斯くして、奏に進められてやることになった冬野雪菜説得作戦が始まった訳であるが――
明彦が雪菜蹴り飛ばされたあの日から、彼女は宣言通り明彦の視界から消え、部活にも顔を出さなくなっていた。
当然の如く作戦は難航の一途を極めた。
「あ゛~やっぱりこんなん引き受けるんじゃなかった……」
事態が一歩も進展しない現状に明彦は早くも弱音を吐く。
やはり今日も雪菜は部室には現れず、明彦はトボトボと寮の廊下を歩いていた。
「はぁ~」
どうしたものかと頭を悩ませながら明彦は自室のドアノブを握る。
ガラガラ――
ゴシャッ――
ガタン――
すると、隣の部屋から怪しげな物音が聞こえてくる。
今まで雪菜のことで頭が一杯で気付かなかったが、どうやらその音は断続的に続いているようだ。
怪訝そうに明彦が隣の部屋を見ると、ドアが半開きになっているのが分かった。
(え……?
いや、そんな……まさか……)
学校の敷地内にある寮に空き巣が入るわけないと思いつつも、やはりその可能性も捨てきれないので明彦は恐る恐る隣の部屋のドアを開く。
「すいません、なんか凄い物音が聞こえたんですけど……」
明彦は部屋の中には人影は見えず、玄関からは死角になっていて音の発生源でもある台所に顔を覗かせる。
「どうかしたんです――」
その光景に思わず明彦は絶句する。
床には調理器具が無秩序に散乱し、その奥で魚肉ソーセージをくわえた二十代前半ぐらいの女性が冷蔵庫を覗いていた。
「ん?」
女性が明彦の存在に気付いて振り返る。
「…………」
「…………」
二人はお互い見 つめあったまま固まる。
そして、徐々に二人の顔が強張っていく。
「「どっ、どどど泥棒ぉぉぉぉぉ!!!!」」
明彦と魚肉ソーセージをくわえた女性が同時に指を指して叫ぶ。
「ってええ゛ぇぇぇ!?」
自分が泥棒だと思った相手に泥棒呼ばわりされ、明彦が困惑の表情を浮かべる。
が、それも束の間。
なんと物凄い速度で女性が明彦の懐へ入ってくるではないか。
「えっ……?」
その直後、驚く間も無く女性が視界から消え、目まぐるしく景色が回転する。
ダン――
気づいた時には明彦の体は部屋のフローリングに叩き付けられていた。
「……!?
…………??」
状況が全く分からずただ呆然と眼前にある天井を見つめる明彦。
「このこそ泥が!
学校の敷地内にある寮に泥棒に入るなんて貴方正気!?
ご丁寧にピッキングまでしてくれちゃって……
今すぐ警察呼んであげるからそこで寝てなさい」
不意に視界の上部から先程の女性の顔がぬっと現れ、呆れた様子で明彦に罵声を浴びせる。
「まっ、待てよ!!
泥棒はあんたの方だろ!?
大体鍵なんて掛かってなかったし!!」
彼女の言葉――
特に“警察”という単語によって覚醒した脳で明彦が飛び起きて女性に反論する。
「はいはい、泥棒は大体そう言うのよ」
「いや、言わねぇよ!!
どこの世界に家主を泥棒扱いする泥棒がいんだよ!!」
明彦の言葉をスルーして卓上電話に向かって歩いていく女性に、明彦がキレ気味にツッコミを入れる。
「なによ、私がここの住人じゃないとでも言いたいの?」
女性は足を止めてジトッとした視線を向ける。
「悪いんだけど、俺にはあんたが高校生には見えねぇ。
ここは学生寮だからあんたみたいな年増が居るとは思えない」
明彦は多少の罪悪感を感じながらも思った事を正直に告げる。
「へっ、へぇ~……
言ってくれるじゃないの……」
女性が黒いオーラのようなものを纏いながら引き攣った笑顔を浮かべる。
(やべっ、まさかこの人本当に学生!?
どんだけ留年してんの!?
それとも老け顔!?
いや、ただ単に体の発育が早いという可能性も……)
どう考えても怒ってるようにしか見えない女性に、明彦が慌てて思考を巡らせる。
「誰が年増だボケぇ!!
私はまだ二十三歳だぁぁぁぁぁ!!」
「やっぱり高校生じゃねぇじゃねぇかぁぁぁぁぁ!!」
怒りに任せて襲い掛かる女性から逃げながら明彦が叫ぶ。
「ちょっ、いたっ、いだだだ!!」
「なに……してんの……?」
呆気なく捕まり関節技を掛けられる明彦の耳に聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「あっ、雪菜ぁ~お帰りぃ~」
明彦の体に跨がり、警察のように明彦の腕をぐいぐいと締め上げていた女性が声の主に笑顔を向ける。
「いや……お帰りぃ~じゃなくて……
それ、誰?
って言うか何事?」
(えっ、雪菜……まさか……)
俯せの状態で押さえ込まれているせいで首が回らず、声の主の顔が見えない。
しかし、この学生寮という狭い世界、しかも同じ階には基本的に同学年しかいない。
そんな中で同名というのも珍しいだろう――多分。
兎に角この好機を逃すまいと明彦は口を開く。
「おい、お前冬野雪菜か!?
だったらこいつなんとかしてくれ!!
こいつ泥棒だぞ泥棒!!」
「まだ言うかこの泥棒!!」
「いだだだだだ!!
外れる!!
ってか折れる!!」
女性が更にきつく明彦の腕を締め上げる。
「もっ、もしかして……広瀬……君……?」
雪菜はこのカオスな状況をどう対処すればいいか分からず、表情に影を落としていたが、ふと思い出したようにそう尋ねる。
「そうだよ!!
広瀬明彦だよ!!
そうゆうお前は冬野か!?」
「うん、そうだけど……
ってお姉ちゃんストップストップ!!
それ私の友達だから!!」
雪菜がハッとした様子で慌てて明彦に跨がった女性に言う。
「えっ……知り合い……?」
彼女は驚いた様子で顔を青くさせる。
「うん」
雪菜がコクリと頷く。
「ってかえっ、友達!?
あの雪菜が……友達!?
この子泥棒じゃないの!?」
「だからちげぇっつってんだろこの年増!!
さっさと退けよ!!」
愕然とした様子の女性に構わず明彦が怒声を上げる。
「なぁ~にぃ~?
誰が年増だってぇ~?」
すると、彼女は怒りを孕んだ笑みを浮かべ、粘着質な声を出しながらながら再び明彦の腕をキリキリと締め上げる。
「いだだだだだ!!
すいません!!
マジですんませんでしたぁぁぁぁぁ!!」
「うん、分かればいいのよ」
漸く女性が明彦を解放し、明彦はゆっくりと胡座をかいて肩や腕の調子を確かめるように軽く動かす。
「あの……その、大丈夫……?」
自分から「もう視界に入らない」と宣言したものの、これは流石にスルーする訳にもいかず、複雑な心境で雪菜が尋ねる。
「大丈夫じゃねぇよ……
ってかこれ誰?
なんでお前がいんの?
友達?」
「なんでって……
ここ私の部屋なんだけど……」
不思議そうに尋ねる明彦に、雪菜が気まずそうに答える。
「え……?
だってここって俺の部屋の隣……
ってええ゛ぇぇぇ!?」
今まで隣の住人など気にもしなかった明彦が驚愕の表情を浮かべる。
「あと、あの人は私のお姉ちゃん」
申し訳なさそうに自分の姉を紹介する雪菜。
「さっきはごめんなさいね。
私、雪菜の姉の冬野 萌(ふゆの もえ)です」
雪菜の姉――萌はまるで先程の事がなかったかのように笑顔で自己紹介する。
「お姉……ちゃん?」
明彦は唖然とした様子で彼女を見つめる。
髪は肩甲骨の辺りまで伸びたストレートの黒髪。
目はパッチリしていてなかなかの美人である。
体格はやせ形だが、健康的なオーラがムンムンに滲み出ている。
そして、暫く萌を見つめてから雪菜に視線を移す。
代わって雪菜の髪は肩の上に毛先がつく程度で、寝癖か癖ッ毛か毛先が好き勝手に跳ねている。
目は怠そうに半分閉じていて、美人なのであろうが人相が悪い。
体格がやせ形なのは同じだが、雪菜の方は圧倒的に不健康そうである。
「……?」
なにも言わずにこちらを見続ける明彦に対し、雪菜が不思議そうに首を傾げる。
(にっ似てねぇぇぇ……!!)
明彦は対称的な二人を見比べてそう思う。
が、ふと先程までの狂暴な萌を思い出すと、それを普段の雪菜と重ねてみる。
(いや……似てる……のか?)
「って言うか逆になんで広瀬君がここにいるの?」
難しい表情を浮かべる明彦に、雪菜が思い出したように怪訝そうな表情を見せる。
「いや……それはだな……」
明彦はかくかくしかじかとここまでの経緯を説明する。
「成る程ね……」
雪菜が溜め息混じりに呟く。
そして、姉に向かってジトッとした視線を送る。
「私が帰るまでなにもしないでって言ったでしょ?
どうせどこに何があるかなんて分かんないんだから無理しないでって……」
「いやぁ、姉として妹だけに夕飯を作らせる訳にはいかないじゃない?
だから、せめて準備だけでもって思ったんだけど……てへっ☆」
萌は舌を出して自分の拳で額を軽く小突く。
「はぁ……
これから作るからそこで待ってて」
雪菜は呆れた様子でそう言うと、台所へと歩いていく。
「はぁ~い」
その一方で萌が返事をしながら部屋の中央へ移動する。
雪菜は持っていた買物袋を置き、姉の散らかした調理器具を片付け始める。
(あれ……?
なんだこの雰囲気……
すっげえ居づらい……)
一人だけ置いてきぼりをくらったような心境の明彦は、こっそりこの部屋から離脱しょうとゆっくりと足を動かす。
「あっ、広瀬君」
「はっ、はい!?」
不意に雪菜に呼ばれ、明彦が肩を跳ね上がらせて驚く。
「夕食、食べてく?」
「えっ……でも……」
雪菜の問いに明彦は戸惑いながら答える。
二度と私に関わるな――
そう言っておきながらその相手に手料理を振る舞うとは一体どういった了見なのだろうかと、明彦は内心不安であった。
「うん、分かってる。
振り回しちゃってごめん。
これはさっきのお詫びだから。
それに――」
雪菜はそこで言葉を切ると、顔に影を落とす。
「本当にこれで最後だから……」
その雪菜の表情は、明彦に対する嫌悪というよりはどこか哀愁のあるものだった。
「うん……分かった」
明彦は素直に頷いて踵を返す。
「ねえ、貴方って本当に雪菜の友達なの?」
部屋の中央にある背の低いテーブルの前に座ると、右斜め前に座っていた萌が声を潜めて尋ねる。
「まぁ、本人がそう言ってるならそうじゃなんじゃないですか?」
「ふふっ、なにそれ」
明彦の回答に、萌が思わず笑みを溢す。
「いや、あいつなに考えてるかいまいち分からないんで……
って言うか姉なんだから少しは妹の言う事ぐらい信じてあげたらどうですか?
あいつだって友達の一人や二人いるでしょ」
「貴方、優しいのね」
明彦の言葉に萌が再び笑顔を見せる。
妹である雪菜と比較しているせいか、萌は本当によく笑っているように見える。
「安心して。
私も雪菜の言う事は信じてる。
でも……昔、いろいろあってね……
雪菜は人と関わりを持つことを拒んでるの。
だから、あの子が自分から「友達」なんて言って……その、ビックリしちゃって」
萌が声のトーンを少し落として説明する。
(昔いろいろって……
まさか笑顔見て怒ったり、肌を露出させたくないってそのせいなのか……?)
「すいません……
今度部活のみんなで海に行こうって話になったんですよ」
明彦は少し悩んだ末、まず雪菜が肌の露出を毛嫌いする理由から訊いてみることにした。
本当なら真っ先に笑顔を見て怒った理由を訊きたいところだが、薫に頼まれた手前無下にもできないし、雪菜の雰囲気からして説得出来るのは今日しかないと考えたからだ。
「えっ!?
あの子部活まで入ってんの!?」
萌が驚いた様子で尋ねる。
「ええ、まぁ……
でも本人の意志ではないみたいですよ」
「それってありなの……?」
萌が怪訝そうな顔を見せる。
「あはは、特殊な部活ですから……」
明彦は困ったように笑いを溢す。
「なに部なの?」
「人間関係及び対人コミュニケーション研究会っていう部活なんですけど……
活動内容は名前の通りです」
「ふぅ~ん。
変わった部活があるんだね」
「で、話を戻しますけど……
その部の皆と海に行こうって話になったんですよ」
「へぇ、海いいじゃん」
「はい。
俺もいいと思うんですけど、あいつ肌を露出させたくないから嫌だって言うんですよ。
なんとか説得できないですかね?」
「……多分、無理」
明彦の問いに、萌が表情を曇らせながら答える。
「えっ……どうしてですか?」
「…………まぁ雪菜が友達だって言ってたし……貴方には言ってもいいかな」
萌は雪菜を見つめながら考えるような間を開けると、慎重そうに顔を明彦に戻して言う。
その重々しい雰囲気に、思わず明彦が生唾を呑み込む。
「……あの子ね、ちょっと前までDVされてたのよ」
念を押すように萌が雪菜を一瞥し、声を潜めて告げる。
「えっ……DVって……
でも、どうして……」
雪菜がDV――つまり家庭内暴力を受けていた事実に衝撃を受けたが、それと肌を露出させたがらない理由とが繋がらず、明彦は萌に尋ねる。
「はぁ……
貴方結構鈍いね」
萌はやれやれと言わんばかりに溜め息をつくと、じとっとした視線を明彦に向ける。
「まぁいいや。
多分貴方になら見せても大丈夫でしょ。
雪菜ぁ~ちょっと来てぇ~」
萌が体を捻って台所で作業している雪菜を呼ぶ。
「はぁ~い、ちょっと待ってて~」
雪菜は返事をしながら手際よく作業を中断し、エプロンで手を拭きながらこちらに歩み寄る。
「どうしたの?」
雪菜が不思議そうに萌に尋ねる。
「ちょっと手見せて」
「……なんで?」
あからさまに怪訝そうな表情を浮かべる雪菜。
「いいからいいから」
が、萌はニコニコしながらお茶を濁す。
「はぁ……どうでもいいけど早くしてね。
って言うかお姉ちゃんもいい歳なんだから悪戯も大概に――」
雪菜の言葉が終わるよりも早く萌は彼女が差し出した手を握り、勢いよく雪菜の服の袖を上げる。
「「――っ!!??」」
萌の突然の行動に、雪菜と明彦が驚愕の表情を浮かべる。
雪菜は直ぐに萌の腕を振り払い、自分の腕を隠すように右腕を抱き、目尻に涙を溜めた真っ赤な顔で姉を睨む。
「おまっ……それ……」
その一方で信夫は唖然とした様子で雪菜の腕を指差していた。
「これで分かったでしょ。
この子が肌を見せたくない理由」
萌が重苦しい声音で明彦に言う。
明彦が見たのは大量の痣であった。
雪菜の白い腕に青紫色の線や斑点が痛々しく浮かんでいたのだ。
そして、肌を見せたくないということは恐らくそれが全身にあるのだろう。
確かにこれは他の人には見せたくないものであろう。
「ちょっ、ちょっとお姉ちゃん!
なっ、ななななにすんの!?
って、て言うか広瀬君、これどうゆう事!?」
雪菜が酷く狼狽した様子で明彦に視線を向ける。
「いっ、いや、その……会長に頼まれて……
お前をどうにかして海に連れてけないかなぁって……
お姉さんに訊いたんだけど……」
その様子を見た明彦は申し訳なさそうに俯きながらボソボソと訳を説明する。
が、最後の言葉から一拍置くと、明彦は覚悟を決めたように土下座をする。
「ほんっとごめん!
俺、お前がそんな深刻な問題抱えてるとは思ってなくて……
無神経にからかったり、無理矢理海に連れていこうとしたりして……
ホントにごめん!
もうこれ以上この事には関わらないし会長も俺がなんとか説得するから!
本当に……ごめん……!」
「えと……その……顔、上げて……」
深々と頭を下げる明彦に対し、雪菜が困惑した様子で声を掛ける。
明彦がゆっくりと顔を上げると、恥ずかしそうに顔を赤らめ、口元を隠すように拳を握る雪菜がいた。
「あの……これを見られたくないのは、女の子なのに体が傷だらけで……みっともなくて恥ずかしいっていうのもあるの……
でも、本当は他人に余計な心配をかけたくたいから……
だから、気にしないで……」
「うん……」
明彦が申し訳なさそうに頷く。
「行けばいいじゃん、海」
萌がしれっと言い放つ。
「ちょっ、勝手なこと言わないでよ!
お姉ちゃん今日嫌がらせしに来たの!?」
雪菜がきつく萌を睨む。
「まぁまぁ、そんな怖い顔しないでよ。
別に水着にならなきゃいいんでしょ?」
「いや、でもそれは――」
明彦が「海に行っている意味あんまりなくないですか?」と言葉を続けようとしたその時。
「なるほど……!!」
雪菜が驚いた様子で萌を見る。
「いや、そこ納得しちゃうの!?」
そんな雪菜に対して明彦が驚いた表情を浮かべる。
「私だってなるべく周りの人に迷惑掛けたくないし……
行けるなら行く」
雪菜はどこか申し訳なさそうに視線を斜め下に落として言う。
「うん、これで一件落着ね。
ごめんね雪菜、わざわざ呼んじゃって」
萌が自分の体の前で両手を合わせると、ニコニコしながら言う。
「お姉ちゃん……」
「……?
なに?」
吹っ切れた様子の雪菜に呼ばれ、萌が首を傾げる。
「今回は許すけど、もう二度とあんなことしないでね。
次やったら私本気で怒るよ?」
「うっ、うん……ごめん……」
物凄い殺気を纏いながら釘を刺す雪菜に、萌が脅えた様子で謝る。
雪菜はその返事を聞くと、無表情のまますたすたと台所に戻る。
「ふぅ……
まぁいろいろありましたけど、なんとかなりました」
明彦は疲労感の篭った溜め息をつくと、萌に礼を言う。
「なっはっは、いいっていいって。
私も、ほら、技かけたりしたじゃん?
それのおわびってことで」
「えっ……?
ああ、はい……」
一瞬で感謝の意志が削がれた明彦が微妙な表情を浮かべながら答える。
「なぁ~にぃ~?
不満なの~?
“年増”のお姉さん怒っちゃうぞぉ~?」
「いっいえ、そんな事……ないっす……はい」
物凄い殺気を纏いながら可愛らしい笑顔を浮かべる萌に、明彦が引き攣った笑顔で応える。
「あの、お姉さん……」
明彦は雪菜を一瞥してから真剣な表情で萌を見る。
「なに?」
「あいつの笑った顔って見た事ありますか……?」
「そりゃあ勿論。
家族だもん」
恐る恐る尋ねたものの、思いの外萌が明るい声音で答えたので、明彦はホッと胸を撫で下ろす。
「あはは、ですよね。
あいつだって笑うことぐらいありますよね」
「うん……
雪菜は、私が一人暮らしするまでは、本当によく笑う子だった」
「え……」
雲行きが急に怪しくなり、明彦の顔から笑顔が消える。
「それって……どうゆう事ですか……?」
「ここ数年、私はあの子の笑った顔を見た事ない」
「そんな……なんで……?」
「さぁ、私にも何がなんだか分かんないのよ。
私、短大卒業して上京したの。
仕事とか生活とかが軌道に乗ってきた一年後ぐらいに両親が離婚したって連絡を聞いてね……
それで慌てて実家に戻ったら、変わり果てたお母さんと雪菜が ……」
「いやっ、ちょっ、そんな無理しなくても――」
涙声になってきた萌を止めようと明彦が身を僅かに乗り出したその時。
ドン――
明彦のの目の前に、料理の乗った大皿が叩き付けるように置かれる。
「お姉ちゃん……!
なんでそんな事話てるの?」
雪菜が悲し気に、しかし内に静かな怒りを秘めながら尋ねる。
「あっいや、俺が訊いたんだよ」
雪菜の険悪な雰囲気に、明彦が慌ててフォローを入れる。
すると、雪菜は明彦の方に顔を向けてきつく睨み付ける。
「……なんで?」
「いやっ、ほら……
お前が笑った顔見られて怒ったことと昔の話が関係してんのかなって……」
刺さるような視線を受け、明彦はあたふたと説明する。
「……なんで?
なんでそんなに私のしてほしくない事ばっかりするの!?」
雪菜は目尻に涙を浮かべながら声を少し荒げる。
「そんなのお前と仲直りしたいからに決まってんだろ!
……まぁ嫌だって言うなら別の方法考えるけど……」
明彦も売り言葉に買い言葉で口調を強めるが、その後申し訳なさそうに視線を斜め下に落とす。
「私には関わらないでって言ったじゃない!
私は仲直りなんかしたくない!
あんたなんか大っ嫌いなんだから!」
「じゃあなんでお前はこんな事してんだよ!
本当に嫌いだったらさっさと追い出すだろ普通!
なんか訳があるんじゃないのか!?」
明彦の言葉に、雪菜はぐっと口を接ぐんで黙り込む。
「もう……帰ってよ……」
「は?」
唐突な雪菜の言葉に、明彦が思わず聞き返す。
「もう帰ってって言ってんの!」
すると、雪菜は怒鳴るように明彦に答える。
「いや……でも、お前が――」
「いいからさっさと出てってよ!」
有無を言わさず明彦の背中をグイグイと押す雪菜。
「……はぁ、分かったよ。
押さなくても出てくから」
明彦は諦めたようにそう言うと、自分からドアの方へ歩いていく。
「会長にはお前来るって言うからすっぽかすなよ?」
明彦がそう言うと、雪菜が無言で頷く。
「あっ、あと俺はお前の事好きだし友達だと思ってるから……
仲直りすること諦めないからな」
明彦はそう言い残すと、ゆっくりとドアを閉めてその場を去る。
ガチャリとドアの音が鳴り、部屋の中が静寂に包まれる。
それから少しして、雪菜がまるで糸の切れた操り人形のようにその場に座り込む。
「もうやだ……
もうやだよぉ……!
ぅえぇぇん!」
「ちょっ、どうしたの雪菜!?」
突然鳴き始める雪菜に、慌てて萌が駆け寄る。
「うあぁぁぁ……おねぇちゃぁぁぁん……!」
駆け寄ってきた自分の姉の胸に顔を埋める雪菜。
雪菜が笑わなくなってからというもの、その他の感情も薄くなっていた。
故に、ここまで大泣きした雪菜を見るのは久し振りだった。
(この子も、いろいろと無理してるんだな……)
萌はそう思いながら泣きじゃくる妹の頭を撫でる。