「それで、お姉ちゃんに見てもらいながら勉強して全寮制のこの学校に入学したの」
雪菜はそう言って話を締め括った。
明彦は声が出なかった。
自分の想像とは比べ物にならない程壮絶な過去に、明彦はただ驚くことしか出来なかった。
(仲良くなってからじゃ辛いから、だから冬野は早く俺に嫌われようとしてあんな事を……)
「……そうか……だから俺が笑った顔見たときあんなに……」
漸く絞り出した明彦の言葉に、雪菜は静かに「うん」と答えた。
「周りから否定されて、自分がなんなのかすら解らなくなるような経験も、自分が壊れちゃいそうな苦しみも……!!」
今なら神崎の家で雪菜が言った言葉が分かる気がした。
(こいつはずっと一人で苦しんで、悩んでたいたのか……)
「ごめん」
そう思うと、思わず明彦の口からそんな言葉が放たれた。
「俺も、お前の気持ち分かれなかった……
お前がそんなに苦しんでるなんて知らずに……無神経に自分勝手で適当なことばっかり言って……」
「そんなことない……
こんなの言わないと分からないことだし……
それに、そんなに自分を攻めないで。
もう、私たちは友達でもなんでもない他人なんだから」
申し訳なさそうに後悔の言葉を口にする明彦に対し、雪菜はどこか寂しそうにそう告げる。
「また、一人になるのか?」
「うん……
でも、独りじゃないよ。
部のみんなはこんな無愛想な私にも優しいし……
それに、私は一人には慣れてるから」
「そうか……」
雪菜の返答に、明彦は残念そうにそう呟く。
「なぁ、冬野」
「なに?」
「俺が……俺はお前を嫌いにならないって言ったら、お前は信じてくれるか?」
「……無理だよ」
雪菜はとても言いずらそうな表情でそう答える。
「うん……まぁ、そうだよな……
俺の事なんか信用できるわけないよな……」
「ちっ、違うの!
広瀬君の事は信じたいの!」
諦めた様子で言う明彦の言葉を雪菜が苦しそうな表情で否定する。
「でも……怖いの……
広瀬君は本当にいい人。
どんなに私が突っ放しても酷いことを言っても許してくれる、友達だって言ってくれる……
こんな私を助けようと必死になってくれる……
そんな広瀬君に嫌われたら、私……耐えられない……」
雪菜は目を潤ませ今にも泣きそうな声でそう告げる。
「だったら無理に他人にならなくてもいいだろ!?
なんで……なにがダメなんだ!?」
「今ここで他人にならなきゃダメなの!!」
困惑する明彦に雪菜が叩き付けるように言う。
「この先もっと仲良くなってからじゃ遅いの!!
…………辛いの……!!
だから……だから今ここで……!!」
「違う……違うよ!
俺は違う!
俺は絶対に冬野を裏切らない!
信じてくれ!」
「無理だよ……!!
だって、私の笑った顔を見た人はみんな私の事嫌いになっちゃうんだよ!?」
雪菜が目から大粒の涙を溢しながら必死に言い放つ。
「今まで例外なんていなかった、友達も、お母さんも、みんなみんな……」
「だったら俺がその例外になってやる!」
「なんで?
なんでそんなことを言えるの!?
未来なんて誰も分からないじゃない!!
いつか……広瀬君も……」
「分かる!
俺は絶対冬野を嫌いになんてならない!」
「止めて!
それ以上言わないで!」
力強く宣言する明彦の言葉に雪菜は耳を塞いで俯く。
そんな雪菜を明彦は優しく抱き締める。
「冬野……俺は、お前の事が好きだ。
優しくて、不器用で、強いけど時々守りたくなるような程弱い、そんなお前の事が好きだ。
だから、あんな話聞いてそんな大切な人を一人になんてさせられるわけないだろ……」
「っ――でっ、でも……!!」
唐突な明彦の告白に雪菜は顔を真っ赤にさせ、困惑気味に反論する。
「大丈夫。
たとえ世界中の人がお前のことを嫌いになっても、お前が俺の事を嫌いでも、俺だけは冬野を好きでいるから……」
「ごめん……ごめんね、そう言ってくれるのは本当に嬉しいの……
でも、やっぱり私、怖い……」
雪菜は明彦の胸に顔を埋めてそう応える。
「べつに今すぐになんて信じなくてもいい。
ゆっくり、時間をかけていい。
俺はいつまでも待ってるから。
ずっと、冬野の事を好きなままで待ってるから……」
「本当に……?
本当に、信じていいの……?」
「うん。
だからもう無理して自分を偽らなくていいんだよ」
心の底から信じてもいいと思えた。
明彦の言葉の端々には大地全体を暖め、包み込む太陽のような暖かさがあった。
人を遠ざけながらも、雪菜は心の奥底でずっと望んでいた。
どんなに悪態をついても自分を見てくれる、自分を好きになってくれる誰かを。
こんな地獄のようなどす黒い闇の中から自分を救いだしてくれる誰かを。
(やっと……やっと見つかった……)
「ほんとは……今までずっと辛かった……寂しかった……」
「うん、頑張ったな」
「いっぱいいっぱい……泣きたかった……」
「ああ、もう我慢しなくていいよ」
「うっ、ぅわああぁぁぁん!!
うあああぁぁぁ、ぅうあああ!!」
声を上げて泣きじゃくる雪菜の頭を明彦がそっと撫でる。
「ごめんねぇ、ひろぜぐん……!!
今まで酷いこといっばいいっでぇ……!!
あたじ……わたし、ほんどはすっごくうれじがった……!!
ほんとはもっと……ありがとうって、いいだがっだ……!!」
涙で濡れた声で続く雪菜の謝罪と告白に、明彦は「うん、うん」と相槌を打って雪菜を抱き締める。
「ありがとう……広瀬君……
こんな私を好きになってくれて……ありがとう……
私も、広瀬君の事が好き……」
涙が枯れたのか、雪菜が落ち着いた様子でそう告げる。
「うん、俺も冬野が好きだよ」
明彦が静かに応える。
「でも、ごめんね……
付き合うとか、そうゆう事はまだ出来ない……」
「そっか」
「理由とか訊かないの?」
雪菜が不思議そうに明彦の顔を見る。
「冬野が出来ないって言うなら無理強いはしない。
俺はただ、それが出来るようになるまで待つだけだから……理由は関係ない」
「そっか……ありがとう」
この時、雪菜は本当は笑っていたかった。
幸せだった、嬉しかった。
しかし、雪菜の顔に笑みは浮かばない。
長い間人前で笑うことを抑えていたせいで、人前で自然に笑うことが出来なくなっていたのだ。
雪菜は体重を明彦に預け、背中に廻していた腕に力を籠める。
(今はまだ笑えないけど……
でもいつか、あなたの、広瀬君の前で笑える日が来たら……)
雪菜は腕の力を抜いて数歩後ろに下がろうとする。
明彦もそれを察したのか、雪菜を抱いていた腕を放す。
「広瀬君」
雪菜は数歩下がってから明彦を呼ぶ。
「なに?」
明彦がそれに応える。
(きっと……)
「ありがとう。
あなたの言葉、すごく嬉しかった。
だから――」
(きっと……)
「お友達からよろしくお願いします!」
「ぷふっ……なにそれ」
頭を下げててを差し出す雪菜に、思わず明彦が失笑の声を漏らす。
「えっ……その、変……かな……?」
雪菜は体勢を元に戻して不安そうに言う。
その頬は恥ずかしさからか、僅かに朱色に染まっていた。
「ううん、変じゃない」
明彦はそう言いながら雪菜との距離を縮める。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そして、雪菜の手をそっと掴んでそう言うと、ニッコリと明彦が微笑む。
(きっと、あなたに――)
「はいっ!」
笑顔とまではいかないが、それでも普段よりは幾分緩んだ表情で雪菜が応える。
(私の思いを届けて見せるから……)
楽しい時間というものはとても短く感じるもので、あれ程多くの人が待ち望んだ夏休みはあっという間に、そして呆気なく幕を下ろした。
明彦はまるで昨日までの自堕落で快適な生活が夢だったかのように平然と部室へ向かう。
今日は二学期の始業式であったが、薫の招集が掛かり部室へ集まることになった。
なんでも今後のために夏の合宿の感想や意見を聞きたいんだそうだ。
部室の前に着いた明彦は緊張した面持ちでドアノブを握る。
実のところ、告白したあの日から雪菜とは会っていなかった。
一応お互い相思相愛だった訳だが、勢いで告白した手前なんとなく会うのが気まずかった。
(もしも入って冬野が居たら……)
そう考えると変に意識してしまい体が緊張する。
(いや待て、落ち着くんだ。
俺と冬野はべつに恋人とかそういうんじゃなくてまだ友達なんだ、意識する必要なんてない。
うん、行くぞっ!)
明彦は勇んで部室のドアを開け放つ。
中には――
誰もいなかった。
(超いらない取り越し苦労だった……)
明彦はドンと襲い掛かってきた疲労感を背負いながら定位置である左側奥のパイプ椅子に腰を掛け、ため息と共に机に突っ伏す。
「やあ、お早う。
って何しているんだ君は」
少しして現れた薫が驚いた様子で尋ねる。
「いや、ちょっと疲れただけです……
気にしないでください……」
明彦が突っ伏したまま答える。
「いかんな広瀬君。
夏休み明けに学校に来ただけで疲れてしまうとは。
しかも今日は授業も無かったし、予定も午前中だけだったではないか。
ちゃんと切り替えなければなんぞ、夏休みは昨日で終わったんだ」
「はい……すいません……」
弁解する気力もなく、明彦は適当にそう応える。
「ぬっはっはぁ!
数日ぶりに俺参上!」
「あはは、神崎さんは今日も元気だね……」
それから少しして奏が勢いよく部室のドアを開け放ち、その後ろから美華が顔を覗かせる。
「むっ、どこにもいないと思ったらこんなところにいたのか明彦!
どうした、元気がないぞ!」
「逆になんでお前はそんな元気なんだ……?」
暑苦しそうに明彦が尋ねる。
「いやぁ、なんか部室に行けばみんなに会えるって思ったらテンション上がっちゃってさ……
今までは夏休み明けに喋る人なんていなかったからさ……なんか、嬉しくて……
てへへ……」
奏は恥ずかしそうに舌を出して後頭部を掻く。
「そうか……どうやらこの部室はちゃんと神崎君の居場所になれたようだな。
うぬ、よかったよかった」
それを聞いた薫が満足そうに頷く。
「とこで、冬野君はまだ来ないのか?」
薫の言葉で全員が一応部室の中を見回す。
すると、いつの間に入ってきたのか、明彦と長机二つを挟んだ向かい側で誠がノートパソコンを開いていた。
「そう……みたいですね……」
相変わらず神出鬼没な誠に驚きつつ明彦が応える。
ガチャ――
丁度その数秒後にドアの開く音が部室に響き、雪菜が姿を見せる。
「よお、遅かったな」
明彦がそう言うが、雪菜は反応を示さない。
相変わらずの無表情で定位置である左側手前のパイプ椅子へと歩いていく。
(まぁ、そう簡単には変わらないか……)
明彦が残念そうにため息をつくと、ふと視界の隅でなにかが動いているのが見えた。
そして、それと同時に部員達がなにやら驚いた表情を浮かべているのが分かった。
気になって顔を横に向けると、すぐ隣に雪菜の姿があった。
その間には人一人分もなく、服と服が触れ合うのではないかと思うほどの近さであった。
「えっと……冬野……?」
あまりの近さに頬を紅潮させながら明彦が尋ねる。
「日差しが暑いから……日除け」
そう言って雪菜はいつものようにバッグから取り出した小説を読み始める。
(ああ、ですよね……)
本日も平常運転である雪菜に、少しでも気持ちを昂らせてしまった自分が情けなくなる。
部員達も雪菜の言葉に納得した様子で一旦雪菜から視線を外す。
「よし、それでは全員揃ったし本題に入るとしよう」
薫がそう口火を切って話を進める。
(折角冬野が接しやすいようにいつも通り振る舞ってくれてるんだ、俺も平常心でいかないとな……
うん、いつも通り、いつも通り……)
そう思いながら明彦が雪菜に視線を向けると、彼女と目が合った。
数秒間の間があってから慌てて雪菜が小説に目を向ける。
「…………」
明彦はそのまま雪菜を見続ける。
雪菜は明彦の視線を確認するように何度か此方に目をやり、目が合う度に恥ずかしそうに目線を小説に移した。
俺達はまだ友達。
下手したらそれ以下の関係。
「おい、聞いているのか広瀬君」
「あっ、はい。
すいません」
薫に声を掛けられ慌てて明彦が顔を正面に戻す。
当然恋人みたいなことなんて出来ないし、してはいけないと思う。
きっとそれをすると冬野が困ってしまう。
それに、ずっと待ってるって約束もした。
「……どうしたんだ?」
でも――
「なんだか顔がにやけているぞ?」
明彦の表情を見て、薫が怪訝そうに尋ねる。
今、この時間ぐらいは――
思いっきり彼氏面して、浮かれててもいいよね。
「ばか……」
白々しく「そうですか?すいません」と応える明彦に、雪菜がぼそりと呟く。