噴火が九州を襲い、災害の規模に対しては最小限の被害に留めるも多くの死者が出た。
火砕流に続く津波はこれもまた多くを巻き込み、人々や住処を平にしていく。
救援や救助が本格的に始まる前、動乱の中でしか成立しない会話がある。これは司法によって縛られるヒーローにはできないことだ。
死柄木弔をどうするか。それが俺の最後の仕事だと思っていたから。
アパートの位置も首謀者とそのパートナーが逃げないことも知っていた。火砕流によって死ぬことを選び最後まで笑って死んでいくということも知っている。
俺はその終わり方を許さないことにした。しかし、この人類の天敵をどうするべきか正しい道はわからない。殺して終わりというのもそれでいいのか、煮え切らない。
まぁでも、生かしておくのは無理がある。こいつは危険すぎるのだ。その思想は崩壊のように伝播する、触れなければ崩れなかったものも。やがて触れずとも、勝手に広がる崩壊に能力が進化したように、こいつは危険すぎるのだ。
だからこそ、俺がこいつを殺すべきだろう。
こいつの新派が幻滅するようなそんな最後を記録して、ろくなものじゃないと示すというのも手かもしれない。俺にしかできない、ヒーローにはできない方法があるんじゃないかと模索する。
明日には災害救助に向かいたい。今日中に片をつけなくては。
ここは対馬にあるUAIが運営していた補給基地の一つだ。
生活感というものが、どこにも見当たらない建物と言っていい。灰色の壁と、灰色の床と、規格通りの窓。
事務机がいくつか並んでいて、その天板にも、椅子の座面にも、床にも、埃が均等に積もっている。数年、誰も使っていないからこうなるもの自然だろう。
棚に残された書類のファイルは背表紙が褪せ、隅の観葉植物は鉢の中で完全に枯れていた。
歩けば足跡が残る。この部屋に人が入ったのは、ずいぶん久しぶりのことらしい。
その事務所の一角に、死柄木弔が座っていた。否、座らせられていた。
両の肩から先はない。垂れた袖が、動かないまま垂れている。両足は幾重にも縛られて椅子の脚に固定され、腰にもベルトが回されていた。
逃げる素振りもない。抵抗の意思はそもそもないのだ。彼はやりきったのだから。
拘束された体は、微動だにしない。
ただ、その目だけが動いて窓の外を見ている。
黒っぽい灰が降っていた。
空を見ても、どうにか日中であることがわかるだけで、もう朝か昼か夕方かもわからない。太陽の位置は隠されている。平坦な鼠色の天蓋が広がっていて、その下を、白いものが絶え間なく舞い落ちてくる。
風のない日の雪のように、まっすぐ、静かに、ひたすらに降り続けている。窓枠に積もり、駐車場の車の輪郭を丸くし、遠くの建物の稜線を消していく。
時たま、思い出したように黒い雨になって世界へとへばりつく。これから人類が暮らすことになる灰の世界が広がっている。
その光景を、死柄木は見ていた。
拘束されて、腕を失って、仲間もいない。目論見は外され、それでも彼の目は外の一点から離れなかった。
その瞳は輝いていた。
生まれて初めて庭に雪が積もったのを見つけた子供の目みたいに踊っている。
窓に張りついて、いつ遊べるかと親に聞き続ける子供のような期待に満ちた目。灰が一片窓ガラスの前を横切るたびに視線がそれを追う。
積もった縁が少し崩れて滑り落ちると、そこにまた目が留まる。
本当に楽しそうで、全ての記憶を失ってこの場面だけ見れば釣られて笑っていたかもしれない。
無邪気で空っぽで、ただ、初めて見るものを見ている顔だ。
あまりに多くを焼いた灰が、この男にとっては、庭に降る初雪と同じ重さしか持っていない。
埃の積もった部屋の中で、彼だけが、外の白さを見つめて笑っていた。
「それで?こんなところに連れてきたんだ。人目から隠れて何するつもりなんだ?」
「いや、正直悩んでてさ。やれることはやりたいんだけど、それが有効なのかわからない。試しまくるわけにもいかないし、一回しか選べない状況で何かするのって苦手なんだよ」
拷問して命乞いでもさせて、それをパートナーに見せて幻滅でもさせるか?
飢餓で追い込む?薬物で人格を壊す?個性で洗脳してみるか?
今までならダメもとで試して一番いい方法を選んでいたが、今となっては決断が難しい。
それともただ殺して埋めてしまえばそれでいいのか。
こいつの影響を削ぐために、世界のために俺にできることはなんだろうか。
彼の夢を紡ぐものを存在させてはいけない。
心の中の恩師たちが声を揃えて止めるような手法を思いつくたびに考える。それが許されるかなどではない。それが有効かどうかを検討しているのだ。
もう少し考えよう。対面の椅子に座って、足を組む。
「まぁいいけどな。この後どうなるのか知れるなら、生きたいわけでもないけど別に進んで死にたいわけでもない。好きにしてくれ」
灰が降り注ぎ、世界から音が消えていく。
考える。考える。考える。
ふと、死柄木が何かに反応した。
衝撃と破壊音。そして飛び散るガラス片。
柔らかな灰の舞う空を切り裂いて、彼はやってきたらしい。
「まに、あった!!!」
緑谷出久が窓枠を蹴り破って突入してきた。何度か見ているその光景に懐かしさを覚えながら、散った破片を無意識に避ける。
時計を見れば驚きだ。死柄木の言葉を無視してから一時間が経っていた。
「淡輝くん!死柄木を、どうするつもりで……」
切迫した顔は、彼がいるはずの避難区域からここまで飛んでくるまでにずっと纏っていたのだろうか。本当に勘が良い。いや、良すぎるか。どうやってここを見つけたのだろう。
「八百万さんが、ここにいるって教えてくれてさ。嫌な予感がしたから、本当に良かった。手遅れにならなくて……」
どうやらウチの幼馴染は、随分と病み属性を得たらしい。位置情報を常に把握されていたというのだろうか。マリアや世界樹での検査はパスしていたあたり、世界樹の中の百ちゃんもグルだったのだろう。
人が死にそうになっていて、ピンチに陥っていたら助けに走ってしまう。もしそれが、世界にとっての仇であっても助けてしまう。そんな変わらぬ緑谷のまっすぐさを笑うのは対極の存在だ。
「緑谷か。手遅れにならなくて良かったって?何言ってるんだろうなお前。今お前がここにいるってだけで、助からない奴がいるんじゃないのか?こんな所で何してるんだよヒーロー。また選択を間違えて世界を滅ぼしでもしたいのか?」
おもちゃが飛び込んできたと喜ぶ死柄木は、やけに饒舌になっている。必要もないのに煽っているのも、何かが起きるかもしれないからだ。こいつはそういう生き物なのだろう。
しかし俺と話している時よりも何段かテンションが高いな、やっぱり琴線がまだヒーローに対してありそうだ。
「勘違いしてんな。お前が退屈すぎるんだよ。もう壊れてるやつをまた壊すってのは無理だろ。お前には人類で一番興味が湧かないね」
三人がこの場に揃った。共通点がありそうで、根本的に異なる三人が向かい合った。
緑谷出久。気づいたら体が動き、人を助けてしまう根っからの英雄。
死柄木弔。気づいたら何かを壊し、人を殺してしまう根っからの天敵。
そして俺は、狩峰淡輝は……なんだろうな。
気づいたら何もかも手遅れで、それでも助けようとして、足掻いて殺して、そして失敗するただの人間。そんな感じじゃなかろうか。
「緑谷、こいつは俺に任せてくれないか?お前はこいつと関わらない方がいい。最後にできる大仕事なんだよ。適材適所ってやつさ」
「ああ、全くだね。何を捨てるのかも選べないやつは、ヒーローごっこを死ぬまでやってろよ。こいつは壊れきって捨てきって、何も残ってない廃墟みたいな誠実さだぞ。友達だってんなら見習えよ」
「戯言は無視していい。お前を動揺させることくらいしか今できることがないからやってるだけのこと、灯りに群がる虫みたいなもんだからさ」
「二人とも、これから何をするつもりだったのさ」
「知らないね。拷問でもされるんじゃないのか。殺されるまでの過程は知らないが、ここまで手間かけられてるからな」
「色々考えてたけど、決まらなくてさ。でも殺すことは決めてる。そこまでが俺の仕事だ」
腰につけている銃を抜くまでもない。口頭で起動コードさえ言えば、注入済みのナノマシンが仕事を始める。毒を作って3秒で死ぬ。いつでも実行できるのだ。
「僕、僕は。死柄木に両親を殺されてる。……麗日さんも、きっとそうだ。それに、この噴火。これはもうヴィラン犯罪なんてレベルじゃない。この虐殺をどう言っていいのかもわからない」
「麗日ちゃんね。覚えてたんだなぁ?複製された方、ヒーロー『ウラビティ』が活躍してる雑誌を見せた時なんか笑えたぜ。てっきりもう忘れてるもんかと思ったよ。偽物と仲良ししてるんだから、オリジナルには興味ないんだろ。死んでった名前も知らない誰かさんたちと同じでさ」
緑谷の中には、まだ炎が滾っている。
きっと間近で見過ぎたからかもしれないが、それは噴火を待つマグマのような圧力を持っていた。
このヒーローは怒り狂っている。煽られるまでもなく、あらゆるものの仇であるこの存在を許さないと全身全霊で叫んでいる。
でも彼に殺させることだけは絶対にしない。させてはならない。
「でも。……僕は君のことが知りたい。なぜこんなことを、あんなことをしたのか。聞かせてほしい、話し合わないと何もしれない。殺したりしたらそれで終わりだ。それこそ無意味になっちゃうから」
そのどこまでも眩しい真摯な光に目をほそめる黒い闇はニヤリと笑う。凪いでいた悪意が思い出したように牙を見せる。
そこからの問答は、予想通りのものだった。
緑谷が問う。なぜなんだと。
死柄木が答える。そうしたいからだと。
どれだけ深掘りしようとも、悲劇に関連づけようと、彼の中には光もあった。それ以上にもっと壊したいだけなのだ。
人を大切にすることもできる。仲間を愛することもできる。その上で、どうしようもなく壊したいだけなのだと。問答を重ねるごとに逃げ道が塞がれていく。
悪を悪と認識している。なんなら罪悪感すらある。それでも壊してみたいと言う人物にかける言葉などあるのだろうか。いいや、事実として存在しない。
俺はこの場面を作りたくなかった。
その問答が終わり、沈黙が訪れる。
両者は絶対に分かり合えない。共存できない。同じ世界に存在し得ない衝動なのだ。
だから、俺が終わらせよう。一言言えばそれで済む。後で恨まれようと必要なことだったと自分が納得できればそれでいい。
死柄木弔と世界はあまりに相入れない。ただそれだけの事実を認めるだけなのだ。
「じゃあ、これで……」
「っ待って!!!」
緑谷出久はこちらを見ていた。すべての激情が彼の中で渦巻いている。人々を殺され、両親を殺されて、初恋の同級生を殺されて、悲しい許せない認めない。その気持ちは全く風化していない。
それでも、その口からは全く別の言葉が出てくる。
「僕は、諦めたくない。可能性を終わらせることで、何かが救えるなんて信じられない」
「反論だって思いつくだろ。それは、現実的じゃない。その夢の先には悪夢が待ってる」
「うん。そうだね。ずっと僕の代わりにその悪夢を背負ってくれてたんだ。きっと、大人が君みたいな人が、優しい誰かが世界を救い続けてたんだ。僕はみんなごと全員を救いたい」
「オールマイトでも諦めてくれた理想だ。虐げられた人たちだけでも救わないか?その夢で何人が死んでしまうのか、わかるだろ」
世界を巻き込んだ夢想を実現して、数えきれない人々を殺した俺が言うんだ。ここまで説得力のある言葉もないだろう。
けれど、緑谷は諦めていない。
「うん。でもさ、こういうことを教えてくれたのは君なんだよ。ルールの穴をついて、工夫して、解釈を広げて、ひび割れを見つける。ゲーマーだったらそうするんだろ!?」
ぴくりと死柄木の眉が不快げに動いた。今の言葉に、同意してしまった自分が嫌だったのだろう。
その気持ちが痛いほどわかる。
「僕は君との約束を忘れてない。世界を救って、それで美味しいものを食べるんだって言っただろ!ここで死柄木を殺して食べる夕ご飯が、美味しいわけなんてないんだから!」
それでも、俺は結論を揺らせない。この危険因子を生かして幽閉などもってのほかだ。見込みはない。
「だから、だからさ。僕たちの未来に託そうよ。今は無理でも、10年後。100年後ならどうにかできるかもしれない。今全部を決めて捨ててしまうより、背負って先に行きたいんだ。僕はみんなでその景色を見てみたい」
胸の前で握った拳が、緑の閃光を放った気がした。
「死柄木は許せない。でも50年後の僕は違うかもしれない。それで足りなければ、500年だっていい。人は変われる。結構変わりにくいけど、絶対に変わらないってのは嘘だ。可能性はきっとある。個性が、科学が。この太陽が届く全部に広がって、あらゆる可能性が増えた時。本当に無理なことなんてあるもんか!」
「世界を壊すことはさせない。他の人にも、殴ってでもそれは止めなきゃいけない。殺す必要がある時もあるかもしれない。でも、それは今じゃない。今はまだ、きっと他にやれることがある」
「それを、今思いついていなくてもか?それは無責任って言うんじゃないか」
「猶予はあるはずだよ。誰かが寿命を伸ばしてくれたおかげでさ。その時間の中できっと僕らはもっといろんなことができるようになる。今は無理でも、いずれ、きっと」
力がなくても、ヒーローになれるのか。
緑谷出久はオールマイトにそう聞いた。そしてそれは無理だと断られた後で、ここまで到達している。上位者にすら拳を届かせ、そしてこれからも世界を救うのかもしれない。
嫌になるが、実績はあるのだ。不可能を可能にしてきた奴らにはデータと論理が通じなくて困る。
「ていうか、もう決めたんだな。何言っても……」
「うん。わかってくれてよかった。僕は絶対に彼を殺させないし、これ以上殺しもさせない」
「じゃあまぁ。任せるよ。未来の俺らに丸投げしようか。たいていよくないんだけどな、この結論って」
「必ずってわけじゃない。そんな風に屁理屈だってこねられるよ。淡輝くんみたいにさ」
拳をこちらに向けてくる友達は、激情を抱えながら穏やかに笑っている。それに嫌々拳をぶつけて、負けることにした。やはりこれには敵わない。
「おいおいおい。マジか?そこまでバカなのか。お前はまた後悔することになるぞ。いつの日か俺を殺しておいた方が良かったって泣きながら誰かに謝ることになる。お前ならわかるだろうが!」
そんなこと言われても、こうなったヒーローはテコでも破局噴火でも上位者でも動かない。俺にできることなどない。
「まぁ、お前が今までで一番嫌そうな顔してたし、ちょっといいかなって」
「ゲーマーなら、相手が一番嫌がることをしろってやつだね!」
死刑を望むものに、わざわざ願いを叶えてやることもない。
人には人の罰というものがある。それが、こいつにとっては洗脳でもない真っ当な更生の可能性なのかもしれない。未来がある限り否定はしきれまい。可能性の獣ってやつに噛まれたんだなきっと。
多種多様な人の数だけ、その人の根源に衝動もある。その全てを肯定することは、構造的に不可能だ。
全てを救いたいもの。
全てを支配したいもの。
全てを破壊したいもの。
誰かが誰かとぶつかってしまう。俺たちの中に眠る根源は争い合うことを求めている。
それは血液に刻まれた数百万年単位で蓄積した呪いなのかもしれない。
それでも同じ分だけ祈りだって積み上がっている。ここ数万年の伸び率だって目を見張るのも事実だろう。
あと100万年もあるのなら、不可能なことなんてきっとない。そんなになくても一万年あれば死柄木と仲良くできるのには十分だ。
「じゃあ、行くか」
「うん。行こう!」
二人して立ち上がり、動き出す。
何をするって?決まってる。
人を助けて、美味い飯食わせて、笑わせてやるんだ。
それもまた、俺たちの血に刻まれた紛れもない衝動なのだから。
本編 完!!
エピローグを少し書いて終わりです。
あと少しお付き合いください。