会議室のような広間に集められた犯罪者たちは声を出さない。
玉座はない。段差もない。ただ一人の女が立っている。それだけで十分だった。
この場を主催したイサドラは歩みを止め、ゆっくりと周囲を見渡した。視線が触れた瞬間、何人かが反射的に背筋を伸ばす。逃げ場がないと理解した動きだった。
「静かね」
低く乾いた声。怒気はない。感情も読めない。事実だけを告げる声だった。
「よろしい。聞く姿勢ができている」
「おいおい、こっちは随分待たされてたぞ。替えの女を融通してくれ。前のは早く壊れすぎた」
粗野に笑うのは他の大陸から来た犯罪者であった。元ヒーローの彼の個性は強力で、横にべったりとくっついている権力者の娘。その護衛として来たのだろう。彼らは今まで不自由だったことがないようだった。
イサドラは手を伸ばした。左右、ほぼ同時に二人を掴む。直前まで不満を漏らしていた男と、侮るように笑っていた女だった。
その動きに対応できなかったのは、あまりにスムーズで流れるようにその動きが行われたからだ。熟練の戦士の動きであり、顔に皺のある女がするような加速ではないと誰もが思っていたからかもしれない。
「勘違いをした犬と、リードを離した飼い主」
イサドラは淡々と言う。
「どちらも、ここには多くいる。世界からわざわざ集めたのだから当然ではあるが」
右手に掴まれた男の身体が、震え始める。次の瞬間、喉から漏れたのは悲鳴ではなかった。甘ったるい吐息。膝が崩れ、理性が溶け落ちる音が、はっきりと分かる。何かを注入されているかのように脳にとって甘いものが、限界を越えて押し寄せていた。
「幸福というものは脳によって生み出される。そしてそれを操れるのなら、幸せを支配すると同義。過剰に与えれば脳は壊れる」
一方、左手。女の表情がゆっくりと変わっていく。笑みが消え、安堵が抜け、目が揺れる。幸福感が削ぎ取られていくのが、周囲にも分かった。心拍は安定している。苦痛はない。ただ、何も残らない。
「そして、奪うこともできる。以降、この女の脳は二度と報酬を生み出さない。幸せになりたいのなら私に従え。その時には幸せにしてやる」
イサドラは指を離した。女はその場に崩れ落ちる。泣きもしない。ただ、空っぽの目で床を見ていた。右手の男は、立っていられなかった。快楽に溺れ、壊れた人形のように痙攣しながら倒れる。
「ようこそ南米へ。世界の趨勢が決まろうとしてる現状に今ならまだ抗える。その可能性を集めることができたのはおそらく私だけ。私の庇護のもとにいれば、あのナイトアイですらここを見つけることはできない」
ようやく集団全体に向き直る。
「私は罰しない。裁かない。説得もしない」
一歩、前に出る。
「共通の利益を貪り、共通の敵を殺すまで、互いに殺し合うのは後にとっておくこともできる。私の提案はそれだけだ」
さらに一歩。
「そしてこの場を作った以上は、不可欠なゲストを紹介する。皆が知っている彼からの話を聞くべきだ」
手を差し伸べられて、水を向けられた男はゆったりとしている。
口元には人工呼吸器が付けられており、彼は万全でないことが見てわかる。本来もっと時間がかかるはずだった成長培養槽を予定よりも早く出されたことで身体機能は大きく損なわれているのだったが、それでもこの存在は圧倒的である。
「こういった年長の演説は短い方が良い。僕も辛抱強い方ではなかったからね。だから端的に目的を伝えよう。僕は今回、僕の力を継ぐ後継者を探している。君たちの中に託せる次代を見つけに来たんだ。条件はシンプルさ。僕に力を示してくれ。UAIを落とすもよし、オールマイトを殺すもよし、ナイトアイを引きづり出してくれるならそれでもいい。面白いものが見れることを期待しているよ」
誰もが思わずざわついた。てっきり彼のもとで一つの動きをするものだと思い込んでいたから。
「ああ、こちらは死柄木弔。手元においている後継候補さ。君たちのライバルでもあるからよろしくね。まだ未熟だが、ポテンシャルはある。あの北朝鮮を生き抜いたからね。全てを手にするのは誰なのか。全く楽しみだぜ」
そこまで言い切って、その男は深く腰掛けた。誰もが忘れた呼吸を再開し、伝説が目の前いるのだという興奮が空間に伝播していくようだった。
その空気を全く読まずに元気な声が響き渡る。
「ハローエブリワン。まどろっこしい探り合いはいらないだろう。彼と私の一騎打ちかと思っていたが、譲ってくれるのなら争いも必要ない。俺は、時代の象徴になる男だ。そしてオールフォーワン。先代の片翼であるあなたに会えて光栄だ」
「先代?」
「ええ、そうですとも。俺はずっとずっと悩んでいた。俺の本来の立ち位置はどちらなのかと。五年前の戦いを見てどちらが強いのか。まだわからなかった。人は力に惹かれるもの!最強を次の決戦で見極めようとそう決めていたんだ。オールマイト、オールフォーワン。あなたたちは素晴らしい。けれど、あなたは負けた。あなたを打ち破ったオールマイト。やはり彼が最強だった」
「だから決めた!なのになんだあのオールマイトの萎びた姿は!彼もまた勝手に最強で無くなってしまっていた。でも諦めることなどしないさ。ならばと俺は誓う!世界の新たな象徴となり飛び立つことを。そのためにあなたを殺し、オールマイトも殺して表と裏の両方に君臨っしようと思っていたのだが……」
その剣呑な視線は本当にそれをしようと思っていた目だった。自身を幾度も砕いた同じ色の目であるがそれが本質的に違うものだと宿敵こそが誰よりも確信をしているとも知らず、自分に酔った若者は演説を止めない。
「力をくれるのならわかりやすい。継承とは素晴らしいエンターテイメントじゃないか!やはりヴィランは負ける運命。俺が正義!俺が象徴だ!俺が最強になるのだ!」
会議場に静寂が訪れた。オールフォーワンへの侮辱など、自殺行為であるはずだが。この場で許されているという事実を見て、それぞれが行動の上限を測り始めている。最初に踏み込んだのは確かな実力を持つギャングだった。
「女侍らせて何言うかと思えば、正義だと?馬鹿かよお前は。ゴリーニが狂ったってのは本当だったらしいな。オールマイトに憧れてんなら、今から雄英にでも入ったらどうだクソガキ」
意気揚々と挑発するのは全米で影響力を持つギャング集団のボスだった。武闘派で知られる彼は、自身の個性と構成員の強力な力を使い、世界最高レベルのヒーロー達と米軍にすら対抗して全米でギャングを維持していた怪物である。
「ああ、憧れたさ。でも違った。オールマイトも完璧じゃなかった。あまりに光に囚われすぎている。だから守るものが多すぎたんだ。だから強さを犠牲にしてしまった。だから、そうだね。俺はなんと名乗ろうか。オールフォーワンの力を受け継ぎ、最強のオールマイトを継ぐのだから、合わせた方がいい。オールダーク・フォーマイトにしようか。略してダークマイト……」
「いよいよ救えねえな。ネーミングセンスまで終わってる。今まで誰も言ってくれなかったのか?何万人もいたんだろうが。ああ、もう死んだんだっけか。ああ、そうか。このギャグに笑わないと殺されるってんなら死んだ理由もはっきりするぜ」
ここまで挑発されれば、そのオールマイトに似通った青い目は相手から逸らすことはできない。
「おいおいおい。なぜだ?スターアンドストライプに蹴散らされてアメリカから逃げた負け犬が、この俺にナメた口をなぜ聞ける?」
「クソガキが。その顔は偽物のマスクだろうが。ゴリーニにそんな幹部は存在してねえ。自分のツラも晒せない臆病者に言われる筋合いはねえよ。だいたい俺があの脳筋女に負けたわけがあるか。あのナイトアイとかいう、イカれた狩人だけが脅威なんだよ」
そこまで言えば十分だった。互いの構成員が殺気を剥き出しに、そしてトップがそれを抑えなければ彼らが牙をしまうわけもない。
地下の広い会議室は、本来なら静寂と交渉のための空間である。
天井は高く、壁には防音材と衝撃吸収パネル、長いテーブルと固定された椅子が等間隔に並んでいる。その一角で、空気だけが異様に張りつめていた。アメリカのギャングとイタリアのマフィアが、数メートルの距離を挟んで睨み合う。
自称ダークマイトがニヤリと笑うと、同じタイミングでオールフォーワンも笑う。この場を提供したイサドラはため息を吐きながら、一歩下がった。
黒を基調としたスーツに赤い薔薇を左胸へ差したマフィアたちは、一歩も動かない。ギャング側は腰を落とし、銃口を下げたまま、いつでも跳ねられる姿勢を取っている。
最初に動いたのは誰かわからない。個性が使用されたのだろう重力が一瞬だけ歪み、机に置かれた金属製の灰皿が浮き上がる。それを合図に、会議室の一角が戦場へ変わった。銃声は短く、必要最低限。
弾道は壁や天井を避け、相手の動きを止める角度だけを正確に狙う。同時に個性が重なり合う。
破壊は大きなものになりそうだったが、魔王が指を鳴らすと。その衝撃波は拡散され、見えない膜に吸われるように消え、炎は燃え広がる前に圧縮されて霧散する。
ギャングの一人が髪に触れると、髪が硬化して盾のように広がり、跳弾を受け止める。その隙に別の男が滑るように距離を詰め、銃身を相手の腕へ叩き込む。
そんな中、攻撃を集中されたダークマイトはつぶやいた。
「イッツ、ショータイム……」
閃光、爆発、銃撃、血飛沫。そうして残ったのはより強い方だった。
会議場に静けさが戻った頃に立っているのが勝者である。
「どうしてだ?なぁ。本当にわからないんだ。なんで、そんなに弱いくせにそんな大口叩けるんだよ。理解ができないな」
先ほどまで自身の暴力を信じ、自分が上だと確信していたその男は今、両手を潰されそして首を掴まれ足を暴れさせていた。
「なぁお前も好きだろう。この輝きは、これにモノを言わせて好き勝手やっていたんだろうが。自分がやられるとは思いもしなかったんだな。かわいそうに。オールマイトは一度たりとも負けたことはない。お前もそうだったんだろう。そして、今わかっただろう。俺の勝ち!お前の負けだ!」
発光する黄金の腕が敵を捉えて離さない。それでも武闘派の部下たちがまだ健在であり彼らが暴れれば戦いになるはずだった。しかし周囲のギャングたちは呆然として動けない。まるで夢でも見ているかのように、意識を奪われているようだった。
「俺がこの場で敬意を払うのは、主催者であり隠し街の提供者、イサドラ女史。そして傷つき多くの個性を失ってなお強いオールフォーワンあなただけだ!けれどあなた達であっても、侮辱を許すことはできない。互いに敬意を忘れずに、より良い関係を築きたいと思っていますよ」
先ほどまでオールフォーワンを殺すつもりだったと言った口で敬意を語る軽薄さ。あまりに身勝手なそれを誰も糾弾することはできない。
あまりにも強すぎる。それが裏社会の者たちの一致した見解だった。それに畏怖するものもいたが、多くはそのからくりを見抜こうと観察していた。その思考のための沈黙を破るのはこの場で最も弱々しく、そして強い男である。
乾いた拍手が響いた。パン。パン。パン。と賞賛を贈る。
「素晴らしい力だ。君の個性は非常に強力だ。オールマイトとは全く違うが、不自然なほどに強いのは確かだ。なんだろうね。そこの意識のない彼女がなぜ傍に必要なのかはそのうち教えてくれるのかな。未知の個性というのは大好きだからね。なぁ、弔。君はわかるかい?」
返事の代わりだろうか。パンという音と共に、ダークマイトがアメリカ最大のギャングの首を捩じ切った。
そして金貨を指で弾くと、イサベラとオールフォーワンの横にさらに豪華な金で装飾された玉座のような椅子が現れる。
深々と腰掛けて、お茶を望んだダークマイトは朗らかに笑っていた。この勢力争いに対して、自分たちも動かねばならない。けれどあまりに異常な個性の使用に魏漢の将軍も、アフリカの武装組織の長も一拍遅れてしまった。
そこに挟まれたのは日本語である。
「いい加減にしてくれ。まるでチンピラじゃないか。埃とゴミが飛んできたぞ。汚ないな」
ペストマスクのような被り物で顔を隠した日本人。その場の誰も知らない若者が命知らずにもその場の主導を奪おうとしていた。強いストレスに応じて出てきた発疹を神経質そうに掻きむしっている。
応対するのはダークマイト。この場は自分のものと認識しているのだろう。
「落ち着いてくれ、えーっと。君はまず誰かな?中国の若者だろうか。すまないね。アジア人は大抵同じ顔に見えるんだ。おっと人種差別じゃないよ。こちらの文化も理解してほしい。そして小物が時間を浪費するのは無礼に当たるということを知らないのかな?」
「日本から来た。死穢八斎會 若頭。治崎という。お前らに比べればあまりに小さい組織だが、ここにいるのはそれなりに理由があるからだ。こちらは招待されている。汚れるようなことをされれば我慢ならなくなっちまう。暴力にしか取り柄のない馬鹿どもはどうか気をつけてくれ」
「日本人の綺麗好きは命懸けだな!じゃあ、壁のシミにでもなって後悔するといい!謙虚じゃない日本人は偽物だってお婆ちゃんが言ってた気がするから、な!」
ダークマイトの肩越しに発光する黄金が浮かび、槍のようにして回転する。それを放てばおそらく死ぬだろうという熱量にその場が再び緊張するが、今度はそれが放たれなかった。
これまでどんな横暴が起きても一切止めなかったイサドラが手を上げていたのだ。
「待て。彼は私が招待した。必要な技術を持っている。世界を変え得る、夢のようなものをあの小さなヤクザは持っていると、私は知っている」
主催者に止められ、そしてそれを実行したのは魔王であった。再び指を鳴らすと、その回転と熱が止まった。
「彼が保有する個性と技術は、
「そういうわけだ。この地下で最も清潔な部屋を用意しろ。癇癪でせっかくの賞品を潰すほどガキじゃないならな」
「そうか。日本人には技術というのもあったな。このところコミックしか輸出できるものがないと思ってしまっていたよ。アーモンドのようなその生意気な目は許してあげよう。このダークマイトの大きな器に感謝したまえよ」
これではっきりと示された。ここで名乗りをあげるしかないが、あのダークマイトの横暴に抗しきれなければギャングの二の舞になってしまうと。
腕に自信のある中東のテロ組織。アフリカ独裁者の親衛隊長が黄金の輝きによって潰される。その他、力だけのバカが暴れて殺される。ここまで血が流れてようやくこの場の趨勢が決まったらしかった。
『太陽たちのカルテル』南米の支配者。イサドラ・デル・ソル。
『ゴリーニファミリー』ヨーロッパ裏社会を奪い殺した男。ダークマイト。
『死穢八斎會』組のために地球の裏側まで来た若頭。治崎廻。
『魔王』。世界を支配していた男。オールフォーワン。
「
「次は、俺だ!」
「病気だよ。お前ら」
「でも大丈夫。僕がいる」
その身勝手さゆえにヴィランと呼ばれた者達の、不可能と思える共同戦線が始まろうとしていた。
お次は三日後!ホットな南米で月曜にまた会おう!