南極の沖合50キロ。かつて世界を巡って人を助け続けた太陽の船が、今は世界樹が根ざす鉢植えのようになっている。
人類の礎になった人工島は、世界を支え動けなくなった亀のようだった。
枝は雲を突き抜けて、どこまで伸びているのか見えない。光る幹を中心に、海そのものが渦を巻いている。
その光へ向かって、人類の最後の艦隊が、ゆっくりと進んでいた。
船は、船の速さでしか進めない。けれど止まらない。一日進めば一日ぶん、マップの上の青が、こちらの色に塗り替わっていく。ミサイル巡洋艦が水平線を埋め、ドローン空母が甲板から黒い群れを吐き出す。どこの国も持て余していた無駄飯ぐらいの鉄塊が、今しかないとその本領を発揮していく。
撃つ場所のなかった砲が、撃つべき方角をやっと見つけ歓喜の叫びのように炎を吐き出す。
集合に間に合わなかった戦力も、後から次々に追いついてくる。遅れて来た艦が、隊列の尻にそっと加わる。
作戦は、非常に単純なものだ。
上陸作戦など大して工夫を凝らすことはできない。まずは海上を切り拓き、地上の戦力を排除してどうにか陸に上がるだけだ。
まず地上の戦力を岸へ叩きつけて、怪獣に戦わせる。世界樹は数日に一度、敵を吐き出して、こちらの戦い方に体を作り替えてくる。その更新の合間を狙う。
地上戦闘に適応しきった怪物が生まれてくる隙に、突入部隊が空から潜り込んで、調査を終えて引き上げる。確実に人は死ぬ。そこには頼れる大人たちの冷たい計算がある。子供はそんな大人の損得の上で夢を語るのだ。
海岸に湧いた怪獣の群れを、艦隊が放ったミサイルが一斉に薙ぎ払う。夜を昼に変えるような業火が海岸を塗り替えた。
時代遅れの主砲の閃光すら止まらない。巨大な異形の輪郭を、肉の塊ごと吹き飛ばしていく。海の向こうから歩いてくる山みたいな影に、何百という弾が突き刺さる。スクリーン越しに見ていた誰かが、これじゃ怪獣映画だ、それこそハリウッドに出てきそうな言い方で笑う。
火と鉄と、それを浴びて崩れる巨体。人類が積み上げてきた暴力の総決算が、進路を一本、こじ開けていく。
人類の火力というのはそれはもう過剰なまでのものであり、最初に海上が一掃され、数時間後には海岸付近が一掃される。一日が過ぎる頃には上陸作戦が始まった。
海岸に取りついた近代兵器が、波打ち際を端から焼き払う。橋頭堡が築かれ、そこへ対空兵器が次々と運び込まれていく。空路こそが本命であり、その突入を守る足場がここなのだ。
二日目までは、こちらが押していた。確実に、重く、一歩ずつ。
しかし、今や不必要とされていた兵器群である。その上、各国政府が全面支援をしているわけでもない。撃ち続けられるほどの量はない。火力が尽きはじめると、途端に潮目が変わった。
撃ち尽くした砲は、ただの鉄の筒に戻る。押す力を緩めた分だけ、世界樹から溢れる異形たちが押し返してくる。
やがて個性を使った白兵戦が始まった。こちらも最初は人類が優勢だった。けれど人間は機械よりも疲弊が早い。水を飲まなくてはいけない。飯を食べなくてはいけない。腕が上がらなくなり、息が続かなくなる。怪我をしたらすぐには治らない。
それが人間の限界だった。
崩れていくのは、世界樹に頼った戦い方に慣れたヒーローからだった。
傷が当日のうちに消える戦場で、命を惜しまず動く癖がついた者たち。その加護のない最果てで、彼らは自分の体の重さを思い出す。一度負った傷が、もう二度と治らないことを、肉で知る。
これまでは四肢を失っても冷静でいた者たちが叫び出す。
それでも戦線はしばらく拮抗した。ここにいるのは覚悟をした者たちが大半だったからだ。
互角の押し合いが、何時間も続き、まだなのかと絶望感が募り始めた頃。
戦線が崩れ落ちていく。
適応した怪獣が投入された戦場で人類は決して抗えない。。
拮抗は一瞬で崩れ、絶望的な撤退戦が始まる。次々と人が倒れていく。逃げようにも、相手の数が多すぎた。巨体の怪獣はむしろ少なくて、代わりに細かな異形が、砂浜を埋め尽くすほど湧いて出ていた。一体を倒すあいだに、三体が背後に回る。そういう数の暴力だった。
個性も技能も覚悟も、数の前には無力であると、血が舞うごとに地面へと描かれた赤い軌跡が証明していく。
ロートルのヒーロー。先日緑谷出久と食を共にした男も、その中にいた。
深紅のマントを血で重くしながら、死にかけの体で、それでも拳を振りつづけている。傷が治らない世界で、彼は一秒ごとに削られていた。やがて膝が沈み、男は仰向けに倒れる。
空を、見上げた。
「ああ、クソ。綺麗なお空も見えやしねえ」
そこにあるのは荘厳な世界樹の輝きだ。太陽の光も届いているが、増幅されたり抑制されたりと最適化された光なんてクソ喰らえである。
俺はただ、昔の空が好きだっただけ。それだけでここまで来てしまったのかもしれない。
もう体が動かない。映画みたいに最後は大して好きでもないタバコでも吸おうと思っていたのに、それすらできなかった。
異形たちが迫る音が遠い。でもすぐそこにいるのだろう。
「クソッタレが……」
最後の言葉がこれかよと、自嘲したその時に。光る枝の隙間から黒い翼の鳥を見た。
次の瞬間に光が注ぎ、異形たちは消し飛んだ。
それは鳥ではない。低く滑り込んできたステルス機の影が、岸辺をレーザーで薙いで、群がる異形を端から焼き切る。そのまま機首を持ち上げて、海岸の奥へ爆弾を吐き出した。地面が裂け、敵の中央が炎の柱に呑まれる。
その爆撃機の上に、人影が立っていた。
倒れた男には、それが誰か、すぐにわかった。さっきまで隣で飯を食っていた、あの変なガキ。緑の髪を風になびかせて、次の戦場へ向かう背中が、黒い翼の上にあった。
もう声すら出せない、それでも口だけが、形を作る。
頼んだぞ、デク。お前は、俺らほど古いわけじゃないんだろうよ。
古い時代が、新しい時代へ、そっと荷物を渡していく。流れ出る血がそれを教えてくれるのだ。
血の継承はこんな距離でもできるのだった。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
最精鋭だけを乗せた編隊が、雲を裂いて舞い降りる。
空中に適応した複数の怪物が行く手を塞ぐ。けれど選び抜かれたヒーローの前では、障害の名にすら届かない。爆破。衝撃波。それ以前に、随伴する戦闘機が全力の火力をばら撒いていく。翼竜じみた異形が、鳥の形をした怪物が、空中で千切れて飛び散る。羽根と肉片が雨になって海へ落ちる。
防衛線を切り裂き、奥へ。さらに奥へ。
その時だった。海面が膨れ上がる。盛り上がった水の山を割って、巨影が、ゆっくりと首をもたげた。喉の奥に光が灯る。胸郭の内側が青白く透けて、その熱が顎へ駆け上がっていく。吐き出された。一本の線が水平線まで一瞬で伸びて、通り道の空気が裂ける。
異常な熱が海面を叩けば、それ自体が爆弾となってくれるらしい。
大量の蒸気が消えたあと、艦隊の旗艦があった場所には、何もなかった。海面に船の影だけが焼きついて、ぶすぶすと煙を上げている。
それでも、誰も足を止めない。振り返らない。
平和をかなぐり捨てて、全員が戦いへ身を投げていく。火の中へ、迷わず入っていく人々。怪物たちの群れと、死にたがりたちが正面からぶつかる。
もう止められない。人は、命を使い潰すことをやめられない。戦いつづける悦びが、体のいちばん奥に刻まれてしまっているから。
頭上で、輸送ガンシップの腹が開いた。
八メートルはある巨大なACが、三機。係留を断ち切られて、続けざまに虚空へ落ちていく。落下しながら手足を広げ、ブースターで姿勢を立て直す。
ゴジラのような怪獣と、それを囲む防御網。その壁を突き破るための三本の矢が放たれた。
先頭を切り拓く一機目が、加速しながら、背負ったミサイルポッドから垂直に数十発の光を空へ撃ち上げる。煙の柱が無数に立った直後、その煙が、薙ぐようにして横へ散らされる。怪物の口から放たれた光の奔流に、機体ごと飲まれた。装甲が白に灼けて、輪郭から溶け落ちていく。
しかし、その寸前。抱えていた大きなカプセルを、投擲している。武器を放るような乱暴さはない。ふわりと受け渡すような、直前に無数の殺戮の炎を打ち上げた鉄の塊には似合わない、優しい動作だった。
まるでバトンだった。後方の一機が、握っていた武装をひとつ捨ててでも、その手を空けて受け取る。
残る二機が壁を越えた。ブースターに火を入れ加速して奥へ迫る。背後で一機目だった鉄屑が落ちる音がした。振り返る機体は当然ない。
怪獣まであと少し。その足元の地面が、内側から押し割られた。
そこには30mはあろうかという双頭のサイのような怪獣が、砂と岩を撥ね飛ばして突き上がる。
二つの首が同時にこちらを向いた。怪獣は近接攻撃だけでなく個性のような能力を複数持っていてショットガンめいた指向性の一撃が、至近で炸裂する。展開していたシールドが甲高い悲鳴を上げて砕け、そのまま一機の左腕が、肩の付け根から吹き飛んだ。
片腕になっても、止まらない。残った腕のガトリングを、双頭の面へ浴びせつづける。光が糸のように相手と結び、薬莢が滝になって零れ落ちる。
だが、サイの角から音もなく光の波が走った。カプセルを抱えていたほうのACが、胴の真ん中から砕ける。カプセルだけが、壊れる寸前にもう片方の手で庇われて、無傷のままそこに残された。
その隙に、ガトリング機が懐へ飛び込んだ。
自分よりはるかに巨大な怪獣と、正面からぶつかり合う。双頭の中心の、骨の盛り上がった一点へ、装甲の肩を押し当てる。ゼロ距離で、銃身が赤熱して溶けはじめるまで撃ちつづける。
ブースターは壊れる寸前まで炎を噴き、押されるどころか、巨体をじりじりと押し返していく。鉄の足が地へとめり込み、それでも一歩前へ出た。
『ターゲット情報更新。フェーズ3、パターンE』
無機質な通信が、戦場の喧騒に落ちる。
動かなくなった巨体の脇から、カプセルを拾い上げる。ガトリングを手放した。重さになるものを、すべて捨てる。最後の加速だけに、残った炎をぜんぶ回す。突破すべき巨獣がこちらを向いて顎を開く。喉の奥にまた光が灯りはじめる。その咆哮の予兆へ正面から突っ込みながら、ACはカプセルを、世界樹の方角へ高く投げ放った。
放たれた衝撃と光が、機体を完全に砕いた。
それでもだ。上半身だけになったACは、千切れた胴から火花を撒き散らしながら、怪獣へ向かって加速をやめない。最後に、胸の奥から緑の光をひとつ残して、自爆した。
閃光が、巨獣の横顔をまっすぐ照らし溶かし尽くす。白に染まる世界。そして。
残骸たちを後にした空中で、カプセルが花のように開く。
弾けた殻の中から、ヒーローたちが躍り出る。
誰よりも目標へ肉薄している。なのに、誰の顔にも笑みはなかった。
彼らが死ぬことにこそ、人類が生き延びる価値がある。そう言われているような気がしてならない。人が、死にすぎた。
自分たちのせいだと思うのは傲慢だと、頭ではわかっている。それでも、そう感じずにはいられなかった。
ただ一人だけ。オールマイトだけが壮絶に笑っていた。
口の端から血をこぼし、それを噛み殺しながら。
それでも、笑う。
「もう大丈夫。私が来たぞ、狩峰少年」