ニコ研!   作:増田 幹太

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美華の両親は幼いときに事故で亡くなった。

 

美華が丁度六歳ぐらいの時であった。

 

交通事故だった。

 

それも、同じ日に別々の場所で。

 

一日にして両親を失った美華は、やむなく親戚の女性に引き取られて暮らす事になった。

 

彼女はとても優しく、いつも美華の事を最優先に考えてくれていた。

 

多少のわがままも許してくれたし、病気になったときは献身的に看病をしてくれた。

 

何かしらの問題が起きても笑って許してくれた。

 

彼女は美華にとって母親同然の存在だった。

 

年齢が上がるにつれ、記憶の中の両親の顔が薄れていった。

 

中学校に入学する頃には、部屋に置いてある家族写真を見て、「へぇ、お父さんとお母さんってこんな顔だったんだ」と平気な顔で言える程になった。

 

それとは逆に、親戚の女性への親愛は増大していった。

 

記憶の中にうっすらと残る両親より、今目の前に居て自分を大切に思ってくれている彼女に愛情が移ろうのは当然だった。

 

そして、幸せな月日が流れ、美華がそろそろ中学三年生になろうかという時期になったある日。

 

夜、美華はトイレへ行きたくなって夜中に目を覚ました。

 

美華の部屋は二階にあったので、眠気眼のまま階段を下り、玄関から続く廊下をゆっくりと歩く。

 

廊下は暗かったが、リビングから漏れている明かりのおかげで難なく進む事ができた。

 

廊下の一番明るい場所――リビングの横を通り過ぎようとすると、親戚の女性の刺々しい声が聞こえてきた。

 

気になって覗くと、どうやら電話で誰かと口論しているようだ。

 

彼女が怒る事はとても珍しく、美華はついついその会話に耳をそばだてる。

 

 

「そんな、話が違うじゃないの!

 

こっちだって少ない稼ぎで必死にやってるのよ。

 

え?

 

こっちだってギリギリ?

 

なに言ってんのよ、貴方会社の重役なんでしょ?

 

圧倒的に私より裕福じゃないの。

 

――うん、うん。

 

はぁ?

 

結婚して今度娘ができる?

 

だったらべつにいいじゃないの、あの子はいい子で気も利くし……

 

養育費?

 

出すわけないでしょ!

 

大体義務教育までだって言うから私も渋々……!!

 

ちょっ、ふざけないで!

 

なんでいっつも厄介事は私に押し付けんのよ!

 

いい?

 

美華ちゃんはちゃんと引き取ってもらいますからね!

 

あっ、こら!」

 

 

電話を切られたのか、彼女は苛立った様子のまま口をつぐんだ。

 

 

「ったく……

 

あのバカ兄貴……」

 

 

そして、軽く舌打ちをして受話器をもとの場所に戻す。

 

その時、美華のなにかが崩れ去る音がした。

 

彼女の中で美華は厄介事だったのだ。

 

記憶の中で輝いていた彼女の言葉も、優しさも、笑顔も、なにもかもが偽りだったのだ。

 

親戚の娘だから、中学を卒業するまでだから、我慢して美華を養っていたのだ。

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

思わず呟く美華の声に、親戚の女性は驚いて顔を向ける。

 

 

「もしかして……今の、聞いてた……?」

 

 

彼女の表情が青くなる。

 

 

「私、邪魔者だったんだね……

 

叔母さんは、ずっと無理してたんだね……

 

ごめんなさい……私、叔母さんの気持ちも考えずに毎日へらへら……ムカつくよね……」

 

 

美華は頷くと、俯いたまま涙声で言う。

 

 

「ちっ、違うのよ美華ちゃん!

 

私は美華ちゃんの事大好きよ!?

 

でもほら、生きていくにはお金が必要でしょ?

 

美華ちゃん成績いいから良い高校行ってほしくて――」

 

 

「叔母さんのおかげなんだよ……?

 

全部……

 

勉強も運動も、良い成績取ると叔母さんが誉めてくれるから、喜んでくれるから……

 

だから、頑張れたのに……

 

心の中じゃそんな事思ってたんだね……」

 

 

「ちょっ、本当に違うのよ!

 

誤解なの!

 

私は美華ちゃんの幸せを考えて……!!」

 

 

この時、彼女は一切嘘をついていなかったのだが、動揺しきった美華の心にその思いが届くことはなかった。

 

美華は涙を溢して自分の部屋へ走り去ってしまった。

 

 

 

それからというもの、美華は人の本心に触れるのが怖くなり、他人との距離感が分からなくなってしまった。

 

親戚の女性ともなんとなく気まずくなってしまい、美華は全寮制であり名門でもあるこの自由ヶ原高校に入学する事になり、現在に至っている。

 

 

 

「なるほど……確かにそれはキツいですね」

 

 

美華の話を聞き終えた明彦が痛ましそうに言う。

 

 

「そっ、そそそれで ……私は、どうすればいい、かな?」

 

 

「う~ん……

 

そうですね、取り敢えずその叔母さんとの蟠りを解消することから始めたらどうですか?

 

叔母さんに自分の事が好きか嫌いか訊くんです」

 

 

「ええっ!?

 

なっなんで!?

 

むっ、むむむ無理だよぉ!

 

叔母さんは、私の事嫌いなんだよ……?」

 

 

美華が目尻に涙を溜めて悲し気に俯く。

 

 

「そうですかね?

 

先輩だったら嫌々引き取った親戚の娘にそんな優しくしますか?」

 

 

「多分、そんな事しない……」

 

 

「だったらきっと大丈夫ですよ。

 

叔母さんとの関係が変われば他の人との関係だってきっと良くなります。

 

それに、そういうのって本人に直接訊いてみないと分からないじゃないですか」

 

 

「でも……」

 

 

(まぁでも母親同然の人に「私はお前が嫌いだ」なんて言われたら相当ショックだよな……

 

実際に訊いてみて本当にそうだったら今度こそ立ち直れないかもしれない。

 

そりゃぁ怖くもなるよな……)

 

 

不安気に眉を寄せる美華を見て、明彦はそう思った。

 

 

「そうですね、じゃあそれは最終目的にして、身近な人から攻略していきましょう」

 

 

「……?」

 

 

明彦の提案に、美華が不思議そうな表情を浮かべる。

 

 

「母親同然の人に嫌われるっていうのは本当に辛いと思います。

 

そりゃぁもう俺なんかじゃ想像も出来ないほどに。

 

だから逃げ道を作るんです」

 

 

「逃げ道……?」

 

 

「はい。

 

この学校で先輩が信頼出来ると思える人を沢山作るんです。

 

そうすればきっと安心出来ると思うんです。

 

たとえ叔母さんに嫌われても私にはこの人達がいる、みたいな……

 

すいません、なんか纏まってないのに適当な事言って……」

 

 

「ううん、そんな事ない。

 

広瀬君の言ってること、正しいと思う」

 

 

申し訳なさそうに俯く明彦に、美華が首を左右に振る。

 

 

「でも……ごめんね……

 

私、どうしても怖いの……

 

誰かと話してても、この子本当は私の事嫌いなんじゃないかって……

 

今まで頑張ってきたけどどうしても相手の本心が気になって、距離を取っちゃうの……」

 

 

「べつに良いじゃないですか。

 

どんなに時間を掛けても、誰も責めませんよ。

 

ゆっくりでいいんです。

 

それでも先輩は前に進もうと努力しているんですから、きっと変われます」

 

 

「広瀬君……」

 

 

優しく微笑む明彦に、美華が俯いていた顔を上げる。

 

 

「それに、先輩に話し掛ける人がみんな先輩の事嫌いな訳ないじゃないですか。

 

だから、もう少し自分に笑顔を向けてくれる人の事を信じてあげてください。

 

そうゆう人達はきっとみんな先輩の事が好きで、話してて楽しいから笑ってるんですよ」

 

 

明彦のその言葉は、乾いた大地に注がれる雨水のように美華の心に深く染み渡る。

 

 

(私、バカだ……)

 

 

美華の心がほんわかと温かくなり、それまで心の奥底で凝り固まっていた何かが氷のように溶けていく。

 

 

「そもそも先輩めっちゃ好い人だから嫌いになろうとしても出来ませんよ。

 

ってあれ……?

 

なんで、泣いてるんですか?」

 

 

「ごめん、大丈夫」

 

 

(人を遠ざけてたのは私の方だった……

 

勝手に相手が自分の事嫌いだって思い込んで……

 

いつの間にか私が友達の事を嫌いになってた。

 

他人は信じてない癖に、自分は信じて欲しくて……足掻いて……

 

本当に私って最低だ……)

 

 

「やっぱり、広瀬君に相談して良かったよ」

 

 

「いっいえ、べつに……

 

俺は思った事適当に並べてるだけですから、そんな……」

 

 

涙を拭いながらとても綺麗な笑顔を浮かべる美華に、明彦が照れた様子で応える。

 

 

「それでも、広瀬君は私にとってとっても大事な事を教えてくれた」

 

 

(でも、もう違う。

 

私はもう逃げない。

 

薫ちゃんが私を信じてくれたように、私も薫ちゃんを、みんなを信じる……!)

 

 

「広瀬君、本当にありがとう。

 

私、変われる気がするよ」

 

 

「はい」

 

 

満面の笑みを浮かべる美華に、明彦も笑顔を返す。

 

 

 

 

 

―翌日―

 

 

「で、上手くいったの?」

 

 

部室で雪菜が隣の明彦に尋ねる。

 

 

「うん、まぁな。

 

後は先輩しだいって感じかな」

 

 

「そうじゃなくてテスト」

 

 

「あ、そっち……?」

 

 

明彦は少し暗い表情でリユックサックをまさぐり、古文、数学A、数学Ⅰ、英語、世界史の五枚の解答用紙を取り出す。

 

古文

――52点

 

数学A

――55点

 

数学Ⅰ

――56点

 

英語

ーー51点

 

世界史

ーー54点

 

 

(全部ボーダーラインギリギリ!!)

 

 

明彦の悲惨な点数に雪菜が心の中でツッコミを入れる。

 

 

「お前、やっぱバカだな……」

 

 

奏が明彦の1.5倍はある点数の解答用紙をちらつかせる。

 

 

「くっ、こいつ……」

 

 

「おお、みんな揃っているな」

 

 

明彦が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、薫達二年生組が揃って入って来る。

 

 

「今日は遅かったですね」

 

 

薫が座ったのを見計らって明彦が尋ねる。

 

薫は殆んど毎日明彦が部室に入る時にはいる。

 

しかし、今日は明彦よりも三十分程遅れて来たのだ。

 

 

「なに、大したことはない。

 

私達二年生になるとテストの度に受験対策講習が開かれるんだ。

 

まぁあくまで自由参加だがな」

 

 

「へぇ、流石進学校ですね」

 

 

明彦がそう言いながら然り気無く美華に視線を移すと、偶然にも彼女と目が合う。

 

 

(うん、広瀬君。

 

私、勇気を出して薫ちゃんに訊いてみるよ!)

 

 

美華が拳を握って静かに頷く。

 

 

(えっ、なに!?

 

先輩は今何を感じ取っちゃったの!?)

 

 

美華の行動の意図は分からないが、取り敢えず不安しか感じられない彼女の雰囲気に、明彦の頬を冷や汗が伝う。

 

 

「薫ちゃん!

 

かっ薫ちゃんは……そのっ、わっ、わわわ私の事、好き!?」

 

 

突然立ち上がって勢いよく(?)美華が尋ねる。

 

 

「「「「…………」」」」

 

 

一瞬にして静まり返る部室。

 

 

(((なっ、なんかとんでもないこと訊き出したぁぁぁぁぁ!!!!)))

 

 

明彦と雪菜、そして誠の三人が同時に驚愕の表情を浮かべる。

 

 

「何を今更。

 

美華の事は好きに決まっているだろ」

 

 

(この状況に一切動揺してない!?)

 

 

真顔で答える薫に、信夫が驚愕の表情を浮かべる。

 

 

「うん、私も薫ちゃんの事好きだよ」

 

 

美華が幸せそうに笑うと、視線を明彦に向けてガッツポーズをとる。

 

 

(私、やったよ!!

 

ちゃんと訊けたよ!?)

 

 

目を輝かせる美華に、明彦ははにかみながら軽く息を吐く。

 

 

(先輩――)

 

 

「これは……百合展開か……?」

 

 

明彦が良い感じに纏めようとしたところに誠の呟きが割り込む。

 

 

「先輩、流石にそこまで空気読めないと怒りますよ?」

 

 

「…………?」

 

 

静かな怒りを燃え上がらせる明彦に対し、誠はキョトンとした表情を浮かべていた。

 

 

 

まぁとにもかくにもこうして美華は人見知り克服の為の新たな一歩を踏み出したのである。

 

 

 

 

 

―数日後―

 

 

「おい、明彦。

 

立花先輩が呼んでんぞ」

 

 

昼休み、弁当を広げようとしたときに明彦は奏に呼ばれる。

 

 

「え?

 

立花先輩が?

 

なんで?」

 

 

「んなん俺に訊くな。

 

ほら、廊下で待ってっからさっさと行ってこいよ」

 

 

「おお、さんきゅ」

 

 

明彦が礼を言って廊下に出ると、奏の言う通りすぐ左側に美華が立っていた。

 

 

「どうしたんですか?」

 

 

「あっ、あの、一緒に部室に来て……」

 

 

「ええ、はい。

 

べつにいいですけど……」

 

 

どこか緊張した様子の美華に連れられて明彦は部室へ向かう。

 

 

「どうして部室に来たんですか?

 

べつに廊下で話しても良かったじゃないですか」

 

 

部室に入り、ドアを閉めた明彦が尋ねる。

 

 

「ごめんね。

 

でも、広瀬君以外の人にはあんまり聞かれたくないから……」

 

 

美華が明彦の方に体を向け、申し訳なさそうに俯く。

 

 

(こっ、これは……

 

こっ、告白!?

 

告白なのか!?)

 

 

顔が一気に紅くなり、明彦はゴクリと生唾を呑み込む。

 

 

「あのね、私――」

 

 

明彦の頭が今まで感じたことのないような集中力を発揮し、五感――特に視覚と聴覚が著しく冴え渡る。

 

美華が下に向けていた顔をゆっくりともたげて言葉を紡ぐ。

 

 

「昨日、ついに叔母さんに電話してみたの。

 

それで、私の事本当はどう思ってるのか訊いてみた」

 

 

(あっ……全然違った……)

 

 

先程とは別の理由で明彦の顔が紅くなる。

 

しかし、その内容故に明彦はリアクションせずに無言で頷く。

 

 

「そしたらね、怒られちゃった」

 

 

(えっ……?)

 

 

美華の目尻に浮かんだ涙に、明彦が驚愕の表情を浮かべる。

 

 

(怒られたって……

 

そんな、まさか……)

 

 

「『大好きよ、本当に何回言わせるつもりよ。

 

まったく、美華ちゃんは昔から変なところで頑固なんだから』

 

って……」

 

 

一瞬絶望にも似た表情を浮かべる明彦であったが、その直後に続いた美華の言葉によって安堵の表情に変わる。

 

 

「良かったですね、先輩……」

 

 

「うん……本当に良かった……

 

良かったよぉぉ~!

 

ぅあぁぁ~ん!」

 

 

明彦が柔らかな笑みを浮かべると、感極まったのか美華がまるで子供のように泣きじゃくる。

 

 

「私、今まで叔母さんに酷いこと一杯した……!

 

勝手に人の事嫌いになって、距離を取って、私、私……!

 

ほんとに、嫌な子だ……!」

 

 

「ちょっ、先輩……!?」

 

 

美華の口からひっきりなしに溢れ出る自虐的な言葉の数々に、明彦が心配そうに彼女に歩み寄る。

 

 

「そんな事ないですって、落ち着いてくだ――

 

……え?」

 

 

突然美華に抱き付かれ、明彦が呆けた表情を浮かべる。

 

 

「そんな私を変えてくれてありがとう……

 

嫌な子だった私を助けてくれてありがとう……

 

全部、全部広瀬君のおかげだよ……」

 

 

美華は明彦を抱きながら肩を震わせ、涙で濡れた声でお礼を言う。

 

 

「違いますよ、先輩が頑張ったんです。

 

先輩が変わろうと努力したからですよ。

 

俺の力なんて微々たるものです」

 

 

それに対し明彦は特になにもせず、優しく美華に言う。

 

すると、美華は先程よりも少し明彦の体に回した腕に力を込め、「ありがとう」と言い続けた。

 

 

 

何度も、何度も……

 

 

 

明彦は適当なタイミングで相槌を打ちながら思う。

 

 

(先輩、俺まだ昼食ってないんですけど……)

 

 

しかし、今尚繰り返される美華の言葉を聞き、明彦は思い直す。

 

 

(でもまぁ、先輩が変われて、こんなに喜んでくれて良かった)

 

 

そう思った明彦は文句も言わず美華が泣き止むまでじっとしていた。

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