怪獣は、人を喰う。
それはこの世界の新しい常識だった。誰が最初に言い出したわけでもない。昔の映画からコミックから、イメージがそういうものになっていて誰も疑問には思わない。
冷静に考えれば体長50メートルにもなる巨体が、人ひとりを飲み込んだところで、腹の足しになるはずがない。米粒を一粒つまんで空腹を満たそうとするようなものだ。それでも怪獣は、そうする。特定の人口密集地を選んで現れては、街を踏み潰し、逃げ惑う人間を口に運ぶ。栄養のためではない。もっと別の、飢えとは違う何かがそうさせている。
その性質が、どこから来て、どうやって体に刻まれているのか。それを知る者は、世界に一人もいなかった。
解明することそのものが、今回の調査の目的のひとつでもある。世界樹の根元から湧いた異形は、まず互いを喰らい合う。そうして一定以上の大きさに育つと、示し合わせたように世界へ向けて歩き出す。わかっているのは、その程度だった。
衛星が拾い集めたデータで、僕たちはその生態を把握したつもりでいた。けれど、こうして足を踏み入れてみるとわかる。
画面の向こうから眺めることと、同じ空気を吸うことのあいだには、埋めようのない距離がある。やはり、実際に見ることには価値がある。それも、覚悟していたものとは別の意味で。
世界樹の根元。かつて雄英国際組織の街だった一帯が、目の前に広がっていた。
見覚えのある通りの形。記憶に焼きついた建物の輪郭。懐かしさが、胸のどこかをそっと押してくる。それと同時に、その懐かしさが、もう戻らないものだと痛感させられる。
街並みは残っていた。けれど、街ではなくなっていた。骨格だけを留めて、中身をすべて別のものに入れ替えられた抜け殻だった。
中枢に近づくほど、様子が変わっていく。
旧制御塔。今は世界樹の幹そのものになっているそのエリアの周りには、小さな異形がひしめいていた。
彼らは、殺し合っていた。
理由も、憎しみも見えない。ただ暴力をぶつけ合って、勝ったほうが負けたほうを喰らう。弱肉強食という不自然な自然がそこにある。
それだけの単純な営みが、そこら中で同時に起きている。喰らうことで、相手の特徴を奪い取るらしい。硬い皮を持つものを飲み込んだ個体は、次の瞬間には自分の背にも同じ鱗を生やしている。速く動く手足を喰った個体は、その脚をもぎ取って、自分の胴へ継ぎ足していく。奪い、継ぎ足し、ほんの少しだけ体を大きくする。それを、際限なく繰り返している。
一体が、別の一体の顎に横腹を噛み裂かれた。悲鳴とも呼べない、空気が漏れるだけの音を立てて、内側から別の腕が突き出してくる。喰われかけたほうが、喰おうとしたほうの喉を、その新しい腕で貫いた。
二体はもつれ合ったまま地面を転がり、どちらがどちらを飲み込んだのか、途中からわからなくなる。やがて立ち上がった一体は、さっきまで二体だったぶんの質量を、ひとつの歪な体に押し込めていた。継ぎ目からは、まだ湯気の立つ肉がはみ出している。
それが、あちこちで起きている。無数に。静かに。
「周辺状況が、衛星画像とまるで違います。あのデータは、やはり改竄されていましたわ」
八百万さんの声が、わずかに上ずっていた。手元の端末と、目の前の光景を、何度も見比べている。
文字に起こせば、同じ記述になるのかもしれない。異形が、互いを喰らい、大きくなる。その行動は事前のデータとも一致する。けれど、そこにいる異形の中身が、根本から違っていた。
世界樹は人類に渡す情報を、丁寧に加工していたのだろう。当然だ。これをそのまま見せるわけにはいかない。
「ハッ。ありきたりすぎんだろうが」
かっちゃんが、鼻を鳴らす。
「怪物の正体は人間でした、なんてよ。今さら流行らねえぞ」
目の前で殺し合い、喰らい合っている異形の群れ。その一体一体が、かつて人の形をしていたものだった。
街で暴れ回る、人だったものたちの群れ。むき出しの脳を晒し、繋ぎ合わされた四肢を引きずって蠢く姿には、見覚えがあった。かつてオール・フォー・ワンが従えていた改造人間。脳無と呼ばれた、あの怪人たち。それと似たものが、視界を埋め尽くすほど、ひしめいていた。
一体が、隣の一体の頭蓋に指をねじ込む。剥き出しの脳を掴み出して、口へ押し込む。飲み込んだ側の額が、みし、と音を立てて割れ、そこから新しい眼球がひとつ、迫り出してきた。
奪われたほうは、頭を失ってなお倒れず、残った腕で相手の脚に噛みついている。喰われながら、喰おうとする。勝敗も、終わりも、そこにはなかった。ただ、より大きくなろうとする意志だけが、肉の形をして這い回っている。
かつて人だったものが、人だったものを喰らって、人ではない何かへと少しずつ育っていく。
その光景を、僕は目をそらさずに見ていた。獣のように吠え。互いを殺し、そして喰らい合う。
それだけではない。あまりに体の構造が普通とは違っていて気づくのに遅れたが、あれはきっと食っているだけではない。
言ってしまえば交尾だと思う。あるものは何かに覆い被さり、喰らいながら腰を動かし。そしてあるものは相手に乗ってマウントで殴りながら吸い上げて何かを満たしている。
彼らを見てゾッとするのはなぜなのか。
凄惨な殺戮と共食い。陵辱の場面だからか。いいや違う。この光景を直接見れば、今までの異常が少しだけ納得してしまったから。
ここに至って、それに気づかない鈍感なヒーローは一人もいなかった。
「もしかして、人間から攻撃性や食欲や性欲を消したわけじゃなく……」
「ええ、おそらく現人類からそれらの衝動を抜き取って、彼らに押し付けていると見るのが適切かと思います。その辺りの遺伝子に変化はないと調査されていましたが、明らかに個性による現象ですわ。これは……言葉になりませんわね」
率直に言って地獄だった。
何よりも吐き気を催すのは、互いがどれだけ傷つこうとも殺し合う彼らが笑っていることだった。
「怪獣たちに痛覚がないことはわかっています。おそらく攻撃性を満足できれば、それで満足なのでしょう。互いを喰らいあって腹を満たし、犯しあって満たそうとしている。それを同時に行なって最後まで残った者が怪物となって、私たちの元までやってくる。人の克服するべき悪を煮詰めたような光景です。怪人、いえ。異人とでも呼ぶべきでしょうか」
殺し合い、喰らい合い、犯し合うことに幸福を感じる生物がいたとして、彼らからそれを奪うことは幸せの侵害になるのだろうか。
麗日さんはショックを受けた八百万さんを支えている。
そしてトガさんは、いつも通りに能天気に。ニヤリと笑って話し始める。人が嫌がるところをプスリと刺したくなったのだろう。
「それはどうなんです?今時の平和な新しい人たちよりも、あっちの方が人の本質っぽいですけど。純粋で楽しそうです。子供みたいにはしゃいでるように私は見えますケド」
トガさんはいつも新しい視点をくれる。戦慄するヒーローたちとは異なる視点がここまで来てくれたことには感謝をしないといけない。
「異人っていうのは、見方がヒーローすぎますよ。『真人・脳無』淡輝くんならそんな風に名前つけると思います。理性を失って本能だけでやり合うなんて、やっぱりいい趣味してますね。淡輝くんが本当にここにいるだって匂いがしてます」
白目を剥くほどの興奮を隠さないトガさんは、地獄を前にして肯定的だ。カケラも物怖じしておらず、刃物を手で弄んでいる。
「渡我少女。その辺にしようか。ここにはピクニックに来たわけじゃあないだろう?」
オールマイトはその体から熱気を感じるほどに、激情を溜め込んでいる。それでも、彼はブレていない。
「ここからは別行動だ。少年少女たち。おっとすまない。こんな呼び方になってしまうが、私から見ればまだ守ってあげたくなる気持ちもある。でももう、ヒヨッコとも言えないな。立派なその翼を頼りにしているってところあ、行動で示すとしよう」
攻撃的な本能によって怪物たちは動いており、より強いものと戦って喰らうことが行動原理になっているのは事前の調査と変わりない。つまりはオールマイトという存在は彼らにとって最高の餌に見えるのだ。
両手を打てば、まるで爆弾が破裂したかのような音が鳴る。
空気の震えは一瞬で広がり、地獄が一瞬だけ止まる。
「聞けば、狩峰少年も緑谷少年に負けないくらいの私のファンだったと言うじゃないか。それなら、無視できるわけもないだろうってね」
人々が本能的にそちらを見て、口をひらく。発声気管がない個体でも同じように口を動かしている。
「オールマイト」「おーるまい、と」「all might」
その本能に刻まれた執着は、どう足掻いてもなかったことにはできない。
なぜなら彼らの母体。世界樹を構成する三つのうち、二つがそうなのだ。
「おおおおおおおおるぅぅう!マイトぉぉおおおおおおお」
「さぁ!かかってこいよ!オールフォーワン!!私が、来たんだぜ!!!!」
人波がたった一つを求めて駆け出した。
オールフォーワンと狩峰淡輝は、共通してオールマイトに執着している。それも異常なほどに。
世界樹において二人の支持を得るということはつまり、そちらに傾くということだ。
「過半数が取れたようでよかった!私のスマイルも、まだ捨てたもんじゃあないな!」
「オールマイト!」
創造によって、全員が一つの球体に包まれる。どこからどう見ても翼には見えないが、これでいい。
そして、次に起こるのはオールマイトの英雄的投擲である。
「新世界でもヒーローのやることは変わらない!
先ほどACが投げた初速よりも、はるかに速い速度で本命を入れたボールは投げられた。これが個性把握テストなら、5000m級の記録だったろう。
投げた直後に、黒い津波のような群れに飲まれる。
「ファンサもいいけど、過度なお触りは遠慮してもらおうか!子供も見ているんで、ね!!!」
両手を広げ、回転するダブルラリアットを決めればそこに竜巻が起きる。
その爆風にも飛ばされない、すでに十分に成長した脳無が四体迫ってくる。
「人類の攻撃性なら、昔みたいに全部私にぶつければいい。笑顔で倒してやろうじゃあないか」
平和の代償をようやく見つけて口角が上がる。
ここだ。私はここに来たかった。彼らの思いを受け止めてやりたかった。
残った四体の中で最も強いのはあれだ。5mはあろうかという、八面六臂の異形。
それがこちらに躍りかかろうというその寸前に、それは起きた。
自分とも、十分に殴り合えるであろうその脅威が上から圧されて潰された。
巨大な手に潰されたように見えるが、その巨腕はすぐにかき消えた。
スタリと、余計な破壊もなしにそれは着地した。
その怪物は、2mに満たない。
まるでスーツに身を纏っているようだった。特徴的な甲殻と鱗の模様がそう見えるのだろう。光沢のある輝きが、衣服ではないと主張していた。
「瞬発力」「筋骨発条化」「瞬発力」「膂力増強」「増殖」「瞬発力」「肥大化」「膂力増強」「瞬発力」「鋲」「瞬発力」「エアウォーク」「膂力増強」「槍骨」
そう言えば、先ほどの暴力を為した腕がそこに現れる。成人男性から巨人の右腕が生えているような。ひどく歪なその形はこれまでとも違う異形である。
「やぁ。……オールマイト、古き友よ。僕も来たぞ……。僕がいる。僕が……」
その顔は人の形ではなく、何かが覆うような鎧のような黒いもので覆われている。呼吸器に問題はないだろうに、管まで再現されていた。
「オールフォーワンが最も色濃く出ている個体。どんな姿かと思えば、その格好なのか」
「何を言ってる?僕は、ずっとこうさ。あぁ。元々こうだった気がする。馴染むなぁ」
きっとオールフォーワンのように触っただけでは個性は奪えない。彼もまた怪獣の一種であるのなら、他者を喰らわないといけないのだ。
左腕も肥大化し、そしてその先に竜のような顎が生まれた。
「弟を返せ!!!喰らわせろ!異常者ぁ!!」
「おかしいのは、お互い様、だろうに!」
英雄と怪物はその拳をぶつけ合う。人類の暴力によって拓かれたこの道。その最果てで、その粋を衝突させるのだった。