ガーティ・ルーへ帰還し、自室のドアを静かに閉めた。
重力もないはずなのに、足が重い。全身が軋むような感覚がある。
不調――というより、どこかが壊れている気がした。
椅子に身を投げるようにして座り、仮面を机の上へ置く。
ピクリ、と手が震えた。
インパルス。赤いザクウォーリア。
あの二機を見た瞬間、脳裏に何かが走った。
――頭が痛い。
ズキズキと脳を刺すような痛みに顔をしかめながら、引き出しから鎮痛剤を取り出す。
何粒かを指先でつまみ、無造作に口へ放り込んだ。水も使わない。
ごくり、と喉が鳴る。
(次はユニウスセブンが地球に落ちる……)
不意に、そんな言葉が脳裏を過ぎった。
「次」ってなんだ――
そもそも……ユニウスセブンが地球に落ちるなんて、ありえない。
そんな未来、どこで知った?
「……俺は、何を……知ってる?」
独りごちる声が、妙に遠かった。
思考は霧に包まれ、過去と未来が溶け合っていく。
――その時。
キィ……ン
静かに、ドアが開いた音がした。反射的に振り向く。
「……ステラ!?」
そこに立っていたのは、戦闘の傷をそのままにした少女――ステラだった。
服は焦げ、髪も乱れ、足元はおぼつかない。
それでも、彼女はこの部屋まで、自分の足でたどり着いたのだ。
「おい……何してる!? 寝ていたはずだろ……!」
思わず立ち上がり、駆け寄る。
彼女の体は熱く、震えていた。
「ネオ……」
その声は、いつになく弱々しく、どこか必死だった。
(……まったく)
俺は溜息とともに、彼女の身体を抱き上げる。
羽のように軽いその身体を、ベッドへと運び、静かに寝かせた。
「ネオ……ごめんなさい……わたし……役に立てなかった……」
ステラが、伏せたままぽつりと呟く。
その声音に、怒りや悲しみはなかった。ただ、申し訳なさそうに。
思い出す。
赤いザク――ルナマリアだ。
三対一でも止めるその異常な反応速度。
あれは……化け物だ。仕方ない。
「気にするな。君たちが生きていてくれれば、それでいい」
そう言って、俺はそっとステラの髪を撫でる。
震えていた体が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
彼女の手が、そっと俺の服を掴んだ。
その小さな手に込められたのは、戦いに生きる者には不釣り合いな、幼子のような甘え。
俺は、その重さを拒まなかった。
◇
――それは、現実だった。
「……動いた?」
ユニウスセブン。
かつて戦争を終わらせた“象徴”が、今――地球に向かって動き出している。
報告を受けた瞬間、俺の思考は止まった。
全身の血が一気に冷え、次に走ったのは背筋を這い上がるような悪寒。
冗談じゃない。これは、冗談で済む話じゃない。
「カオス、ガイア、アビス、出せ! 全機、出撃準備!!」
俺の声がブリッジに響く。
それと同時に、俺のハンブラビも発進した。
地球に落ちようとしている《ユニウスセブン》を止める――そのためだけに。
宙域はすでに戦場だった。
ザフトのジン、ゲイツ。雑魚機体とはいえ、数は多い。次々にこちらへ襲いかかってくる。
「くっそ……やってくれるな!!」
ビームが飛び交い、爆発が弾ける。
こちらの攻撃で敵機が爆散し、道が拓ける。俺たちは割れかけたユニウスに取りついた。
が――
「止めるって、どうやって……!」
あまりに巨大だ。あまりに重い。
推進装置で押し戻せるレベルではない。
それでも、止めなければならない。地球が――人々が危ない。
そんな中、ユニウスセブンを破壊している機影を確認する。
ザクウォーリア。それも赤い機体。
同時に、別のザクがこちらに向けてビームを放ってきた。
「っ……ステラ! そいつを頼む!」
ステラのガイアが飛び込み、敵機を抑える。
その隙に俺は突っ込む。――が、またしても別のザクからの攻撃。
明らかに武装だけを狙った、精密で抑制された射撃。
まるで「本気で壊す気がない」ような動き。
このパターン……この攻撃――
「こいつ……アスランか!?」
反射的に、口をついて出た。
記憶の奥底から、確信のように浮かんできたその名。
『――なに!? なぜ俺の名を!?』
通信が、開いていた。
しまった。オープン回線だったか。
アスラン・ザラ。
かつての英雄。
……なぜ俺は、あいつの名を知っている?
「くっ……!」
頭が痛む。だが今は、考えている場合じゃない。
幸い、どうやら彼もユニウスセブンを破壊しようとしている。
味方とは言わんが――敵ではない。
俺はその場を離れた。
――そして。
爆発。
ユニウスセブンの一部が崩れ落ち、軌道上で粉砕されていく。
(……間に合うか? いや……)
いや――間に合わない。
砕けた岩塊の一部は、依然として巨大な質量を保ち、地球へと吸い込まれるように落ちていく。
「くそっ……!」
俺は叫ぶことすらできず、ただそれを見ていた。
何もできない。
止められない。
戦えない。救えない。
あの青い星へ、破滅が降る。
それを――ただ、見ていることしか、俺にはできなかった。
◆
地球。
遥か頭上――大気圏の向こう側で、命が火花のように散っていくのが、わかった。
直接見えたわけじゃない。
けれど、鼓動が、温度が、空気の重さが――何かを感じ取っていた。
オーブの、とある島。
潮の香る浜辺の屋敷。
その前で、ボクは立ち尽くしていた。
玄関先のテレビが、緊急ニュースを伝えていた。
《……ユニウスセブンの破片が、地球への落下軌道に……被害は甚大と……》
……また、だ。
この世界は、また壊れようとしている。
拳に、自然と力がこもる。
怒りとか、悲しみとか――そういうものとは違う。
もっと深く、もっと冷たい何かが、胸の奥で軋んでいた。
――相棒が命を懸けて守ったこの世界が。
そんなにも簡単に、踏みにじられるのか。
「ドゥー! カゼヲヒクゾ! クランクニー!」
耳元で、黒い球体が跳ね回る。
ハロアイン――アスランから届いた、ちょっとズレたプレゼント。
今日も意味不明な言葉を連発して、場違いに元気だ。
「……魔法の呪文か何か?」
そう呟いて、つい笑ってしまう。
こういうときに、こいつの存在には――何度も救われてきた気がする。
間の抜けた声と跳ね回る動き。
頭を空っぽにさせてくれる不思議なテンポ。
「キヨキ、ココロガ、カイマミエル!」
「……見なくていいよ、ボクの心なんて」
思わず返してしまう。
……やっぱり、居心地いいんだか悪いんだかわからないな、君は。
「ドゥー! どこー?」
屋敷の奥から声がした。フレイの声だ。
ボクを探してる。
「……行かなきゃな」
海風を背に受けながら、ボクは屋敷へと足を向けた。
この日常が――いつか、また壊されることのないように。
屋敷の食卓では、すでに三人が席についていた。
ナタル・バジルール。
バスク・オム。
そしてフレイ・アルスター。
穏やかな昼下がり。
テーブルには、湯気を立てる鍋と、温かな香り。
――ビーフシチューだった。
「……げっ」
思わず、声が漏れた。
表情が、ほんのわずかに引きつる。
「……またビーフシチュー?」
問いかけるように言うと、真正面の男が胸を張った。
「ああ。ドゥーは好きだったろう?」
バスクが誇らしげに言う。
「……そうだけど」
心の底からの反論ではない。
けれど、確かに苦笑いが混じっていた。
文句を言いながらも、自然と席につく。
目の前の皿。
ほのかに甘く、そして濃厚な香りが立ち上る。
スプーンを手に取り、静かにルーをすくう。
深い赤褐色のとろみが、金属の縁から零れそうになる。
それをそっと口へと運んだ。
……変わらない。
味は、あの頃とまったく同じだった。
変わらないのに――どうしようもなく、心が揺さぶられる。
口の中に広がるのは、温もりと、記憶。
戦場での最後の食事。
あのとき相棒は、無理に笑って「うまい」と言った。
ボクもそれに笑って頷いた。
……心から、そう思っていた。
その味が、今もここにある。
食卓に座る三人の姿が、ぼやけて見えた。
この日常は、どこか不器用で、いびつで――それでも、確かに幸せだった。
だから、壊したくない。
二度と、あの悲劇が繰り返されるようなことは――
「あ、この、ビーフシチュー。美味しいじゃない」
フレイがそう言って、笑顔のままスプーンを口に運ぶ。
――まったく悪気のない、純粋な言葉。
だからこそ、たちが悪い。
「あっ」
ボクとナタルの声が、ぴたりと重なった。
その刹那、テーブルの向こうでバスク・オムの顔がぱあっと明るくなる。
口髭の下から、豪快な笑みがこぼれた。
「そうかそうか! うまいか! ならまた作ってやるからな! よし、バジルール、次も俺が飯当番を――」
(ま、まずい!)
ボクの中で何かが点火した。
このままではまた――いや、一か月連続ビーフシチューという悲劇が再来する。
誰よりも味に一途で、誰よりも料理のレパートリーが少ない、それがハゲ大佐だ。
「い、いえ! 大丈夫です!」
ナタルが慌てて椅子から半身を起こし、否定の言葉を口にした。
「私は、その……料理が、好きですので。だから、あの、無理はなさらずとも……!」
無理をしてるのが見え見えだった。
顔が強張っていたし、声は上ずっていた。
だから、ボクも乗った。
「うん、ボクもそう思う」
我ながら意味の分からない援護だったが、気持ちは同じだった。
ボクらの明日の夕食のために。
「ん……?」
フレイがスプーンを口に咥えたまま、首をかしげていた。
その仕草が、なんだか可笑しくて、ちょっとだけ笑ってしまいそうになった。
それでも、この奇妙な日常が――少しだけ、愛おしかった。