きっちりと分けた七三分け。メガネの奥からはなんでも見通すかのような鋭い眼光がこちらを見ている。ぱっと見はエリートサラリーマンという風貌だが、実のところ彼はヒーローだった。
世界一のヒーロー。その相棒である男だ。
「狩峰淡輝。お前のその力は、あまりに危険だ。いや、違うな……表現を間違えた。お前を取り巻くその力は考えられないほど危険だ。それが何か私は理解できないが、一人の人間が背負っていいものじゃない。そしてそれは個性なんかではない。それだけは確かだ」
俺の人生をたった一時間で見通して、そう評した。彼は一体何を見たのだろうか。
いや、知っている。これから二日以内に自分が死ぬ姿までを見たんだろう。彼から見ればなんてことはない自殺に見えるだろうによくそこまでわかるものだ。
「世界をやり直すかの如き力。それは神の領域……。いや、あまりに勝手で歪にすぎる。神とは到底呼べんな。百歩譲って邪神の類だろう」
思わず笑いがこぼれる。邪神。邪神ね。
あまりに言語化がハマったから、笑ってしまった。
「お前のその笑い方は、よくないな。よし。決めたぞ。お前を腹の底から笑わせてやる。それは、ヒーローとしての、サー・ナイトアイとしての仕事だ」
そんなの無理に決まってる。この状況で腹の底から笑うなんて、不可能だろうに。
そう思った俺は、5年前の夢から目が覚める。
-・・・ -・-・ --・-- -・--・
上がった口角をなぞると微笑んだ状態のまま起きたことに気づく。いや、懐かしいな。
当時はユーモアなんてクソ食らえと中指をぶち立てていたものだ。色々な意味で若かったから。仕方ないね。
あの時は別に良い印象でもなかったどころか敵視していたが、今となっては良い思い出である。
サーのあれこれを考えつつ朝食を食べて、そして部屋を出る。
サーと交わした約束を守らねば。そのためにまずは最高のヒーローの卵たちを選び取り、この最新の雄英にて育て切る。そのための第一歩がこの入試だ。
もはや目線は完全に受験生ではないが仕方ない。だってこれ俺のアイデアだし。
さて、いよいよ筆記試験の当日だ。
UAIランドは大海原を進むが、施設内にいれば地上にいるようにしか思えない。揺れはなく海の音は遠い。
受験生は会場で席に着き、神妙かつ緊張した面持ちでその時を待っている。
開始時間は早朝。そして終了時間だが、聞いて驚け見て笑え。驚異かつ脅威の12時間後である。
多くの受験生がその要項を見たときに白目を剥いたことだろう。あり得ないほどの長丁場であり、どれほどの難問が大量に出されるのかと皆が恐れ慄いている。
これが新しい雄英か……とみんな飲み込んで腹を括っているようだが流石に半日丸ごと試験に詰め込むつもりも必要もない。見ているのは彼らの行動だ。
会場は広い。壁、天井、床、段差状の座席群、そして正面にそびえる講壇スクリーン——どれも反射を最小限に抑えた、滑らかで機能的な素材で造られている。
空調の音すら聞こえない完全静音環境は独特の威圧感を与えている。これもまたある種の演出ではあるが、人間工学的に集中できる環境を設計してはいた。
高く広がった天井には光源らしきものが見えないが、部屋全体は均質で陰りのない照明に包まれており、まるで光そのものが空間から滲み出しているようだ。
1000人は収容できそうな大空間なのに、音は吸い込まれるように消えていく。
それぞれに割り振られた机には何も置かれていない。全面タッチパネルの机に、試験開始とともに問題が表示されるだろう。いまだに紙での試験が多い日本は150年前から殆ど光景が変わっていない。
雄英がこれからの規範を示さねばならぬと、この近未来感をビシバシ感じる方式で試験をすることに決めた。
いや、内容がシンプルすぎて演出でもしないとって思ったんだけどね。
回答者はそれぞれ、手書きでもキーボードでも好きな方法で入力することができる。
緊張した面持ちの真面目な学生しかこの部屋にはいないが、不正対策も準備はしていた。AIによって確実に察知されるようになっている。
高まる緊張。そして時間になった。
一斉に画面が切り替わると、部屋が照らされて世界の色が変わったような気がしてくる。名前や受験番号はすでに入力されている。
そして試験内容が目に飛び込んできて……全員が同じものを見て、息を呑んだ。
設問は
【問題1】
「ヒーローとは何か」について、あなた自身の考えを述べなさい。
【問題2】
二日後に到着するミャンマーにおいて、あなたができる具体的な行動内容について説明しなさい。
【共通指示事項】
試験残り時間 11:58:24
* 試験時間内に自分自身の考えを記述してください。
* 上記以外に指示事項はありません。
いまは試験中だ。ざわつく事は出来ない。不安を表に出すことも許されていないと誰もが思っている。
しかし互いの動揺は手に取るようにわかる。
なんだこれは。一体これはなんだというのだ。そんな困惑が全員からひしひしと感じる。
制限文字数が見当たらず、ただの白紙のページが表示されているだけ。威圧感すら感じる新雪のような真っ白さ故に、手のつけどころがわからない。余白の多さが学生たちをさらに混乱させた。
受験生たちは去年までの雄英受験の対策をしていたが、それは一般的な学科試験であり難易度は高いがヒーロー志望でなくても一般的な学力があれば解ける普通の筆記試験。
みんなそれを対策してきたのに、これは一体なんだ。
始まって5分間はほとんど誰も手を動かせていなかった。事前に知っていた者や並外れた胆力を持つもの、どこかおかしい者たちは書き始めているが九割九分はフリーズしてしまう。
これまで見たこともないほど簡潔で訳のわからない試験に学力自慢たちが泣きそうになっている。
いや、普通に泣いている人たちも出てきた。すすり泣きの声が聞こえるが誰も反応することはできない。
そうして10分がたち、20分が経つ頃にはみんなが何かを記入しているが、その指の進みはあまりに遅い。
開始から30分が経過したころ狩峰淡輝はキーボード式の入力画面を閉じて、課題を書き終え背伸びをした。さて、ここから12時間どころかあと二日は暇である。今さら普通を装う必要もないし気配りはしない。
仕事をこなしても時間が空きそうだったので久々にゲームでもしようかなと、試験会場を後にした。
ああ、あいつはトイレに行って吐いてくるんだろうなという同情の視線に見送られて会場を後にする。
緑谷出久は必死に問題と向き合っていた。
幼少時からヒーローについては考え続けて憧れていたが、ここ最近と昔では全く意味合いが違っている。今できるだけ、やれるだけをぶつけるしかない。
八百万百はこんなときにも心配している。
おそらくトイレに行ったであろう幼馴染が帰ってこない。もしや倒れているのではなんて想像をして焦ってくる。しかしそれ以上にこの未知の問題への取り組み方もわからず困惑している。
心からの心配ではなく、問題からの逃避のように淡輝のことを心配してしまっていることに彼女は自分で気づかない。
二時間が経った頃、そうして時間が経っていくと、多くの受験生がこの気持ちを共有していた。
『『『マジでトイレ行きてえ』』』
お手洗いに行きたいが、試験官はいない。どうすんねんこれ。
試験序盤に席を立った人がいたが、あれがネックになっていた。彼は無断で出たから試験から退出させられたんじゃないのか?これは我慢強さを競う試験なのか?などとありもしない想像が暴走し始めていた。
あらゆることを考えても結論は出ず、八百万百は動けない。
「すいません。トイレ、行きます!」
そう宣言して出て行った受験生はまさにここで一番のヒーローだった。尿意によって追い詰められての行動だが、それは本当に助かった。若干内股の英雄を皮切りに、僕も私もとトイレへと殺到した。
一応身につけたデバイスに宣言し、人の画面を見ないように配慮しつつ立ち上がりみんなが早足でトイレへと向かう。
八百万もそうして部屋を出てトイレへ向かったが、廊下の窓から吹き抜け越しに階下の様子が見えて絶句した。
下にあるゲームセンターで狩峰淡輝がゲームをしているではないか!心配をよそに自由気ままに過ごしている幼馴染を見つけ、キレそうになりながら席へと戻った。というかキレていた。プンプンという音を鳴らしながら席について考える。あんなの規則違反じゃ……
あれ、そういば禁止事項はなんでした?違和感に引っ掛かり、そして最初の文字を読み返してみると絶句する。
この試験の意地の悪さに気づいて、八百万百は叫び出したくなった。
「こんな、こんなのってヒーローになるための試験といえますの?」
八百万百が気付いたことにみんなも気づき始める。
この試験は、
誰もが携帯を手にしていて電波もしっかりある。つまりは今、カンニングし放題である。
ミャンマーについての調査をすることもできるし、友人や家庭教師にこの小論文もどきの書き方を聞くことだってできる。
けれどそんなことをやっていいのか?ヒーローとしてそんなことは許されるのか?
そういえば一つ目の質問がそれだった。ヒーローとは?それにはっきりと答えないと動けない。
その葛藤を抱えている者は再び自分で問題と向き合い、そこまで考えられなかったものや自身の判断で見ることにした者たちは必死にモバイルデバイスを触り始める。
一部の勇者によってカンニングが行われても特に運営から反応はない。これは規則違反ではないという噂も広まっていく。
今年からの雄英高校の試験は一筋縄では行かない。それだけは共通の実感となっていた。
5時間が経過すると流石に時間が経ちすぎて、それぞれがご飯を食べたり休んだりしている。
お昼休憩と言われないとお昼ご飯すら食べていいのか不安になるのは、日本の学校教育にしっかりと順応したものたちだ。
日本時間で14時ごろ、お昼をどうしようか淡輝が考えていると、気づけば緑谷も合流していた。
この施設の食堂、というかフードコートはなんでもある。それを眺めてうどんorとんかつで悩んでいたのだが、緑谷の悩みはご飯ではなさそうだ。
「ヒーローとは何か。これは本当に難しい問いだよね。人によって違うし、どれも正解であり間違ってる。昔オールマイトがインタビューでそれを問われた時にはさ……」
あ、今回はそうやってオールマイト話に合流するのか。なるほどね。ここで止めなきゃ二時間コースだ。
「ヘイ緑谷サン。飯食え。飯」
「あ、そっか。そうだよね。まずはご飯食べなきゃ。僕は狩峰くんと元から知り合いだから相談できるけど、この受験会場には元からの友達がいない方が当たり前だし、みんな不安だろうな」
「あの〜。まさにそうなんやけど。お隣いいかな?」
「っっっっ〜〜〜〜〜〜〜!!!!???」
麗かに登場したのは、昨日出会ったフワフワ女子。麗日お茶子であった。
「そっちの、狩峰くん?やけに早く会場出てったけど大丈夫だったん?もしかしてあの短い間で書き上げちゃったの?すごいねぇ」
そこから始まる質疑応答に一人の受験生として言える範囲で答えつつ、親睦を深めていく。
緑谷がヒーローについての対話で女子盛り上がっている姿を後方で腕を組みながら頷いて見守っていた。そろそろ二人きりにしてみるか、いや流石にここまで急激な負荷をかけたら緑谷が死ぬか?
そのままお話をしつつ、途中でゲーセンへと一人で抜け出ししばらく遊び倒す。コインゲームをやっているとようやく時間が来たようだった。
試験終了。日本時間で19時だが、あまりにも長丁場の試験だった。
あれ? みんな、痩せた?髪切った?
げっそりした受験生たちの悲痛な叫びが世界を満たした。
「最低だ。天下の雄英はこんな卑怯な不意打ちをするってのか!?」
「よくもだましたアアアア!!だましてくれたなアアアアア!!」
「覚悟の準備をしておいてください!」
阿鼻叫喚である。地獄かな?地獄だわ。
頭の良さそうなハーフ顔の少年がよくもと叫び、金髪を独特な方向に巻いたこれまたハーフっぽい少年が裁判を起こすぞと息巻いている。
「データなんてねぇよ……知らねぇよ……」
異形型の個性だろうか2mはゆうに超えている大きな体に対してあまりに小顔な少年が壁に顔を預けながら、歌うように嘆いてもいる。ていうか中学生なのに髭生やしてる!ロックだな。あとなんかよくわからないけど議論が強そうだった。
ヒーロー候補とは思えないほどの怨嗟の叫びがこだましている。
「いやしかし、さすが雄英だ。ヒーロー候補の柔軟性や即興での対応力をきっと見ているのだろう。これが、一流ということなのか」
15Rで4回ダウンしても立ち上がるボクサーのようにボロボロの彼が息も絶え絶えに称賛を呟いているが、だいぶ足に来ているな。リバーブローをもらいすぎたやつと同じ顔色である。
そんな青ざめた彼は初日に人を注意していた真面目なメガネ君だった。ガクガク震えながらも戦慄し、雄英を褒め称えている。
この苦難を一緒に乗り越えた連帯感のようなものが空間に出来つつある。誰かがまた気づいて疑問を声に出す。
「実際あれがどうなるんだ?次ってどうなっちまうんだ?」
その続きを、一部はすでに気づき始めている。
ここまで変則的なことをやってくるのだ。無意味な記述問題をさせられて終わりなはずがあるか?
だいたい、わざわざ国外へと向かっているというのが既におかしい。
事前にサインしていた実技試験における危険についての誓約書も踏まえると、これから起こることが想像できる。
ブツブツと緑谷出久は思考を整理しつつ呟き続ける。彼を注意する体力はもうないのだろう。メガネ君は轟沈している。
「もしかして、いややっぱりそうだ。でもそうなると……」
「緑谷君?なんか気づいたん?やけにここにも慣れてるみたいやし……」
まだ何も気づいていない麗日に緑谷が予測を話し始める。
「ああ、うん。ごめんね。考え込むとよくこうなっちゃって。なんていうか、うまく説明できるかはわからないんだけど、この島がミャンマーに向かってるってのは本当だと思う。それで何が起こるのか想像して見てるんだけど……。この都市も試験も変だし意図は全部わからないけど、でも合理的ではあると思う。無駄なことはしないんじゃないかな。それでこの筆記試験が次につながると仮定すると、やっぱり実際に記述問題の通りにできるのかを見られるとか、そんなことになるんじゃって思うんだ……」
一息に早口で全部言った。その声は自然と大きくなり最後には多くの受験生の耳に届くことになった。
先ほどまでの文句の嵐が、一瞬で鎮まり血の気と共に後退していく。温度も遠くへと下がってしまったようだった。
「え、やばくね?」
「おいおいどうすんだよ!俺なんて書いたっけ!?」
「私、私のバカ!なんで背伸びして書いちゃったのよ!」
パニックが広がってくる。
「終わった……。無理だよ。オールマイトくらいしかできねぇよ。どんなスーパーヒーローだよ俺は……」
「思い返すほど自分を主人公にした小説にしか思えねぇ。なんで受験で黒歴史なんか作っちまったんだ」
自ら書いた文章に問われることになるという恐怖に恐慌状態へと陥る受験生たち。そこに、試験前と同じく理性的な声が響いた。
「みなさん落ち着いてください。実際にそんなことをするものでしょうか?そんなのはあまりに無茶ですわ。調べていたからわかります。現在のミャンマーといえば、渡航アラートレッドどころではありません。紛争地域であって中国周辺が渡航禁止となって80年以上経っているのです。亡命や逃亡、不法入国や拉致以外であの国に入った日本人はこの半世紀で一人も存在しないような地域ですのよ?」
「きっとその状態をシミュレートした形で現地の者に試験官をさせるとかそんなところだと私は予想します。ちょっと考えればわかるでしょうに。あり得ませんわ」
ミャンマーが国境を接する南部中国のエリアに関しては、他国のジャーナリストも入れない魔境である。いや、厳密には入ることはできるが帰還ができていないのだが。
そんなところに日本の中学生を行かせるなんてあり得ない。その意見はあまりに常識的で正論であった。
けれどどこか焦燥感を拭えない。何か違和感がある。
だってそうだろう。ただの筆記と今言われたような実技ならば、横浜に寄港した状態で事足りる。
このビルと地下空間だけでも十分な運動が可能な施設が揃っている。自分の意見の通りならわざわざどこかへ向かう必要などないのにこの船はミャンマーへの航路を進んでいる。
またしても不安を抱えながら、一日が終わっていく。
夜闇の中を突き進み、船はどこかに連れて行く。
ヒーローを志すものたちを試練の場所までは安全に運んでくれるのだった。
ミャンマーに行くヒロアカ小説はさすがに被らない自信がある
お馴染みの世界地図で言うと、中国の左下。タイの左上。インドのちょい右という位置にございます。
本作の150年前である現代のミャンマーはかなりホットな状況です。
令和7年8月1日 外務大臣談話より抜粋。
2021年2月のクーデターから4年半が経つ今もなお、アウン・サン・スー・チー氏を含む多くの人々が拘束され、空爆を含む暴力が継続するなど、状況改善の兆しが見られない状況が継続していることを深刻に懸念するとともに、極めて遺憾に思います。