきっと白か黒かじゃない。何もかも不確かで混ざりあったグラデーションになっているんじゃないかと思う。
ふと、空を見上げた。
東のほうから朝日が滲んで、空をゆっくり染めはじめている。そのいちばん遠い端のほうには、まだ昨日の夜が、少しだけ残っているように見えた。
淡い輝きが、どこまでも現実的で美しい。
正しいか、間違っているか、じゃない。それぞれの場所に、それぞれの正しさがあって。
そのどれを選ぶか、っていうだけのことなんだ。たくさんある正しさのなかから、自分がいちばん信じられるものを、ひとつ見つけられたなら。それでいいんだと思う。
というより、人にできることなんてたぶんそれくらいしかない。
最後まで、ちゃんと考えることができてよかった。仮にこのあと、誰もついてきてくれなくて、僕ひとりで向かうことになったとしても。この時間は、きっと無駄じゃなかった。
そうして僕は、もう一度、みんなとまっすぐに向き合った。
もはや話し合いじゃない。意見の表明がはじまる。
まずは、飯田くんだった。
ビシッと手を挙げる。僕の話をひととおり聞いたあとでも、その勢いはちっとも失われていない。
「調査の必要性については、正直、僕の盲点だった。そこは確かに、緑谷くんの言うとおりだ」
いったん認めてから、彼はまっすぐ続ける。
「だが、それは、何もすぐに僕たちだけで突っ込んでいかなければならない、という話とは限らないだろう。たしかに、今まさにピンチの可能性もある。けれど、もしそうでなかったら? もっと時間をかけて丁寧に調べていけば、うまくいくことだってあるはずだ。今回がどちらなのかは、僕にもわからない。だが歴史を振り返れば、トラブルの多くは、雑に急いでしまったからこそ起きた事故だろう」
手刀が、空気を区切るように動く。
「歴史を学べば人間の直感や衝動は、残念ながら平和を生み出してこなかった。だからこそ僕らは、もっと謙虚に生きるべきなんだと思う。……世界に正式に認められた、調査チームを立ち上げよう。あの世界樹のことを知りたいと思っている人間は、本当はたくさんいる。だったら、これ以上あの樹への神聖視が進んでしまう前に、きちんと調べはじめればいい」
声が、少しずつ熱を帯びていく。
「今のあの魔境に、たった少人数で突っ込んでいくなんて。どう考えたって、おかしいんだ!」
「……飯田くん。ありがとう」
僕は、心からそう言った。
「本気で言ってくれてるの、わかるよ。昨日からずっと、僕は飯田くんに助けられてばかりだ。……確かに、こんなに急ぐ理由を、僕はうまく説明できない。これは結局、僕の直感でしかないから。でも、急がなきゃいけないって思ってるのに、思ってないふりをするのは、できないんだ」
ひとつ、はっきりと告げる。
「僕は、一週間後を目処に、淡輝くんのところへ行こうと思ってる」
「……では、残念だ」
飯田くんは、目を伏せた。
「僕は、それに協力は、できない」
そこまで、みんなは静かに聞いていた。その沈黙へ、横から噛みついたのが、かっちゃんだ。
「もったいぶった言い方してんじゃねえぞ、角メガネ」
低く吐き捨てる。
「速さが売りじゃねえのか。クソメガネ呼びに、戻してやろうか」
「爆豪、なんだってんだよ。流石に脈絡のない暴言すぎるぞ」
切島くんが、おろおろと割って入ろうとする。
「黙ってろや。このバカの提案への返事は、三つしかねえんだよ」
かっちゃんは、切島くんを無視して指を立てた。
「協力か。傍観か。妨害か。どんだけ立派な御託を並べようが、結局はそのどれかだ。それ以外はありえねえ。……で、お前はどれだってんだ。ハッキリしろや」
飯田くんは、口を真一文字に結んで、下唇を噛みしめていた。
彼の理屈をそのまま延ばせば、答えは妨害になるはずだ。無理矢理にでも、僕を止めるべきだという結論に。けれど、彼のなかの友情が、それだけはしたくないと暴れているのがわかる。いや、むしろ、本当の友情というのは、こういうときこそ力ずくで止めることなんじゃないか。たぶん飯田くんは、そのあいだで、ぎりぎりまで揺れている。
「僕は……僕らは……!!!」
絞り出しかけて、彼はいったん言葉を呑み込んだ。
「……静観、させてもらう」
長い息とともに、飯田くんはそう言った。
「悪いが、僕が動けない理由は、さっき話したとおりだ。それは、何ひとつ変わらない。調査というかたちでなら、と思う気持ちはある。だが、君のそのスピードは……どう考えても、危険すぎる」
誰よりも速く動ける男が、待て、とブレーキを踏む。
その事実には、たぶん、僕が思うよりずっと大きな意味があった。
僕は、深くうなずいた。
これを、説得しようなんて思っちゃいけない。そもそも僕にはできないし、したいとも思わない。なんなら僕は今でも、飯田くんの言うことのほうが正しいんだと、どこかで思っているくらいなのだから。
次に口を開いたのは、切島くんだった。
「緑谷。俺はさ、みんなみたいに難しいことは、正直よくわかんねえんだ。けど、これでも俺なりに、いろいろ考えたんだぜ」
頭をがしがしと掻きながら、彼は言葉を探していく。
「何をしたら、どうなるのか。その責任がどうとか言われたら、マジで、まるでわかんねえ。……でも、わかんねえからって、投げ出すこともできねえ。そいつは、俺にとっても友達だったんだろ。だったら、本気で考えなきゃ、漢じゃねえ」
それから、切島くんは少しだけ目を伏せた。
「それで、いちばん考えたのはさ。もし俺が、そいつの立場だったら、どうしてほしいか、ってことだった」
「そいつ本人のことは、俺にはわかんねえから、結局は俺の考えになっちまうんだけどよ。……やっぱり俺なら、自分ひとりが何かを受け止めて、それでみんなが幸せになれるってんなら、迷わずそれをやると思う」
拳を、ゆっくり握りしめる。
「もちろん、誰かが身体を張って、別の誰かを庇おうとするなら。俺はその上から、さらに覆いかぶさって、まとめて守りてえ。そういう個性だし、そういうヒーローでありてえからな。……でもさ。気づいちまったんだ。自分の上に覆いかぶさって守ってくれてるやつに、やめろ、なんて、俺は言えねえんじゃねえかって」
声が、だんだん静かになっていく。
「だから、俺は。お前に、やれとも、やるなとも、言えねえ」
切島くんは、まっすぐ僕を見た。
「昔の、漢気ってもんを勘違いしてた俺だったらさ。たぶん、俺も行くって、迷わず言ってたと思う。けど……淡輝、だっけ。そいつの漢気を、黙って立ててやるってのも。それもまた、ひとつの漢の道なんじゃねえかって、今は思うんだ」
そこで一度、息をついて。
「そんかわり、ひとつだけハッキリわかったことがある。やっぱり、この世界樹のなんでも解決しちまう状態は、どう考えてもおかしい」
顔を上げた切島くんの目に、いつもの熱が戻っていた。
「あれは、いつか前触れもなく、唐突に消えちまうかもしれねえ。だったら俺は、いつそうなったって平気なように、誰よりも強く生きる。その姿を見せて憧れてもらう!……それが、俺の答えだ!」
どちらかに振れるだろうと思っていた切島くんは『傍観』という選択を選ぶ。
悔しいだろう。体は無意識に硬化して、食いしばって握り拳は固く閉じられていた。
お互いに、悔いはない。それでも、かつて同じ場所で笑い合った仲間に寄り添えないまま、ここで袂を分かつというのは。やっぱり、決して居心地のいいものじゃなかった。
これまで味わったことのない種類の、重たい空気。それを真っ二つに引き裂くみたいにして、凛とした声が響いた。
「私は、協力いたします」
八百万さんが、まっすぐに言い切った。
「理由は、ごく個人的なことですので、控えさせていただきますわ。リスクも、すべて承知のうえです。なんなら、私ひとりででも向かいたいくらい。ただ、緑谷さんの突破力だけは、私にはどうしても真似できないものですから。……ぜひ、ご一緒させてくださいな」
「え、本当に……?」
正直、いちばん強く止められるだろうと思っていた人が、まるきり逆のほうへ振れている。状況に、理解がうまく追いつかなかった。
「ハッ。漢気自慢のバカと、一家の大黒柱が、揃ってグダグダ言ってる横でよ」
かっちゃんが、鼻で笑う。
「お前がいちばん、男らしいじゃねえか」
「ふふ。最近は、ポニーテールもしておりませんものね。爆豪さん、私の呼び方に困っていらしたでしょう。……それなら、こちらではいかがです?」
言うが早いか、八百万さんの髪が、ひとりでにするりと結い上がってポニーテールの形になった。手なんて、一切使っていない。創造の個性だ。彼女はそれを、わざとらしくかっちゃんのほうへ見せびらかしている。
昔の八百万さんは、こんな挑発、絶対にしない人だった。そもそも、八百万さんがかっちゃんをからかう光景なんて、僕には想像もつかない。
「くだらねえことすんなや。ドラえもん女」
「版権に引っかかる呼び方を、あなたがメディアでも平気で口にするから、わざわざこう申し上げているんですの! ポニテでも、ポニーテールのなんとかでも、もう何でも構いませんから。猫型ロボットだけは、おやめくださいまし!」
そうして笑っている八百万さんは、どこにも気負いがなくて、ただ自然体だった。今くだした決断は、彼女にとって、とんでもなく重たいもののはずなのに。それなのに、まるでいつもどおりなのだ。
「八百万さん……」
「あら、緑谷さん」
僕の言いかけた声を、彼女はやわらかく、けれどきっぱりと押し戻した。
「これ以上は、無粋というものですよ。私は私なりにできるかぎりの最善を尽くして、考えて、考えて、それから結論を出しました。この意思は、尊重していただけると信じていますわ」
その、とおりだ。
不安のあまり口から出かかっていた言葉を、僕はどうにか飲み込んだ。あとは自分のなかで、ちゃんと消化するしかない。
残るは、かっちゃんだった。
たぶん彼は、最初からとっくに答えを決めていて。だからこそ、まごついている全員を、さっきからずっと急かしていたんだろう。
その横顔には、迷いなんて、ひとかけらもない。もう全部、考え終わったあとの顔だ。
昔と何ひとつ変わらない、迷いのない足どりで前に進もうとするその姿に、僕はまた、泣きそうになってしまった。
「俺は、『妨害』だ。当たり前だろうが、ゴミカスども」
吐き捨てるように、かっちゃんが言う。
「自分優先で、法令無視で、人命軽視。先のことを何ひとつ考えねえバカのことを、この世界じゃ、なんて呼ぶか知ってるか?」
ぎろりと、こちらを睨む。
「俺みてえなクソ野郎のことを、ヴィランってんだよ」
その瞬間、かっちゃんの姿が、ふっと視界から消えた。
起きてからこのかた、ただの一度も反応しなかった危機感知が、初めて、けたたましく鳴る。致命的な一撃が来る。考えるより先に、黒鞭が反射で伸びていた。
伸ばした鞭で地面を引っ掴んで、自分の体を無理やり地面のほうへ叩きつけるみたいにして、僕はそれを避ける。
頭のあった場所を、大ぶりの右が薙いでいった。
かっちゃんの腕が振り抜かれたあとには、七色の細かな煌めきが、ちかちかと宙に瞬いている。星雲のような光に目が奪われかけるが、即座に閉じた。
そして、それを追いかけるみたいに、爆破が遅れて襲いかかってきた。
「よりにもよって、
爆煙の向こうから、低い声が突き刺さる。
そこにいるのは、怒れるヒーローにしか見えなかった。
彼の目にはヴィランとして宣言した二人しか映っていない。
そうだ。今更何言ってるんだ。こうなって当たり前じゃないか!
八百万さんと僕は、ヒーローと対峙する選択をしたのだから。