捕食者系魔法少女・外伝『Sacrifice's Archive』 作:J・イトー
本作中の設定や一部演出には独自の解釈・誇張が含まれておりますので、苦手な方はブラウザバック推奨です。
偉大なる原作、ならびに作者・バショウ科バショウ属氏へ最大級の敬意を。
「……主よ、インクブスです」
そう拳大のパートナーから報せが来るのは何度目だろうか。
口にされたのは、異世界から人類を脅かすべく現れた怪物どもの総称。かの邪悪を、この羊型のマスコットは打ち倒せと言うのだ。
だが──。
「……」
夜中だというのに、などと小言を漏らすカロリーすらも惜しい。自分が背を向けるように寝返りを打つことで拒否を示すと、彼──性別があるかは定かではないが──は口篭っていた。
「奴らを討つのは、ウィッチの唯一絶対の務めですよ?」
説得を試みているらしいパートナーには耳を貸さず、ブランケットに包まる。
ウィッチ──世間では魔法少女とも称されるらしいそれは、エナと呼ばれる魔力を駆使してインクブスに対抗することが可能な、まさに人類の守護者と呼ぶべき存在であり、自分もそのひとりだったのだ。しかし、もう知ったことではなかった。
「興味ない」
今度は声に出して拒んでみせる。務め──だからなんだと言うのか。一度敗北しようものなら、二度目があるかすらもわからない戦いへ、もう身を投じたくはなかった。
「親友殿のような悲劇が再び生まれるのを、許容するとでもいうのですか」
語気を強めるパートナーに、ブランケットを握る腕に力が込もる。
脳裏によぎるのは、自分と同じくウィッチだった親友との、別れの瞬間だった。
「反応があるのは親友殿が消えた地点です、もしや奴らならば──」
行方を知っているやも、と彼が言い切る前に立ち上がった自分は、苛立たしげにブランケットをベッドへ叩きつけた。
「行けばいいんでしょ、行けば」
睡眠を要求してくれなくなって久しい肉体はひどく重たいが、仕方なかった。使命感や復讐心に狂えれば楽だったのかもしれない。投げ出してしまえば楽だったのかもしれない。だがどちらにも転がれない自分には、こうして意地で動くしかなかったのだ。
「夜は好きじゃないけど、こうして気兼ねなく飛べるのはありがたいな」
はるか上空をマジックで飛行しながら、自分はそう独りごちた。
「……出歩くのは、我々ウィッチくらいのものですから」
そのパートナーの声を聞き流しつつ、自分はウィッチとしてのコスチュームである黒い軍服を纏いながら夜の闇を飛んでいく。下を見れば目に留まった交差点には、動くものすらも見受けられない。それは数時間前に街へ鳴り響いたサイレンによって、人々が外出を禁じられているためだ。
「あそこ?」
すると今度は、遠くへ見えた学校へ目を向けた自分はそう問いかけた。
間もなく肯定を返したパートナーに頷いたものの、あまり嬉しくない答えだった。
あの場所が目に映るたびに、忘れがたい記憶が残らず脳裏へ再生されていく。いつもこうだ。
幼くして両親を亡くした自分に話しかけてくれた彼女と、共に苦難の旅路を歩むと決めてくれた親友と、自分と反対な白い装束を纏うウィッチと、駆け抜けた日々が。
『デュアルマジック・シュトルムヒッツェ!』
最初によぎったのは、彼女とふたりで放つ必殺技でインクブスらを一掃する姿だった。
フィクションの趣味があった親友が夜なべして考えたらしいその名前を冠する技は、風を操る彼女のマジックと、炎を操る自分のマジックを融合させたものである。
それを放って勝利を収めると、親友は決まってこう言っていた。
『このヴァイスホークと、シュバルツフライに敵はないんだからっ!』
ウィッチとしての名を高らかに叫ぶ彼女の後ろ姿は、未だ鮮明に思い出せる。
そうしてインクブスが滅びる日まで、共に戦っていけるのだと信じて疑っていなかったある日だった。
件の学校へ現れたインクブスの大群を相手にする羽目になったあのとき、ネームドに分類される強敵のオークも襲来したことで、ふたりして窮地に陥ってしまう。
正直に言って圧倒的な個と、それに従う群を前に、勝機を見出せるほど楽観的になれなかった自分は、誰かに助けを求めるのが必要と信じて疑っていなかった。
そうするにはどちらかが囮にならなければいけない訳だが、もちろん自分だ、と考えていた。
その腹づもりを口にしようとした瞬間──振り向いた先の親友の顔が、なぜか悲壮なものに変わっていた。
すると彼女は、わずかなタメの後に、こちらを旋風のマジックで包囲の外まで弾き出してしまったのだ。
『待って! ヴァイス!』
もの凄い勢いで上昇していく肉体から、どうにか叫声を投げる。徐々に小さくなっていく親友の顔は、昔から変わらない微笑みそのままだった。
『あとは頼んだよ、シュバル』
そう言ってオークと再び対峙した後ろ姿が、ただひとりの親友にまつわる最後の記憶だ。
飛行にエナを割けるだけの余裕など、肉体的にも精神的にも残されていない自分は、そうしてどこか知らない森の中まで飛ばされていくしかなかった。
あれからの記憶は、断片的だ。何としてでも助けに戻らなくては、と焦った自分は道中のウィッチにも声をかけながら学校へ再びたどり着いたものの、感じていた焦りは別のものに変わってしまう。確かにいたはずのインクブスもろとも、親友の消息は途絶えてしまったからだ。
その後、連日捜索に励んだが、一向に成果は挙げられなかった。共に通う高校にも、自宅にも姿を現していないとなれば、独力でインクブスの大群を撃破した、という希望的観測にも縋れなくなる。
徐々に頭が冷静さを取り戻し、ベッドに座してうな垂れていた頃、パートナーから躊躇いがちに伝えられた推論がこれだった。
──親友殿は、インクブスらの世界へ連れ去られたのかもしれない──
馬鹿な、と一蹴はできない言葉だった。ポータルと呼ばれる紅い渦を通じてこの世界へ数多やってくる彼らならば、そこへウィッチひとり通す程度、訳はないと思ったからだ。
こうして、その日からは新たな答えを求めるべく戦いに身を投じることになった自分は、例の学校から近しい地点に現れるインクブスらを
しかし、それも結果は芳しくなかった。自分の落ち度なら分かっている。国ひとつを覆える程度には世に跋扈している彼らから、特定の集団を探し出すことなど初めから無謀だったのだろう。
もしかすると、パートナーがあの推論を披露したこと自体、自分をインクブス討伐に駆り立てるための方便だったのかもしれない──その可能性を疑ってしまう程度には、ウィッチであることへの誇りも、情熱も、色褪せてしまっていた。
「主よ、間もなく目標地点です」
パートナーの声が、自分の意識を現在に戻した。気づけば、コスチュームに包まれた身体が汗を帯びていた。
正門の方向から死角となるよう、敷地の側面へ降り立つ。
「早く終わってほしいな」
そう独りごちると、得物である仕込み杖を中途半端に抜くことで、刃に異常がないかを確認した──そのとき、不意に刀身へ反射した自分の顔が映った。
「……相棒にこんな顔させて、いつまで迷子になってるの?」
クマにまみれた目元を見て、自然とため息が漏れた。あとどれほどの苦痛を味わえば、この宿命に終わりを告げられるのだろう、と。
「……白いウィッチを知ってる?」
照明のない廊下の中で、壁を背もたれにしてへたり込むゴブリンの首元へ刃を突きつける。
「知る……かっ!」
否定とともにナイフを突き出した相手の腕を、上半身をよじってかわすとその根元に刃を突き立てる。
「質問を変える。ヴァイスホークという名に覚えは?」
得物を取り落としたゴブリンは、悲鳴ののち鼻息を吐いてから、先ほどと同じ返答をした。
「
そう杖を構えて唱えると、目の前のインクブスは人型の焔と化し、塵も残さず葬られた。即席の荼毘に付すような形となったが、せめてもの慈悲という訳ではない。奴らの死体は放っておかないように、とかつてパートナーに言いつけられていたためだ。
「ハズレかな」
もう同様のくだりを繰り返して4回目だが、大した手がかりは得られなかった。
気まずげなパートナーの表情は努めて意識の外へ置きつつ、撤退の算段を立てる。こうも火ダルマを作った以上、ここの一団に気付かれていないと見るほうが不自然であるし、目的の相手でないなら、奴らがどうしようと知ったことではない。
そう結論づけて、刃を鞘へ納めようとしたところだった。
「主よ、後ろを」
その声を受け振り返ると、こちらへ寄る影がふたつあった。ナイフ、棍棒と得物は違えど、どちらもゴブリンだ。
「ひとりか? ククク……」
「投降しろ……しても手荒に扱ってやるがな」
相対したふたりはどちらも下卑た表情を浮かべている。どうせ彼らも知らないのだろう、そう結論づけた自分は問答無用とばかりに火弾を放った。
「おおっと──」
ちょうどゴブリンふたりの中間あたりに放ったことで、左右へ散開してくれた相手を──右にいたナイフの方を狙い、体をコマよろしく回転させ刃を振り抜いた。
「ぐああっ!」
火弾の爆風が辺りを照らす中、胸元を切り裂かれ、断末魔を上げるゴブリン。
「左です!」
そのパートナーの言葉に従う──までもなく、反対側から近づいてきていた棍棒の方のゴブリンを、左手に持っていた鞘の鐺で突く。
「ガハァッ……!」
土手っ腹を打たれては堪えるらしく、彼がぐぐもった声を吐いて後ずさったのが見えるが早いか、先ほど斬られた胸を押さえているゴブリンの背後に回りその左腕を取る。
「悪いね、手荒にするけど」
出会い頭に言われたばかりのセリフへ意趣返しを仕掛けながら、マジックでゴブリンの右腕へ火をつけた。
「うあっ、腕がぁ!」
そう狼狽えるゴブリンの肩あたりを掴み直し、そこへ延焼するまでの時間でスナップをきかせた自分は、半分火ダルマと化したそれをもうひとりのゴブリンの方へ投げつけた。
「ギィッ……!」
仲間の死と攻撃を同時に認識する羽目になったからだろう、残ったゴブリンは明らかに動揺の表情を見せる。
それでも回避の判断は辛うじて下せたらしいが、まだ視線が仲間の方にあった彼へ駆け寄り、がら空きの腹部へ刃を突き立てた。
「ぐあああっっ……!」
刀身を捻りながら引き抜いてやれば、そう苦しげに洩らしたゴブリン。仕上げとばかりに体を一回転させ、今度は首元へ刃を見舞おうとした、そのときだった。
「炎使いの黒いウィッチ、まさか……!」
その声に、首元を断とうとした腕が止まる。代わりに回転の勢いのまま右足で蹴り込んで吹っ飛ばすことで攻撃とした。
相手に距離を取る時間を与えることになったが、こちらを知っているような口振りが気になって仕方がなかったのだ。
「セペダの旦那が言ってた奴か!」
「へえ、私を探してるの?」
口元の血を拭いながら洩らすゴブリンに興味を覚え、そう返した。歩み寄りながら相手の言葉を待つと、彼はこう教えてくれた。
「ああ、旦那を嗅ぎ回ってるウィッチを引っ張り出すって、ここに戦力を集めて──」
そこまで聞ければ十分だった。残りの距離を一息で詰めた自分は、そのままゴブリンの首を刎ねてやった。
「ありがとう」
そうせめてもの礼を告げてやると、残った胴体へ刃を鞘へ納めた仕込み杖を向け、マジックで燃焼させた。
「驚きました、まさかここなら……親友殿も」
「そうね」
飛んでいったゴブリンの頭部を蹴り、体の方へ仲間入りさせてやっていると、ここぞとばかりに告げてくるパートナーへ生返事をした。
(まだ、否定も肯定もできない。けど──)
これまで空振りに終わり続けてきた中で、ようやく得た手応えだ。少なくとも、首魁に会ってみる価値はありそうだった。
上階が騒がしくなってきたのを直感しながら、自分は非常階段を探し始めた。
旅路の終わりは、案外近いのかもしれない──そう自らを奮い立たせながら。
「お前が、あの──」
最期のセリフを言い切らせることなく、そのゴブリンの首を刎ねる。
すでに焼却を始めていたもうひとりの方へ、身体──遅れて頭部を投げ込めば、いい具合に塵と化してくれた。
「ポータルの反応があった地点の目の前です、いるならば……」
彼らが守っていた方へ向き直れば、この部屋だ、と言いたげに出入り口のノブへ寄ったパートナーを見て、扉一枚を挟んだ先に座すのだろう怨敵を睨みつける。
おそらく、たったいま無に還したふたりに与えられていた役目は見張りだったのだろう。
しかし、それにしても動きがない。さすがに部屋の目の前で暴れ回っていれば、あちらから気づいて向かってきても不思議ではない。
本当に気づいていないのか、こちらを待っているのか。
何にせよ、一対多は避けるべきと思っていたところだ、幸運だと思わなければならないだろう。
意を決して扉を開いた先は、何らかの準備室だ。そう呼ぶには随分とスペースがあったが、備品なりを壊す心配は要らなそうなのは救いだった。
すると、そこで窓を背にして鎮座していたのは、大柄なオークだった。
「よくぞ来たな、ウィッチ……いや、シュバルと呼んだほうがいいか?」
出会い頭のその言葉に、目を瞠った。こちらを呼び直した際の名は、他でもない親友が自身の愛称として使っていたものだったからだ。
「なぜ、その名を……」
そう訊き返しながらも、内心ではとっくに答えに至っていた。
図星か、とでも言いたげに口角を上げたオークは、くつくつと笑いだすとこう続ける。
「狙っていたから、では不足か? まあ何てことはない、この間
傑作だった、と愉快そうに嗤ったオークを前に、いよいよ漠然と自分を苦しめてきた負の感情が集束していくのを感じた。
親友が、彼らにどのような目に遭わされたかは想像もつかない。だが、間違いなく苦痛に満ちた末路を辿ったのだろうことを悟った自分から、もはや後退の二文字は消え去っていた。
「主よ、冷静に。落ち着けば倒せない相手ではありません」
自分が激昂状態にあると捉えたらしいパートナーの諌める声が聞こえてくる。
馬鹿な。冷静かそうでないかなら、間違いなく前者といえるだろう。自分の感情は怒りを数歩も通り越した先にいたが、いま見えているこの世界は、意外にもクリアなものであったからだ。
しかし、目の前の怨敵を滅する前に、どうしても訊いておかなければならないことがあった。
「その娘は……ヴァイスは、どこにいるの」
もし親友が奴らの世界でまだ生きているというのであれば、この憎き仇だろうと生かしておかなければならない。世界を行き来する方法を聞き出し、彼女を──かつての生活を取り戻さねばならないのだ。
すると考え込むようにしたオークは、鼻を鳴らしたのちこう答えた。
「奴なら、すでにこちらの世界……いや、もう地獄にでも行った頃だろうかな?」
そう言って心底愉快げな絶笑を上げた彼を見て、腹は決まった。
親友を見くびる気はこれっぽっちもないが、ハッタリであるとは思えなかった。もし、まだ彼女を奴らが生かしているならば、こちらに何か条件を強いてきて然るべきだと考えたからだ。
「恭順するなら、亡骸に引き合わせるのも吝かではないが?」
「ほざけ」
仕込み杖に手をかけると、オークを力強く見据える。
──もう、対話は必要ない。
「来るか? ならば……怪腕のセペダが相手をしてやろう!」
そう名乗ると、今日相手をしてきたゴブリンのものとは比べ物にならない大きさの棍棒を手に、オーク──セペダは構える。
「セペダ……下のゴブリンが口にしていた名ですか」
記憶を辿ってきたらしいパートナーの声を受けながら、杖を手にしたまま深く腰を落とす。
居合を思わせるようなその構えを取ってから数秒を──数時間かと惑うほどに──経たのち、自分、そしてセペダは動いた。
「……くっ!」
上段から振り下ろされた棍棒を、わずかに刃を露出させた杖で受け止める。拮抗している、と思えたのはコンマ数秒ほどだ。刃が入る見込みも、押し返せる望みもないと断じた自分は、右に重心を流すことで棍棒の軌道を逸らした。
「
地を叩かれた衝撃で浮かび上がり旋回する体をどうにか着地させると、床を叩いた棍棒を振り上げようとしているオークの頭へ、燃焼のマジックを放つ。
「他愛ない」
しかし、空いていた左腕であっさりと退けられてしまった。
「くそっ」
歯噛みしながら、決定打となり得る攻撃を模索する。こうなれば生半可なマジックは通じなさそうだ。リスクはあるが、どうにか杖で刺突を狙うしかないか。
「ぬおおおっ!」
間もなく連続で振り払われた棍棒を避けるべく、神経を研ぎ澄まして肉体をスライドさせる。──右、上、左、また右──。
しかし、徐々に頭脳が要求する動きへ、肉体がついてこなくなり始めていた。疲れだろうか、だが構ってはいられない。
「そこっ!」
すると、相手が棍棒を振り下ろした一瞬をチャンスと見て刃を抜き、飛び上がった体に「突き」の構えを取らせる。
このまま喉笛を貫けるか──というところでセペダが身をかわしたために、刃は左肩を掠めるに留まった。
「くそ……ハッ!」
前転するように着地すると、すぐに横に飛んだ。また棍棒が叩きつけられようとしているのが見えたからだ。
間もなく轟音を響かせたその攻撃を切り抜けたところで、セペダへ視線を落ち着け、刃を納めた杖を構える。今度はマジックを放つためだ。
「……仕方ない」
リスクのある手だが、火弾を床へ飛ばし爆裂させることで視界を奪おうと考えた自分は、エナの集束を試みる。
──だが。
「……な、あ、あれ──?」
突如、視界がぐらつき、火弾が霧散してしまった。足元もおぼつかなくなり、頭を押さえる。その隙は、ネームドを相手にするには大きすぎるものだった。
「どうしたァ!」
その声ののちに、横から振るわれた棍棒をもろに受ける。激痛とともに身体が折れ曲がるのを感じながら、壁面へ飛ばされていく。
思いきり側頭部を打ちつけたが、気を失わずに済んだのは幸運といってよいのだろうか。
「己が炎に身を焼かれたか?」
勝利を確信したのだろう、嘲るような声を吐いてセペダはこちらへ歩いてくる。
突如迎えた異変は、少なくとも初めての体験だ。原因を探ろうとしたものの、答えに思い至る前にパートナーの方から提示してくれた。
「主よ、エナの放出量が限界を迎えています!」
何だと、と毒づく前に、ある記憶が思い出される。
脳裏に浮かんだのは、かつてパートナーに講釈がてら聞かされた話だ。それは、エナの貯蔵量がウィッチの心身の健康具合に左右されるというもの。なるほど、親友を失ってからというもの、ろくに睡眠も取れなければ、食事もほぼ喉を通っていない。加えて自責という名のストレスに苛まれ続ける精神状態にあれば、21グラムの魂から引き出せるエナなど微々たるものだろう。
何ということはない。手入れを怠った肉体という道具は、いとも容易く朽ち果てる──それを学ぶには、少々遅過ぎたよう、だ。
「撤退を、主──!」
耳元で喚き散らすパートナーを尻目に、虚空を見つめうな垂れる。
もはや事ここに至っては、目的の達成は不可能だった。身体を引きずるようにしか移動できない自分に、目の前の怨敵を打ち破る術はなかった。
絶望的だ、と胸中で溢す。少し前から、内心では死に場所を求めていたのかもしれない。もし奴を討ち取れたとして、その後に何ができるというのだ。共に歩むべき親友を取り戻す手段すらなくなった自分に、これ以上ウィッチとして生きる意味など存在しない。
「もう……いいよね」
壁にもたれるように座り込む自分の視界へは、未だ五体満足のオークがぼんやりと映っている。その姿を前に自らの終焉を直感し、そう呟いたときだった。
「終わりか? シュバル……ッ!」
嗤いながらこちらを呼ぶセペダへ、不意に窓の方向から突風が吹き荒れた。すると、カーテンらしき布地が彼の顔面を覆い、視界を奪う。
「煩わしい……わっ!」
カーテンを払おうと躍起になるセペダを見て、なんと間抜けな、と笑いながらも、内心でこの事象へ苛立ちを感じていた。
こうしてあまりにも大きい隙を与えられたとしても、自分には逆転の手立てなど存在しないからだ。満足に動き回るエナすら引き出せなくては、ただ死を先延ばしにしたに過ぎない。
憤りの原因である風を吹かせる窓の方を見やった、そのときだった。
「ヴァ、イス……?」
風でゆらめくレースカーテンの向こうに、他でもない親友の姿が見えた気がした。
「なんで、ここに」
生きていたというのか。いや、あり得ない。もしそうなら、彼女はとっくに自分の前に立って、いつものような芝居がかった口上を吐いてくれる。
自分の願望が生み出した幻覚に違いなかった。親友にいま一度会いたい──そんな想いが自らに幻を見せたのだ。
だが、頭では分かっていても、心の奥底でそれを飲み込んでくれない自分がいた。もし、見たものが幻覚でないとすれば、ここに吹いた風が親友によるものだったとすれば、自分に戦えと叫ぶメッセージだったとすれば──。
「────」
そのとき親友は、確かに何かを呟いていた。懸命に口の動きへ意識を凝らすが、その何かを読み取ることはできなかった、いや──。
──あとは頼んだよ、シュバル──
ふと、親友の最後の言葉が思い出された。
「そう、だ……なんで、私は……」
それに宿った想いを今さら理解し、己を恥じた。
ああ、なんと愚かなことか。自分に与えられたのは復讐の権利でも資格でもなく、
その答えに至った自分の視界は、驚くほどクリアなものに戻ってくれた。
「主よ……?」
こちらの心境の変化を察したらしいパートナーが、訝しげに声をかけてくる。そのとき、自分の中にとある疑問がよぎった。もし、それに望む答えを与えられたとしても、大きな代償を前提とした勝利を目指さなければならないだろう。それどころか、刺し違えるような結末を迎える可能性すらある。だが、諦める訳にはいかない。親友を、失望させる訳にはいかない。
「エナって、限界以上に引き出せるの?」
未だ悶えているセペダを尻目に、パートナーへ問いかける。
な、と洩らした彼は、ひどく慌てた様子で否定を伝えてきた。
「無茶です、それでは主の生命が──」
「──負ければ、いま死ぬだけ」
そう被せれば、パートナーは押し黙った。
エナにまつわる講釈のとき、彼はこうも口にしていた。パートナーとは、ウィッチがエナを過剰放射するのを防ぐバウンダリの要素も担っている、と。
もし、それを解除する権限を彼らが有しているのであれば、まだ戦うことができる。
「……一撃で、決めてください。でなければ、命の保証はできません」
望んだ通りの答えに内心歓喜しながらも、問答の時間すら惜しい自分は頷くことで了承を示した。
(とことん、手のかかるウィッチになったな)
そう内心で自嘲する。こんな無茶を通す者など、この先きっと現れないと思ったから。
だが、生命を削るだけで目の前の怨敵を滅せるならば、容易く許容できるデメリットだ。いずれにせよ、この先の人生など考えていない。
すると間もなく、肉体が嘘のように軽くなった。
全身を駆け巡る痛みはそのままだったが、すんなりと立ち上がることができた自分は、ようやくカーテンを振り払えたらしいセペダをしっかりと捉えた。
「貴様、まだそんなエナを……!」
視界を奪われている間に、こちらが息を吹き返していたことが不思議でたまらない様子のセペダ。
しかし、答えてやる義理も、余裕もない自分は、刃を抜き切ると鞘を空中に置くように捨て、切っ先を相手へ向ける。
「上等!」
そう叫ぶと棍棒を振り上げたセペダは、こちらの足元へそれを叩きつけた。不思議とスローモーションとなったように見えるその攻撃を、左へステップする感覚で回避する。
「ぬおおおおっっ!」
すると、かわした方向へ薙ぐように得物を振られたのを、ブリッジよろしく上体を反らすことでいなす。
すぐさま体勢を戻してみれば、こちらにとって対角線上というところまで振り払っていたらしいセペダの棍棒は、今度は突き──武器からして圧殺を狙っているのだろうか──を試みているらしく、切っ先というべき
「……ここだ」
今しかない、と本能が告げた。
わずかに左へ身をかわすと、突き出された棍棒に、下から掬い上げるが如く刃を合わせる。甲高い摩擦音が鼓膜へ飛び込んで間もなく、直径の大きい打撃部を過ぎて浮いた刃を、がら空きの脇腹に押し込んだ。
「グゥ……ッ!」
聞こえたのはぐぐもった呻き声。効いてくれたのだろうか、しかしその疑問すらも邪念として切り捨てていた自分は、ようやく入ってくれた刃へありったけの想いを込める。
「全力放射!」
そのパートナーの声とともに、もう一段制限を外されたらしいエナを──獄炎として刃へ集中させ、柄を両腕の肉が食い込むほどに握りしめる。
「でやあああああああッッッッ!!」
叫んでいるに等しい掛け声を上げ、少しずつ前へ踏み込んでいく。その位置へ腕を追い付かせるイメージだ。
そうして豚よろしく太ましい腹を裂ききると、左腕に預けた刃を虚空へ振り抜いた。
「……」
漂ったのは静寂の一瞬。
「馬鹿な……アアアアァァッ!」
すると後ろには、裂かれた腹を発火地点として、全身を火ダルマへ変えたオークがいた。
彼が棍棒を取り落とす音、そして肉体が崩れ落ちる音を続けて聞いた自分は、ようやく緊張の空間から解放されたのだった。
「……ぐっ」
間もなく、姿勢を維持していられなくなった自分は膝をついた。
エナを絞り出すだけの生命力すら尽きたのか、パートナーが再びバウンダリを敷き直したのか。しかし、ぼんやりとした爽快感や充実感に包まれていた自分にとっては、至極どうでもよいことだった。
──仇は地獄へ送ったぞ。
自分は胸中で親友へ報告した。
「さすがです、主よ」
パートナーの労いの言葉を聞き流しながら窓の方を見れば、もう誰の姿も見えてくれなかったが、それでもよかった。
これでいい。この世界で果たすべきことは、いま成し遂げた。
最後の力、と呼ばなければならないほど小さくなった活力を以て、よろよろと立ち上がる、と。
「……うっ」
脱力していたに等しい左腕を唐突に撃ち抜かれ、杖を取り落とした。背後へ首を回すと、こちらへボウガンを向けているゴブリンが視界に映った。後ろには同じくボウガンを持つ者や、スリングショットを持つ者が複数人いる。おそらく、ここに来るまでに出会わなかった残りの戦力だろう。
「旦那がやられた、のか……?」
「おのれ、ウィッチめ!」
口々に言葉を漏らす彼らを見て、遅かったな、と笑った。
「怯むな! 奴はボロボロだ、撃て!」
先頭のゴブリンの叫びを皮切りに、各々が持つ飛び道具が、罵声が殺到する。
躱すほどの脚力も、受け切るだけの余力もない自分へそれらが、ひとつ、ふたつと次々突き刺さる。
「主よ──」
それが、パートナーから聞く最後の言葉になった。共に蜂の巣になったのか、奴らの怒号にかき消されたか。彼らに死の概念があるかはわからないが、あの世で詫びることがひとつ増えてしまった──そう悔やむ傍ら、すんなりと望みが叶ったことに歓喜していた。
(……これでいい)
少し前に自分は、死に場所を求めていたのかもしれない、とのたまった。その心境は、仇討ちを遂げた現在でも変わっていない。親友のためにしてやれることは、もう何もない──それを否定する材料がない以上、早いところ終わらせるべきだと思ったからだ。
(やっと、あなたへ会いに、行ける──)
最初の矢に何か塗られていたのだろうか、わずかに体が痺れるのを感じながら、薄れゆく意識の中で独りごちる。
短く、あまりにも長い一瞬のうちに、つぎの世界を想像する。そこには親友と永久に、笑い合って過ごせる自分がいた。ウィッチとして戦いに身を投じることも、インクブスらによって何かを奪われることもない、哀しみの存在しない世界だ。
そのときが来るまで、自分はただ、そこに──親友の隣に行けることを祈った。
人類とインクブスによる、生存闘争は激化の一途を辿る。
──旧首都。5年前、人口密集地に出現したインクブスと日本国防軍との交戦の末に、インクブスらとともに廃墟となった、人々が住まう街の成れの果て。
すでにヒトの身ではウィッチの他に立ち入れなくなって久しいこの周辺は緊迫する戦場と化し、その張本人のひとりであったはずのインクブスのゴブリンは焦燥感に苛まれていた。
「何者なんだ、この
対峙するや否やこちらを油断なく見据える虹色の異形へ、そう吐き捨てる。
少し前まで自分たちは、群れを統率していたオークと引き換えにウィッチひとりを
確かに蹂躙するべき雌を前にして、戦闘を想像の埒外にしていた落ち度はあったが、軍団の長であるオーガに従う自分も、幾多のウィッチとの死闘を乗り越えてきた自負はある。
特にウィッチが使役するファミリアというのは、大抵が正面戦闘を考慮された能力を有していないのだ。その程度の存在を駆逐する手段は、いくらでも持ち得ていたはずだった。それは他者から教えられたというよりも、ウィッチらを屈服させ、我が物とするため獣欲とともに湧き出る本能によって。
──だが、奴らは違った。高い硬度を窺わせる外骨格を纏うファミリアらの双眸には、こちらを根絶する冷徹な意志だけが宿っていた。
その異形らは漏れなく頭部に持ち合わせる巨大な角を振るい、躊躇なく攻撃に移る。
つい先ほども、同志のゴブリンがファミリア2体がかりで葬られたばかりだ。片方が掬い上げるように高く対象を放り投げ、その落下地点で待ち構えていたもう片方が頭部を振りかぶってハンマーよろしく叩き斬るという、連携ぶりすら感じさせる攻撃は、確実にインクブスを葬るべく必殺の領域まで練られたものだ。
「うあああっ!助け──」
そして、未だ混乱の渦中にあった自分の鼓膜を、新たな悲鳴が揺らした。
黄の上翅と、縦に2本の頭角を備えたファミリアへ棍棒を振るうもあえなくかわされたらしいその同志は、角に体を挟み込まれると、地響きすら伴った助走の末に、はるか遠くまで槍の如く投げ飛ばされていった。
「なんだ!?」
──そうしているうちに、自分の番が来たらしい。突如2対の翅を広げた目の前のファミリアは、そのまま真上へ飛び上がると宙返りの要領でこちらへ突貫する。
「ぐおっ!」
奇しくも弧を描いた虹を思わせるその軌道上から間一髪で外れるも、バランスを失い転倒してしまった。その動揺で見失ってしまった対象を探さんと、右へ左へ視線をさまよわせる。
「ど、どこだ……上!?」
そうしてはるか上空へ奴の姿を目にできたときには、もう遅かった。
すでにこちらへ1対の牙らしきものを携える頭部を向けていたそのファミリアは、きりもみ回転を決め込みつつ落下してくる。
「なっ──」
自らを質量弾とするつもりか、とようやく悟った頃には、防御も回避も間に合わない段階まで来ていた。半ば唖然とする自分の脳裏に、奴の姿がありありと刻まれる。
「──────!!」
声無き、しかしあまりに気高いウォークライを、自分は聞いた気がした。
最期に視界に映ったのは、月光を受け輝く──皮肉なまでに美しき装甲だった。
「戦闘力は確か、だが……」
試運転として放った重量級ファミリアらがインクブスどもを蹂躙していく様を見るのは、彼らの母たるウィッチ。
纏うエナこそ微弱であるが、彼女の左肩を陣取るハエトリグモ型のパートナーに名を問えば、誇らしげにこう答えるだろう。
──ウィッチナンバー13・シルバーロータス──
人類の守護者たるオールドウィッチが定めし序列の中でも上澄みへ位置する彼女は、蟲を象ったファミリアを操り数多のインクブスを葬った存在。自身が狩場とする旧首都への反応を掴み、訪れていたのだ。
「……目立ちすぎるな」
そして、今しがたゴブリンをひとり駆逐した虹色のファミリア──ニジイロクワガタを見た彼女は、見た目の通りに華美なファイトスタイルを前に嘆息していた。
「甲虫類でも特に受けがいい、と思ったんですが……」
下された評価を特に残念そうにしていたのはパートナーだった。助けた人々にすらファミリアが敵視される現状を憂いていたために、件のクワガタの召喚をオーダーした張本人だったからだ。
「……やっぱり、私には合わない」
そんな、と諦め気味なシルバーロータスへ食ってかかるパートナーだが、インクブスの絶滅を最重要目標とする主人の信条を知っていた彼はすぐに引き下がった。情報の秘匿を徹底したがっている彼女に、もともと派手さは求められていないのだから。
「ファミリアは正義の味方なのに……」
まだ悔しげに洩らすパートナーにため息をつきながらも、シルバーロータスは傍に寄ってきていたヘラクレスオオカブト──正確には原種より上翅が鮮やかとなった亜種なのだが──の頭部を撫でた。
「何も甲虫みなを言ってる訳じゃない」
勘違いをしているかもしれないパートナーにそう告げてやったシルバーロータスは、足場にされている自身の肩を小突く。
「取捨選択が必要なだけだ」
そうパートナーに切り替えを求めると、彼女は別のファミリア──アルキデスオオヒラタクワガタへ目を向ける。
「──────!!」
先ほど
「虫けらが──ぐおっ!?」
一度打撃を見舞ったゴブリンが飛びかかってきたところに、力をためた大顎を振りかぶったアルキデスオオヒラタクワガタは、相手の肉体の一切を完全完璧なまでに破砕していった。
「おお、さすがのパワーですね!」
「本領は挟む方なのだが」
感嘆を禁じ得ない、という様子のパートナーに肩を竦めながら、いとも容易くインクブスらを葬っていく件のファミリアの性能を吟味するシルバーロータス。
(国産の個体でも十分か?)
パラワンオオヒラタクワガタと並び、ヒラタクワガタの中でも随一のパワーを有するために召喚したものの、もしかするとオーバースペックかもしれない。
ファミリアの召喚にあたって、強力な個体ほどエナの消費量が大きくなるのは自明の事実だ。ならば小型種に絞った方が堅実だろうか、と今まさにオークをギリギリと締め続けているセアカフタマタクワガタや、力任せに持ち上げたライカンスロープを激しく何度も挟みつけるマンディブラリスフタマタクワガタにも目をやりながら、思考を回転させる、と。
「わわっ!」
慌てるようなパートナーの声を受け、意識が引き戻される。間もなく、シルバーロータスのすぐ隣を、何かが後転しながらバウンドするように通過していった。
「……アトラスオオカブトか」
「ウィリーウォーですよ」
正体が自身のファミリアと気づいた主へ、パートナーの訂正が飛ぶ。口にされたのはファミリアの正式名称らしいが、それをシルバーロータスが呼ぶことは少ない。
「しかし、抱えていたのはオークですか」
振り返れば、後転の勢いのまま建築物の残骸に投げぶつけられていたインクブスを見たパートナーがそう呟いた。
オークと言えばそこそこな巨躯を誇る相手だが、三本角に挟み込んでいたのだろうか。
「……さて、あとひとりか」
後ろから首を戻すと、シルバーロータスはいよいよ残った首魁のオーガへ視線を向ける。ここまで来れば、後詰めに控えさせておいたスズメバチの出番を前倒しにする必要もないだろう。
「くっ……その角、叩き折ってくれるわ!」
そうオーガが啖呵を切る先は、世界最大のノコギリクワガタ──ギラファノコギリクワガタだ。
彼が持つのは、正確に言えば角ではなく顎なのだが、それは口には出さないでおいた。訂正が欲しい相手でもない。
「──────!!」
すると、獅子が吠えるが如く上体を持ち上げ、声無きウォークライを上げたギラファノコギリクワガタは、それを隙とみたオーガが片腕で大顎を掴もうとするのを後ろへかわすと、まさにその大顎で相手を弾き、原種よりはるかに拡大された巨躯を感じさせないスピードで突進したのち首元へ飛びかかる。
「うおっ──」
身構える猶予すらも与えず、内歯でがっちりとオーガを挟んだギラファノコギリクワガタ。構造上、最も挟力が強いそこの餌食となれば、もはや末路は明らかだ。
そこからはシルバーロータスの目では追えない世界。大顎に挟んだオーガを軸とするように身をねじりながら、彼は相手を地へ叩きつける。
すると断末魔すらも上げられぬまま、オーガは首と胴を泣き別れさせることになった。
──ここに首魁たるインクブスは、あっさりと絶命した。
完勝といってよいファミリアらの戦いを見届けたシルバーロータスには、しかし笑顔はない。
「……起用に耐えうる、と見てよさそうだな」
すでに思考は、次の戦いへと向いていたのだから。
「後処理だ、スズメバチを出す」
「バタリオンですけど……」
再びパートナーの訂正を受けながら、彼女は背後より第二陣を呼び出す。散らかされたインクブスたちを、ファミリアの食用にしやすい肉団子へ変えてもらうためだ。原種の生態から推測するなら、重量級ファミリアは苦手とする分野だろうから。
「ああ、東さん。もうひとつ」
戦いが終わり、主を本来の名で呼んだパートナー。右手の甲を差し出してそこへ乗らせることで続きを促すと、彼はこう口にした。
「インクブスたちが運んでいたウィッチのことです」
その一言で、目つきを戦いのときのそれへ戻したシルバーロータスは、ヤスデを呼ぶとその背へ跨がる。
捕虜の存在を知らせたファミリアのテレパシーに従い、彼女は目的地へ向かっていった。
「……遅かったか」
重量級ファミリアによって安全が確保された区画へ入ると、
そこにあったのは、インクブスのものであろう体液に塗れた別のウィッチだったのだ。
おそらくだが、包囲直前に合流したゴブリンの隊が持ち込んだのだろう。旧首都に直接現れた隊に初めから連れてこられているなら、彼女のみで慰安要員が足りるはずがない。
「絶命はしていないようですが」
「助けられるのか?」
エナを感知して生死を見極めていたらしいパートナーに問いかければ、重たい沈黙が返ってきた。
見れば目の前のウィッチには、連れているはずのパートナーの姿がない。状況としては以前に
「なら同じだ」
沈黙を否定と取ったシルバーロータスは、あくまで冷徹にそう断じた。
「……あまり気に病みすぎるべきではないかと」
気まずい一瞬のあと、パートナーはそう告げてくる。
こうしてウィッチと顔を合わせた際、インクブスの陵辱で正気を失っているか、ファミリアを見るや否やパニックに陥るかして攻撃を受けたことも少なくないのだ、そういう意味では自分が危害を被らないだけ良心的と言えなくもない。
(冗談ではない)
しかしシルバーロータスは、内心でそう吐き捨てた。年端もいかない少女が、嬲られるのを黙って見過ごせない──そんな朧げとなって久しい前世の記憶から来る意識が、目の前の光景をままあることとして割り切らせてくれないのだ。
「……すべてを救える人なんて、いるはずがありませんから」
「弁えている」
続けられた言葉に、今度は口に出して理解を示すシルバーロータス。
自分を人類を救う英雄だ、と思い上がったことなど一度もなかった。
駆逐する過程で救われた命がある、それは否定しない。だが、それを持ち出すならば、明らかに手からこぼれた方が多い、とも自認していたからだ。
目の前にある光景こそ、その証左だろう。
「救済者よりも……殺戮者と呼ばれる方が、いくらか似合っている」
そう言い捨てた先のパートナーの感情は、表情の出力が許されない姿であるために分からない──いや、努めて察しないようにしていた。
すると、ようやく身動ぎが認められた目の前のウィッチから、唐突に濁りきった瞳を向けられた。
「ヴァ、イス……?」
うわ言のように放たれたのはそんな言葉だった。誰か──自分を呼んだのだろうか? しかし、シルバーロータスにとっては心当たりがない名前だ。
「これた、んだ……あそこに」
吐息を多く含んだその言葉は、まるで自分に会えたことへ安堵しているようだった。そう読み取ったシルバーロータスの肩から、控えめに口が開かれる。
「お知り合いと勘違いされたのでしょうか」
「分からない」
パートナーの推測を、主は首を横に振って退ける。
ここで嬲られていたウィッチ──それ以上の情報を持っていない自分たちには判別しようがない、と思ったからだ。
「まって、ちょっと、ねる、から……」
そう言うと瞼を閉じ始めたウィッチは、明らかに今際の際を迎える調子だ。
「おきたら、いこう……あいつ、らの、いな……せか……を」
音をいくつも潰しながら言葉を吐き出した彼女は、全身をわずかに痙攣させ始めた。
「……わかった」
右手を両の掌で──包むように取ると、シルバーロータスはそう応えた。目の前のウィッチが伝えたかったのだろう、
脱力した相手の腕を努めて穏やかに地へ着けると、シルバーロータスは自らの外套を剥いだ。
「聞こえていただろうか」
手にしたオーバーコートを振りさばきながら、彼女は呟くように問いかける。
「……はい、間違いなく」
左肩のパートナーは、そこへ肯定を返してくれた。それは決して気休めではない、確信を得ているゆえの答えだ。
「とても、安心したような顔をなさっていますので」
毛布よろしくかけられた白い衣服の中で、彼女はとても穏やかな表情をしていた──。
「……感傷だな」
──そんな、美談としては十分な結末を前に、しかしシルバーロータスは嘆息する。
これでかのウィッチを救えた、とは思っていないからだ。見ず知らずの悪意に晒され、辱められ、命すら奪われた彼女への手向けとして、どう見積もっても十分なはずがない。
「心中、お察しします。ですが、我々にはこれしか……」
わかっている、と申し訳なさげなパートナーの言を退ける。
どう取り繕おうとも、彼らが少女たちに強いてきたのは、死より恐ろしい現実が隣り合わせる戦いなのだ。生真面目なこのパートナーには、その片棒を担いだ負い目が消えてくれないのだろう。しかし、それを責めるには、この世界はあまりに歪すぎる。
「ならせめて、
そう言ってシルバーロータスは、目の前の亡骸へ視線を落とした。
「私が、インクブスを駆逐する」
そう、誰にともなく誓う。決してハッタリではない、彼女がこの力を手にした瞬間から変わらず掲げる終着点だ。
「必ずだ」
蟲の女王たるこのウィッチは、ただ歩み続ける。すべては、インクブスらの絶滅のために──それが、この理不尽かつ悪趣味な世界を作り出した女神への叛逆になると信じて。
読了ありがとうございます。
リミッター解除とか、某甲虫王者じみた重量級ファミリア祭りとか、いろいろめちゃくちゃしていたところはあったと思いますが、もしこの作品が原作の世界観を広げる一助となっていれば幸いです。
いま一度、偉大なる原作者様へ格別の感謝を。