少し離れたところで、オールマイトが全力を奮っている。
それは世界を揺らし続けていて、敵にもそれを引き出すだけのポテンシャルがあったという脅威を同時に示している。そんな存在がいる時点で彼がいなければ詰んでいただろう。
それこそスターアンドストライプでもいない限りは。
世界樹を破壊するだけであれば、きっと彼女ならできる。その破壊力は際限がなくあれほどの超存在であっても容易ですらあるだろう。
けれど、それは決してできない。彼女には守りたいものが多すぎて、それは世界樹と深いところで繋がってしまっている。ユナイテッドステイツという大国は、その巨体ゆえに新たなインフラを手放せない。
つまりは、やれる者たちがやれることをやるしかない。
かつて世界で最も先端を走っていた街を、僕たちは散開しながら進んでいた。
いいや、今もそうかもしれない。これこそが人類の
人類から血塗れの闘争を奪うことはできない。少し偏らせるだけで、こうなるというのは驚きしかないけれど。そんな新天地においてもヒーローの動きは変わらない。
八百万さんからは、絶えず金属が生まれ続けている。体のいたるところから鋼が湧き、レーダーの円盤が回り始め、その傍らに砲身が据えられる。
一部の装甲が肩と胴を覆い、最低限の守りを保証した。強化外骨格に守られた美女が砲を背負っている姿はACというよりも、100年以上前から定番になっているソーシャルゲームのキャラクターのような姿とも言える。
索敵のためのレーダーはしきりに動いて何かを拾っている。彼女のHUDには様々な情報が流れ込んでいるはずだが、それが何を意味するのか八百万さんはまだ口にしない。
その横にいる麗日さんは口を閉ざしていた。先を見つめたまま、何かを胸の内で組み立てている。手にした長い棒の先端には、彼女の指先と同じ働きが移されている。無重力を付与する肉球、それを間合いのぶんだけ延長する武器だ。
トガさんは赤いカプセルをいくつも掌で転がしていた。硝子玉を弄ぶ子供のように、指の間で鳴らしては、光にかざす。楽しそうだった。
かっちゃんはオールマイトの激戦の余波を睨んでいた。抉れた地面、まだ湯気を立てる肉の残骸、遠ざかっていく黒い人波。その一つひとつから敵の総量を割り出しているのがわかる。数を数え終えた瞬間、舌打ちが漏れた。
僕にもわかる。危機感知があのオールマイトの危険を訴えている。
でも僕はもう迷っていない。それはもう、十分すぎるだけやってきた。
「行こう」
声をかけて、走り出した。
それが合図になっていたのか、予兆を感じ取って声が出たのかはわからない。
地面が盛り上がって、そこから腕が生えてくる。
1本ではない。掌が土を掻き、肘が突き出し、遅れて頭が持ち上がってくる。剥き出しの脳を晒したものが、継ぎ接ぎの脚で次々と立ち上がっていった。オールマイトが引きつけた本命ほどの密度はない。それでも数えるのをやめたくなる程度には湧いている。
先頭の1体が、僕の喉笛めがけて跳んだ。
考えるより先に体が沈む。ワン・フォー・オールが背骨を駆け上がり、視界の縁が緑に灼けた。踏み込んだ足で地面を陥没させ、掬い上げた拳が異形の顎を下から砕く。頭を潰しても止まらないのは、もう知っていた。こいつらに痛覚はない。だから壊し方を変える。黒鞭を手首から撃ち出して胴を縛り上げ、地面へ叩き伏せ、動かなくなるまで踏みつけた。
顔を上げれば、次の3体が横合いから雪崩れ込んでくるところだ。
「そちらは通しませんわ」
八百万さんの声と重なって、砲声が鼓膜を叩く。掌から生み落とされたばかりの砲身が、白い火線を横薙ぎに吐いた。3体が腰から上を持っていかれ、崩れながらも互いに掴みかかって、喰らい合ってひとつに潰れる。
その塊がまた立ち上がろうとするのを、2射目が根こそぎ薙ぎ払った。彼女の背後ではレーダーの円盤が回り続けている。
「デクくん!」
咄嗟に背後からの一撃を確信を持って避ける。麗日さんの棒が、僕の肩越しに突き出された。
先端が異形の胸に触れた瞬間、そいつは直感に反する形で飛んでいく。
足が地を離れ、藻掻く手が虚しく空を掻く。彼女は棒を返して、叩いた数だけ頭上へ押し流す。無重力を強制する一突き。範囲型の無重力もすごかったけれど、付与型は以前よりはるかに重いものを長く浮遊させることができるらしい。
棒で突くだけで、相手は行動不能になるのだ。その突きは熟練の達人のように鋭くて、麗日さんの3年の過ごし方の一端を見た気がする。
それでも殺到する波のような群れは止まらない。
「そういう時にはこっち!」
音もなく、周辺全てがぽっかりと持ち上がった。
「まとめて吹き飛べや」
その真下へ、すでに滑り込んでいる。
掌を天へ向け、連続した爆破を叩き込む。浮かされた個体に逃げ場はない。空中で四肢を千切られ、爆風に押し返され、次の炸裂に巻かれて原形をなくしていく。落ちてくる肉片が地へ触れる前に、もう一段の爆破がそれを塵へ変えた。麗日さんが浮かせ、かっちゃんが仕留める。
意外にも息の合う二人。声を交わさずとも、呼吸は噛み合っていた。
僕の左を、赤いものが軽やかに横切っていく。
トガさんだ。刃物を逆手に構え、群れの隙間を舞うように縫っていく。喉を裂き、返す刃で腱を断ち、掌のカプセルをひとつ噛み割って、溢れた血を刃へ滑らせた。動きに淀みがない。楽しそうですらある。
「ねえ緑谷くん。この子たち痛くないんだから、壊しても可哀想じゃないんですよ。楽でいいですねぇ」
言葉の軽さに反して、彼女の刃は急所だけを正確に抜いていく。その刺し傷は、見た目通りではないようで血の刃に撫でられた部分から赤い根のように血液が暴れているらしい。
それぞれが必殺技を、一撃必殺を持っている。そう。必ず殺す技をだ。
粉砕できている。できているのに、群れが減らない。
倒したそばから、地面がまた盛り上がる。いや、それだけではなかった。僕が叩き伏せたばかりの個体に、隣の1体が覆い被さって、頭から喰らいつく。飲み込むごとに肩が膨れ、背から新しい骨が突き出してくる。喰った分だけひとまわり大きくなって、それは立ち上がった。そういう肥え太り方をした個体が、後方から列を成して押し寄せてくる。踏み潰しても、踏み潰した数だけあとから湧いて出た。
「想定よりも、こちらに向かってきているようです!奥からも、オールマイトの誘引がもっと効いているはずでした」
薙ぎ払っても薙ぎ払っても、群れの向きが少しずつこちらへ寄っていく。剥き出しの顔がいくつもこちらを向いている。理由を考えようとした端から、次の顎が眼前に迫って、思考を断ち切った。
汗が背を伝う。走り抜けるだけのはずだったこの一帯で、僕たちは足を止めさせられている。
「雑魚相手に消耗してる場合じゃねえ」
爆破による粉砕の手は止めないまま、視線だけが群れの奥へ走っている。餌でもないこの一帯に、なぜこれだけの数が集まるのか。その計算が合わないことに、彼も気づいている。
このままではいけない。全員がそう考えて答えを探すが、それすら許さず次の襲撃が来た。
群れの奥で、黒いものが3つ、立ち上がり周辺の脳無を一掃した。
脳無ではない。喰らい合って肥え太る歪さはなく周辺を殺すだけの無駄のない動きをしている。影のような黒衣を纏った人の形が、地の底から染み出すように現れて、こちらへ足を向ける。
輪郭がやけに整っていて、異形の群れの中では異質だった。街を埋めていた継ぎ接ぎの醜さとは、質が違う。濃厚な闘争の、戦士の匂いがする。
真ん中の1体が、腕を掲げる。
袖口から火の玉が生まれ、尾を引いてこちらへ弧を描いた。半端な速さではない。緑に灼けた視界の端で、僕はそれを見切って横へ跳ぶ。着地したその足元を、遅れて別の火線が舐めた。地面が抉れ、熱波が頬を打つ。
右の1体は、湾曲した刀を提げていた。もう片手に握った燭台の炎が、ぶわりと膨らむ。次の瞬間、その炎が生き物のように伸び、僕のいた空間を横一文字に薙ぐ。喰った空気が焦げる音がした。
左の1体は、ただ刀だけだ。だが最も動きが速い。
火球でも炎でもない。それはもう、こちらの間合いへ踏み込んでいた。地を蹴った瞬間から着地の予備動作まで、まるごと消えている。刃が首筋へ滑り込んでくる軌道を、僕は上体を捻ってかわし、掠めた切っ先が耳の上の髪を数本持っていった。
黒鞭を使い、周辺にいた硬質化した脳無をフレイルのように叩きつける。上半身が潰れる手応えはあった。あったのに、そいつは止まらない。
潰された黒衣の裂け目から、巨大な蛇が噴き出してきた。
1匹ではない。裂けた布の下から、赤黒い胴がずるりと数条、鎌首をもたげてこちらを狙う。喰らったぶんだけ肥える脳無とも、触れて奪うオール・フォー・ワンとも違う。傷つけるほど、それは内側から別の形を溢れさせる。
「なんだ、これ」
咄嗟に、まともな名前が出てこない。個性でこうなったのか、そもそも人だったのかすら判じがつかない。ただ黒い蛇が三体で1つのように動く。
蛇に変じた腕が、間合いの外から鞭のように伸びてくる。
近い間合いは刀、遠い間合いは伸びる腕。火球と炎が退路を塞ぐ。3体が三方から役割を分け合って、僕らを真ん中に閉じ込めにかかっている。1体を崩しても、崩したその傷から新手が生えてくるのだから、削り合いに持ち込んだ側が先に磨り減る。
「この程度で、俺のことを無視、デクばっかってか。生意気だなぁ!?」
僕一人なら消耗するかもしれなかった。けれどここには仲間がいる。
その閉じた円の、さらに外側から煌めく爆発が横槍を入れる。反応を超えた速度の一撃。その眩い光に、影が一つ吹き飛ばされ形勢がこちらへと傾く。
同時に、危機感知がこれまでで一番強く反応した。
音のない何かが、動いた。
群れの誰でもない。喰らい合う脳無でも、蛇を溢れさせる黒衣でもない。
1つの影が、瓦礫の稜線を音もなく踏んで、こちらへの最短距離を測っている。速い。だが、その速さには荒さがなかった。無駄を削り落とした、静かな詰めかた。
その足運びを、僕は知っている気がした。
胸のどこかが、勝手に反応する。踏み込みの角度。体重の乗せかた。仕掛ける直前の、あの気配の消しかた。
「……あぁ?」
かっちゃんの眉が、一瞬だけ動いた。彼もあの足運びに、何かを見た。見て、すぐに舌打ちで振り払う。彼の記憶にはないはずだから。
トガさんは、違った。
カプセルを転がしていた指が、ぴたりと止まる。ほんの一拍。その静止のあとで、口の端がわずかに持ち上がった。懐かしいものに再会したような、微妙な角度の笑みだった。
「……思いっきりできるなら、それでいいんですけどね」
呟きは、喜びと落胆のちょうど境目で揺れている。
「テメエら、手ぇ止めてんじゃねえぞ」
かっちゃんの怒声が、僕たちを現実へ引き戻す。
その間にも、影は湧き続けていた。倒した3体の向こうから、また新しい3体が黒衣の裾を引きずって立ち上がる。彼らもきっと一度倒しても大蛇となって襲ってくるのだろう。
黒衣がどこを狙って動くのか。脳無がなぜこちらへ収束するのか。かっちゃんも考えているだろう。また舌を鳴らしている。
「ここで全部潰す気でいたのが間違いだ」
吐き捨てて、その勢いで地を蹴る。
「世界を賄ってるアホみてえな奴の大元で、いくら削っても意味がねえ。勝ち筋はそこじゃねえんだよ」
爆破で群れを割りながら、彼はまっすぐ僕のほうへ突っ込んできた。すれ違いざま、肩がぶつかる寸前の距離まで踏み込んで、押し殺した声を叩きつけてくる。
「テメエをあそこに届ける。それだけがこの作戦の目的だ」
言い終えるより早く、かっちゃんはもう背を向けていた。それだけで何を求められているのか伝わった。
振り返らない。その代わり、両掌を後方へ向けて連続で炸裂させ、僕と新手のあいだに割り込もうとしていた黒衣の壁を、まとめて吹き飛ばす。爆風が空間をこじ開けた。
「デク一人行けりゃいい!年下のガキは守れや成人ども!」
「言われなくとも!ですわ!」
八百万さんの砲が火を噴き、面を制圧する。麗日さんの棒が湧きたての黒衣を足場ごと浮かせ、宙で無力にする。トガさんが赤い刃で群れの喉を縫って、僕のほうへ流れかけた1体を横から断ち切った。3人が、湧き続ける影を一身に引き受ける。不利を承知で、そこに踏み止まる。
一対一の状況になり、目の前の存在に集中する。
爆風が拓いた1本道の先に、あの静かな影が立っている。荒さのない、正確すぎる足運び。
込み上げた懐かしさを、僕は胸の底へ押し戻した。
懐かしい背格好の黒い狩装束の殺人者が、ノコギリ鉈と短銃を提げたまま、こちらへ一歩を踏み出す。
「たぶん淡輝くんじゃない。でも、無関係なんかじゃ、ない気がする」
不吉な鐘の音がどこから聞こえた。
そして、血に酔った狩人との戦いが始まる。