氷床下ドーム中央区画、来賓用の小さな応接室に小柄な女性と、非常に大きな人影が立っている。
未来を知っている唯一の人間。ナイトアイを偽って合成音声フィルターをかけて参加している自分は、人形から得られる視覚情報を自分の視界のように感じていた。
南極氷床下ドームは、地表の極端な寒暖差と暴風を遮断するため、厚い氷層の下に建設された居住構造で、温暖化したといっても極寒の環境であるカルブラで人が住むためのユニットだ。氷自体を巨大な断熱層として利用することで気温を一定に保っている。
これはカルブラという国家の特徴でもあるが、全体として建築や物品の意匠はシンプルだ。まるで火星や月に建築されるユニットのように無駄がなく。人を守るという優先すべき事項を満たせばあとは無駄を減らそうという方針がみて取れる。
宗教的な意匠も国家的な威圧も排された極端に簡素な空間は、人類の理性を象徴するような印象を抱かせる。淡輝はここを知る前、難民たちが集う中心には慈悲や同情があると思っていたが、中枢を実際に見てみて思ったのは真逆の印象だった。
立っていた女性が、ゆっくりと振り向く。傍にはカルブラの中枢であるAIの端末。淡く光る時計が寄り添っていた。
彼女は灰白の装束。身体の線を完全に隠し、清潔さだけが残る衣服を着ている。肌の露出はなく、指先まで覆われている。それは修道女の衣に似ていたが、祈りのためのものではない。
「……はじめまして」
彼女は深くは頭を下げない。だが、形式的でもない、正確な角度で一礼する。
「私は、エメリア・ノドス=カルブラ。この国家において、代表者を統括する立場にあります。主には民衆の方々とAIをつなぐ双方の代弁者という役割です」
向かいに立つ英雄オールマイトは、その姿を見て目を細めた。うん。今日は調子がよさそうだ。かっけえぜ。
「噂はかねがね!聖女と呼ばれて長いと思うが、私も似たような立場でね。いつまでも変わらぬ英雄や聖女なんて言われて、勝手にシンパシーを感じていたよ!HAHAHA!」
冗談めかした声。しかし、侮りはなかった。そしてマリアの『人形』と紹介されたロボットからは、自分の声ではないものが出力される。鋭い口調で細かなことも見逃さない。そんな尖った雰囲気の声だった。彼の話し方や考え方の模倣だけは誰にも負けない。
自分で演じているのに、泣きそうになるのだけは勘弁してほしいが、それくらい真に迫っている。
「共通点として。それは象徴として秩序を維持することを期待されているという部分だろう。あなたたちは、老いることすら見せられない。人間的であることで国が乱れるというのは、個人的には問題と思うがそれを背負おう敬意を表したい。この場を開いていただき、深く感謝する」
ナイトアイだと世界から思われている声が難民国家の代表へと挨拶をした。バレればこの上ない不敬だが、そんなことは決して起きない。
「ええ。よく言われます。ご存知とは思いますが、私の外見は医療と細胞修復、そして整形手術の結果です。信仰や奇跡ではありません。誤解なきよう。そしてナイトアイ。貴方からの贈り物に感謝します。これでまた平和な日常を守ることができる」
自身がナイトアイである証明と恩を売ることを一手で済ませるため、カルブラにおける事件の発生をいくつか予言してあげていた。この二日間はあらゆる事件が未然に防がれていただろう。
「気にしないでくれ。ヒーローとして当たり前のことなのだから」
一拍置いてから、彼女は視線を落とす。
「では、そのように。すでに今日の議題については事前にお知らせしていたと思います。早速ですがお返事をいただいても?」
オールマイトは腕を組み、うなずいた。
「仕事は早い方が良いというのは賛成だ。しかし私は二人ほどは合理的じゃあなくてね。まぁせっかくだ。少しだけでも話さないか?私は結構意外だったんだよ。聖女と呼ばれる貴方がそこまで合理性を重んじているということが」
少し目を見開き驚いたようだった、そして思い出したように柔らかに笑う彼女はしっかりと人間らしさを持っている。しかし、それを優先してはいないようだった。
「この国では、私を聖女と呼ぶ者が多く、世界にもいることは知っています。ですが、それは事実ではありません。私は清らかでも、慈悲深くもない」
視線を上げる。真正面から、彼を見る。
「私は祈らず誰かを救うこともしません。涙を流すことも、必要とあれば行いますが全て私の意思によるものです」
その声は静かだが、揺れない。
「多くの人にお前はそれでも人間か。お前の血は何色だと非難されました。私がなぜこうなのか。それは勉強をしたからです。感情を混ぜた判断が、過去に何度も人を殺してきた。その歴史と統計を、私は知っているからです」
オールマイトは、黙って聞いている。彼女は、首を横に振りながら言った。
「聖女とは、何かを信じる存在でしょう。私は、人間を信じていません。当然ながら神も信じない。ただ、人間が失敗を繰り返す確率を信じています。そして誰も犠牲にしないための計算から、目を逸らさないと決めています」
沈黙。オールマイトは、しばらく彼女を見つめてから、ふっと笑った。腕を解き、まっすぐ立つ。
「なるほど、確かに聖女じゃあないな」
頷く彼女の表情は変わらない。
「しっかりと仕事をする、とても勉強熱心な人だとわかったよ。寄り道はこれだからやめられないね」
その言葉に、彼女の瞳が一瞬だけ揺れる。それは評価でも称賛でもない。そして、ナイトアイならここで入るだろうというタイミングで淡輝は会話に参加する。
「正義を語る人間は多い。だが、結果まで引き受ける人間は少ない。過去を参照し、未来を変えようとする人間には責任が伴う。きっと貴方はそれができる人なのだろう。だからこそ、この会談には意味がある」
ようやく朗らかな雰囲気が流れた気がした。
「まぁ、実際のところ。熱心な宗教家の人とはあまり話が合わなくてね。もちろん失礼はしないが、やはり日本人は宗教に疎い。どちらかと言えば科学的な話の方がしやすいね」
「宗教に疎いほとんど日本人は科学を盲目的に信仰しているだけだという批判は甘んじて受けるべきと考えるが、まぁオールマイトは忙しすぎた。勉強不足の点はご容赦を願いたい。彼ほど実践をしてきた人はいないのだから」
ナイトアイ風にフォローを入れると、ほんの、ほんのわずか。エメリアの口元が、緩んだように見える。
「……それは、良かったです」
彼女は静かに言う。
「私は、まだ象徴ではありません。それはこちらのマリアが担ってくれている。人を救うことも彼女がやっているのだから、私はただの偶像なんです。実際に人を救い、中身のある象徴として今なお輝く、あなたのような存在と対等に話ができるようになりたいと実は憧れていましたよ」
オールマイトは、大きくうなずいた。
「なら、遠慮はいらないな。我々は仲間だ。できるかぎり、人を助けようじゃないか」
二人は、正式に向き合う。聖女ではない女と、象徴の男。
互いにAIが宿る機械を横に置き、そして未来を知るものがこの会談を見届けていた。
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「南米からの人の流入が止まりません。そしてそこには重度の麻薬中毒者が含まれています。一割を超える人々が麻薬に依存した状態で南極までたどり着くのです。『エンド』と呼ばれる新種の麻薬。これがあまりにも悪質です。これがカルブラ全体を麻痺させつつある……。まだ流入が始まって時間も経っていないので、これから悪化するとマリアも予測を出しています」
人形が捕捉する形で声を出した。
『現在確認されている新種麻薬は、従来の依存モデルに当てはまりません。第一に、この薬物の中毒者は、禁断症状が発現するまでほぼ検知できません。血液、神経伝達、行動指標のいずれにも明確な異常が現れず、本人も自覚しないまま日常を過ごすことが可能です。恐らくですが個性含む特化させる研究によって生み出された性質でしょう。人体が麻薬のことを忘れるように影響が消えるという点で恐ろしい潜伏性を持っています。この状態は『エンドレス』と呼称されています』
人類にとって真に致死的なウイルスとは、潜伏性が高く変異性が高いものだ。重症化が早過ぎれば媒介となる生き物は死に、ウイルスは広がらない。
「嫌になる程的確な名前だね。そして初めて聞いた時は、なんだか厄介なウイルスみたいな性質だと思ったよ。そして、その懸念は嫌になる程的中したわけだけれど」
『仰る通りです。エンドの第二の特性として体内に残留した麻薬成分は、特定の人工ウイルスと共生関係を形成します。このウイルスは麻薬成分を栄養源として増殖し、そのままでは効果はないですが原料がそこに生産されます。結果として、体内で増殖して原料を増やしてしまうありえない麻薬であるということです』
あり得ない麻薬というのは文字通りだ。こんなものを作れるとしても麻薬カルテルが作るわけがない。野菜のように食べた後のタネで自家栽培できてしまうような商品は自分たちの販売力を落としてしまう。そんなものは作るはずがなかった。
そして、そこまでの物質が体内で作られるというのなら検知できないというのがあり得ない。そこまでの機序がわかっているのならいくらでも検知できるはずなのだ。これには何か個性が関わっているとしか思えなかった。
『作られた原料はそのままでは麻薬として効きません。しかし問題は体外排出後です。排泄・発汗・皮膚落屑に含まれるウイルスと麻薬原料は、一定の温度・湿度条件下で発酵反応を起こします。これにより、再び麻薬成分が生成されます。品質は低下しますが、精製すれば流通可能なレベルに達します』
「まるで悪夢のような薬でしょう?儲けなどを考えていない、合理性のカケラも見当たらない。私はこの麻薬から、人類を滅ぼそうという意思を感じます。さらにその侵入経路も非常にわかりづらい」
『それが最後に、最大の脅威です。このウイルスと麻薬中毒者は、同時には入国しません。ウイルス保持者と薬物使用者が別経路で移動し、国内で感染が成立します。このため、水際対策・検疫・個別摘発のいずれも有効性が著しく低下しています。いまだに数が少ないことだけが、救いと言えるでしょう』
エメリアは人形に黙礼し言葉を受け取って続ける。
「結論としてこの薬物は密輸品ではありません。人間を培養器として拡散する自己増殖型の兵器です。対応が遅れた場合、依存・感染・生産の区別は消失します。これは公衆衛生問題ではなく、文明レベルの脅威となるとみています」
「同時に、社会から排斥された個性保持者が急増しています。特に異形型と呼ばれる定型人類からは形が外れた彼らのことを南米の支配者たちは爆弾のように扱っている。中毒にされ、感染させられそして世界へと輸出されるという兵器として使われ始めているのです」
彼女の指が、テーブル上のホログラムを起動させる。
「犯罪者、武装組織、独裁国家。それらが南米にリソースを集中させています。魏漢や北朝鮮の残党を中心に、ヨーロッパ最大の巨大犯罪組織であるゴリーニファミリーなどが集まっていることは確認されています。彼らの狂気としか言いようがない内部粛清は世界的に報道されているはずですが、恐らく何か意味がある」
世界地図。南米だけが、異様な濃度で赤く染まっている。そしてそれは時間を経るごとに、幾つもの文字が合流し、南米を染め上げていくのだった。
そこで一際大きな赤い点が、南米へと合流した。
「ええ。そしてオールフォーワンも南米にいる。今まさに世界は、二分され始めています。秩序と、無秩序に」
静かに、しかし明確に言い切る。
「あなた方があの魔王を打ち砕いて頂いたのは世界にとって幸運でした。南米と東アジアを中心に彼らが戦いを引き起こしていれば、きっと彼らに付く方が多数派になっていた。秩序は失われていたでしょう」
まぁ、普通に全一君だけで勝てるだろう。あれには普通勝てないのだ。インチキすぎる。人のことは言えないが。
ホログラムが消える。
「カルブラは基本中立です。難民国家として成立してからあらゆる紛争と政治的介入を拒否してきました。だからこそ、テロの標的にはならなかった。ですが、このような事態を見過ごすことは決してできない。そして打って出る力が我々にはない」
彼女は頭を下げない。代わりに、言葉を告げた。
「力をお貸しください。象徴が、必要です。力を持ちながら、抑制を選ぶ存在が」
おっと。このままいけば。彼が全てを受け入れてしまう。ナイトアイも俺もオールマイトは全肯定したくなるが、それでもできるサポートは全部すべきだろう。
「それは、南米に集まる世界中のヴィランたち。それどころか独裁国家の代表たちを相手に戦争を仕掛けてくれという要請で間違いないだろうか?」
「そのようなことを言った覚えはありませんが、犯罪者や麻薬を流す元凶がいるとなれば彼らを逮捕するのはヒーローの仕事であるとも考えます。特にUAIが掲げる世界平和には有効ではないでしょうか」
「性格の悪い表現かもしれないが、正確だと思う。ここで何を言おうが責任も何もない。この対話は公式記録には残らない。結局は戦いになる。それを否定はできないはずだ」
「失礼しました。記録が取られないという状況に全く慣れていませんのでご容赦を。彼らの……。彼女らの居場所はある時から全く調べることができなくなりました。各地の麻薬王たちは勢力を伸ばしていますが、彼らを統括する女王であるラ・エスメラルダ。女王ラルダの行方が全くわからないのです。彼女たちが隠そうとするものは、決して見つからない。その方法を解き明かすことで、集結している悪を一挙に叩くことができると考えます。戦争にすらならない、一方的な逮捕劇。超常発生前にベネズエラで行われた斬首作戦を超える成果をあなた達なら出すことができる。私の見立ては間違っていますか?」
未来を知るというナイトアイに対して一歩も引かないというのは並の政治家では不可能であるが、彼女にとっては当たり前らしい。共に戦う仲間として、十分過ぎるほどの胆力を見せてもらえたのなら、まぁこれ以上は無粋というものだろう。
「あのベネズエラ介入は、後で戦争になった上にアメリカの南米アレルギーのきっかけになったのだが……。まぁだからこそ
「未来を知るあなたにどれだけ必要かはわかりませんが、我々にできることは全ていたします。どうか人々を助けていただきたい」
ウズウズとして、今にも飛び出しそうな筋肉の塊はそろそろ限界だろう。
「試すようなことを言って悪かった。では、彼の意見を聞こう」
二メートルを優に超える巨体。肩幅は扉より広く、胸筋は一つの壁のようだ。鍛え抜かれた筋肉がスーツの下でも隠しきれず、動くたびに布地が張りつめる。
彼が一歩踏み出すだけで、床が低く鳴る。世界に立ち人々を背負うと決めた英雄の確かな重量が床を踏み締め、歩み寄る。
オールマイトは背筋を伸ばし、胸を張る。拳を握らず、腕も振り上げない。
「もう大丈夫。なぜって?」
ただ、堂々と立つ。そして、いつものように宣言する。
「私たちが、きた」
かつての彼だったなら、きっとしない判断を自分がさせている自覚はある。けれど彼もナイトアイを失ったことでまた変わった。
自ら悪の巣窟へと乗り込み、自身の正義を押し付けるという悪を為すという覚悟。勝っているなら世界はきっとそれを悪とは呼ばないだろう。だがしかし、北朝鮮への介入も、南米への殴り込みも正当化できないことは知っている。それでも許せないものがあるから、彼は止まらないのだ。彼が止まらないのだから、俺は実現させていくのだ。
何よりも、南米には排除したいものと、奪わなくてはいけないものがある。
世界平和という夢を実現するために必要なピースを、血塗れになろうと埋めていく。狩峰淡輝はすでに決意を終えていた。
南米と北米が熱くなりすぎです。落ち着いてください。
両原作が完結しているから安心してたらこれだよ!
本作には原作(世界史)がもう一つあったようだ……
予想不可能すぎるぜ