逃げると言うことを、生まれてから負けるまで一度もしたことがなかった。
常に歩けば相手がそこを譲り、譲らなければ押し除けた。勝ち続けて人が跪くのが当たり前になっていく。欲しいと思ったものは全て手に入れて。そして邪魔なものは全部消すことが僕の日常。
そんな時に現れたのが、勝手に友人を名乗る不審者の二人だった。当然殺そうとしたが、なぜか片方は殺しても死なず。片方は殺すことすらできなかった。
「アドバイスをしてあげましょう。あなたのプレイは雑すぎます。ゲームをしてみてください。特にローグライク系の名作とかいいじゃないかな。ゲームをしてればこんな変哲もない主婦とおじさんに殺されかけることもなかったかもしれませんよ」
「いつまで戯言を話すつもりだ。そんな暇はない」
「老化しないんでしょう。いくらでも時間はありますよ。『スレスパ』と『ヴァンサバ』は絶対で、『ハデス』もいいかも。あとはこれ『インスクリプション』もやって欲しいなぁ。これストーリーがいいんですよ本当に。たまにはコミックだけじゃなくてゲームくらいしてもいいでしょう」
幼少期に自分がコミックを読んだことをなぜか知っている気色の悪い女。まるで人の話を聞かず、全てを押し通してくる。力を持っていないくせにまるで自分のような歩み方をしている異常者だった。
「話を聞け。いい加減に殺すぞ」
殺せなかった。
いくつもゲーム機をダメにしながらも、それでも何かを学ぶためにそれらをこなしていく。
そして癪ではあるが、わかったことがあった。
ゲームという制約の中で自分にできることはあまりに限られている。これが普通の人間の感覚なのだとということが理解できた。ステータスを自由に伸ばすことも、能力を新たにいくらでも追加することもできない不自由をまるで自分は理解していなかった。
最適な組み合わせ。最善の準備。そして忍耐力と自身を変化させるという何より重要なその考え方。それらを手にした時にかつてのやり取りを思い出したものだった。
「それで、ここまで僕を支援するのはなぜだ。君らのせいで僕はもう考え得る限り負けないような準備をすることができるようになった。君らは世界を壊したいのか?」
「いいえ。全然ですよ。混沌の無秩序は良くないですからね。誰かとても強い人がどんな形でも社会を維持してくれた方がずっといい。そんなに悪ぶって、実際悪い人ですけれど。あなたは悪の魔王になりたいんでしょう。ふふ、一生誰にも言われることもないと思うから私が言ってあげますが結構可愛い夢じゃないですか」
自分の秘密をなぜか知ってるこのクソを殺そうと思って手段を尽くしたができなかった。
崩壊した建物の残骸の中、その女は帽子を目深く被って月を見上げている。
「混沌の中では善悪など生まれない。ただの強弱ですそれは。ある程度の文明社会を維持しないと、悪なんてものにはなれないんですから。悪の大魔王になるために、頑張って世界を守ってくださいね」
そうして奴は言いたいことを言うだけ言って消えていった。経歴や調査の一切をさせず。そして何より近づこうという気力を奪われた。二度と会うことはなかったのに。
あの女の予言を思い出してしまう。
この状況はなんだ?
本当に何だこれは。意味がわからない。
オールマイトが何かを振りかぶると全てを消し飛ばされる。無敵のはずの障壁が、防壁が。衝撃をいなすはずの個性たちが何もできずに無くなっていく。
また殺される。潰される。いくつもの残機を奪われた。
こいつは殺しはできないのではなかったのか。だから脅威ではなかったというのになぜここまで違っている!?
まずい。まずい。まずい。早く逃げなくては。
「ナイトアイから伝言だ。いや、予言かな。『
オールマイトに煽られて血管が切れそうになる。
言い返そうとするが、それは以前反省した自分の悪癖であると自制して取り合わない。言葉の通りになっているようで癪だが、とにかく今は離れなければ。移動系の個性は因子との適合が非常に難しく、本人でないと一度使えば因子が壊れてしまうことが多かった。
『黒泥』によるワープは珍しく使い手を選ばないため重宝している。
一度使えばしばらくは使えないことも承知で『緊急脱出』を発動させて、事前に設定したビルの屋上へと移動する。
約1kmの距離をものの10秒ほどで光になって移動した。
これでようやく一息つける。
「全く、あれは一体何だった……」
目の前にいるのは、サーナイトアイだった。昨日設定したばかりのこの緊急避難先。それになぜか先回りして、大口径の拳銃を構えてそこに……
ガァアン!という音と共に超重量の銃弾が打ち込まれ、防護を失っていた頭部に穴が開く。
それでも復活し、逃げようとする。距離さえ取れれば絶対に負けないのだから……
「私の『
なぜここに。そう思うが体は最適な行動を再開している。もう一度移動の個性を発動させていた。ダメだ。あの場所に近いところには行ってはいけない。避難場所として設定していた無人島。東京から2時間はかかる島の一つ。
そこへと『再構成』する。また一つ移動個性を失うが、それでも死ぬよりマシ……
なんだ、これは。
青い光がそこに満たされている。体を焼くような熱がそこに溢れかえっていて、ここにいてはいけないと全細胞が叫んでいるようだった。
青い悪魔の炎が空間を満たしているようで、熱以上に蝕んでくる何かを感じる。
『強制起動』『緊急脱出』
個性を壊して無理やりに移動した先は、東京のどこか近郊の森の中。それほどのランダム性だった。自分でも正確にはわからない。
なのにこいつはここにいた。
「なん……で」
「ストライク、ど真ん中。いい球だ」
UNITED STATES OF SLUG!!!!!
再びオールマイトによって振るわれる透明な何かにまたひしゃげ潰される。
だめ。だめだ。本当に死んでしまう。死にたくない。
『避難』を発動。もう一つのセーフゾーンへと移動した。これは西東京の隠れ家であり、決して奴らにはアクセスできない場所なのに……
ナイトアイが、そこにいた。
「
意味がわからない。今度こそと何かされる前に逃げ出せた。
何も考えられず、最後の移動個性を使い切って移動した先は、なぜか最初の神野区のビルだった。
事前に設定した愛用の物品へと転送する個性だったはずなのに。
そう思えば、そこに愛用していたコートが落ちている。
この理不尽さ。かつての記憶を思い出した。いやあの女の時よりも意味がわからない。
それよりも何よりも、なぜここにもナイトアイが立っている!?ワープの個性を持つ誰かが支援をしているのか!?
「転移やワープなどがあればもっと楽に倒していたよ。失礼で愚かなやつだ。人の話は聞くものだぞ。そんなにすぐ逃げるな。すでに移動個性も復活個性も残りはないのだろう。無理な乱用で因子が傷んでいるな。『超再生』だって万能じゃない。無理をしすぎじゃないのかな」
「お前は、お前があいつの……」
こいつの個性は明らかに進化している!ここまでの未来予知など、あり得ない!あの女の系譜だ間違いない!
「祖母がお世話になったかもしれない、というよりお世話をしたんだったか?随分負けたらしいじゃないか。九死に一生を得てそれとは反省が足りないようだな」
「その個性を寄越せぇえええええ!!!」
「ああ、いいとも。くれてやろう。だが気をつけるんだぞ」
伸ばされた腕を強引に掴み、そしてそれを『オールフォーワン』で奪ってやった。
「未来を知ってしまえば、もう変えられない。無知こそが武器なのだと愚か者は後から知るんだ」
その目を見て、覗き込んで。未来を見て……。こいつが死ぬところを見てやる。
……
…………
……………………
ナイトアイはこちらを見ていた。椅子に腰掛けて、そして揺るがぬ姿でこちらを見ている。
こいつはこの後すぐ死ぬはずなのに、なぜこんな態度なんだ?
「やあ。オールフォーワン。ゴミ個性と言われた『予知』の使い心地はどうだ?まぁそう怒るな。ユーモアは大切だぞ。何といっても、我々は今まさに階下で臨界に達しているプルトニウムのγ線を浴びているのだから。もう超再生は使えないデーモンコアといえば少しはわかりやすいかな。先ほどの離島と今この時。二度も被曝した上で再生をするのならガンが爆発的に増えるだけだから、長生きしたいならやめておけ」
それは死刑宣告だった。しかも自爆して、そしてこれから死ぬらしい男が飄々と話しかけてくる。
「聞いておどろけ、見て笑え。これが貴様の最後なのだから。いいか、お前は今から『敵と対峙し言い表せようもない程に凄惨な死を迎える』これと同じ死に方だよ。じゃあ、お先に。いや、こちらが後なのだがね」
ガァアン!という音と共にナイトアイの頭部が吹き飛んだ。先ほどの銃と同じ音だった。
そこで予知は終わり、そして目の前には不敵に笑う男がいる。
「おかえり。狩り場へようこそ。ここで足を止めてくれてよかった」
「お前、お前が……僕の敵……」
こめかみには銃口が突きつけられていて、それが今まさに放たれるところだった。
「いいや、私はヒーローだ。
わざわざ敷いた鉛のカーペットに鉛の重い服。それを揺らしてどうにか銃を構えるのはオールフォーワンが初めて見る子供だった。帽子を目深く被ってマフラーで顔を隠しているため表情は見えない。
一体誰だ?
それでもその目は獲物を射抜くような目であった。
「お前、その帽子!!!?」
脳裏によぎったのは二つの言葉。かつて二人の女に言われた予言だった。
ワンフォーオールをオールマイトに譲った所有者。志村奈々の死に際の一言。あの無様に理想を抱いて死んだ負け惜しみ。首を握り潰される前の遺言が記憶から溢れ出す。
『オール、フォーワン…… お前はオールマイトに負ける。必ず、ね。だって……お前より、俊典の方が、イカれてる』
かつてこの世界を支配するきっかけになった女。核戦争の回避と世界の支配を提案し、それをこの僕に飲ませた化け物が言った言葉を思い出す。
『今後、私の家族や子孫と関わることがあればあなたはきっと破滅する。お互いのためにそれは避けましょう。なら教えろって?それはダメよちょっかいかけるでしょ。ハズレを引かないように、できるだけ人に優しくでもすれば?』
こんな、こんなものが走馬灯だとでも言うのか。こんな……
———————ガァン。
乾いた衝撃音が鼓膜を震わせるより早く、その器官を鉄塊がぶち抜いて静寂をもたらした。
無言で銃弾を放ち言葉と思考を奪う。そして狩人は黙して語らない。
取り出したナイフで目玉をくり抜き、そして執拗に右腕を切断するまで切りつけ続けた。
穴の空いたその頭部を踏みにじり、自分の澱みの全てをぶつけていたのは彼の人間としての怒りだったのかもしれない。その後の恨みをぶつけるような仕打ちは表現できないほどだった。
「やりすぎだ。銃弾だけで死んでいただろうに。スプラッタは笑えんぞ」
ナイトアイに止められた。ちゃんと心配している様子で、どうやらやりすぎてしまったらしい。
「あなたが凄惨な死を迎えるなんて言うから、仕方なくですよ。それにこいつはあまりにしぶといので原型を残したくないんです。予言は尊重しないといけませんからね」
「その割には笑っていたがな。ところでお前の曽祖母は一体何をやらかしらんだ?子孫を見れば大体は見当がつくが、あそこまでのトラウマをあれに与えるなど尋常ではないぞ」
「全然知りませんよ。でも、友人と言ってることもありましたし単純な敵対関係でもなかったみたいですね。殺してくれればよかったのに」
「お前とオールフォーワンが組むなど、それこそ悪夢だな。前にも聞いたが改めて、巨悪を倒した後にも聞こう。ヒーローになる気はないか?」
真剣に問う彼は、実のところ温かな感情をその瞳の奥に隠していると今は知っている。詰問するように見えるのはあえてなのだろうか。この温かみを陰らせる何かがあるなら絶対に殺してやる。
「なりませんし、なれません。俺にとってヒーローっていうのは特別な存在なので。それでも、やれることはやりますよ。みんな殺してでも救えるものは助けるんだって決めたので」
旧い支配者は狩り殺され、そして明けぬ夜は明けていく。
日本の夜明け、社会が変わる時というものはいつも血で染められていると歴史が証明している。これは必要な流血だったんだということにしたい。
初めて、はじめてだ。ここまで来たのは。
そうして狩峰淡輝は選択を迫られる。やり直すのか否か。もっと良い結果を取るべきなのか否かという問いに向き合わされることになる。
「では頼みがある。ヒーローではないが力を持つ狩峰淡輝という少年にしか頼めないことだ」
「なんでもやりますよ。それこそ誰を殺せばいいんですか?」
「私を殺してくれ」
助ける。なんでも頼みを聞くと決めた存在から、殺してくれと頼まれた時。
この矛盾に一体どう向き合えば良いのだろう。