アレキサンドリア級――地球連合軍の母艦を飛び出した二機の機影が、宙域にその姿を晒す。
一機は、深海の獣を思わせる流線形のモビルスーツ《ハンブラビ》。
もう一機は、静かにして重厚、威圧的な巨体を誇るモビルアーマー《サイコガンダム》。
その質量からは想像もつかないほど滑らかに、両機は宇宙へと滑り出した。
カタパルトの振動すら、既に遠い感覚だ。
(……宇宙か。初めてのはず、なんだけどな)
操縦桿を握る手は、驚くほど静かだった。
鼓動すらも、妙に落ち着いている。
(これは――ゲーツ・キャパの記憶、か)
身体が、操縦が、“知っている”。
変形モードに移行したハンブラビは、まるで水中を泳ぐかのような身軽さで宙を駆ける。
その傍ら、サイコガンダムが無言で並走していた。
巨大な影。圧倒的な質量。
――まるで、月の隣を巡る衛星のように、自機が小さく見える。
そのとき、通信が入った。
『……ゲーツ。さっきの“相棒”って、どういう意味?』
ドゥーの声。
相変わらず抑揚に乏しい。けれど、どこかで揺れている。
微かな迷い、あるいは――戸惑い。
(……聞くんだな。やっぱり)
さっきはあんな顔しておいて、と思いながら、口を開く。
「深い意味は……あるような、ないような、だな……!」
――我ながら、締まらない。
けれど、返答はない。
沈黙。だが、それは拒絶ではなかった。
(……納得、ってわけでもなさそうだが)
通信は切れていた。
ただ、並ぶ機影が、まっすぐこちらについてくる。
後方モニターへと視線を移す。
そこには――無数のメビウス。連合の量産型宇宙戦用MAが、隊列を組んでいた。
「……すごい数だな」
けれど、わかる。
これだけの数が出ていって――帰ってこられるのは、おそらく半分もいない。
そして俺たちがいたとしても、その現実は変わらない。
やがて、前方に赤い光。
敵艦隊のシルエットが、宇宙の闇に浮かび上がる。
ザフトの艦隊。
目を凝らすまでもなく、そこには“確かな死”がある。
それでも、逃げるわけにはいかない。
(やりたくねぇ。……でも、やるしかねぇ)
この世界で生き延びるために。
そして――
(彼女を、死なせないために)
静かな決意を込めて、操縦桿をわずかに握り直す。
ハンブラビの姿勢がわずかに前傾し、獣のように宙を裂いた。
戦いは、始まる。
宇宙を裂く、赤い閃光。
ザフト艦隊から放たれたビーム砲撃が、無数の軌跡を描いて襲いかかる。
「ドゥー! 艦砲が来る! 回避しろ!」
反射的に通信を飛ばした。
自分でも驚くほど自然な声のトーンと判断――これは、ゲーツ・キャパの記憶が身体に馴染んでいる証拠だろう。
ハンブラビを急加速させ、戦場の光線を縫うようにすり抜ける。
背中が熱を感じるほど間近をかすめたビームが、遠くで爆煙を咲かせた。
(……本物の戦場だな、こりゃ)
視界の先、ザフト艦のハッチが開き、数機のMSが飛び出してくる。
ジン――3機。こっちを真っ直ぐに捉えてくる。
変形!
機体をMS形態へ戻しながら構える――が。
(……おっっっっっそ!!)
想像以上に変形機構がもっさりしていた。
ジークアクス準拠、とはいえこれはヒドい。訓練映像より遥かに遅い。
「おいおい、冗談だろ!? 戦場だぞ、今!」
その隙に――
1機のジンが先行してこちらをロックオン。
76mm重突撃機銃の銃口がこちらを捉える。
(間に合わねぇ!!)
咄嗟に機体をひねり、スラスターで逸らす。
赤い火線が頬をかすめるように通過し、擦過痕が走った。
「……クッソ、こいつ機動性だけかよ!?」
反撃。
背部の武装を呼び出そうとするが――
(……ない!?)
表示された武装スロットには、ビーム・ライフルの名がない。
そこにあるのは、まさかの――
内蔵機銃:イーゲルシュテルン
「ふざけんな! 未完成って、そういう意味だったのかよ!!」
やむを得ず、イーゲルシュテルンを解放。
バルカンの連射音が機体内部に響き、弾丸がジンの胴体を削る。
一瞬、敵の動きが鈍った。
しかし――仕留めきれない。煙を上げた機体はなおも生きている。
「……はあ!? 硬すぎるだろ!? これで落ちねぇのか!?」
焦りながら他の武器を確認。
モニターに表示されたのは、たった一つの無情な文字列。
《内蔵装備:対装甲コンバットナイフ〈アーマーシュナイダー〉×1》
「ナイフだけ!? 宇宙空間でナイフだけってマジかよ!!」
通信はない。ドゥーはどうした!?
確認する暇もなく、別の2機のジンが回り込む。
警告音が重なり、二重ロック。
間に合わない――
「ちょ、待っ――」
視界に光。2本の火線が、こちらを撃ち抜く――!
次の瞬間――視界が、灼熱の奔流に呑まれた。
赤いビームが、空間をねじ曲げるように奔り、目の前のジン2機を一瞬で焼き尽くす。
爆発すら生じない。ただ、粒子の霧が宇宙に舞った。
《サイコガンダム》。
あの忌まわしくも、最強の怪物が――今は、俺の背中を護っている。
『……大丈夫?』
通信から聞こえる声は、信じられないほど静かだった。
破壊の余韻を帯びながら、どこか不安げな音色が混じっている。
「……助かった。そっちは?」
『大丈夫。でも……もうエネルギー、なくなりそう』
(はやっ!?)
胸の奥が、ぞわりと冷える。
サイコの最大火力――どうやら“未完成”の意味は、威力ではなく、持久性だったらしい。
戦闘開始から、まだ5分も経っていない。
「わかった。――艦隊までの道を切り開けるか?」
『うん。……ボクに、任せて』
短いその返事の奥に、迷いはなかった。
どこか、さっきとは違う覚悟が滲んでいた。
ゲーツは小さく息を吐くと、
通信の切断ボタンに指を伸ばしながら、ひと言だけ添えた。
「そのあとは、撤退してくれよ」
一瞬、ノイズの向こうで何かを言いかけた気配があったが――
そのまま、通信は静かに途切れた。
サイコガンダムの機影が、再び前方へと躍り出る。
禍々しく、だが頼もしく。
その背中に、俺は――ひとつの希望を託す。
その直後――
サイコガンダムの両腕が、青白い光を帯びて展開される。
5連装メガ粒子砲、フルチャージ。
まるで意思が宿ったかのように、
機体が唸り、光の奔流を宇宙に叩きつけた。
瞬間、空間が灼けたように眩しく染まり、
幾筋ものビームが交錯する“光の檻”を形成する。
その狭間を――
ハンブラビが、影のように滑り込む。
変形。
そのボディは、夜空に放たれた一閃の矢。
スラスター全開。加速。
Gが、襲いかかる。
重力の代わりに、加速度が臓腑を圧し潰すような感覚をもたらす。
歯を食いしばる。
視界の端が、赤く染まっていく。
(くそっ……まだだ、落ちんな!)
背中を預けた“相棒”がいるから、止まれない。
ビームの乱舞を切り裂きながら、
ハンブラビは一気にザフト艦隊へと突貫する。
前方、敵MS群。
「来るなら来い――ッ!」
ジン1機、回避しきれずにビームの直撃を受ける。
その隣、もう一機がサイコの砲撃に飲まれ、爆散。
残りの敵は動揺し、隊列が崩れる。
ビームが止む頃には――
目前に、ローラシア級戦艦の艦影。
「……よし、行くぞ」
変形解除。
ハンブラビの姿が、再びMS形態へと変わる。
艦の対空砲火が網のように迫るが、
その隙間を読んでスラスターを散らし、接近。
タイミングを見計らい――
「今だ!」
イーゲルシュテルン、全弾発射。
火線が艦首を貫き、装甲の隙間で火花が散る。
直後――小爆発。
艦首が歪み、主砲が沈黙する。
そこへ、護衛のジンが接近。
だが、狙うのは機体ではない。
「装甲が無理なら……武装を狙う!」
アームの動きで銃口を見切り、
機体を捻って急接近――腕ごと銃を切断。
すぐさま次の一機が照準を合わせるが――
「カメラ、もらった!」
イーゲルでカメラアイを撃ち抜く。
光学センサーが閃光を放ち、ジンは視界を失う。
残された敵は混乱し、撤退を開始。
静かになった戦場。
息を呑む間に、ハンブラビの周囲から戦火が消えていく。
「……やった」
その言葉は、思わず漏れた本音だった。
恐怖もあった、無茶もした――
それでも、勝てた。
撃退数だけを見れば――それなりの成果だった。
未完成の機体。限られた武装。初陣のパイロット。
それで、ここまでやった。悪くない。
だが。
戦場は、救いようもなく――惨い。
モニターの片隅で、連合のドレイク級が爆ぜる。
断末魔のような火花を散らしながら、艦体が崩れ落ちる。
その周囲を、黒煙にまみれながら彷徨うメビウス。
数えきれないほどのモビルアーマーが、炎の藻屑と化していく。
ジンも何機か落としてはいる。
確かに結果は出した。だが――
(数が合わない。いや……桁が違う)
味方は多かった。
だというのに、焼かれたのは――こちらだった。
(これが、“現実”か……)
ザフトと連合。
機体性能の差。訓練の差。
そのすべてが、戦場で如実に現れる。
戦いは、まだ終わっていない。
レーダーに映る、新たなジンの影。
即座に反転。狙いを定め、イーゲルシュテルンを叩き込む。
閃光が走り、ジンのカメラアイが砕けた。
そのまま加速――
至近距離から、スラスターで接近。
蹴りを放つ。
鈍い衝撃とともに、敵機がぐしゃりと音を立てて吹き飛んだ。
戦えないわけじゃない。
だが――
守れるとは、限らない。
その瞬間、空が赤く染まった。
味方艦隊から、撤退信号。
(……そうか。撤退、か)
胸の奥が、ひどく冷えていく。
戦いは、“勝てる”かもしれなかった。
けれど、勝っていたとして――誰が、生き残っていた?
自分とドゥーがいなければ、
きっともっと多くが死んでいただろう。
だが、いたからといって、生き残れた者は、どれだけいた?
沈黙が、コックピットに落ちる。
焼け焦げた機体。爆ぜる艦。吹き飛ぶ兵器たち。
“成果”と呼ぶには、あまりに残酷すぎる現実。
(……これが、戦争か)
静かに、吐息を落とした。