不吉な鐘の音が、どこか高いところで鳴っている気がした。
その音に合わせ、狩人が地を蹴る。
ノコギリ鉈が下段から跳ね上がってくる軌道を、僕は半歩引いて外す。
刃が鼻先を掠め、風圧が前髪を巻き上げた。かわしきったと思った瞬間、返しの短銃が僕の胸元へ向いている。
危機感知が焼けつくが、同時に上体を捻っている。銃口が火を噴き、掠めた弾が肩の防具を削って火花を散らした。
当たれば止まる、では済まない。あの銃は、こちらの体勢を崩すために撃たれている。
ワン・フォー・オールから限界まで力を引き出して、強引に体幹を維持。繋いで踏み込み、下から掬い上げるように拳を叩き込んだ。
狩人は、それを見てから避けた。
見てから、だ。僕の全力の踏み込みを、紙一重で横へ流す。淡輝くんがそうしていたように——いや、違う。淡輝くんならもう半歩早く内側へ入って、こちらの拳の根元を潰しにきていた。
この狩人は、正確だけれど別の強さだ。単純に読み切って、避けて、また同じ距離に立つ。純粋に戦闘が上手い。それだけを、際限なく繰り返してくる。
つまりはあの淡輝くん特有の、未来を知っているかのような不気味さがない。
だからと言って、容易な相手ではなく単純に強いのだ。そうそう崩せない。
黒鞭を撃ち出す。手首から放った黒い触手が狩人の胴を狙い、狩人はノコギリ鉈の刃でそれを受け流した。鋸歯が鞭に食い込み、ぎちりと擦れる音を立てる。その拮抗の一瞬に、僕は距離を詰めた。
零距離。ここなら銃は間に合わない。渾身のデトロイトスマッシュを……。
放つ、その寸前。
横から、脳無が飛び込んできた。
剥き出しの脳を晒した体を割り込ませてくる。喰らい合っていたはずの群れの一体が、なぜ今、ここへ。拳は脳無の胴を吹き飛ばしたが、そのぶん狩人への一撃は逸れた。狩人は逸れた拳の外側へ、涼しい顔で抜けていく。
返す鉈の一撃を受けて転がった。黒鞭で斬撃はどうにかしたが、衝撃に内臓が揺さぶられる。
割り込んできた脳無だけではなかった。
視界の端で、黒衣が1体、こちらへ鎌首をもたげている。蛇を溢れさせるあれが、4人ではなく、僕を狙って角度を変えている。かっちゃんが拓いてみんなが維持してくれているはずの1本道。爆風でこじ開けられたはずの空間。その両脇から、群れが無理矢理に滲み出して、閉じかけている。
綺麗に分かれた戦場が、もう混ざり始めていた。
それも、かなり不利な状態でもこちらに手を伸ばしているらしい。
おかしい。加速する思考の中で疑問が生まれる。
単純に考えれば、あっちの方が戦力は上で、なんならかっちゃんだけでも僕より強いはず。なのに、なぜこちらに来るんだ?
狩人と斬り結ぶそのあいだにも、脳無が、黒衣が、じわじわと横から染み出して、一騎討ちの間合いへ侵入してくる。狩人一人と向き合っているつもりが、気づけば背後にも横にも敵の気配が戻っている。
火球が飛んできた。狩人の後ろ、いつのまにか立ち直った黒衣の一体からだ。
跳んでかわすが、危機感知がその数だけ鈍る。
着地際を、狩人の鉈が待っていた。跳んだ先を読まれている。かろうじて黒鞭を足場に軌道を変え、鉈の間合いから逃れる。だが今度はその着地点へ、別の脳無が顎を開けて突っ込んでくる。狩人と群れが、示し合わせたわけでもないのに、僕の逃げ場を順番に塞いでいく。
被弾が増えていく。回復に回す、余力が増えていくのは悪循環だ。
狩人一人でも十分に苛烈なのに。見てから避けられ、二拍を一拍で撃たれ、こちらの全力を正確に外される。はっきり言って削り合えばこちらが先に磨り減る相手だ。
爆音が、遠くなっていく。八百万さんの砲声も、麗日さんの棒の風切りも、殿の側で鳴っている。きっとトガさんも頑張ってくれているだろう。4人は、こちらへ流れかけた敵を必死に断ち切っているはずだ。断ち切っても、断ち切っても、群れの向きはまた僕へ戻る。
分けても、混ざる。
その円の中心で、狩人だけが静かだった。
群れが僕へ殺到するその混乱の中で、化身は焦りも見せず、ただ間合いを保っている。こちらが群れに気を取られた隙を、正確に突く用意をして待っている。淡輝くんに似た、けれど淡輝くんではない足運びで、じり、と半歩を詰めてくる。
汗が顎を伝って落ちた。避けた斬撃が、落ちた雫を両断しつつさらに振るわれて首を狙う。狩人の踏み込みが再び断ち切った。ノコギリ鉈が、今度は僕の首の高さで真横に薙がれてくる。
閃きは、たぶん同時に降りてきた。
顔を上げた先で、かっちゃんと目が合う。それだけで足りた。淡輝くんから以前に伝えられたことを、この作戦の前にかっちゃんには伝えてある。
「かっちゃん!」「デク!」
呼び合った声が重なって、言葉はもう要らない。考えていることが同じだと、声の重なりかたでわかる。
かっちゃんが七色の煌めきを背に飛ぶ。
群れを爆破で引き裂きながら、まっすぐこちらへ突っ込んでくる。
「うてや!!」
友達のその覚悟を決めた顔に向けて、僕は渾身の一撃を入れる。流石にこれは予想外だったのだろう。反射するように跳ねたかっちゃんの体は、不意を突かれた狩人へと肉薄し、自分へのダメージを無視してゼロ距離の爆破を喰らわせた。
潮目が、ここで変わる。
「耐えるだけならお前らでやれる。」
口元の血を拭いながらの押し殺した声だった。それが何を意味するのか、僕にはもうわかっている。
「いえ、爆豪さんほど動ける前衛がいなければ……っ!この圧力に耐えられませんわ!」
八百万さんの声が、砲を撃ちながら裏返る。要である盾であり矛を失えば、湧き続けるこの数を抑えきれない。彼女の計算は正しい。
「んなことはわかってる!」
案の定だった。
「おい。地雷女! 代われ!」
呼ばれたトガさんの動きは、笑ってしまうほど速い。投擲された注射器をかっちゃんの腕に薄差し込んで、つながっている血を迷わず口へ運ぶ。飲み下した喉が上下した瞬間、彼女の輪郭が内側から膨らむように歪んでいく。骨の太さも、重心の置きかたも、別の誰かのそれへ組み替わっていった。髪の毛がトゲトゲと天を刺す。
「やったー!それでも、押されちゃうと思いますケド」
間延びした歓声が、途中から低く割れる。
トガさんだったものが、かっちゃんの顔で掌を掲げていた。手のひらに火花が爆ぜ、慣らすように小刻みに炸裂させる。本人ほどの精度は流石になさそうだけれど個性ごと、そっくり再現しきっている。
本物のかっちゃんは、もう背を向けている。
「問題ねえ。俺はあっちを傾ける!」
叫ぶなり跳んだ。爆破で一気に高度を取り、オールマイトが本命と殴り合う中枢のほうへ、弧を描いて飛んでいく。彼が向かう先を、目で追わなくてもわかった。この戦場でいちばん強い餌のところへ、もっと派手な餌を重ねに行くのだ。
その軌跡を、群れが追い始めた。
僕へ寄せていた顔が、いくつも爆音のほうへ振り向く。より強く暴れる一点へ、攻撃性が引きずられていく。割り込んできた脳無が向きを変え、鎌首をもたげていた黒衣が胴をよじる。僕を囲んでいた円が、外側からほどけていくのを、肌が引く感覚で確かめる。
戦場の喧騒が、遠ざかっていった。
まだ残ってはいるが、大勢は向こうへと気を逸らされている。
かっちゃんの顔をしたトガさんが火花を散らし、八百万さんの砲が面を薙ぎ、麗日さんの棒が影を宙へ浮かせている。あちらはあちらで、湧き続けるものを抱え続けてくれる。こちらへは、もう一体も流れてこない。
だから、僕は前だけ見ればいい。
目の前に、狩人だけが残っていた。群れが去っても、化身は微動だにしない。焦りも、安堵もない。ただ間合いを保ったまま、こちらの覚悟が定まるのを待っているようですらあった。
込み上げかけた懐かしさは、もう胸の底へ沈めてある。
ここからが、勝負だ。
狩人が来る。
ノコギリ鉈が跳ね上がる。今度は見てからでは間に合わない速さで、僕は踏み込みに合わせて拳を叩き込んだ。淡輝ではない。それはもう見抜いている。似ているのは足運びだけだ。淡輝なら、僕の全力を受けてなお笑う余裕があった。こいつにはそれがない。だったら、遠慮はしない。殺す気で殴る。
拳が空を灼く。掠めた狩人の頬から黒い覆いが削れ、その下の何かが覗いた。
避けられた。さっきよりも、際どく。
もう一撃。黒鞭を絡めて動きを縛り、零距離で撃ち込む。狩人は縛られた腕ごと身を捻り、鉈の腹で受け流す。受け流しながら、短銃がもう僕の脇腹を狙っている。撃たれる前に肘で銃身を跳ね上げ、弾は虚空へ抜けた。
速くなっている。
僕が殺しにかかるほど、狩人の動きのキレが増していく。こちらの本気に、正確に噛み合ってくる。斬撃の初速が上がり、避けの無駄が削れ、二拍が一拍に、一拍が半拍に潰れていく。血に酔うほど鋭くなる。
拮抗が、頂点に達した。
鉈と拳が、同時に相手の首へ向かう。次の一撃で、どちらかが死ぬ。踏み込んだ足の裏が、それを確信として伝えてきた。僕の蹴りは狩人の喉を潰し、狩人の鉈は僕の頸動脈を裂く。相打ち。あるいはコンマ数秒、どちらかが速い。
……
…………
………………
これでいいのか?
寸前で、僕は蹴りを地面へと放ち、そしてその間合いから抜け出した
「……これじゃあダメだ」
考えるより先に、体が拒否していた。ここで殺し合えば、きっと淡輝くんの想定通りになる気がする。この化身もきっと彼からの問いの一つに見える。
殺すことにしたのか、救うことを続けるのか。
僕は殺すために、ここへ来たんじゃない。
殺すためではなく、救うために。
そう思い定めた瞬間、体にあるありったけのワン・フォー・オールが応えた。
全身を覆う力が、質を変える。壊すための出力ではなく、届かせるための力へ。緑の輝きが、殺気を抜いた分だけ澄んでいく。個性が、僕の意志の切り替わりに、正確に呼応していた。
今までで、一番速く僕は狩人へ踏み込んだ。
それでもきっと対応はできたと思う。
けれどこの唐突に殺意のない一撃。狩人の反応が、途端に鈍る。研がれていたキレが、噛み合う相手を失って空転する。殺しにこない拳を、どう受けていいかわからないでいる。
斬撃が逸れ、避けが遅れ、僕の掌が狩人の手首を捉えた。
黒鞭が、四肢を巻き取っていく。
鉈を封じ、銃を封じ、膝を折らせて、地に組み伏せる。捕縛。殺さずに、動きだけを完全に奪った。狩人は、抗いきれずに沈んだ。
血に酔って鋭くなる性質が、殺意という燃料を断たれて、行き場をなくしている。
「――なんで、そうなるかな」
覆いの割れた奥から、声がした。
聞き覚えのある響きだった。押さえ込んだ狩人の顔から、黒い鎧のようなものが剥がれ、その下の輪郭が覗く。友人の面影を確かに宿している。懐かしさが、また喉元まで込み上げてくる。だけど……。
「君も、違う気がする」
その顔が目を見開いてこちらを見ていた。淡輝くんそのもので、笑ってしまいそうになる。
「なんか、オールマイトっぽくなったな」
呆れたような、感心したような声だった。
「全部、勘で処理されちゃゲームにならないよ。俺で納得して連れ帰ってもらおうと思ったのにさ」
僕は、押さえ込んだ手を緩めない。
「君も一緒に行こう。でも淡輝くんと話せるまでは動かないよ」
僕は、そう言った。この筋書きへの、たった一つの返答だった。彼も少しだけ困ったように笑う。
「じゃあ、仕方ないな」
その声が、ふっと軽くなる。諦めではなく、手放すような軽さで。それも想定の一つだったのかもしれない。
「任せるよ。でも、後悔するなよ?」
奥に見える世界樹の
あそこに彼がいるんだろうか。
いつも感想や誤字報告、評価をありがとうございます!
木の洞と書いて『ほら』と読ませるのが今の教育の主流だそうです。
調べるまで知りませんでした。ウロの方がカッコよくないか?