精神的にも肉体的にも疲れ切った受験生はしかし、本来なら覚えるはずの空腹感を現地に忘れてしまったようで、多くの学生は食べ物が喉を通らない。そして心の底から疲れているはずなのに、寝付けない者も多かった。
それを見越した運営側は、栄養剤と体に負荷のない睡眠導入剤を用意しており希望の者たちには投与した。それは現役の雄英高校の学生たちも同じであり、今回から参加した者たちの中では少なくない人数がその世話になった。
誰もが違うものを見たが、同じように昼間の光景と空気が何度も思い返されていた。ベッドに横になっても、心臓の鼓動が耳の奥で反響する。
やがてまぶたが重くなるが意識の片隅で「明日は何が待っているのだろう」という怯えが、薄闇の中に漂い続ける。それでも、疲労がその不安をゆっくりと包み込み、遠ざけ、ついには夢へと引きずり込んでいった。
まさか朝を待たずに大事件が起きるとは夢にも思わず、皆が眠りへと落ちていく。
そして日の出前。とある悲鳴からその騒ぎは始まった。
やけに高い悲鳴が響く。これはおかしい。なぜなら男子のフロアから女子の悲鳴が聞こえたからだ。
その叫びに邪推をするなという方が難しいだろう。そこまでヒーローにあるまじき行動などするものかと信じられずに淡輝は部屋を飛び出すと、同じように廊下へと出てきたものたちと目が合った。
「許せん!一体誰が何をしたというんだ!」
正義感に溢れるあのメガネくんも双子なのだろうか?受験生に双子はいなかったはずだけれど。
メガネくんに非常に似ているおかっぱ女子が叱責とともに部屋から出てきて、廊下で鉢合わせる。
「なぜ女子が!?君!こんなところで何を!」
「おいおいどうした?なんで女子がこんなにいるんだ?」
メガネ女子が叱ってくるし、こちらの声がおかしい。
あれ、これってそういう……?
全員が全員を指差して、それぞれに糾弾する。ここは女子禁制だろうが!と指差して言い合っているがどうにも話が噛み合わない。
残るのはパニックである。
「なんだこれ!?」
「俺が!いや、あたしか?」
結論から言おう。受験生と雄英高校在校生。そして引率と軍の実働部隊。
つまりは今日ミャンマーに入国した人々の約半数。その男性の多くが、なぜか女性化しているという大事件が起きていた。朝の7時までには残りの男性にも女性化の症状は広がり、この建物にいる全員がその影響に巻き込まれていた。
しかし、反応はそれぞれである。
「まさかまさかまさかぁ!神展開キタコレ!
荒ぶる獣がそこにいた。やけにテンションが上がった女児のように小柄な女は非常に特徴的な髪型をしている。なんというか、あれだ、今年で206周年の化け物的長寿番組、サザエさんの髪型そのものだった。
「おい、お前、男だろう!? なあ 男だろうおまえ。なら乳、置いてけ!! なあ!!!」
小さなサザエさんが邪悪に指をワキワキとくねらせて、まるで命など要らぬと、全てを捨てがまるかのような形相で捨て身の突進を行なっていた。
元男ならセクハラにはなんねぇだろう!なんて叫んでいるが、余裕でセクハラだ。馬鹿なのだろうか。馬鹿なんだろうな。同性だろうとアウトだ。そんなの100年以上前から当たり前である。
流石に許してはいけないと思い実力行使による妨害を行うが、彼はデータにも記憶にもなかった瞬発力と速度。さらにすでに配置してた個性のモギモギを踏んで加速することで一切減速することなく躱し切った。
やば、超絶こええよ。なんだその迫力。ちょっとオールマイトと被ったぞ。なんだよその狂気は。
「この非常時に個性まで使って何してんだお前」
そんな暴漢(女)に立ちはだかる最後の壁は紅白で分けられた髪をした轟ちゃんである。クール系の美人がちゃんとキレている。赤い髪の方からは熱が放たれ、それを冷気で抑えている姿は本当に怒りのオーラを纏っているようだった。
そうだ。彼は切れたナイフになっている。こんな形であっても人に危害を加えるものにはガチのマジレスをかます。暴力も辞さない過激さは、本来父親に向けられるべき鬱憤だったのだろうが暴走した正義感は別種の問題を生んでいる。
流石の峰田も焼死と凍死の予感には一瞬正気になったのだろう。メガネ女子となった飯田くんの訴えも彼の耳にようやく届いた。
「君!やめたまえ!それは己も相手も辱める恥ずべき行為だ!ヒーローを志す人間としてこのような非常時に何をして……」
一歩踏みとどまって、そして言った。
「——————やかましいんスよ」
その顔は悟りを開いたかのような穏やかな表情で、そして静かな決心が滲み出ている。
苦難の筆記と実技の一日目を超えたというのに、それらを全てを投げ打ってでも己の為すべきことを遂行するという完結した迷いなき笑顔である。
しかし、それでも隙は隙だ。ヒーローたちが稼いだ時間を使い俺が背後へと追いつくことができた。
今にも周囲の元男、現女子高生に迫ろうと跳ねようとする彼にチョークを極める。手刀で気絶はあれ無理だから誰も真似しちゃいけないぞ。
「がぁ……っが!でも、胸が、当たってるから……ヨシ……」
ビシリ!と指を刺しながら落ちるダークサザエを横に置き、初めて喰らったセクハラの不快感を驚きと共に味わった。
こいつ、マジでヒーロー志望か?実技はもちろんのこと最後の面接で相当結果を残さなきゃ絶対落としてやるぞ変態め。しかしその潜在能力は見せつけられた。まさか自分を一瞬でも抜くとは思わなかったもんな。変態であってもやはりヒーロー志望ということだろう。
「狩峰さん!?じゃないや!きっと、狩峰君だよね?」
オロオロとした表情のそばかす女子が名前を呼ぶ。双子と瓜二つらしい自分を見間違えるということは知り合いであり、それは緑谷出久でしかあり得ない。
すでに防疫システムが作動しているだろう。建物は封鎖され、そしてロボットが中心となって介抱と検査を誘導しつつある。
緊急で検査を行うが、性別が変わったこと以外は至って健康という結果が出ていた。
ちなみにこれは公表していないが、ただ活動していただけではあり得ないほどの異常な数の病原菌に侵入されていたが、問題はなかった。
UAIが事前に行なっている攻勢防御型ワクチンは既存の感染症の大部分を抑制し発症することはない。WHOとの共同開発による新薬の一つでありこれは試験運用でもあった。
どうやら先制攻撃されていたらしい。普通なら全滅していただろうほどの感染症をお見舞いされたが、女体化以外は全て無効化されていた。
そして数時間が経った頃、緑谷はいまだにパジャマであった。オールマイト柄のパジャマはまさにオタクと言っていい。
なぜ着替えないのか。流石に彼との付き合いも長くなってきたからわかる。
「き、きききき着替えられない。一体、どど、どうすれば?自分っていっても、女性の体を触るっていうのはダメっていうか、無理っていうか、無理むりむり!!」
発狂していた。ここまで効果覿面かよ。自分の手の感触でふわぁ!と驚き続けている。
他にも落ち着かず、泣いている人すらいるがちょっと気持ちはわかってしまう。それくらい違和感がある。
「ええ!?しーちゃんがなぜここに!?あなたもヒーロー科に!?」
「違う違う。俺は淡輝ね。みんな女になっちゃってるから、雫月みたいになってるだけ」
混乱の声は未だあちこちから聞こえてくる。
「ふざっけんじゃねえぞおい!治らないってなんだオイ!!んな体で試験受けろってのか!?あ゛あ゛!?」
「騒いでも治るもんじゃねぇだろ。UAIは全力でやってくれてる。あんまり怒鳴るんじゃねぇよ。耳障りだ」
「そういうアンタも喧嘩腰ってか、そんな目で言ってても説得力ないっスよ!」
爆轟vs轟vs夜嵐という、受験生でもトップクラスの個性を持つ三人が火花を散らしているのだが、その迫力はイマイチだった。
高い声で凄む爆豪ちゃんはツンツン頭はそのままに、大袈裟なリアクションをすることでダイナマイトなボディを惜しげも無く披露している。おいこら、荒ぶるんじゃない。複雑な顔の男子が必死で目を外しているだろうが。
「ああ、もう!それで、なんですの?用件があるのですよね?」
「ああ、ちょっと助けてほしい。ちょい言いにくいんだけど……あれ見てわかるだろ?下着がさ、ないんだよみんな」
「っんな!?」
そう言うと百ちゃん目線は俺の胸へと動く。そうさ!ノーブラさ!見るのやめてよ。恥ずかしい。
UAIにも女性下着の在庫はあるが、女性らしさを抑えたデザインのものは少なかった。そして男子たちにはちょっとつけるのが難しいのだ。一つでも良い雛形があればそれをコピーして生産できるので、ちょっと百ちゃんに男子の羞恥心を抑えるものを作ってもらいたい。
「事情は、わかりましたわ。でも、男子の方々がどんな形なら恥ずかしくないのかなんてよくわかりませんわよ」
「だからさ、作ってもらったら俺が着るから。それで判断するよ。頼むぜヒーロー」
「こんなのでヒーローと呼ばれるのは不本意に過ぎます……それに、着替えを見るのはダメですわ!しーちゃんの名誉にかけてそれは阻止します!私が着せるのでずっと目を瞑っていてください」
最終的に生み出されたのは下着は、シャツと一体型のものだった。男子にホックはハードル高すぎたぜ。恥ずかしくて死ぬかと思った。
ていうか幼馴染に下着を着替えさせられるとかいうシチュエーションである。これヤバない?
この未知の体験に自分がどんな反応をするのか少し期待している部分もあったが、双子の姉の体では何一つ興奮しなかった。なんか見たくないし触りたくねえなぁというのが正直な感想です。ぶっちゃけちょい気持ちわるいし、罪悪感がすごい。
なんかもう歩き辛いし重いしで、今後はもうちょっとだけ優しくしようと思うことはできたのが収穫だろうか。
まぁ難易度が上がる分には予想外のイベントがあってもいい。作戦遂行には対して問題はない。彼がこの程度の小細工でどうにかできるはずがないのだから。
早朝からの騒ぎは収まり、今後の説明会ということで相澤先生がまた会場へと出てきた。
女性率100%の空間で、その発表を固唾を飲んで見守る一同には昨日までとは別種の緊張が生まれていた。これからどうなるんだ?そんな困惑である。
ちなみに相澤先生もちゃんと女性になっている。病院か退職代行一歩手前、ブラック企業勤めのOLという感じ。しっとりとした黒髪に眠そうな目はそのまま、さらには昨日までの無精髭までそのままで、女性の顔と髭のギャップがかなりある。できれば剃っていただきたい。
先生の髭を見ればわかりやすいが、毛髪は特に伸びたり消えたりしないようでみんな元のままである。
「昨日から61名減っての実施だ。今日も気張っていけ。お前らの動き如何で人が死ぬからな」
「ちょっとお待ちくださいまし!このまま続行するんですの?これについての説明などありませんの!?」
「すでにメールで伝えられてるだろ。あれが全部だ。そして性別が変わった不調で人を助けられないってんなら、ちゃんと辞退のフォームもあったはずだ。他になにがいる?」
「原因不明、おそらく未知の個性。現在調査中。たったこれだけでは納得できません!中にはまだお手洗いに行けずに爆発しそうになっている方までいるんですのよ!」
緑谷も筆頭にモジモジしている何名かが恥ずかしそうにしている。やけに可愛らしい光景になっててちょっとキモい。これは偏見だろうが、そう思うものは仕方ないだろ。言わなければセーフ。
「今すぐ手洗い行ってこい。漏らすならここでも現地でもやめろ。海にでも入れよ」
ギロリとダウナー系のOLが睨む。うん。あんま怖くないな。
実際問題、男性の体と女性の体とでは尿意の我慢の仕方も若干異なっている。男性気分のままこの体でギリギリを攻めればとんでもない事態になる可能性が高い。
「さて、抗議は十分だろう。この件についてはすでにプロヒーローと大人が動いている。解決までの時間を無駄にするのは合理的じゃない。不幸中の幸いだが、この国の一部地域は男子禁制。女性化したことで活動できる範囲も増えるだろう」
はい説明終わりねと行って相澤は退散した。困惑も意味を成さず、困惑はそのままに状況はつつがなく進んでいく。
そのうち誰かがつぶやいた。
「もしかして、これも試験の一環なのか?」
そうすれば納得できるかもしれない。これは反応を見られているのではないだろうか。
そう思えば少し安心が広がったようで、故意であれば戻せるだろうという雰囲気も広がっていく。
百ちゃんが近づき、責めるような視線で囁いてくる。ちょっといつもより距離が近いんだけど、これ雫月との距離感だろおいおい。
「いえ、ありえませんわ。他人の身体の変更など試験であってもこれは立派な加害です。これが故意ならそれこそヒーロー試験として破綻していますわよ。だいたい、男子にだけ起こったトラブルを試験に組み込むようなら男女差別というもの。そうは思いませんか?淡輝ちゃん?」
「うんまぁね。そう思うよ。雄英側もこれは予想外なんじゃないかな別にそこまで困ってはなさそうだけど。あと淡輝ちゃんはやめようね」
あくまでシラを切る。関与を認めるほど馬鹿じゃない。けれど百ちゃんは5年前の事件にも関わらせてしまったし、そこからの豹変を間近で見てしまっている。異常な行動が全て俺の考えとは流石に思っていないだろうが、結構重要な位置で暗躍していることくらいはバレている。
「この試験も!雄英の体制も、お父様に言って少しは止められないのですか?型破りが過ぎますわ!ヒーローを真面目に目指している身にもなって……」
「ふざけてはいないよ。ヒーローを真面目に求めてるっていう気持ちなら、俺は誰にも負けない。知ってるだろ?ヒーローってのは人を助ける人のことを言うんだから」
滲み出る狂気を隠すことも忘れて、真剣に語り百ちゃんを見る。
狩峰淡輝は、その瞳が少しだけ歪んで見えていることに気づかない。百もはっきりとはわからないが、その異様さだけは十分にわかっている。
「っ!その顔で。しーちゃんと同じ顔でそんな表情をするのはやめてください。その……違和感が、すごいですわ」
「よし。じゃあ疑いも晴れたところで、雫月へのサプライズにツーショット撮ろうぜ。記憶にない写真があったら絶対困惑するよあいつ」
幼馴染との和やかな人間らしい時間を過ごした後には、当然今日も試験が始まる。
性別が変わるというのはとんでもない大事件であるが、即座に命に関わるものではない。この個性は下調べにもあったから大きな害はないと判明している。なぜここまで広がっているのかはわからないが問題はない。
こちらの性別や都合など関係なく、死にかけて助けを求める人々はそこにいる。
だから変わらずに助けに向かうのだ。ヒーローを志すものならば。
相澤先生の言うとおり、昨日よりも足を踏み入れることのできる範囲が増えていた。
現在のミャンマーは女性が首相を務めており、ほとんどの権力を握っている。民主主義を掲げてはいるが実態は彼女の独裁となっており、一部では女王なんて呼ばれているらしかった。
ミャンマーは歴史的にも女性が権力を持つことがあった国ではあるが、21世紀ではそれは形骸化しており現代に至っては単純に強いものが女性だったというだけの理由で彼女が権力を握っている。
女王は自らの価値観である男嫌いと女尊男卑を隠そうともしない政策と体制を実行しており、それは支配地域の規範としてまかり通っている。
男性が入ることはできない地域があるというのもこれらの事情からだ。首都の一区画には登録した一部の男性と、去勢をしたものしか男性は入ることができないという徹底ぶりだ。
流石に最深部への立ち入りを許可されるのは前日に高い評価を得た能力あるものたちのみ。
それも複数箇所に分かれて派遣されることになる。
これまで国際社会の光が当たらなかったミャンマーにおいて、さらに深部に位置する場所へと支援を開始したこの日は、受験生にとって生涯忘れられない日になるだろう。
昨日と同じ凄惨な光景を見ても、昨日とは違う見え方になっている。誰も自分の体の変化など忘れ、目の前の幼い体に刻まれた傷跡に目を奪われた。
大切なものを失った少年たちのことを昨日とは別の見方をしてしまう。男子たちはその喪失感を想像などできないが、昨日よりはそれを理解することができているようだった。
何を理解したのか。それは決してこの苦しみを理解することはできないということを理解した。
瓦礫と泥にまみれた路地を、変わり果てた自分の体を引きずるようにして皆が駆ける。
昨日まで男子制服だったシャツは肩口から張り付き、声も高く、腕や脚は細くなっている。自身の体の違和感は時間とともに大きくなっているが、今やるべきことは変わらない。
段ボールに詰められた水と食料を抱え、避難所代わりの広場へ。
汗で前髪が額に貼りつくのを拭う暇もなく、別の仲間が負傷者を背負って走ってくるのを目にする。
「こっちだ!」と声を張り上げ、即席の担架を持つ手を代わり、泥に足を取られながらも医療テントへと運び込む。
炊き出しの煙が立ち上るあたりでは、大鍋をかき回し、皿によそった粥を並べる。
幼い子が「おかわり」と差し出した椀にもう一杯注ぎ、「次の人もいるからね」と笑顔を作れば昨日よりも子供が安心したような気がした。
異常な体の変化に、混乱も羞恥もまだ拭えない。だが、ここで立ち止まれば、目の前の誰かが病や飢えに呑まれてしまう。その事実だけが、変わってしまった体を前へと動かし続けた。
けれどもそうできるのは一部のものだけだ。前日とは比較にならないほどに脱落者が続出する。しかしながら、撤退の自己判断ができるならそれは高得点という内部評価をつけられていることは彼らは知らない。
日が傾き始めた頃になれば、きっと最後まで折れないだろう者たちが残った。支援作業もようやく終わりが見えて、少しこの環境に適応した頃だろうか。
それは唐突に起きた。乾いた銃声がして、現場が凍りつく。
当然のように暴力が、ここにもやってきた。
慣れた様子でそれでも逃げる人々、テレビで見た
この光景をじっと見られているとも知らず、受験生たちは未知の暴力へと晒される。そんなストレスや苦難に耐えられるであろうメンバーが集められていることなど知るわけもない。
その英雄性を試されているとも知らずに、理不尽と苦難がやってきた。
女性化淡輝くんの見た目はまんま双子の姉です。
メガネの有無の違いはありますが、雫月ちゃんのイラストも公開しますね。
ちょいミッドナイトに似てるかも。
【挿絵表示】
ちなみに調べれば爆豪ちゃんは元アシスタントの人が書いた女体化イラストが見つかるはずです。ダイナマイッ!!
その他にも堀越先生自ら描いたキャラもいますので要チェックや。