ゆっくりと夜闇に溶けてゆく。まるで船が消えていくようだった。
その帳はだんだんと薄くなっていく。
徐々に顔を出す眩さに目を覆い、そして再び目を開ければそこには見違えるような光景がある。
8分前に放たれ今届いた光をその身に受けて、金色に染まる島の如き方舟。
英雄たちはその船から世界を救いに旅立とうとしている。
そして、太陽が水平線から顔を出すとともに海を滑り出した。
この世界に、新たな一日を届けるために。小さな太陽を炉の中で燃やしてその船は進む。
太陽の方舟が世界を進む。
人類に壮絶な夜と次の一日をもたらすために。
またしても船旅が始まった。それは誰かを助けるための旅であり、彼らにとっての試練でもある。
古今東西、試練を打ち破り勝利して凱旋するものを英雄と呼ぶ。
ヒーローについての座学もしっかり調べたことはある。神話の英雄から実際の戦争の英雄まで図書館で調べられるだけ調べさせてもらった。
そこから得られた結論は明確だ。ヒーローには試練が必要であってそれを超克しなければ英雄とは言えない。
母の元を離れ、父を超えて、そして家に戻ってくるまでが一つの試練なのである。
雄英高校は、本物の苦難を用意する。いや、それは語弊が大いにあるか。世界には相変わらず悲劇が蔓延している。一部の国は先進国としていまだにその文明の光で闇を照らし、人の善性を曲がりなりにも信じることができているが、闇に包まれた場所の方が多いくらいだ。
これから向かう場所は、日本から最も近く。アジアの中でも最低と言っていいほどの地獄である。
その国の通称、北朝鮮。現在の正式名称は『朝鮮人民帝国』である。これはここ8年ほどの呼称であって、国名がコロコロ変わるため、一般人はあの地域の独裁者による共同体を北朝鮮と大雑把に呼んでいる。
あまりにも過酷な生活を送っている人々がそこにいるということで支援先に決まったが、ミャンマーと違い支援自体を拒否されている。領海侵犯を行えば即座に攻撃すると宣言もされていたが、その全てを無視してこの船は進んでいる。
そもそも北朝鮮の武力では余程の個性がない限り、UAIに勝てるはずもない。これは北朝鮮の軍事力が低いわけではない。UAIがおかしいのだ。
現在の兵力でUAIに勝てる、というか戦争をできる可能性があるのはアメリカ、イギリス、オーストラリアと三つに分裂した中国の一部くらいのものだろう。
核融合炉を持つ国家ごと移動する空母群というUAIの実態は世界最強の軍事力とも言える。
北朝鮮の持つ前時代的なミサイルとドローン攻撃程度ではびくともしない。個性による特攻が懸念されるのだが、未来を知ることができる反則まで添えられているから無駄である。
北朝鮮は今だに核兵器を保有していると主張しているがそれがただのハッタリであることは誰の目にも明らかである。まぁ仮に撃ってきたとて撃ち落とせるので問題ない。
あらゆる意味で隔絶した技術と力を持つこの場所は、相応の無茶をできるのだ。
そもそも予知がなくともこちらの個性を併用しているAC部隊に勝利するのは相当に困難だろう。
全一君が敵にいるならまずいが、北朝鮮にはいないはずである。あれは現在、三つに分裂して苛烈な戦争をしている中国北部。魏漢と呼ばれる地域に逃げているらしい。中国は自分であってもおいそれとは侵入できない魔境と化しており、その調査は遅々として進んでいない。
広すぎるのと人が多すぎるのは困りものだ。
いや、そもそもあの最悪の万能ロボット的ジジイが逃げ隠れしようと思うなら、自分であっても詰めきれない。手札多すぎである。クソゲーかよ。いや実際クソゲーだよ?
なんで時間を繰り返せるのにあれだけ負け続けたのかって話だ。あんな少ない手札では2度と戦いたくない。あっちから仕掛けさせて、万全のカウンターで殺すのがベストだろう。5年前に殺害には失敗したが、次は絶対に逃がさない。
そう考えていると血が滾る。物騒な笑い方になりそうだったので意識を現実へと引き戻した。
クラスによって分かれていないラウンジを見てみれば、自由に遊ぶグループと鍛錬や勉強をするグループに分かれている。
ミャンマーでの教訓を経て、真面目に予習をしている人たちが大勢ではある。
しかし心身の調子を整えることを優先するものたちも少なからずいた。
そういうことにして遊んでいるやつも中にはいるが、実際それも有効である。今から緊張していては、最後まで身が持たない可能性もある。それをわかっているのだろう。
真面目な人たちの情報共有が始まったようなので、そちらへ顔を出した。これはクラス関係なしに集まっている。
「では、確認をいたしましょう。基本情報から、起こりうる支援とその際の障害に至るまで、可能な限りの情報共有をしておけば、それぞれシミュレーションもできますわ」
さすが百ちゃん。進行役を自然とこなしてる。そこに痺れる憧れるぜ。
「ありがとねぇ。昨日までバタバタしすぎてて調べらんなかったから、助かる〜」
「助け合いはヒーローの基本!麗日君も何か質問があったら質問してくれ」
飯田と八百万の完璧な進行が始まった。
司会によって統制され、無駄なくそれぞれがネットや書籍で集めた情報を披露した。
語られる内容にどんどん顔が青くなるものもいる。それもそうだろう。
北朝鮮は彼らにとっては実際の距離以上に遠すぎる歴史上の場所であり、ほとんどそのニュースも見ることはない。
この5年でマシになったが、日本のメディアからは世界情勢のニュースは消えて久しかった。あまりに救いようのない内容が多く、そして全一君は日本国民が危機感を持つことを許さなかった。
支配者と支配されるものたちの利害が一致した結果。あまりにも偏った情報の流通が日本の当たり前になっていた。まるで世界は平和であるかのように思わせておいた彼は平和ボケを意図的に起こして何をしようとしていたのだろう。
平和の象徴としてのオールマイトの台頭を笑って許し、そしてその油断を突かれたあいつ。彼の本来の計画は気になるが、まぁ碌でもないものであることは確かだ。
気が逸れた。話は今だに続いている朝鮮戦争へと移っていった。
北朝鮮。もともと朝鮮民主主義人民共和国だった国は、一部の家系によって22世紀までは独裁を敷かれていた。
かの有名な『聖者の行進』事件から世界で進んだ個性革命の流れは独裁国家にほどよく響いたようで黄金の王朝はあっけなく崩壊したのだった。
より強いものが権力を奪い、そしてそれを打倒して次の強者が玉座にしがみつく。
それを繰り返して、繰り返して今に至るのが朝鮮人民帝国なのだ。
今年でなんと226年目になるこの戦争は今だに続いている。節目となる200周年の年には、様々な方策を用いて講和を結ぼうと努力していたが、その時の穏健派が過激派に革命で殺されて戦争は継続となった。200年戦争として終わらせようなんて言われていたが、まだ終わりが見えない。250年くらい行ってもおかしくない状態だ。
ここ20年ほどは武闘派がずっと実効支配しており、隣国である韓国への侵攻を止めない軍事国家として安定している。38度線は過去のものとなりラインは細かく幾度も動いている。
朝鮮統一という夢で国をまとめているが、実際にやろうとはしていない。戦争でエネルギーを使いつつ国内の反乱を防ぎ統率をとっているだけというのが実態だ。
「許せねえな。戦争ってだけで嫌なのに、そんな風に使うなんて」
「でも実際問題、戦争にヒーローが介入して好転した例はないってのは怖くねえか?オールマイトだって避けてたんだろこの手の問題は。個人がどうこうできるレベルじゃねえって」
その通り。考えなしに敵の親玉をぶん殴って終わりになるなら、世界中からオールマイトがすでに戦争を根絶していただろう。
憎悪や差別など争いの理由は根源的なものも多いが、それより多いのは必要だからというものだ。
根本原因をなんとかしないと、争いは消えたりしない。
飢えている。隣国が信用できない。水がない。それらの不安に色んな大義をトッピングしてあげれば開戦である。
オールマイトもそれをわかっているから、その拳を振り下ろすことはなかった。いや、彼は自分の限界をしっかりと知っていたんだろう。その方面には余計な手出しをしない。それが人を救うことに繋がると彼は知っていた。
それとは別に固めた拳から力を抜くこともなかったようだが、それでも彼は耐えていた。
しかし今のUAIならば国家間の戦争にすら介入が可能だ。
戦争中の国へと無断で侵入して病気や怪我、そして飢餓状態の子供達を治療できる。それは侵犯であり拉致であるが、そんなことはどうでもいい。
これは正義の行いなどでは断じてない。人を助けるというたった一人の狂気を俺が勝手に拡大して、世界に押し付けに行くだけだ。後世でこれが正しかったかどうかが語られるだろう。
まぁ、飢餓に喘ぐ罪なき子供を救うことが悪だというなら、そんな未来世界はこちらからお断りという話だ。
「おいおい。うそだろ!?ミャンマーも酷かったけど、それ以上なのかよ。なんでそんなことになってんだ?」
「それは……色々な原因がありますけれど主にはかつての戦争で使われた生物兵器が主因と言われています。その土壌汚染によって作物が育たない不毛な砂漠地帯が発生し、食糧事情は21世紀よりも悪化しています。周辺国、特にロシアと中国は他国へ支援する余裕は一切なく輸出産業も麻薬以外は壊滅状態。一部の個性を酷使してどうにか保っている状態。これは、なんと言っていいか、わからないほどです」
口を覆う八百万はこんな場所があることがまだどこか信じられていないのだろう。ショックを隠しきれていない。
「それでも、僕たちにもやれることがあると思う。いや、僕がっていうより、UAIの医療はすごいし、それをどうにか届けることができればさ……。一人でも救えるんじゃないかって、そう思うんだ」
「ま、俺たちが直接救える人数は限られてるってのは当たり前か、メインはUAIの大人とかだもんな。うん。やっぱ首席は言うことちげーな!」
「緑谷、お前はすごい。なぜ普段はそこまで自信がないのか理解できん。謙遜も過ぎれば自らと同胞を傷つける刃になり得るぞ?」
常闇くんが緑谷を誉めつつもちょっとチクリと言ってくれた。そうだそうだ!そのオロオロしたのやめろ!常闇くんみたいに中二病全開でも堂々としていろ!
「ご、ごめん!そうだよね。直そうとしてるんだけど、追いつかなくて。僕が首席とか今だにまだ納得できない部分があって、め、迷惑だったかな」
「むう……。いや、意図的でないことは伝わっている。無理はしなくていいんじゃないか」
ダメだったか?いやでも他の友達からも言われるとなれば、そろそろ優先順位も上がるだろう。
今回の旅で何かが変わる気がする。いいや、変わってもらわねば困る。
「言いにくいことですが、北朝鮮では異形型の個性の排斥も盛んです。一部生徒は体を隠しての入国になるらしいですわ」
みんなどんな言葉をかけていいかわからないようで、黙ってしまう。
そこで声を上げたのは、異形型個性の彼だった。
「そんな国は珍しくない。日本だって田舎に行けば普通だよ。俺は慣れてる。大丈夫だ。だけど慣れてない人は、今回はUAIに残るのもありかもしれない」
本心からの心配をしているのは障子目蔵君である。彼は身体の部位を増やすことのできる個性であり、見た目は少し一般的な人間から離れている。タコっぽさのある複腕があるから『テンタコル』をヒーロー名として名乗っているらしい。
十分に覚悟はあるようだ。彼がどんなものを見るのかも非常に興味深いな。
「ここで、俺もどうにか役に立てるかな……」
その図体に対してあまりに頼りない呟きをしているのは砂藤だ。
この数ヶ月、彼の個性の成長は目覚ましいものがあった。相手を殴っているエネルギーをカロリーに変えて与奪するという派生的な進化は現実のものになり飢餓状態の人間を点滴を必要とせずに殴って救う事のできる可能性を秘めている。
まだ奪う方の練習はまだまだのようだが、与える方についてはある程度の水準に達しているようだった。
ある種、オールマイトすら不可能であった拳での解決方法だ。これは革命的ですよ!
「今回は一班をお前の個性を軸にサポートまで付けてるんだから安心しろよ。いや大変なことにはなるだろうけど、役に立ちすぎて過労の方面でやばいと思うよ俺は」
「体も仕上げてきたけどさ、多分本気で続けたら一日と保たねえ。くそ!もっと食えるようになりたいっ……」
砂藤の体は最適化されている。それは以前のビルダーにも見えるほどの筋肉に覆われているわけではなく、筋肉の上に脂肪をしっかり纏っているのだった。
プロレスラーから相撲取りへの転向という感じのイメチェンであるが、よくもまぁ3ヶ月でここまで仕上げたものだ。UAIの医療技術がおかしいのか彼に才能があったのか、それともその両方だろうか。ファットガムという脂肪を活用するプロヒーローもいるのだが、彼も短期間で多くの脂肪を蓄えられる体質になっていたし個性によって元の体も変わるのだろう。
彼のカロリーへの干渉はちゃんと超常の域に達している。3ヶ月で30kg増量ってやばいよな。
ひとしきり砂藤を励ましたりしていると、何か言いたげな表情で百ちゃんが近づいてきていた。
「少し、いいですか?」
「ああ、いいよ。話そうか」
そうして少しそこから離れて移動する。深刻そうな表情に流石に冗談を言う気にはなれなかった。
だけど、言わなきゃ。意を決して俺から声をかける。
「いや、ここでついて来るのはなしね。トガちゃん。離れてプリーズ」
「え〜。イヤです。淡輝君と百ちゃんがいるならトガはその近くにいたいので」
ニタニタと笑うその表情は恋する女子高生という感じでは全くない。早く血が見てえと憚ることなく言い放つ彼女の想いは純粋だった。
当然対象に対する好意はあるようなのだが、それは一般的な感覚の好意ともまた違うので分かりあうことはできない。ドキドキするなら全部が恋ってわけじゃないんだ。
だけど、理解できないからって敵対する必要もまたない。
「だってさ、百ちゃん。後でにする?ここで構わない?」
「いえ、大丈夫ですわ。ここで、話しましょう。渡我被身子さんにはわからない部分も多いと思いますが、それでも話をさせてください」
深く息を吸い込んで、そして決意を新たにこちらの目をみる百ちゃんは、逃げないことを決めたヒーロの目をしていた。
「これから、何が起きるというのか教えてください。いえ、何をしようと思っているのか知らなければいけないと、そう、思いました」
5年前の事件以来、すっかり踏み込んでこなくなった百ちゃんがここまで真に迫るのは初めてだった。
それでも、それでもだ。答えは決まっている。
「答えられないね。期末テストの問題を知っていたとして、それを漏洩するほど落ちぶれちゃいないよ。いやフォローにはなってないけどさ」
「私は、前のようになるのを見たくない。そうなるのは許せませんわ」
「前ってのは、ミャンマーのこと?」
「ええ、それだけじゃなく5年前も含めてです」
「淡輝君を取り返すってやつか、でも人は成長したり変わるもんだしさ。流石に11歳に戻れよってのは無理じゃない?」
「そういう!そういうことを言っているのではありません。そうじゃないってことは、わかるでしょう!?」
わかってる。でも、それは無理だと思うのも本心だ。知ってしまえば忘れることはできない。
「わたくしは、ヒーローとしてあなたを救って、戻します。子どもになれというわけじゃなくて、あの時の。あー君の笑顔を、しーちゃんにもまた見せるのが約束なので」
その瞳には以前のような迷いはないように見える。
だけれどそれは、平時の話だ。俺がしていることを見た時に、知った時に同じことが言えるだろうか。そんなことは試したくないな。
「約束は守らなきゃだけど、でも不可能ってのもあるとは思うよ。でも、いいんじゃないかな。そういうの、すごいヒーローっぽくてさ」
そうして彼女を憧れの目線で見ていると、あまりに辛そうにしているのですぐにやめた。空気を切り替えるために、寒々しいのは承知で強制的に話を変える。
「北朝鮮でも珍しいものいっぱい買って、拾いまくるぞ〜」
「美味しいものが食べたいのです」
「それな。絶対見つけてやる。地理的には遠くないんだし、何かしら合うものがあるはず!」
トガちゃんがこの気まずさを少しも察知できなくて助かった。そうしているとUAIが停止したようで、移動の準備が始まっていく。
さぁ。いよいよ、期末テストの始まりだ。
『聖者の行進事件』について
超常黎明期、第三次大戦以前にあった世界的な革命運動。
殺された個性聖人の遺体を引きずって国家権力の中枢まで進む行進デモ活動。
かつての主要宗教や伝説に由来する個性の人物が主導し、多くが中枢まで押し進み既存の権威を否定した。ロシアではじめに起こったこのデモは瞬く間に拡散され、全世界の個性を持つ若者を筆頭に行進が起こった。独裁的な国家を中心に5年で30以上の政権が崩壊し、多くが内戦や戦争に突入。世界大戦の契機となった。