敵はどこにいる?
この問いを思いつくことすらできないまま死んだ。
5年ぶりの死に対してあまりに柔くなってしまっていることに愕然としつつ目を開ける。
新しい朝ってやつがきた。来てしまった。
目覚めはいつも通りの布団の中で、窓の外には昨日と寸分違わない朝の光があった。恐れていたものが始まってしまったというのに何故か安心している自分もいるのはどういうことだろう。
混乱すら置き去りに、『目覚め』によって最高のコンディションに整った思考はすでに必要なことを考え終えている。
粛々と連絡を行い、関係各所に爆弾のような衝撃を投下していくのは気が滅入るが自分らしさを思い出す作業でもあった。
全ての大人たちを叩き起こして、最悪の1日を始めよう。
観測網を当たると、不審な微細動は拾われていた。ただし噴火の前兆と呼べるものは何もない。伝手を辿って専門家に聞くと、電話の向こうで笑われた。ここから今夜何か起きるとすれば、誰かがプレートを核爆弾でつつくでもしない限り無理ですよと。
冗談のつもりだろうが、そのユーモアには笑えなかった。実際に起きた悲劇はジョークにならない。これは笑いの基本なのだ。
方法はまだ読めないが噴火を誘発したのは死柄木弔かその仲間だろう。それに合わせて弔自身が黒ワープを活用し、世界樹を崩壊させていく。シンプルだが規模が以上なテロとすら呼べない虐殺行為だ。
個人で氷河期を引き起こそうとするなどと、歴史上でも該当する罪は思い当たらない。
なんと言っても黒霧だ。あのワープがある限り、位置の特定は困難を極める。届く範囲のどこにでもいられる者は、どこにもいない者と観測上区別がつかない。
「人形、サポートを頼むよ」
呼びかける。すでに別物になってしまってからマリアの名前は登録から外してある。世界樹となって彼女も変わってしまってから、こいつにはほとんど話しかけてこなかった。本体は世界樹と共にあって、手元のこれは切り離された端末に過ぎないがやりとりは問題なくできる。
「今から15時間後、九州で噴火が2つ起きる。火砕流は海を渡って福岡まで到達してた。原因の推測の後に範囲と被害を計算してくれ」
噴火の光を見た方面を伝えると、情報が出てきた。
『鬼界カルデラと阿蘇カルデラの噴火である可能性がありますが、それらには前兆データが存在しません。発生確率は何%で想定いたしますか?』
「100%で」
久しぶりにやったなこのやりとり。未来の出来事を告げて困惑する誰かという構図が懐かしい。これが仮定ではないことを俺だけが知っている。
そうしていると、数秒で計算が終わったらしく情報が並んでいく。
被害想定が並んだ。火砕流圏は九州全域と山口西部。
降灰による生存困難圏、中国四国。画面の赤が、見覚えのある形に広がっていく。俺はこの地図の中で茹で上がったのだ。
改めて見れば絶望的な広さである。ここまで広範囲に迅速に影響を及ぼす出来事というのは、それこそ赤い月以来なかっただろう。人形はそのまま避難計画の構築へ移り、第一案として世界樹の輸送と治癒根を軸にした計画が出力され始めた。そこで止める。
「待って。12時間経過後は世界樹がない前提で組み直してリライト」
『世界樹の機能停も条件に組み込みます。どこまでの機能不全を想定しますか?』
「根を捨てて空に逃げて、地上への支援は無しで。孤立無縁で最後はやらなきゃいけない」
一拍の演算。それから、絶望が数字の形で出てきた。
避難対象、約700万。出口は実質、関門海峡一本。鉄道を全編成東行きの片道輸送に切り替えて毎時4万。道路と徒歩の併用で15時間に25万。海路15万、空路10万、個性による輸送で数万。
理想条件をすべて満たした場合の合計、最大95万。それは九州の人口の13%である。
思わず二度見するが数字は動かない。
しかも地図が先に選別を終えている。救われる95万はほぼ北部九州の住民で、鹿児島も宮崎も熊本の南も、朝一番に完璧へ動いたところで、出口まで物理的に届かない。政府にできる最善は、この事実を朝のうちに認めて、届く者へ全資源を注ぐことだけ。
せめて子供だけは逃せるように計画を組むしかない。
それは届かない600万人に、あなたは間に合わないと朝に告げるのと同じことだ。
600万。
脳内には漠然とした数字ではなく、知っている顔が浮かんできた。
行きつけの屋台の大将。注文する前に今日のおすすめを勝手に決めてくる男で、俺が口を開くより先に丼が出てくる。豚骨の湯気の向こうでにやりとする、あの押し付けがましい顔を思い出すが、彼は優先避難対象にはならないだろう。
デートした子も思い出す。辛子明太子を福岡の試験と称して食わせてきた。むせた俺を見て笑う彼女の苗字は聞けずじまいだ。彼女は逃げることができるかもしれない。
角打ちの爺さん。焼酎の銘柄で人格を測る人で、俺の選んだ一本に黙って頷いた夜から、口を利いてくれるようになった。うまいものはうまいうちに飲め、が口癖だった彼は確実に残される。
丼と、明太子と、焼酎。皿の湯気ごと、顔が浮かぶ。つい昨晩、つまりは今日の夜この全員が焼けたのだと実感した。
彼らを、死なせたくない。
一人でも死なせないためには、できるだけ早く、そして速く動かすことだ。
真実は使い勝手が悪い。カルデラ噴火が今夜来ると観測所に確認すれば、前兆なしと返ってくるだけだ。全く別の荒唐無稽な嘘でを作らないといけない。
「中身が空の隕石を宇宙に浮かべてくれ。それを非難の口実に使う」
この規模の破壊を嘘としてつくなら種は限られる。巨大隕石くらいだろう。観測は宇宙側の管轄で、地上の観測網では反証に時間がかかる。落下予測地点を九州近海に置けば、被害範囲も避難方向も、噴火とぴったり重なる。真実より通る嘘を選ぶ。それだけのことだ。
『すぐに用意します。三者の全会一致で問題に対処を始めていますので、必要なものがあれば言ってください』
政府には狩人として大暴れしていた昔ほどの支配力を持っていない。だが、事実を用意してオールマイト経由なら動く。この世界で唯一、誰もが理屈より先に信じる声だ。
回線を繋いで、俺は憧れの人に向き合うことになる。
「……オールマイト。ごめん、またやり直しが始まったよ」
「そうか……。そうだったか。すまなかった……。いや、違うな。どうすればいい?」
オールマイトは疑わなかった。23番目の狩峰淡輝である名乗った俺の話を最後まで聞いて、わかった、とだけ言った。
その即答が、少しだけ喉に刺さった。俺はこの人の信用を拡声器に変えている。世界一の笑顔に、世界一の嘘を運ばせる。謝る資格は使い道が決まってから考えることにして、通話を切った。
驚愕すべきスムーズさで状況は進行する。その通話の5時間後、避難がようやく始まった。
それは、人類史上最も上手くいった避難だと言えるだろう。世界樹へと様々なものを預けた恩恵だ。人を押し除ける生存本能や攻撃性、避難時には邪魔になる要素が今の人々からは欠けてくれていた。
牙を失った羊の群れは、盲目にただ羊飼いへと追従する。それが最も生き残れる術だと知っているから。
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サイレンは鳴っている。緊急の放送も流れている。なのに、街に聞こえるべき悲鳴がない。新幹線のホームでは、順番の来た老夫婦が、後ろに並んでいた親子連れへ席を譲った。母親が深く頭を下げ、老夫婦は改札の外のベンチへ戻って、並んで座った。
誰も泣き叫ばない。駅員が二人に何か声をかけ、二人は笑って首を振り家へと戻っていく。
子供が先。それが唯一の明文化されたルールで、そんなルールも要らなかったかもしれない。譲り合いがそこらで発生していた。個性持ちが自前の輸送を申し出て、飛べる者は飛べない者を抱え、頑丈な者は列の外側に立った。AIの弾いた理想値を、現実の避難効率が上回っていくそのグラフを見て、泣きそうになってしまう。
想定を良い意味で現実が超えるという事態を、俺は初めて見た気がする。
届かない側も、静かだった。
鹿児島の商店街は、避難対象外の通告を受けたあと、店を開けた。最後の営業。無料にはしない。いつも通りの値段で、いつも通りの味を出す。夕方には、間に合わないと確定した住宅街に、夕餉の匂いが立ちのぼった。カーテンを閉めず、灯りをつけたまま、家族で食卓を囲む窓が並ぶ。
それに美しさを感じた瞬間、背中にヒヤリとしたものが流れる。これは良くないものかもしれない。大切なものを樹に抜かれた人々の終わり方だ。パニックの地獄絵図よりは良いはずなのに、どうにも違和感は拭えない。
整いすぎた絶望。それを美しいと感じた自分を、どうすればいいのかわからない。でもこれが最も人が救われる方法だと信じて夜を迎えた。
関門の対岸、本州側の丘に、渡り終えた人々が立っていた。
95万人の側。彼らにも勝利の顔はなかった。ただ南の空を見ている。やがて水平線が白く瞬き、火柱が立ち、その光が対岸の顔を順に照らした。誰も歓声を上げず、誰も膝から崩れず、静かに、燃える故郷の方角を見ていた。
結局のところ死柄木弔は、見つからなかった。
ヒーローは全戦力を捜索に振った。止められるなら、それが唯一の100%だからだ。黒霧のワープ想定限界の輪郭を、空から、海から、地上から、しらみ潰しに浚った。それらしい場所は、なかった。
そして夜が来て、予定どおりに二本の火柱が立ち、最高の結果として俺を含めて9割が死んだ。
自らの頭を撃ち抜いての自殺。苦しまずに次へと向かうというところだけがが改善点であるのは笑えない。そして残る人々にそういった手段を用意しないのは不誠実だと今気付かされる。
最善を尽くしても噴火が始まれば絶対に全員を救うことはできない。それを認めて動きを変えるべきだ。
目覚めは、同じ朝の布団の中だ。
1回目で、わかったことを整理する。どれだけ避難を最適化しても、全員を救うのは夢のまた夢。革命的な発想か個性が見つかって、8割に届くかどうか。95万を100万にする工夫はある。700万にする工夫は存在しえない。
避難をしなければいけない状況になれば負けだ。
死柄木弔を止める。世界樹の崩壊を止めて、できることなら噴火そのものを止める。それ以外に、大将の丼も、あの子の明太子も、爺さんの焼酎も、丸ごと残す方法がない。
敵はどこにいる?
世界を破壊し得る悪意が潜んでいるのはどこなんだ。それだけを求めて、俺はこの1日を巡っていく。
コミックの中に出てくる悪役のような、オールフォーワンのように目立つようなことを一つもしない徹底さ。別人のようなその行動に死柄木弔という人物像は連想できない。
長い長い、孤独な戦いが。慣れ親しんだ苦難が始まった。
敵は未知のままである。