45名の生徒たちは緊張をしつつも、北朝鮮の各地を見回ることができた。
案内された場所はどれもこの国で最高峰の施設であって、対外的に出すことで国の力を誇示できると判断された場所しかない。
「日本の皆さん、左手に見えますのが主体思想塔です。高さはおよそ百七十メートル、完成は一九八二年。塔の頂上には、火をかたどった赤い照明がありまして、夜になると平壌の中心からも美しく輝くんですよ」
穏やかな笑顔の青年ガイドが少しだけ癖のある日本語で案内をしてくれている。
彼の声は、どこか朗らかで、少し誇らしげでもあった。
「この塔の下には、各国から贈られた友好碑も並んでいますね。近くの大同江は平壌でもっとも古い歴史を持つ川で、古くは高句麗の都・平壌城を潤した水流なんです。皆さん、このあと少し歩いて、川沿いの公園にもご案内しますね。」
彼は振り向いて柔らかく笑った。
その親しみのある仕草には作り物めいたものはなく、純粋に好きでその仕事をしているのだと伝わる態度でもある。真面目なのだろう、ほんのわずかな緊張の中にも確かな誇りが感じられた。
「さて、次にご覧いただくのは凱旋門です。こちらはパリのものより少し高い、約六十メートルあります。建設は一九八二年、朝鮮の独立を記念して造られました。表面の花崗岩の一枚一枚が職人の手によるものなんですよ」
凱旋門を通り抜けると、遠くに金日成広場が開ける。広い石畳に、朝鮮式の装飾を施した建物が並ぶ。
そして、各地を訪れるとそこには必ず歓迎を全力で示す人員が配置されていて、決まりきった笑顔を貼り付けた少年少女たちが歌と踊りで出迎えては、ヒーロー候補たちの顔を歪めていく。
なぜ彼らは喜ばないのか。その陰鬱なものは裏側に感じる何かなどではなくもっと物理的でわかりやすいものが原因でもある。
暗い。暗いのだ。
これは雰囲気などの感覚的なものじゃない。室内が物理的に暗いのである。
廊下には窓があるが、今日は曇りだ。照明の数がそもそも少ない上に、昼間にそれはつけていない。
彼らはそれが当たり前だと思って豊かさを主張している。そのギャップに気づいた者は言葉を失ったようだった。学生が集まればワイワイするものだが、もはや誰も雑談などできない雰囲気になっている。修学旅行で原爆ドームから第三次大戦終戦記念館行ったとき以来のお通夜モードですこれはマジで。
しかもそれは今まさに目の前の出来事であって無力なのは自分である。それは似ているようで全く異なる感情であった。
とはいえガイドの青年は良い人で、楽しく盛り上げてもくれている。
その話術は巧みで、そして興味をそそる紹介もしっかりと生徒たちの心を掴んでいた。美味しいものもある。日本語を話せる人も。そして話せば笑い合える人がいるとわかって、どこか安心したところもあるのだろう。
ようやくみんなが観光気分になってきた時、それが起こった。
「ああ、やっぱり皆さんはすごいですね。でも立派です。苦労はいつか報われますから、きっと無駄じゃないはずです」
心からの労いと共に賞賛が送られる。それは青年の本心だった。
「えっと、なんのことですか〜!」
「彼らを仲間に入れてあげているでしょう。それは大変だなと。我が国にはそういう人間はいませんからね。障害を持つものもいない。彼らのようなのは一人もいない。それらに苦労する外国は大変ですね」
そう言われて、誰もが理解できずに止まってしまった。
何を言っているんだろう。なぜ理解できないんだろう。そんな相互理解不可能な溝が現れて、人々の間を引き裂いたような沈黙だった。
「いないって、どういうこと?」
「そういうのは、不完全な国で起こることです。人民は満たされていて、だから異常は起きない。障害や奇形は、不徳からくるものですから。清貧と労働に勤しめば、やはり報われるというものですよ」
異形型の友人たちを、差別的な攻撃から守ろう。
そう覚悟していたものたちは結構な人数がいた。しかしその誰もが動けなかった。だって彼には悪意なんてなくて、こちらをむしろ労わってくれる優しさしか感じないから。
そして、いないとはどういうことなのか。それを想像できたものはさらに言葉を失った。
「すまん。少し、バスで休んでくる」
いち早く気づいてしまった障子くんが離脱する。他にも数名の異形型個性の生徒たちが続き、淡輝はそれについて行った。
バスの中、彼らは腰掛けて何も語らない。
淡輝が入ってくると、どうにか言葉を絞り出した。
「差別とか、そういうものと戦うつもりだったんだ。そういうのを無くしたいっていうのは言ってなかったけど、目標でもあったから」
震える声は、彼の心の揺れをそのまま反映させていた。
「でも、なかった。ここには差別すらなかった!!差別をしてすら貰えていない。生まれた時に殺されていれば、存在はなかったことになる。そのことに初めて気づいたんだ!」
「こんなことは死んでも口にしないと思ってた。俺が受けた傷は変わらない。それでも、思ってしまった……」
「何を、考えたんだ?」
「差別をされるのがマシ。なんて地獄がこの世にあるなんて、考えたこともなかった……」
いなければ差別すらない。生まれた時に消してしまえば、差別意識すら生み出されない。それは日本ではあり得ない価値観であって、想像だにできなかった現実だった。
一部の生徒は、すでにツアーに参加することを諦めた。あまりに違う異文化にその悪意すらない何かのプレッシャーに耐えられなくなったから。
-・・・ -・-・ --・-- -・--・
すでに空気は終わっている。ツアーガイドの青年はなぜそうなったのかわからず困惑し、そしてその態度を責める気も起きない生徒たちは、ただひたすらにやるせなさを感じているのだった。
そして極め付けというように、最後に訪れた霊廟で衝撃の光景を目の当たりにする。
「あ、あれオールマイトじゃね?」
「ほんとだ!っていうか、そうなると相手は!?」
「まっじかよ緊張してきた!首脳会談ってやつじゃねーか!」
十分に近くまでくると将軍が上機嫌そうに、優しく微笑んでいた。そんな表情はどんな資料にも載っていなくて同一人物だとは思えない。
「よく来たな!学生たちよ!我が国の観光は楽しんでくれたかな?だが、もっと良いものを用意したぞ。最後に見ていけ。これがお前たちの英雄の姿だ!」
「なんだ?何してくれるんだ?」
「え……。オールマイト?」
憧れが膝をつく。その光景に理解が及ばない。
そして手をつき、最後に頭を下げた。
下げて、しまった。
「な……!?」
「何やってんだ!オイ!!オールマイト!!!あんた何を、してんだよ!」
最も激しく反応するのは緑谷かと思っていたが、意外にも爆豪が最速で怒鳴り散らす。
それでも辛うじて個性を使っていないのは。自分たちが何かをしてしまい、それの尻拭いを彼がさせられている可能性がよぎったから。
けれど、それでも。絶対に許せないことが続けて起こる。
あの将軍が下卑た笑いを浮かべながら、土下座をしたオールマイトの頭部を踏みつけたのだ。
「おい!てめえ!やめろ!」
「っやめてください!」
一国の指導者への言葉遣いではないが、その無礼にこの場の誰も異議はない。緑谷すら怒りで握り拳が震えている。そして轟はそこへ駆け出した。
「止まれ!ありがとう。でも見ていてくれ、少年少女たち。これは、私の戦いなんだ」
その一言には信念が込められており、その眼差しはいつもの憧れそのものだった。
そしてそこに白い粉と欠片がかけられる。
「ほら、これがお土産だ。前任者の邪魔な骨があったからな。かき集めて、そこら辺に埋めておいてくれ。頼んだぞ友人よ」
フハハ!とひとしきり笑ったのちに、彼はその場を後にした。
英雄が踏み躙られる光景でこの一日は幕を閉じる。大事にしていた価値観がズタズタに崩されて誰もが言葉に詰まる時間が過ぎる。
狩峰淡輝は考える。
あの暴虐を許せないという気持ちは死ぬほど理解できる。あの光景は何回見ても慣れない。
最後の光景以外、この国は裕福で先進的で素晴らしい国であるということをアピールするために観光をさせられていた。
見せられた光にも誤魔化しの効かない影は差し込んでいたが、その裏にはもっと濃い闇が確かにあった。配給に並ぶ彼らの表情や裏で叱責を受ける子供達など、その存在は皆が感じていただろう。
とはいえである。
都市部に明暗は存在する。けれどあくまでもその中でのグラデーションに過ぎない。
日が沈んでから国全体を見渡せば首都こそが光であり、それ以外が闇に包まれている現実が見えてくる。
それは実際に夜の衛星写真を見ても明らかだ。隣の韓国は主要な道路や海岸線がわかるほど光が溢れている。そして北朝鮮国境がその光の境になってしまっている。
首都である平壌にはかろうじて光がみえるが、他はほとんど暗闇だ。
発表している電力指標は当てにならないが、実態は隠すこともできず衛星写真に映し出される。
なんと北朝鮮の発電量は、ピークが1990年だというから驚きである。150年以上経ってなおそこを越えられないというのは、もはや超える気がないとしか説明がつかない。
北朝鮮に空軍は存在していない。そもそも空軍を維持できている国は珍しく制空権という概念は一部の特権となっている。
そこをUAIのドローンは静かに誰にも気づかれず飛んでいく。そこで収められる記録はあまりに酷いものだった。
オペレーターたちも、そのデータを見た情報士官たちも。絶句する他ない。
「嘘でしょ……?」
瓦屋根の落ちた家々が並ぶ村には、もう煙の立つ竈がほとんど見られなかった。
畑は痩せ果て、土を掘り返して芋と言えるのかわからない根のようなものを掘り返している。 人々は野草や木の根、時には樹皮を削り取って鍋に入れていた。
子どもたちは静かにしており。泣く力さえ尽きると ただ口を開けたまま眠り込む。 母親たちはその顔に布をかけ、目を逸らしながら、 空の器を井戸水で濡らして口に運ばせるしかなかった。
皮膚は張りを失い、薄い膜のように骨格に貼り付いて、膝や肋骨の形がはっきりと浮き出ている。
腹部だけが不自然に膨らみ、栄養失調の苦しみを雄弁に物語る。腹水と呼ばれるこの症状は飢餓状態が慢性化した子供に多く見られる症状であり、手足や胸部との対比がより顕著になる目を覆いたくなるような光景だった。
眼窩は深く落ち込み、瞳は乾いた石のように光を失って、ただぼんやりと空を見つめている。
泣く力もなく、口を半ば開けたまま弱々しい呼吸だけを繰り返していた。
なぜこれで生きていけるのか。そう思ったのを誰が非難できるだろうか。
痩せこけた男たちは、肩を落とし畑と家を往復し棒のような足取りで帰ってゆく。 村の広場にはかつて家畜をつないだ杭が立っているが、 そこに繋がれるものはとうにいなくなっていた。
ここでは都市のような配給の列すらなく、 次の一日をどう過ごすかだけが唯一の関心事だった。 生き残るための工夫はすでに尽き、 残っているのは、ただ耐える時間と、 日に日に色を失っていく人々の眼差しだけであった。
そして、この惨状が
オールマイトが心を痛めつつも冷静に判断し、彼らを助けるために全力を尽くすと決めた光景でもある。
そしてここからは、狩峰淡輝が隠した光景が映される。これを事前に見せてしまうと全てが瓦解するからと、オールマイトには見せなかった光景だ。
そこはかつて第三次大戦の折に北朝鮮側が自ら使用した生物兵器の影響が色濃く残る地域であって、ほぼ砂漠化している場所でもあった。
先ほどよりも明らかに酷い栄養状態であろうと予想していた見るものにとって、予想外の光景が映っている。
その村には、かすかな焚き火の匂いが漂っていた。 先ほどまでの集落では煙もまばらであったのに、 ここだけは肉を煮る鍋が集落の至る所に存在している。
「どうして?都市郊外よりも栄養状態が良いようにも見えますが……やはりここは重要地点として支援が?」
「黙ってろ!何も喋るな!」
困惑する新人が、普段は穏やかな先輩に急に怒鳴られて口をつぐんだ。
「悪い。でも、いいから。何も考えずに今は仕事をしろ」
映像は止まらない。若者はただ笑顔で器にその中身をよそい、 濁ったスープを受け取っては唇を濡らす。大人ほど無表情でそれらを黙々と口へと運ぶ。
他の村では雑草の根さえ奪い合うというのに、 ここには過酷な労働への備えとしてお腹いっぱいの肉がある。 穏やかな雰囲気がそこにあり、不自然なほどの平穏が流れている。
そんな平和な集落へと軍用車が到着した。軍服を着た男たちが一つの戸口へと立つ。
彼らの皮膚は一様に緑色であり、銃を持っている。乱暴に戸を叩き、開けろと怒鳴っている。この北朝鮮において通常の人間とは異なる様相を許されているのがまずおかしい。
震えながら、母親がその戸口を開けて彼らを見てそしてその場にしゃがみ込んだ。
押し入る男たち。髪の毛を引っ張られて乱暴に家族が整列させられている。
子供達は泣き叫び、そして大人たちは何かを必死に訴える。
村のものたちが家から出てきて周りを囲み始めた。必死に足掻く彼らを見て幾人かが笑っている。
軍人たちが何かを周囲に聞くと、彼らは黙って指を差す。
19歳程度だろうか。若い男性がその指先にいて固まっている。何かをしたのだと密告されているらしかった。
家族が暴れるも彼は連行されていき、そしてきっと戻ってくるのだろう。
オペレータールームは最悪の空気に包まれている。
その光景に意味を見出したものは、席を立ちトイレへと駆け出した。
別の一人は、咄嗟にオールマイトへの緊急回線を開こうとしてアクセス権がないと拒否される。
「どうして!?今なら!今なら間に合います!オールマイトに伝えればすぐに助けに行ってくれる……!」
「無理だ。その勝手な操作はできない。マリアに止められてる。事前に決定している情報網以外にこれを流すことは不可能なんだよ。オールマイトへは特に規制がかかってる。理由はお前の言った通りだ」
「そんな……そんなことって。だって我々は、彼を救いに来たんじゃないんですか!!?」
「そうだ。けど、違う。俺たちは彼らをできるだけ多く救いに来たんだ」
「先輩、先輩って雄英卒の元ヒーローですよね!?だったら、なんで。そんな風にできるんですか!」
その言葉の正しさくらいは彼もわかっている。しかし、それでも納得はできなかった。
「なんで体が勝手に動いて人を助けないのかって?そうだよな。でも、ここでしばらく働いているとわかるんだよ。今まで見えてなかったものが見えてくるんだ。あとで話してやるから、今はただ仕事をしろ。情報をまとめて要点を探れ。それが彼らを救うことになる」
かつての自分を後輩に見て、懐かしさと共に羨ましさすら湧いてくる。そもそも、何をしたってここからオールマイトへ勝手に何かを伝えるのは不可能なのだ。
上層部の判断でオールマイトはこの最深部の闇を知らされていなかった。
知っていればその時点で彼は走り出してしまっただろうから。そうすればあの集落だけは助かるかもしれないが、他にある付近の27の集落では隠蔽を目的とした虐殺が起きてしまう。だからこそここにいる彼らを保護することはできなかった。
オールマイトならそれでも全部をやってのけるかもしれない。しかし彼の力は今や制限付きである。無限に湧き出るようなものじゃない。その力の振るう場所を間違えればそれは致命的な災害や悪意を許すことになるだろう。
大人の正論。冷徹な最善を、熱い若さは否定したい。けれどそれをできるだけの力がなかった。
事前に準備をしていた最善がヒーローたちの行動を許さない。
そして翌日の晩、会談を終えて救助の許可を得たオールマイトへとこの情報は伝えられる。
その役目は、淡輝が買って出た。これについて責任を負えるのはこの世でただ一人だけだから。
「狩峰少年。君は、もっと前から知っていたんだろう!」
「ええ、知ってました。日本を出る前にそこまではすでに見ていましたので」
明らかに憤慨しており怒りをどうにも抑えられない様子だが、この怒りは情報を隠していた淡輝に向けたものじゃない。
「すまない。本当に。これほどのものを、また背負わせてしまった。そして配慮までさせるなんて大人として失格だよ」
「でも、そこで動かないあなたは、あなたじゃない。そんなヒーローに救われたんですから、それはそれで良いと思ってます。いや、むしろそうじゃなきゃいけない。最適最善なんて吹っ飛ばして理想をぶち上げる。それがヒーローってものでしょう」
「ならば、ならば!なぜ言ってくれない?」
「あなたは今、ヒーローを降りつつある。力を失いその精神性だけで立ち向かうこともできるでしょう。けれどそれではあなたは死ぬ。俺はあなたに死んでほしくないから、こうします」
この点に関して知り合ってからの5年間。何度話し合ったかわからない。けれど決して俺は譲らなかった。彼の平和への切望と同じように、俺はオールマイトに幸せになってもらうのだ。
「だがもう私は知ってしまった。となれば次にすることもわかるだろう?」
「ええ、もちろん。作戦の準備も進んでます。深夜まで待ってください。それで最低限の子供たちは保護できます」
「わかった。しかしそのあとは……」
「ええ、行ってください。あなたが来たってことをこの国の人たちにも伝えてあげましょう」
事前に伝えていた規模とは一線を画すレベルでの救助支援。一応の合意はあるため強くは咎められないが、それもオールマイトが殴り込みをかけるまでの間だ。
そもそも北朝鮮はオールフォーワンの支配下にあり、UAIとの戦争を望んでいる。そしてUAIは戦いも辞さずこの国にいる人々を救いたいと思っていた。
つまりは戦いになることは決定事項だったのだ。それがいつになるのかという話であった。
これが見えた中での最善だった。そして今回はどうなるのか、一応勝算はあるが丁寧に様々なパターンを見ていかなくてはいけない。
人を救うための戦争。
使い古された戦争の言い訳を掲げて他国へ攻撃を行う我々に正義はない。
ただエゴをぶつけて、必要ならば殺し、そして人を勝手に救うのだ。
正しくない状況を整えるのはヒーローではない自分の仕事。理不尽な状況であってもそこで踏ん張り、限界まで人を救うのがヒーローの仕事である。
長い長い、夜が始まる。
残念ながら北朝鮮ガイドのお話は実話ベースです。
10年以上前に北朝鮮へと訪問した韓国の方の経験談から引用させてもらいました。
北の核心階層(上級国民)の生活はアマプラの『太陽の下で』というドキュメンタリー映画で少し見れます。全然おすすめはしませんが、非常に面白い作品でした。監督は殺されないといいなぁ。