友人に語り、そして話を聞くというのは意外なほど人の心に影響する。これを意外と感じるのは普段孤独でも問題ないと思っている人種だけだ。
元来、ヒトとは群れの生き物であって一匹で安心できるようにできていない。生物種として孤独には向かないようにできている。よほど特殊な例でもなければ人に関わり頼った方が良い。長年孤独に死に続けた自分言うのだから多少は説得力もあると思う。
とはいえ経験というのはどこまでも主観である。自分よりも酷い孤独な経験をしたことがあるかなどという比較は本質的には意味がない。それよりも自分がどう感じるのか。それだけが重要で他はどうでもいいだろう。
轟焦凍はその点において素直というか、驚くほどの早さで柔軟性を獲得しているように見える。はっきり言ってヤンキーかと思うほどの切れたナイフであった彼には期待していなかったのだが人は変わることもあるようだ。まるで本来の自分を思い出すかのように穏やかな表情と口調で、友人たちと会話をしている。
ああ、本当に俺は人を見る目がないらしい。それともヒーローが生み出す奇跡が確率を無視しすぎるのだろうか。毎度驚かされてしまうのは学びがないとも言えるが、そういう性分と言い訳もできる。
前提が変わるなら対応も変わる。もうちょっと轟焦凍という人間に時間を使ってもいいかもしれない。
「ーーーというわけだ。詰まるところその個性の暴走や放出の困難さは精神に起因するものであり技能などは大きな問題ではない。そしてその心については今まさに予想を上回るペースで好転している。それは自分でも感じるだろう」
「ええ、それは。間違いないです」
「君の体を計測した各種データもそれらを大いに示している。君は順調だということは動かし難い事実であるから、焦っても意味がない。わかるな?」
「……はい。急がなきゃと思ってますけど、予定通りなんですよね」
「ほう。以前までなら文句を言ってたと思うが、やはりその成長速度は目覚ましい。これが終わった時にはジーンズをプレゼントしてあげよう。そして予定通りではない。想定以上の速さで進んでいる。今は無理をして転ぶほうがリスクだ」
ベストジーニストはあまり表情を動かさない。その上、口元をジーンズ生地の服で隠しているような出立ちであるが、それでも口元を綻ばせたのだとわかる程度には柔らかな雰囲気を纏っている。
「ふ〜。というのが嘘偽りなく私の見解なのだが、しかしどうやらこの計画に関わるヒーローたちの中では群を抜いて穏健派だったらしい。これからのスケジュールを過酷にしたり、前倒しすべきとの意見も出ている。そしてむしろそちらが主流だ。血気盛ん過ぎるのは考えものだと思うが、まぁ多数決には抗えないな」
「いえ、ありがとう、ございます。俺も雄英生ですからプルスウルトラには慣れてます。望むところです」
「では私はここらで交代だ。君のことはずっと見ているが、他のプロも指導する内容があるからバトンタッチといこうじゃないか。それに私にはチームメンバーの調整という仕事もある。君だけではないからね」
「プルスウルトラって言ったな!」
それはエンデヴァーのことだとすぐにわかった。そして、そこに対して何を言おうか迷っているとあまりに元気な声が、いや叫び声が響くのだった。
風が鳴った。だが、姿は見えない。次の瞬間、気配だけが落ちてきた。
建物の縁から飛び出した白影は、弾丸のような加速を見せながらも、その軌道は獣のそれだった。制御された跳躍。狙い澄ました着地点。空中で体勢をわずかにひねり、空気の抵抗すら利用する。
凄まじい速度にも関わらず音はなかった。着地の瞬間、足の裏が地面をそっと撫でるように接地する。
「……お前ら、話しすぎだろ。特訓なんだから体動かせよ。バカじゃねえのか?」
うさぎ耳がぴくりと揺れる。
白い髪、赤い目。浅黒い肌。存在感はうるさいほどに発していても、その動作に音はない。
戦場に舞い降りる、とても草食とは思えない猛獣の威嚇だった。
「ちょうど一区切りついたところだ。あとは任せるぞミルコ」
「うし!じゃあひとっ跳びでいく!」
ミルコの身長は轟よりも低い。しかしそんなことはお構いなしに担ぎ上げ、肩に乗せたと思ったら飛んだ。
視界がついてこない。ぐらりと都市の明かりが傾き、次の瞬間には屋根の上。そのまた次には看板の上、壁面の縁。
「おい、気絶はすんなよ。重たくなるから」
そう言った彼女は、すでに次の跳躍に入っている。足が弾ける。風が切れる。世界が歪む。
重力を忘れた月のウサギのように跳ぶ。蹴る。跳ねる。
衝撃は確かにある。だが、痛くない。跳ね上がるたびに全身に浮遊感が走るが、次の着地がそれを塗り潰す。あまりに完璧に制御された暴力とでも表現できるだろうか。完璧な着地。余分な力のない推進。
「……っおかしいだろ……!」
運ばれている荷物がそう呟いた時には、もう二ブロック先にいた。信号も、車道も、立入禁止区域も関係ない。
都市という構造物そのものを、彼女の脚力が無視していた。
まるで一羽の巨大なウサギが、この都市を玩具のように飛び越えていく。遊んでいるようなワクワクが、身体中から迸っているのだ。同じ動きを強制されてそれを嫌でも感じてしまう。
とんでもない加速度を身に受けながらそれでもどこか丁寧な動作によって運搬され、気づくと運動場に転がされている。
「うわ!轟!?」
「とととと轟くん!?大丈夫!?」
そこには先に待機していたのだろう拳藤と緑谷がいてあまりの登場シーンに驚いている。それよりも気になることがあり、轟焦凍は聞かずにはいられなかった。
「いいか!こっからは戦闘訓練をしながら個性を慣らす!普段できなくてもいざとなればできるもんだ!死にかけたなら多分できる!できなくて死んでもいいってんなら全力でやってやる!質問は?」
ミルコもまたホークスとは違う方向で速い。あまりにせっかち過ぎるのだ。そして律儀に、轟焦凍は挙手して質問をさせてもらう。
「はっは!素直でいいな!気に入った!なんでも聞けよ!答えるかはわかんねえけどな!」
ボソリと、つぶやくように、それでも心からの疑問で聞いてみた。
「なんで、そんなに楽しそうなんですか?」
それを聞いた時の空気の変わり方、それは表現がしづらいが最も明確な変化は彼女の表情だっただろう。
野生の獣に牙を向けられた家畜ならば、こんな怖気を感じたかもしれない。それくらいには緑谷と拳藤にも嫌な予感がビシビシと伝わってくる。
「なんでここまでやばそうなのに、『危機感知』が働かないんだろう……怖い……」
「普通に臨戦体制だよね!?なんでこの前の実戦みたいな鳥肌立ってんのさ!ミルコさん!?模擬戦で、訓練ですよね!?」
ミルコは対して気にしない。会話ができているようでできていない。ああ、でも理屈は通っているのだろう。彼女の中では。
「いいかヒヨッコども!あたしは自由が好きだ!んでもって、強けりゃ自由だ!だから私は強くなる!不自由な奴らを自由にしてやる!それがあたしが跳ねて蹴る理由だよ。さっきの跳躍だって誰もあたしを捕まえられねえ。自由だったから楽しかった!それだけだ!」
その宣言をしながら、クラウチングスタートのような。いや、それよりもはるかに深く、人間にはできないほどの姿勢で力を溜めている彼女はやはり唐突に言った。
「おら、どっちが自由か勝負しろ」
パン。という音が先か。それよりも反射的に三人は防御のために個性を使っている。氷壁が生まれ、巨大な拳が身を包み、黒い鞭が展開される。
氷山のような塊が砕かれた。綺麗な音がしたわけじゃない。氷が軋み、ひしゃげて、弾け飛んだ。
重くて硬いものを、速くて強いものが突き破った音だった。
「速──っ」
言い終わるより前に、次の動き。爆発でも起きたかのように床が軋み、ミルコの姿が一瞬掻き消え、気づけば拳が焦凍の腹にめり込んでいた。
ぐっという鈍い音。息が抜ける。空気が身体の外に押し出される音だ。そして何かが折れる音がした。
「──っ!」
顔をしかめる暇もない。蹴り上げが、すぐに来た。低い姿勢からの縦蹴り。すでに防御もできないその一撃はもしかすると死ぬのではないかというほどの威力が込められているとすぐにわかる。
氷はすでに出した。なら炎は……。咄嗟には出なかった。
「轟くん!」
それを阻むのは、ミルコの速度に反応した拳藤だった。凄まじい速度の反応は彼女と友人たちが準備をして引き上げた身体能力の向上によるものだろう。自分は本当に前衛ではないのだと叩き込まれるようだった。
「見えてない!当てずっぽ!でも耐久力は足りてるからってきゃあ!!」
ミルコは構わず突っ込んできて、巨大な拳を足場に跳ねた。立体的に動き回り、その指の隙間から攻撃を通す。
狂気の鍛錬を超えた脚と、狂いのないタイミングで、狂ったウサギが蹴りにくる。
文字通り、跳ねた。地面すら触れず、空中を軽々と跳ねるように回避してから、氷も鞭も指もすり抜けて拳を足を置いていく。
もう一撃、腹部。
痛いでは済まされない衝撃。背中が反る。カバーをするようにすぐさま黒鞭が伸びた。
「捕まえた!」
緑谷から伸びた鞭がミルコの膝裏に絡まった。
「ちゃんと、捕まえとけよ?」
だが、ミルコはむしろ膝に絡めさせた。そして自由な足を地面へと突き刺すように四股を踏んで、思いっきり鞭ごと緑谷をぶん回す。
アンカーを刺して、それを起点に足を動かせば緑谷は凄まじい速度で回される。たまらず黒鞭を消して自由を取り戻すのはおかしな話だ。自分たちが捕まえたと思ったら、逆に振り回されているのだから。
「離してんじゃねーよ!!気合いが足んねえな!」
そうして自由になったウサギは再び焦凍へ襲いかかる。
「っ!」
間に合わない。どうにか腕で受けた。骨が軋んだ。皮膚が裂け、体が吹っ飛ぶ。転がった床に血が流れ、次の瞬間には凍っていた。
そこに至ってようやく、理解した。これは、実戦だ。完全に。
「こいつ、殺しに来てやがる」
ミルコは立ち止まらない。止まった瞬間、足が腐るとでも言わんばかりに、常に前へと跳ね続けている。
ミルコは一度、距離を取る。蹴りで跳び、くるりと着地する。立ち止まったその一瞬。けれど、眼だけは獣のそれだった。あまりに自由に、誰よりも自由に。その強さを見せつけて跳んでいく。
「もっとやれるだろ、ヒヨッコ共。お前も、火ィついてきたか?」
その言葉にゾクリとするのは、痛みのせいだけじゃなかった。焦凍は、痛む身体を抱えながら、それでも歯を見せる。
「……くそ。なんでだ」
なんで、痛くて個性も出なくて、仲間もピンチになっているのに。こんな表情をしてしまうんだ。
「いい顔になってきたな?楽しめよ。戦いを!強くなることを!んで、あたしに負けろ!!!」
内側で熱は高まっている。かつてないほどに炎は体の中、心の奥底で燃えている。今までのような危うさではなく、暖かな感覚が血を巡っていくようにして循環している。足先まで感覚がわかるこの感じは今までになかった。
殺す気で挑むその戦いは、そこから彼らが動けなくなるまで続くのだった。
拳藤は力尽き、轟もすでに立てなくなっている。緑谷だけがどうにか堪えている中で訓練は終了した。
「なんか、あれだな!あっついなんかは感じるけど、全然出てこねえな!」
はっはっは!と豪快に笑われるが、嫌な感じはしない。事実、そうだった。炎はついに出てこなかった。本気で死ぬんじゃないかと思う瞬間はいくつかあったが咄嗟にも出ない。
「その分な、戦ってくことにどんどん冷えてってそれなりにヤバかったぜ?氷とかよりそっちのがあたし的には警戒してたかんな」
いくつか簡素な評価を渡し、そして元気に跳ねて消えた。
「お、お疲れ様。生き残ったね……どうにか……。うわぁすごい後始末が大変そうだ」
そう言われて、周囲を見渡せば当然ながら運動場はめちゃくちゃだった。
地面には無数の穴。蹴りの着地点ごとにえぐられ、舗装は割れ、ヒビが蜘蛛の巣のように走っている。練習用の障害物や建物は半壊。転がるブロック、折れた鉄骨。壁には人型の凹みまであった。
「俺の個性、緑谷はどう思った?」
「う、うん。ミルコも言ってたけど。やっぱり冷気がすごかったよ。氷にするのは少し時間差があるし物理はミルコに効かなかったけど冷気自体は避けられないしずっと体温は奪っていたと思う。なのに全然轟くん自身は寒そうじゃなかったし、その熱はすごい個性だと思う」
「ああ、でも炎は出なかった。今までは避けてたが、やっぱりエンデヴァーの炎は参考にはなる。あんな風に出そうと思っても、昔みたいには出ないんだ」
「どうなんだろう。これは前に僕が言われて修正したことなんだけど、参考とかにしてるものがそのまま自分に当てはまることもあるけど全然適性が違うこともあるって言われたんだ。だから僕はその……。オールマイトの戦い方を真似するのをやめろって言われてさ。そこで気づいたんだ。パンチだけじゃなくて足技も、鞭も使っていこうって。だから、自分なりの戦い方を見つけるのがいいんじゃないかな」
「俺なりの、戦い方……」
「きっとプロヒーローたちもアドバイスをくれると思う。お父さんも聞くだけでも聞いてみたら何か教えてくれるかもだけど、これは嫌だったら全然無理してすることじゃないっていうか。でも、なんていうか、ごめん。僕なんかがここまで立ち入って」
「いや、言ってくれ。思ったことを伝えてほしい。俺は大丈夫だ」
「えっと、僕も最近になって。苦手な人と話をしたんだけど、なんていうか最後までその人の考えてることは全部はわからなくて、共感もできなくて。でも嫌いだ。苦手だっていう感情以外も僕の中にはあって、その上で話をしてみたら話せたんだ」
「昔のことを許したのか?」
「いや、許さなかった。というか許してくれとも言われなかったんだけど。でも、これからやろうとすることを伝えられて、それは昔のことを後悔してどうにか償おうとしている行動に思えたから、その部分を手伝いたいって言ったんだ。だから、棚上げしてるみたいな感じなんだけど前進はした感じ、かな」
「そういうもんか」
「たぶん、全部スッキリ綺麗に解決っていうのは無理なんだと思う。だけどそれより大事なことを見つけたら、それをやってる間は忙しいでしょ?なんか、暇がなくなると昔の嫌なこともちょっと忘れちゃう時があるなって、これは僕だけかもしれないけど!」
「……ありがとう。緑谷、お前も色々大変そうだな」
「ううん。友達ががんばってるんだから、僕はできるだけ手伝いたいと思うんだ。そうしたらさ、僕が困ってる時に助けてくれるかもしれないでしょ?」
「それは、なんていうか。お前っぽくないな」
「うん。狩峰くんの受け売りだけど、結構いいなって思ってる。だから助けさせてほしい。助けて、欲しいから」
二人は立ち上がって固く握手した。緑谷がわざわざクロスさせて両手を出してきたから、両手でだ。
「男の青春してるとこ悪いんだけどさ。ちょっと肩貸してくんない?」
拳藤にどうやって触らず肩を貸そうか悩んでいる緑谷を横目に、颯爽と肩を貸す轟。
「緑谷さ。あとで説教だからね」
緑谷出久のヒーロースイッチが入るほどの重傷ではない拳藤は、あとで麗日と八百万を誘ってチクチクすることに決めたのだった。