ブリッジの扉が、音もなく開いた。
その瞬間、空気が変わる。
赤く染まる警告灯の中、静かに、しかし確実に――空間が鋭さを帯びる。
管制卓のオペレーターが、振り向いた。
「大佐!」
「……あー、悪い悪い。ちょっと遊びすぎた」
軽口でごまかす。
不調の兆候――記憶の乱れ――そんなものは、今さら報告の対象ではない。
「敵艦、なおも接近中!」
「ブルー0、距離110。かなり速い艦です。――厄介ですぞ」
イアン少佐の声が響く。
冷静だが、その中に明確な苛立ちが滲んでいる。
こちらの足が鈍った隙を突かれている。相手も、こちらの状態を見切っているということだ。
「ミサイル来ます!」
「ッ、取り舵! かわせ!」
艦が軋むように旋回。
だが、追尾ミサイルの速度が早い。――読み違えば、艦橋ごと持っていかれる。
「……くそっ、やるしかねぇ!」
即断。迷いはない。
脳裏に浮かぶのは、リスクと確率、そして――唯一の可能性。
「両舷の推進剤予備タンク、アームごと分離! そのまま爆破!」
「えっ、でもあれ、まだ――!」
「鼻っ面にくれてやれ! ブレーキ代わりだ!」
制止の声を振り切り、怒鳴る。
このタイミングを逃せば、沈むのはこっちだ。
「爆破準備ッ!」
「同時に、上げ舵35、取り舵10、機関最大! ぶっ飛ばせッ!!」
――轟音。
耳の奥まで震えるような爆発音と、船体を軋ませる反動。
重力が傾き、視界が大きく揺れる。
警告灯の赤が瞬き、敵のミサイルが、分離されたタンクの爆煙に呑まれるのが見えた。
その瞬間――敵の砲撃が一拍、遅れる。
「……撒いたか」
俺の呟きに、イアン少佐が胸を撫で下ろす。
「お見事。まさか、艦隊戦もお得意で?」
「いや? ぶっつけ本番だよ」
仮面の奥で、口角がわずかに持ち上がる。
それは自嘲でも、虚勢でもない。ただの――現実。
状況を打開するための、最適解。
それだけの話だった。
「でも、ま――遊んだ後の尻拭いくらい、自分でやらなきゃな」
艦長席に深く身を沈める。
背もたれが軋み、振動が脚を伝ってくる。
焼けた金属の匂い、オゾン、そして……血の気配。
命の代償がまだ消えぬ空気の中――確かに感じる。
この感覚。
……嫌いじゃない。
いや、むしろ――懐かしい。
けれど、それが「いつ」だったのか。
誰と、どこで感じた記憶なのか――
思い出そうとするたび、霧が立ちこめる。
まるで記憶そのものが、今の自分を拒んでいるかのように。
◆
車が屋敷の前に停まると、ドアが開いた。
「ふぅ……つ、疲れた……」
買い物袋で両手が塞がったまま、フレイが真っ先に玄関へ向かっていく。
その後ろを、黒い球体が元気よく跳ね回る。
「オカエリ!コレガ、ツミブカキコドモ!!」
「うるさいわよ、あんたはどっかで値札でもつけられてなさい!」
ボクはそんな二人のやり取りに苦笑しつつ、
重たくなった袋を玄関にまとめて置いた。
ふと、見上げる。
梯子の上。
屋敷の二階窓――ボクの部屋の窓の前に、バスクがいた。
工具片手に、何やらトンカンと音を立てて作業している。
(……ああ、閉めたとき、変な音がしてたっけ)
誰に言われるでもなく、黙って修理してくれている。
ボクは工具箱のそばに歩み寄り、少しだけ声を張った。
「手伝おうかー?」
「帰ったか。悪いが、そこの釘を一本取ってくれるか」
指さされたバケツには、様々な長さ・太さの釘が乱雑に詰められていた。
どれが正解かなんて、分からない。
(……まぁ、これかな?)
感覚で選んだ一本を、バスクに差し出す。
彼は何も言わずに受け取り、作業を再開した。
こういう時にボクの感は役に立つ。
数分後。
最後の釘が打ち込まれ、カンッという乾いた音が響いた。
「ふぅ……」
バスクが梯子を降りてくる。
その背中に、ボクはぽつりと呟く。
「ありがとう」
一瞬だけ、彼の表情が止まる。
驚いたような、けれどどこか照れたような顔。
そして親指を立てて、短く。
「ああ」
その声は、やけにまっすぐで――
なぜか胸の奥がくすぐったくなった。
ふたり、並んで玄関へと向かう。
「フレイと何を買いに行ってたんだ?」
「服」
「服か!ドゥーはいつも同じ服だからな!」
「うわっ、バスクも言った!このハゲ!」
「ハ、ハゲ!?誰のことだ?!」
じゃれ合うような口喧嘩に、フレイの笑い声が中から漏れてきた。
まるで、どこにでもある――家族の一日みたいだった。
◆
艦内――
ブリッジの喧騒が遠ざかるたびに、足音だけがやけに静かに響いた。
俺は、彼らの眠る部屋へ向かっていた。
ガーティ・ルーに回収された三人の、あの少年少女たち――アウル、スティング、そしてステラ。
静かにドアが開く。
薄暗い照明のもと、規則正しい電子音が静けさを支配している。
簡素な仮眠室。その一角に設けられた医療用のベッドで、三人は静かに眠っていた。
機械による睡眠誘導。
どこか不自然に落ち着いた表情は、命令で生かされている兵士の証でもある。
一歩、近づいた。
スティングとアウル。見たところ、外傷も深刻な異常もない。
だが――
視線の先、ステラの小さな肩が、かすかに震えていた。
……夢を見ているのか。
それとも、恐怖が身体に染み付いたまま抜けないのか。
ふと、頭に浮かぶ。
アウルが、作戦中にステラに“ブロックワード”を使った――そんな記憶があった。
……だが、おかしい。
誰からも報告は受けていない。
なのに、なぜか“知っていた”。
違和感はある。
あるはずなのに、それを追おうとすると――霧がかかる。
頭がぼんやりとする。
だが、不思議と気にはならなかった。
「……まったく」
溜息まじりに呟いて、彼女のそばに膝をついた。
ステラの頬にかかる髪を、指先でそっと払う。
そのまま、震える額を包むように、髪をゆっくりと撫でる。
まるで、それが――ずっと昔からの“習慣”であったかのように。
自分でも驚くほど、手の動きは滑らかで、慣れていた。
思考より先に、身体が動いていた。
……そうだ。
俺は、誰かに――こうしてやっていた気がする。
名前も顔も思い出せない。
それでも、指先が知っていた。優しく、静かに撫でる手つき。恐怖をほどく温度。
震えていたステラの身体が、次第に落ち着いていく。
やがて、彼女が薄く目を開け――そのまま、俺の手を握りしめた。
小さな手だった。
冷たくて、頼りなくて、それでも必死に何かを求めている手。
……俺は、それを拒む理由を、もう忘れていた。
だから、ただ黙って――
彼女の手を握り返し、撫で続けてやる。
名も知らぬ記憶が、温度だけを残して甦る。
仮面の裏で、何かがひとつ、音を立てて剥がれ落ちた気がした。
◇
俺はイアン少佐とブリーフィングルームで話していた。
報告の名を借りた雑談。
だが内容は、今後の作戦と――例の少年少女たちの話だ。
「何かあるたびに“ゆりかご”へ戻さねばならぬパイロットなど……ラボは、本気で“使える”と思っているんでしょうかね?」
イアン少佐が眉をひそめながら、慎重に言葉を選ぶ。
それはただの意見ではなく、現場指揮官としての“懸念”だった。
俺は一呼吸置いてから、静かに言葉を返す。
「違うな、少佐。“扱えるか”どうかを決めるのは、ラボでも上層部でもない。――俺だ」
そこで言葉を区切り、少しだけ声を落とす。
「それと、“使える”って言い方は、好かんな」
言葉に鋭さはない。
だが、その言外には譲れないものが滲んでいた。
イアンはすぐに背筋を正し、低く頭を下げた。
「申し訳ございません。……配慮が足りませんでした」
謝罪の仕方ひとつ取っても、この男が一流の副官であることがわかる。
が、次の言葉には、少し困惑が混じっていた。
「それで、その……」
妙に言いづらそうな声音で、イアンが目を向ける。
……俺の胸に、しがみついている少女へ。
「彼女は、なぜそのような状態に?」
ステラ・ルーシェ。
俺の首に腕を絡め、膝の上でコアラのように張り付いている。
……正直、ちょっと痛い。
「俺が聞きたい」
思わず本音が漏れた。
ステラは俺の胸元に頬をすり寄せながら、小さな声で、
「……ネオぉ……」
と甘ったるくつぶやく。
……起きてるのか?寝てるのか?判断がつかない。
ただひとつわかるのは、涎の量が尋常じゃないということだ。
首筋がびちゃびちゃだ。
「ったく……」
俺はそっとため息を吐いた。
だが、振りほどくことは――できなかった。
イアンは苦笑を浮かべながら、そっと視線を外す。
「……大佐、その……健闘をお祈りします」
「頼む。見捨てないでくれ」
その時、
『イエロー50、マーク82チャーリーに大型の熱源接近! 距離8000!』
艦内に緊迫した通信が響く。オペレーターの声に、わずかに動揺が混じっていた。
「……やはり来ましたか」
イアン少佐が、冷ややかに言う。眼鏡の奥にある瞳が、状況を見通していたかのように鋭く光った。
「まあ、ザフトもそう寝ぼけてはいないってことだな」
俺は肩を竦め、苦笑を交えつつも口元はすでに引き締まっている。
そのまま、すっと声を張った。
「――ここで一気に叩く。総員、戦闘配備!」
艦内にけたたましい警報が鳴り響き、灯が赤へと切り替わる。
「パイロットはブリーフィングルームへ急げ!」
一斉にオペレーターたちが端末に向かい、各所へ指示を飛ばし始めた。
……俺は、と言えば。
「よっと」
未だコアラの如くへばりついているステラをそのままに、ブリーフィングルームへと足を向ける。
誰か剥がしてくれる気配は――ない。
「まったく……この状態でブリーフィングかよ」
ぼやきながらも歩を止めることはなかった。