青白い体表の巨人は、首のあたりにある触覚を震わせる。
まるでウーパールーパーのエラのようなそれは、重層的な音を出していて人の声に聞こえはするが、薄いパイプオルガンのような印象を抱かせる。
翼のような被膜の目は淡い光を放っていて、緩やかにこの場を照らしていた。
なんか、すごく綺麗な音色だった。
『なんで声を出せるのか。自分でもわかんないんだけど、すごいなこれ。めっちゃ綺麗だ』
感想が被った。そりゃそうか。自分だものね。
「あーくん!!」
百ちゃんが駆け寄り、そして翼と少し迷った上で足を選択。そこに突っ込んで抱きしめている。
大きすぎるサイズ差にちょっと、ハグという感じではないがそれでも念願の再会ということだろう。わあわあ泣きながら、彼女はひしと掴んで離さない。
この状態の百ちゃんを前にして聞くべきことではないのかもしれない。
でも聞かなきゃいけない。ここで真実とは異なる慰めをもらっても救われる人も救われないだろうから。
「お前は一体なんだ?狩峰淡輝を名乗るのか?」
百ちゃんからキッと睨まられるのが辛いが、これは必要なことだった。
でもやめてよ。そんな目は。
けれど彼女もわかってはいる。そして、絶望的なまでにそこに『あーくん』がいない可能性を計算してしまっている。
だってそうだろう。こいつの成り立ちというかレシピを見ればツッコミどころしかない。
狩峰淡輝という、発狂した人間が上位者とかいう不思議生物と合体させてナメクジ状態に、そして8年寝かせる。
そこに108人の狩峰淡輝のクローンを入れてよくかき混ぜて、3分置いたらこの異形である。
どんなクッキングだ。ふざけるな。
『俺は記憶の中の狩峰淡輝とは言えないな。でも、可能性の一つではあるから否定もしきれない。どこにでもいる普通の高校生は名乗れないってことくらいかな』
「おい。平和な俺らを取り込みすぎてユーモアレベル上がってないか?この調子を続けられるなら話し辛いんだけど」
『ついでに正直レベルも下げておこうか?まぁでも、ナイトアイに怒られない程度にしとこうか。相変わらず俺は急いでるみたいだしな』
「じゃあ質問にちゃんと答えろ。お前はなんだ?」
「あーくんでいいじゃないですか!せっかく話してくれているんです。これ以上何を!」
『ごめんね百ちゃん。でも、俺はこの通り顔がないからさ。約束の笑顔ができないんだ。だから、俺は狩峰淡輝じゃない。飯も食べれず笑えないってことはもう、俺とは認めるわけにはいかない』
万感の想いがあるのだろう。これまでの時間をどれだけ孤独に無為に過ごしてきたのか想像もできない。
「その言い方!あり得ないくらいあーくんです。でも……でもそうですか。顔がないのは確かに、ちょっと寂しいですものね」
『ああ、それにさ。今こうして見てわかったけど、やっぱ俺には色々混ざってるから。本来の俺とは言えないよ。俺はこんなに友達多いタイプじゃないからな』
そうして開いた手には、どこかで見たような肉球が。さらには手の中央に口がついており、そこから見えるのは特徴的な八重歯だった。
『当然、ぶつぶつ言ってくれてる親友だって一緒さ。こんな幸せ者は狩峰淡輝のはずがない』
「私!私も、一緒に最後まで同化します!ずっとお願いしていたのになぜ?私は最後まで一緒になれなかったの?ずっとこれを、聞きたいと思っていました」
木の一部に同化はしているが、百ちゃんは原型を留めている。半身は一体にならずずっとここにいるのだ。確かにそれはなぜと問いたかっただろう。
『百ちゃんには残っていて欲しかった。でもそれは俺のわがままだったね。ナメクジ状態だと何も変えられなくてさ。でも、ありがとう。ずっと一緒にいてくれて。これからも一緒にいたいと俺は思うから、この話が終わった後でよければ一緒にいかないか?』
そうして差し出された大きな指。その上に何かが『創造』される。
指輪だった。嘘だろ。おいおい!
それを見て目を見開いた百ちゃんはやがて頷き、それを手に取った。
「ふふ。確かに、こんなにスマートに告白されるなんて、あーくんではあり得ませんわね。ええ、わかりました。私の初恋の人に似ている誰かさん。あなたと一緒にいきましょう」
翼のような被膜がザワザワと騒いでいる。目が瞬いて、光が拍手のようにして注いでいる。いや、何個かの目はキレてるな。普通に激怒している俺もいるらしい。
「お、おめでとう?」
『ああ、幸せになるためにがんばりたいね。それで、噴火のことだよな?』
そうだった。怒涛の返信からの結婚に一瞬置いていかれるが、世界がかかっている用事が詰まっている。
ここまで調子を戻してくれるのはありがたいが、ちょっと緊張感はなくなったな本当に。
『色々考えてるけど、どうにかしてみようと思う。ただそれをするには条件がある』
「なんだそれ。解決策を見つけるまでやり直すつもりだったのに、それは……当てがあるってことなのか?」
『さっきまでの情報で十分だと思う。俺には今、マリアの思考力と全一君のオールフォーワンがある。そこに俺たちが加わって考えれば思いつくアイデアはあるさ。というか、お前の集めてくれた情報がないと思いつけなかった。今までの試行は無駄なんかじゃないよ』
思わずガッツポーズをしてしまう。上手くいくかは知らないが、こんな簡単に糸口が見るかるなんて!
「よし!よしよしよし!それならすぐにやろう。何をどうする?」
『条件が先だろ?どうする?上位者になった俺がとんでもない要求し始めたら』
「なんだっていい!俺にできることなら何でもいいってのは当たり前だろ。昔からずっとそうなんだから!」
『無条件降伏かよ。白紙の契約書にサインするほどテンション上がってるのか、落ち着かなくて大丈夫か?まぁ、こっちとしては都合良いけど』
そこで思いとどまった。今のこいつは全一君やトガちゃんすら混ざっている。緑谷や麗日さんで相殺できるかは怪しいところだ。ちょっとは警戒した方が良いかもしれない。
「じゃあ、まあ一応聞かせろよ。どんな条件だ?」
『なんでも言うこと聞くってのが条件だ。それこそ無条件だな』
「同じじゃねーか。まぁ別にいいけど」
『よし、なら契約を』
向けられた大きな指から、腕の形のものが生えてきた。それで握手をするということらしい。
その腕は歪な人の手で、ちょっと触れるのには勇気がいるくらいには独特な圧力を持っていた。今更、怖いものでもないが。
それを握り、グッと力を入れて意思を伝える。すると、自分の意識というか認識がぐらりと傾いた。
見当識がくるりと回り、どこかへ落ちていく。
『よろしい。これで契約は完了だ。それでは治療を始めようか』
何かを引用するかのような語り口調。その違和感にすら取り合えず眠りに引き摺り込まれるように、俺の意識は落ちていく。
最後の力で、その腕を振り解こうとしてもそれは叶わない。爪は深く食い込んでいる。
『なあに、何があっても悪い夢のようなものさね』
その痛みも感じることができず、俺は微睡へと転がった。
『もう寝なくて済むように不眠をあげるよ。鎮静も必要か。これで普通に暮らせるだろう』
百ちゃんが巨人へと沈み込んでいく。それに手を伸ばして、届かない。
「ああ、狩人様がお眠りになられたのですね」
どこかで女性の声が聞こえた気がして、それが最後の記憶になった。