部屋の中央に発生したとしか表現のしようがないが、それは現れた。いくつかの違和感を置き去りにデジャブを感じて認識が遅れる。
扉を開けただけ。そのはずなのに部屋の中にいるという異常。
敵が虚空から生み出されるようにして出てくるという異常。
それらの異常に本能的に違和感を感じなかった自分が一番気持ち悪い。
「一体これは!」
「僕たちまだ部屋に入ってなかったのに、いつの間に部屋に入って!?」
そうだ。おかしい。
慎重に開いた扉は緑谷だけが押していたはずで。そして全員が安全を確保した通路の方にいたはずなのに。気づけばここにいる。一人の例外もなく、敵の目前へと放り出される形になった。
最も敵に近く、そして無防備だった彼に一番近いのに何もできなかったのは俺がよくわからないデジャブに気を取られていたせいだ。
口田くんが剣に刺された。殺されてしまう。
時間がゆっくりと流れるような感じがして、次の瞬間。
口田くんに刺しこまれる曲剣が途中で止められた。黒鞭が剣身を縛り、そしてそれ以上は進まないようにどうにか止めている状態である。
「クソが!離れろ!」
爆発的に前進した爆豪が敵の懐へと潜り込み、そして口田くんと敵を同時に蹴って距離を離すという離れ技を即座に実行。肩口に刺さった刃は抜かれるも、蹴りの衝撃を受けても身じろぎひとつしない番人は、左手を横に振って炎を吹き出した。
扇のように広がる炎が、黒鞭を焼いて爆豪を炙る。しかし、このくらいの熱量であれば彼にとっては問題ない。続け様に爆破と銃撃を叩き込みつつ距離をとって一度状況を観察する。
「手当をします!守ってください!」
百ちゃんが即座に応急手当てをするために動き、『創造』を惜しまずに使っていく。緩慢な体はどうにか動いてくれて、淡輝も非戦闘員の二人の前に出ることはできた。
百ちゃんは自分と違って一瞬も迷わなかった。倒れかけた口田くんを支え、床に膝をつかせると、すでに創造された白い布を肩口へ押し当てる。血はそこまで多くないが、深さが分からない。刺さった位置が悪いようだ。
「動かないで。今、止めます。大丈夫ですわ」
声は落ち着いている。呼吸も乱れていない。人を安心させるような声色と一緒に布を重ね、圧をかける。百は指先に伝わる感触で、刃が通った方向を確かめている。貫通はしていない。それだけで判断は十分だった。
口田くんは歯を食いしばっている。声は出さないが、身体は小刻みに震えている。百ちゃんは一度だけ視線を上げ、周囲を確認してから、再び傷に集中した。
「深呼吸。ゆっくりでいいです。止血のために固めますから、少し痛みますわ」
そうして手に持っていたのは固定剤だ。生体にも馴染む接着剤のようなもので、傷口に差し込んで注入することで止血を効果的にすることができる。
「づああ!へい、き。ありがとう……」
血の滲みが止まったのを見て、布を追加し、肩と腕を一緒に固定する。最後に、痛み止めをと思うがそれはやめておいた。意識を鈍らせることの方がこの場では危険と判断して。
「……大丈夫ですわ。今は、これで」
淡輝はその傍らに立ち、視線を敵から外さない。半身で敵と守るべきものを視界にとらえて警戒していた。背後で行われている処置の音だけが、妙に現実的に聞こえる。戦闘の音と違い、静かで、短くて、必要なものだけだ。
口田くんはまだ生きている。それで十分だった。本当に良かった。
ようやく、落ち着いて状況を俯瞰することができる。この儀式上と思える空間は、これまでの通路と違いどこか整然さや整った印象を与えてくる。
これまでで一番人に近い雰囲気と形。しかし手に持つ刃に殺意をのせて、刃先からは仲間の血液を滴らせる姿を見れば明白だ。こいつが間違いなく敵であるということだけは伝わってくる。
緑谷と爆豪が前に出て、攻撃を加えているが凄まじい速度の刃と炎が振るわれて攻め切れていない。
「銃弾は入ってる!血もでるが、倒れねえ!」
爆豪の銃撃はすでに殺傷モードで相当数が叩き込まれている。どれだけ獰猛な獣であっても動物であれば確実に沈んでいるだろうがこの敵は全く効いている様子が見えない。
「ちゃんと血は出てるみたいです。弱ってますよ」
ナイフを投げつけながら、血液大好き女子高生が分析をしてくれた。
トガちゃんの謎の分析は、こと出血などに関しては絶大な信頼をおくことができる。彼女が血液関連で間違えることはそうそうないからきっと正しい。
「俺が守る!前張ってくれ!」
轟は相手の能力を見極めて忠告までこなす。そして百ちゃんと口田くんを守る位置につく。けれどこれはあまりにも当初の防御陣形と違いすぎた。突破力のある攻撃があれば守り切れないかもしれない。
前衛に緑谷と爆豪。
中衛にトガちゃんと俺。
そして後方には百ちゃんと口田くん。とそれらを守る轟という形になった。
よし。これからと思った矢先。左手の炎が膨れ上がる。天を仰ぐような姿勢で放たれれる炎は今まで一番の大きさだ。
左手が持ち上がる。肘から先すべてが、内側から膨れ上がるように赤く染まった。番人は天を仰ぐ姿勢を取り祈った。
いや祈りにも似ているが、これは溜めだった。
次の瞬間、炎が噴き上がる。
これまでのような一本の火柱ではない。広がる。押し出される。部屋の空気を巻き込みながら、天井に叩きつけるように立ち上がり、そこから扇状に崩れ落ちる。
石壁が赤く照らされ、影が消える。
床の温度が一気に跳ね上がり、遺跡が燃え出したかのように感じる。逃げ場はない。覆うように、包むように、部屋全体を塗り潰す炎だ。
「っッ!」
緑谷が踏み込む。考えるより早く体が動いているのが彼だから。
腕を振り抜く動作に、全身の力を乗せる。拳が空気を殴った瞬間、衝撃が生まれる。
圧が圧を押し返す、鈍く重い衝突音だ。衝撃波が前方へ走り、炎の先端を叩き潰す。火は消えない。ただ、押し返される。広がるはずだった熱が、無理やり形を崩され、左右へ逃げる。
炎よりも早く目前に、爆豪が落ちてくる。爆発で身体を滑らせるように割り込み、俺とトガちゃんの前に着地する。背中を向けたまま、両手を開いて受け止めるような姿勢をとってくれた。
危なかった。部屋全体が燃えるかと思うほどの炎の攻撃。それを緑谷は衝撃で相殺し、とんできた爆豪が中衛の二人を守ってくれた。
「大技のあとは、隙がある!!スマッシュ!!!」
衝撃を放つだけではなく、自分ごと突っ込んだ緑谷は何かが折れる音がするほどの強烈な打撃をお見舞いし、番人を壁まで殴り飛ばした。石壁にめり込むほどの衝撃。流石にダメージも入っただろう。
「これもどうぞ。返します」
最初の敵が持っていた毒がついたメスのような刃物を投げつけ、それが複数体に刺さる。しっかりと動脈と静脈を狙った精度の高い攻撃だった。
距離を置いて、ようやく状況が優勢に傾く。
見慣れたないほど大きなつばの帽子のせいで、その奥にあるはずの表情はよく見えない。
しかし隠しているわけでもないらしく、時折鋭い視線を覗かせる。骸骨を模した仮面をかぶっているのは男女のどちらともわからない。
決してこちらの存在を許さない。対話が不可能なこの目線と表情があるうちは決して気を抜けない。戦いはまだ終わっていないのだ。
ビビイ!!というブザーが鳴って百ちゃんがハッと息をのみ、そしてその口を手で覆った。その手を離した時にはそこに呼吸用のマスクが付けられている。
「酸素濃度が低下、有害ガスが充満しつつあります!みなさんマスクを!」
それぞれに作ってそれを投げる。敵の攻撃による二次被害も想定済みである。その対応も早かった。
「ありがとう!八百万さん!」
「ここまで距離があんなら……」
爆豪が両手の銃を構えて連射する。淡輝も自分の銃を撃ち、緑谷も衝撃波を放って中距離戦に移行する。
この形がハマったあとは、敵は何もできず。壁の凹みに拘束され続けてやがて動かなくなった。
その体が弾けるようにして光り、そして死体が消えていく。
今まで戦っていた相手が、幻のように消えていくのを見るのは、誰もが目を疑う光景だった。
空間を支配していた殺意が失われ、そして地下への階段がいつの間にか姿を現していた。
「ほんとーにゲームみたいですね。ダンジョンって感じです」
「みんな、無事か!?口田くんの怪我と、他に怪我した人は!?」
「ちょっと火傷しちゃったけど。大丈夫、回復できる範囲だよ。でも狩峰くんこそ大丈夫?さっきからずっと……」
その間も、仲間たちのことを目視で確認しホッと息をついていた。
「ええ、そうですわ。この状況は確かに変です。けれど、これまでの苦難に比べて絶望的かと言われれば、そんなことはない。よほど北朝鮮での戦いの方が大変でした。あーくんのその様子はどういうことでしょう。説明をお願いします」
ゲームでいうところのボスを倒し、明らかに今は安全という雰囲気だった。だからこそこれまで棚上げにされていた疑問が噴出し、淡輝を逃がさないように囲んでいる。
隠すことに意味ない。けれど、本当のことを話してしまうこともできない。
「いや、俺はなんていうか。前からずっと言ってただろ。ずるいことをしてるって。ナイトアイの予知とかマリアの予測とかそういうので心構えできてただけなんだ。今はそれらがないから、不安になってる。悪いけど今までみたいにはやれない。せめて邪魔にならないように頑張るよ」
まずい。間違えた。
この早口の説明で誰一人として納得している雰囲気がない。どうしようか。やり直しができないとなると途端にやり方がわからなくなってしまった。
「そんな状況、よくありませんでした?わたしの襲撃はともかく、戦闘内容とかをイチイチ細かく予知することもないと思いますし、何より淡輝くんは当たり前みたいに知ってました。絶対警戒できない罠でも、攻撃でも一回も焦りもしなかったのに。こんなことで動揺するのはおかしいです」
トガちゃんが普段ならありえない調子で長文で追い詰めてくれた。それからは酷いものだった。
生半可な説明を繰り返し、それを見抜いて許さない友人たち。探索の時間が惜しいということで爆豪が切り上げなければどうなっていただろうか。百ちゃんに頬を張られていたかもしれない。
その後の探索は、基本的には順調だった。
通路は崩れておらず、罠もあるが警戒できていた。進むたびに状況は整理され、次に何をすべきかも自然と決まっていく。誰かが合図を出さなくても、隊列は乱れなかった。
狩峰淡輝は何も言わない。
それでも戦いは、探索は問題なく進んでいく。
百ちゃんが何度か振り返る。口田くんの様子を見てから、淡輝の背中を見る。声をかけようとして、やめる。その仕草が二度、三度と続いた。
「……狩峰くん?」
緑谷が低く呼びかけられたこともあったかもしれない。ただ、よく聞こえていなかったし考え事をしてしまっていて反応できていなかった。
爆豪が舌打ちをする。淡輝の横顔を一瞬だけ見て、前を向き直る。何も言わないが。
探索は続き、戦いは無事に終わっていく。異常は出ない。危機的な状況にあれどこのチームは安定している。
順調なのに、誰も安心しない。
静かなのに、気が抜けない。
淡輝の背中が、いつもより遠く小さく見えるというだけで。
彼が冗談の一つも言わないだけで、仲間の心はざわめいていた。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
流石に自分でもわかってはいる。これはくだらない感傷だ。必要のない見栄だ。非合理で非効率な友人を裏切る悪手である。
淡輝はただ、無数の死を許容する自分を知られたくなかった。
友人たちをこの手で殺したことがあるということを、想像すらできない彼らに知られたくなかったのだ。無能を無様を見せるだけないい。下駄を履かないありのままを彼らに見せることができるなら肩の荷がおりる。
けれど、言えなかった。
自分の命も誰の命をも諦めている卑怯なところを、他ならぬ彼らに糾弾されたら耐えられない気がして。
探索の間、ずっとそれだけを考えていて。第二層のボスと思われる扉を開ける直前に爆豪が目の前に立つことすらも、気づいていなかった。
「悪い。なんかやっちゃったか?謝るよ。それより、早く次のところに……」
ガッと胸ぐらを掴まれて、そして後方へと引かれてしまう。彼は最近は全く暴力的な行動をしていなかったので面食らった。一体どうしたというのか。
「クソ笑えねえ冗談すら言えなくなった役立ずはすっこんでろ。俺はお前のことははなから当てにしちゃいねえから、なんも変わんねえよ。それに、諦めるような上等な脳みそも持ってねえんだろうが、お前も。言えねえんならそれでいい。うぜえからとっとと切り替えろや」
唐突に、理解が降りてきた。
ああ、俺の番が来たんだと。
今までに彼らに課してきた苦難を。自分だけは忍耐力と反復で誤魔化してきた全てと向き合うべきなんだとわかった。
何度目かもわからない。爆豪が爆豪らしからぬ言葉をかけてくれてようやくわかった。
自分自身が変わらないといけない時が、自分の番が来たのだと。
人に助けを求めて、そして諦めないことはできるようになった。
けれどそれだけでは足りないらしい。新しいことをできるようにならないといけないのだ。
自らを認め、そして打ち克つ。
「そうか。勝己だもんな。いい名前だわ」
「っ否定できねえ戯言吐いてんじゃねえ殺すぞ!」
すでに彼は見せてくれていた。己に勝つという困難さも、そしてその方法も。
ヒーローでない自分にできる自信はない。それでも、やってみたいと思えたのは。きっと彼らが変わったからだ。
「みんな、できれば俺にも戦わせてほしい」
進んで一歩を踏み出した。
円形の広場のような場所。その中央にまた暗闇が広がってそれが這い出てきた。
体高は3m近い。まるで象のような高さ。そして長くもあった。小さいバスくらいはあるんじゃないか。鼻先から尻尾まで大きすぎる獣がそこにいる。
全身の毛皮を自ら燃やし、犬にしては大きすぎる頭部を持ち上げて方向するのは番犬だった。先ほどよりも圧倒的な熱量でこちらを燃やそうと吠えている。
「旧主の番犬……。手足を壊すべき……」
違和感を飲み込むと、どうやって戦うべきかもわかった気がした。
けれど、そして仲間が死ぬ恐怖。それは忘れることはできないことにも気がついた。手足が震えている。
「でも、それなら。なおさら俺が前に出るべきだろうが」
忘れることのできない恐れを、震えを抱えながらも前に出る。視界がグッと広がった気がした。
うわ。めっちゃやばい。食らったら死ぬ。絶対に死にたくない。笑えない。
それでも一歩を踏み出すと。今まで見落としていたものが目についた。
そこには床から湧き出てくる小さな亡者たちがいた。今出てきたのではなく、ずっといたのだろう。彼らが持っているそれは、かつてUAIの技術者たちにオーダーした武器にそっくりだった。
いいや、違う。これを元にあれを作ったのだきっと。
古く血だらけで、切れ味の悪そうな汚れたノコギリ。それを彼らから受け取って、そして振り回して変形させる。耳障りの良い変形音を響かせ、ノコギリは鉈となって手におさまっている。
すると何より大事な師匠の言葉を思い出す。そうだ。ユーモアを忘れたらどんな夢でも悪夢になるだろうが。
「じゃあ、一狩り行こうぜ」
右手に狩り道具であるノコギリ鉈を持ち、左手には大口径の単発銃。何か忘れているような。
「あーくん!忘れ物ですわ!」
百ちゃんが完璧なフォームで投擲してくれる。そう。それもこれも幼馴染が生み出してくれたものだ。ありがたい。
これで、俺も元気百倍だ。
けれど投げられたのは当然ながら頭部ではない。百ちゃんが気を利かせてくれて作られたのは帽子だった。
目ぶかに被ったこの尖り帽子で狩峰淡輝の顔が隠れると、ようやく狩人が顔を出す。
狩りの夜が始まった。