Ⅰ
明彦がニコ研に顔を出すようになってから数日が経っていた。
部室の中は相変わらず静かである。
薫は純文学を、雪菜はライトノベル、美華は漫画を読み、誠はパソコンの液晶に釘付けだ。
明彦も最近は携帯ゲーム機を持参しており、現在MHP4をプレイ中である。
コミュニケーションなど見る影もないが、それでも明彦は色々と気づく事があった。
一つ目、雪菜はこの部員の中で最も身長が低く、逆に誠は一番背が高いという事。
初日は二人とも座ったままだったので気づかなかったのだ。
二つ目、雪菜の読んでいるライトノベルはいつもコメディー色の強い作品だという事。
しかもそれを眉一つ動かさずに読んでいる。
相当のギャグセンスの持ち主か、はたまた笑いの沸点が超高温なのか、兎に角超人業である。
三つ目、美華は決まって少し遅れて部室に顔を出す。
どうやら学校の近くにある本屋で毎日のように漫画の新刊のチェックをしているようで、殆どの場合その手から買い物袋をぶら下げている。
四つ目、誠はよくパソコンでアニメを見ている。
フードを被っているので分かりづらいが、よく見るとイヤホンのケーブルが見える。
こころなしか、この時の誠の眼鏡はより一層輝いて見えた。
と、まぁこんな具合だ。
思えば初日以来薫とすらろくに会話をしていない気がする。
そんな中で他人をよく知ろうなど、とんだ無理ゲーである。
そんな訳で、自分からこの静寂を破る勇気もない明彦は、今日も画面の中のバーチャルな世界に浸る。
ガチャ――
不意に部室のドアが開き、ボサボサの髪、無造作に生えた無精髭、白いワイシャツをだらしなく着こなした男が面倒臭そうに現れる。
明彦は彼に見覚えがあったが、名前は思い出せなかった。
「増田先生」
薫が呟く。
「会長、どなたですか?」
薫から向かって斜め右に座っていた明彦が尋ねる。
「増田 幹太(ますだ かんた)先生はニコ研の顧問で、生活指導等も請け負っている数学科の先生だ」
それを聞いて、明彦は納得する。
彼に見覚えがあったのは自分のクラスの数学を担当していたからだった。
そして明彦は思う。
(こんな見てくれで生活指導って……)
「薄情な生徒だな。
自分が所属してる部活の顧問の名前と顔ぐらい覚えておいてくれよ」
増田先生はそう言いながら隅にあるパイプ椅子を広げ、丁度初日の明彦の様に薫と向き合って座る。
「いや、でも今日初めて教わりましたし……」
「え?
ああ、なんだ一年生の新入部員か。
じゃあしょうがないな」
明彦が申し訳なさそうに言うと、増田先生が驚いた様子で言う。
この先生、大分適当である。
(いや、先生こそ自分の部活の状況ぐらい把握しといて下さいよ……)
明彦が呆れた様子で増田先生を見る。
「それで、増田先生自らいらっしゃるなんてどのような用件ですか?」
薫が話を元の軌道に戻す。
「ああ、この部活、このままだと潰れるぞ」
「そうですか。
――ってえっ!?」
増田先生のあまりにも軽い口調に、一回流しかけた薫が珍しく大きな声を上げる。
それと同時に、他の三人も手を止めて驚愕の表情を浮かべる。
「当たり前だろ。
だってお前らなんもしてないじゃん。
いくら校則が緩いとはいえ、ろくに活動もしてない部活を放置するほどうちの学校は寛大じゃないの。
悔しかったら学園祭で企画書ぐらい書いてみろ」
「はあ、一応毎年会議はして私が案を出すのですが……
どうにも意見が纏まらず……」
薫が申し訳なさそうに言う。
「なぁ、一応聞いとくが、他の連中はお前の案に対してなんて言ったんだ?」
増田先生は何かを悟ったのか、不安気な表情で尋ねる。
「いえ、それがみんな無言で……
余程私の案が気に食わなかったのでしょうか。
どちらにせよ私の力不足です、情けない……」
「やっぱり……」
薫が悔しそうに机の上で拳を握り締めるのに対し、増田先生はうんざりした様子で額に手を押し当てる。
「お前それ無視されてんだよ……
いいか、そんなの会議とは言わない、ただの独り言だ。
大体そんな奴らほっといて企画書書いちまえばいいだろうが」
「しかし、部に関する案件を私の独断で決める訳には……」
苛立ちを描くそうともしない増田先生に、困惑した様子で薫が答える。
「お前はホントに固っ苦しい奴だな。
大体お前ら成果の発表云々の前に全然成果出てないじゃん。
天猫院、お前その昭和臭い頑固一徹本気で治す気あんのか?」
「とっ、当然です!」
薫が心外とでも言いたげな様子で答える。
「ただ、私自身自覚がないので、どうすればいいのやら……」
そして、俯きながらそう付け足す。
「立花も、少しは誰かとまともに話せる様になったのか?」
増田先生が美華の方に顔を向ける。
「いっ、一応、努力は……してるつっつもりです……」
「草苅はどうだ、いい加減女子と会話の一つや二つ出来るようになれ」
そして、今度は誠に顔を向ける。
「何故?」
が、なぜか誠は驚いた様子でそう聞き返す。
「いや、何故?じゃねぇよ!!
お前はなんのためにここにいるんだ!?
ってか社会に出て女性と会話出来ないのは致命傷だろ!!」
「大丈夫です。
仕事は仕事で割り切りますから。
――胃に穴が空くかもしれませんが……」
「どんだけ嫌なんだよ!!
……で、冬野、お前ももう少し愛想よく出来ないのか?」
増田先生は荒くなった口調を落ち着かせて、雪菜の方へ顔を向ける。
「何故?」
しかし、雪菜も誠と同様に驚いた様な表情を見せる。
「お前もか!!
いちいち便乗しなくていいんだよ!!」
「大丈夫です、本心ですから」
再び声を荒げてツッコミを入れる増田先生に、雪菜が冷めた声で答える。
「なにが大丈夫だよ……
笑顔の一つも作れないとモテないぞ?
印象悪いし」
疲労感たっぷりの溜め息をついて増田先生が諭す。
「それでいいんです」
が、雪菜はぶっきらぼうに答えて視線を本に戻す。
「ホントにお前ら二人はなんでここにいるんだ?」
「「担任に入れられました!」」
増田先生が呆れた様子で尋ねると、雪菜と誠が声を揃えて答える。
その後、二人は互いに舌打ちをしていたが、それは聞かなかった事にした。
「ったく、教育をなんだと思ってんだ。
臭いものに蓋しやがって」
増田先生は、何処と無く説得力のない台詞を呟きながら視線を正面に向ける。
「まぁいいや。
新人君にはこれから頑張ってもらうとして、今年の学園祭は必ず何かする事。
いいな」
「はい、分かりました」
薫が頷く。
「それと、お前達にはやってもらいたい事がある」
それを見た増田先生が真剣な表情で続ける。
「実はこの学校で早くも不登校の生徒がいてな。
名前は神崎 奏(かんざき かなで)。
一年E組の生徒で血液型はO型。
十一月三日生まれでさそり座。
身長は160cm、体重は――」
「あの、先生……もういいです」
平気な顔で個人情報を垂れ流す増田先生に、明彦が表情を強ばらせて制止する。
「そうか?
まだスリーサイズとか言ってないけど……?」
「いや、いいですから!
っていうかなんでそんな細かい事まで知ってるんですか!?
なんなら恐怖心すら芽生えますよ!?」
名残惜しそうな増田先生に、明彦が更にボルテージを上げてツッコミを入れる。
「そんなことよりE組とは、広瀬君と同じクラスではないのか?」
薫が尋ねる。
「あっ、はい、そうですね……」
言われてその事に気づいた明彦が暫し思考を巡らせるが、そのような生徒は一切思い浮かばなかった。
「そんなやつ居たのか……気づかなかったな……」
「そんなんだから友達ができないんだバーカ」
「お前に言われたくねぇ!!」
思わず吐露した言葉に辛辣な反応を見せる雪菜に、明彦が不満気に言い返す。
「兎に角、そいつは今実家で引き篭ってるらしいんだ。
お前らの力でなんとか説得してくれないか?」
「説得って言われても……」
あまりに難易度の高い依頼に、明彦の表情が曇る。
「しかし先生、失礼ながらそういった事案は教職の仕事では……?」
「アホ、俺らがやって駄目だったから頼んでるんだ。
お前ら人間関係及び対人コミュニケーション研究会だろ?
だったら引き篭りの説得ぐらいお手のものの筈だ」
「そんな……」
教師に出来なかった事が自分達に出来る訳がない。
そんな思いから、明彦が声を漏らす。
「まぁ、こう言っちゃなんだが、今までの成果を見せてみろって事だ。
これが成功すれば、お前らが真面目に活動していたって事が証明できる。
頼まれてくれるか?
頼まれてくれるよな?
っていうか廃部にされたくなかったらやれ」
(先生、それは脅迫です!!)
「はい、分かりました」
表情を暗くさせる明彦とは裏腹に、薫が力強く頷く。
「よし。
んじゃ資料はここに置いとくから、後は頼んだぞ」
増田先生は一枚の紙を机の上に置き、部室を後にする。
「はぁ……」
嵐の様な時間が過ぎ去り、明彦が疲労感たっぷりの溜め息をつく。
「会長、どうするんですか?
こんな厄介事引き受けちゃって……」
そして、薫に向かって面倒臭そうにそう言うと、「まぁあれは回避不可能でしたけど」と付け加える。
「なにを言っているんだ広瀬君。
どうするもこうするも責任を持って最後までやり遂げるに決まっているだろう!」
しかし、薫は沸き上がるやる気と情熱を露にさせながらそう答える。
「やるのは確定として、どうすんだ?
引き篭りを連れ出すなんて一筋縄じゃいかねぇぞ」
誠が明彦に言う。
「二階の窓をぶち破る」
「いや、確かに漫画でそうゆうのあったけど!!
それステップ跳ばしすぎだから!!
いきなりそれやったら犯罪だから!!」
突然飛んでもない案を出す雪菜に、明彦がツッコミを入れる。
「お前には聞いてねぇんだよ。
女は黙っとけ」
雪菜に向かって誠がうざったそうに言う。
「草苅先輩、それじゃあ会議になりませんよ!?」
「あっ、あああの……」
明彦がツッコミを入れると、美華が恐る恐る小さく挙手する。
「あっ、立花先輩は無理しなくていいですから」
「女は黙っとけ!」
しかし、明彦はそれを軽く流し、誠は悪態をつく。
「ひっ!!」
美華が涙目で短い悲鳴を上げる。
「ああ、もうなに言ってんですか。
会長もなんとか言ってください。
これじゃあ会議になりませんよ」
美華の様子を見た明彦が、呆れ気味に薫に助けを仰ぐ。
「…………」
が、薫は考え事でもしてるのか、黙り込んだまま口を開かない。
「あの、会長?」
怪訝そうに明彦が声を掛ける。
すると、薫は紙とペンを取り出して黙々となにかを書き始める。
そして、それをまるでクイズ番組のフリップのように立てる。
『草苅君。女嫌いなのは分かるが、先生も言っていたようにそれでは社会に出て不便だ。いくら担任の推薦とはいえ、折角ニコ研にいるのだから、ただ拒絶するのではなく、少しでも女性に慣れるよう練習をしてみてはどうだ?』
そこには、美しい筆跡で、びっしりとそう書かれていた。
「いや、あの……会長?
なんで、筆談なんですか?」
突然の会長の奇行に、呆気にとられた様子で明彦が尋ねる。
「会長は魔力が強すぎるから」
「うん、お前はホントに黙っとけ」
薫がペンを走らせている間に、変な事を呟く雪菜を明彦が黙らせる。
そして、再び薫が紙を机の上に立てる。
『草苅君が女は黙っとけって言ったから・・・』
「いや会長、鵜呑みにし過ぎですって!!
こんなの冗談に決まってるじゃないですか!!」
「俺は本気だぞ?」
明彦のツッコミに対し、誠が言う。
「先輩、ややこしくなるからそうゆう事言わないでください!!
会長、大丈夫ですから。
全然喋って平気なんで」
『しかし、草苅君は本気だと・・・』
「先輩どうするんですかこれ!?」
そう言われた誠は、おもむろにキボードを叩き、ディスプレイを明彦に見せる。
『じゃあいっそ全員筆談ってことで』
「いやいや、なんでそうなるんすか……」
『世界で一番大きな淡水魚はなに?』
呆れと戸惑いを合わせた様な表情の明彦を他所に、雪菜がそう書かれた紙を机の上に立てる。
『ピラルクー』
それを見た瞬間、薫が回答を紙に書いて見せる。
『正解!!』
その回答を見た雪菜が、そう書かれた紙を見せ、親指をグッと立てる。
「あのちょっと、なに遊んでるんですか……?」
若干疲労した様子で明彦がツッコミを入れる。
「あっ、あああの……」
すると、美華が再び控えめに挙手する。
「あっ、立花先輩は無理しなくていいですから」
明彦はそう言うと、美華に向けていた視線を誠に向ける。
「で、本当にどうするんですがっ――!!??」
突然雪菜が本に視線を向けたまま明彦の脇腹を殴る。
「ちょっ、何すんだよ!!」
赫然とした様子で明彦が雪菜の方へ顔を向ける。
「泣かせた」
すると、雪菜が少しムスッとした表情で美華を指差す。
見ると、時折「うう……」と声を漏らしながら、美華が静かに泣いていた。
「先輩……?
どうしたんですか?」
恐る恐る明彦が尋ねる。
「だって……私、頑張って、勇気だして、発言しようとしたのに……ううぅ……」
美華が俯きながらそう言うと、雪菜が明彦をきつく睨む。
「すっ、すいません!
えと、なっなんですか?」
明彦は慌てた様子で謝罪をすると、気まずそうに発言を促す。
「うん……」
美華は涙を拭いながら相づちを打つと、机の上に置いてあった紙を手に取る。
「あっあのね、さっき先生が置いていった資料にその……神崎さんちの、住所とかあったから……
一回行って、実際に話してみた方が……良いのかなって……
その、家も、近い……みたいだし……」
(((たっ、確かに!!)))
ぐうの音も出ない正論に全員が絶句し、雪菜は先程の『正解!!』と書かれた紙を見せて親指を立てる。
「ええっ!?
わっわわ私、なにか、変なこと言った?」
部室の中に走った沈黙に、美華が戸惑う。