中はさほど荒れた様子はない。
寧ろ逆に奇妙な程静か出会った。
明彦は怪訝そうな表情を浮かべつつ誠の隣に座る。
やはり静寂。
明彦はチラリと誠を一瞥した後に自分達の正面に座る女子生徒に目を向ける。
明彦は彼女には見覚えがあった。
というか彼女は明彦が一番最初に並ばせた女子生徒。
つまりこの長蛇の列の先頭を担う人物だ。
明彦は思わず疲労感の隠った溜め息を深々とつく。
明彦は自分達が人の整理をしている間少しは客の対応をしているかと思っていたのだが、全くそんな事はなかった。
誠はまるで故人でも思い出すかのような視線を適当な場所に飛ばしていた。
その姿には微塵のやる気も感じられない。
まあここに居る女子全員を激昂させるような暴言を垂れ流しにするよりは遥かにましなのだが、これはこれでもう少し働いてくれという気持ちになる。
だがしかし、客である女子生徒はそんな誠に一切の文句もなく、早くしろといわんばかりの表情で睨むでもなく、ただただうっとりとその顔を眺め続けていた。
そしてそれは後ろに列をなす人達も同様であった。
左右に少しずつ体や顔をずらし、やはりうっとりとした表情で誠を見ている。
(まるで美術品だな……)
ふと明彦はそんな事を思った。
ここに居る全員、誠の顔さえ見れればそれでいいのだ。
と、言うよりそれ以上の、それ以外の目的を誰も持っていないのだろう。
それはまさしく美術館に展示されている美術品と同じであった。
そして、絵画や陶器の解釈が人によって違うように、彼女達は誠の内側を勝手に想像し、偶像を作り上げる。
しかし、誠は動かぬ彫刻などではない。
当然誠自身のオリジナルの人格があり、それが彼女達の偶像と一致する等ということは殆んどないだろう。
にも関わらず誠は彼女達の偶像との差異を責められ、揚げ句失望される。
これではあまりにも誠が気の毒ではないだろうか。
長年そんな扱いを受けていては女性が嫌いになるのも頷ける。
明彦はなんとなく誠の気持ちが分かった気がした。
が、しかし、このままではいけない。
こうしている間にも最後尾が徐々に徐々に伸びているかもしれない。
早急にこの大量の客を捌く必要がある。
ここは誠の顔をただうっとりと見る場所ではない。
ましてや美術館などでもない。
ここは人生相談所なのだ、悩みのない人間は速やかに退室を願いたい。
「この中で、ここがなにをする場所なのか、なんの部活なのか、分からない人は出ていって下さい」
明彦は勢いよく立ち上がり、凛とした声音で静寂を切り裂く。
その声は静かではあるが、どこか怒気を孕んでいた。
「えっ?
ここってニコ研とか言う部活の部室でしょ?
ってかなんで君達こんなところで人生相談なんかしてるの?
生徒会のボランティア?」
が、目の前に座る女子生徒はキョトンと目を丸くさせながらも平然とそう答えた。
後ろに列をなす人達もうんうんと頷いている。
その様子から察するに恐らく全員が先程明彦が言った退室の条件に合致しないのであろう。
(なん……だと……)
「ねえねえそんなことより彼、名前はなんていうの?
どこの誰?」
唖然とする明彦を他所に女子生徒は目を輝かせて質問をしてくる。
「えと……あの……その……」
明彦は困惑した様子で適当に相槌を打ちながらよろよろと力なくパイプ椅子に座り直す。
面目丸潰れであった。
さんざん格好つけた揚げ句、折角の静寂を自らで壊してしまったのだ。
「ねえ、ちょっと聞いてる?」
「ええ、ああ……はい、すいません……」
答えるに答えられない質問を投げ掛けられ、明彦は気まずそうな表情でお茶を濁す。
「ありがとな」
ふとそんな声が聞こえた気がした。恐らく誠が呟いたのだろうが、明彦が彼の方に顔を向けた時にはもう既に違う言葉がその口から放たれていた。
「あんた、相談内容は?」
ぶっきらぼうに放たれたその言葉。
しかし、そんな冷めた一言でも目の前に座る彼女の質問ラッシュを止めるのには十分過ぎた。
明彦に向けられていた女子生徒の視線は刹那の間に誠に移動していた。
今まで女子生徒の質問の返答に聞き耳を立てていた後続の人達も、誠の声を一字一句聞き逃さんと耳に意識を集中させているようだ。
(イケメン……すげぇ……
ってか……こえぇ……)
その様子に戦慄を覚える明彦。
「ああ……あ~……
おっ、お金が中々貯まらない……です……」
恐らく相談内容など用意していなかったのだろう。
女子生徒は暫く考えるような仕草をとってからそう告げた。
「放課後バイトしろ。
普通に金貯まるし放課後の時間が潰れるから無駄な散財もへんだろ。
次」
誠がくいっと顎で出口を指すと、女子生徒は誠と話ができて満足したのか「はぁ~い」と言って素直に席を立って部室を後にする。
そこからは早かった。
誠は客の悩みに適当な答えをくっつけて次々と返していった。
客である彼女達も、元々相談内容など持ち合わせていなかったのだろう、誠の適当な回答にも満足した様子で帰っていった。
(うぜぇ……)
どうでもいい、然して日常生活に殆んど関係の無いような質問を適当に聞き流し、陳腐で安価で誰でも言えるような当たり障りのない回答を繰り返す。
そんな機械的な作業に誠はうんざりしていた。
(後輩が俺のために気遣ってくれてるっぽいからちょっとやる気だしてみたけど……
なんなのこいつら。
成績が悪い?
勉強しろよ。
どうせろくな努力もしてねぇんだろ?
最近親が煩い?
それはお前がDQNだからだ。
ってかお前よくこの学校入学できたな……
裏口?
最近の流行についていけない?
じゃあ無理して追っ掛けなくていいじゃん。
なに?
遅れてると死んじゃうの?
虐められんの?
下らない……
面倒臭い……
なんで俺こんな事してんだ……?
こんなアホみたいな連中の見せ物にされて、ご機嫌とって……)
「すまん広瀬――」
「俺、もう止めるわ」そう告げようとしたその時だった。
「お~お~噂通りの盛況ぶりではないか!」
薫が嬉しそうな表情で部室に入ってきた。
突然の声にざわつく客達。
「うんうん、草苅君は前からやればできる人材だと思っていたよ!」
薫は満足げに頷きながら周りの様子など気にもせずに明彦達の前に歩み寄る。
が、誠の素顔を見た瞬間その足は止まり、表情が凍り付く。
こういった反応を見るのは今日何度目だろうか。
最早様式美すら感じる薫の様子に、明彦は大方誠の素顔を見て驚いているのだろうと予想を立てる。
「だっ、誰だ君は!
君はニコ研の部員じゃ無いだろう!
何故そこに座っている!」
薫は少し声に怒気を帯びさせながら誠を指差す。
確かに驚いているようではあるが、薫の反応は他の人のそれとはどこか違っていた。
「広瀬君、状況を説明してくれたまえ!」
薫は誠を軽く睨んだままそう言った。
明らかに警戒している様子だ。
「えっ……ええと……これは……ですね……」
ここで明彦がネタばらしをしてしまうと今までの計画が全て水の泡となってしまう。
そして、それと同時に誠の平穏な暮らしも崩れ去ってしまう。
それだけは避けなければならない。
だが、ここでどう言うべきか。
明彦はこの場を上手く収められるような手頃な言葉を用意する事が出来ずにいた。
が、どういう訳か薫は「はは~ん」 と納得した様子で笑みを浮かべる。
「ズバリ、君は草苅君の影武者だな!?
そして、広瀬君はどうにか誤魔化すように彼に頼まれた、そうだな?」
全然違うのだが、他に良い言い訳も浮かばないので明彦はうんうんと無言で頷く。
「なっおまっ!?」
誠が裏切られたような声を上げるが、そんなことに構っている余裕はなかった。
兎に角、今明彦の隣にいるイケメンの素性がばればそこで試合終了、ゲームオーバーだ。
故に多少無理があってもこれが一番誠の情報を黙秘出来る状況だと考えたのだ。
それになにより本人がそれで納得しているのだ。
そこにわざわざ一石を投じるのは愚行とも呼べるだろう。
「ぬぅ……おのれ草苅君め……」
薫は誠を逃がした悔しさからか、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ恨めしそうに部室の入り口に視線を飛ばす。
すると、何事もなかったかのようにすっと目線を誠の方に向ける。
今の話には自分の中でけりを付けたのだろう。
その表情に先程までの苦々しさは残っていなかった。
薫はつかつかと歩いて誠の前に立つ。
「しかしながら影武者君。
君は相談事に関してとても優秀な生徒のようだな。
どうだ?
手伝いついでにこのままニコ研に入部するつもりはないか?」
すると、薫は自身の魅力を惜しみ無く使った笑顔を浮かべてそう尋ねた。
まるで太陽のようなその笑顔は思わず一瞬見とれてしまう程の美しさだった。
「ああ……いや……
俺は、そうゆうのしない事にしてるから……」
その笑顔に動揺してか、それともただ単に正体がばれることを懸念しているのか、誠はたどたどしくそう言った。
「ううむ……そうか、残念だ……」
薫は口をへの字に曲げて残念そうに小さく唸る。
すると、その後ろから怒気を孕んだ声が飛んだ。
「ちょっと、貴女何なの!?
特に用がないならそこどいてよ、今私が彼と話してんの!」
何だと薫がその方に顔を向けると、先頭の女子生徒の怒声がさざ波のように全体に広がっていく。
「そうよ、なに彼に気安く話し掛けてるのよ!」
「私達だって彼と話したくてずっと並んでるんだから!」
「あんたも彼を見に来たんならべつに良いけどマナーぐらい守りなさいよ!」
などいった様々な声が飛び交い、部室の中はあっという間に喧騒に埋め尽くされてしまう。
薫は表情に影を落としながら少しの間その喧騒に耳を傾けると、おもむろに大きく息を吸った。
「うるさぁぁぁぁぁい!!!!」
薫の叫びがまるで突風のごとく全ての戯言を吹き飛ばす。
物音一つない、人音すら消えてしまいそうな静寂。
その颶風が過ぎ去った跡にはなにも残らなかった。
「君達は、一体なにをしにここにいるんだ……?」
まっさらな沈黙の中、薫はゆっくりと言葉を継いだ。
冷たく、まるで軽蔑でもしているかのような声音。
しかし、一方で熱い怒りのような感情もその声からは感じることが出来た。
薫のただならぬ気迫を感じてか、その質問に答える者は誰もいなかった。
「さっき、君達は口々に言っていたな……
この影武者君の顔を見に来た、声を聞きに来た、話に来た、と……」
薫の口調はさながら裁判官が罪状を読み上げるかのようであった。
「まあ、百歩譲って話に来たは良いとしてもだ、その他は一体なんなんだ……?
君達は一体彼を何だと思っている……
動物園にいる動物か?
美術品か?
それともアイドルのつもりか?
全部違う。
彼は決して見せ物なんかじゃない!
彼は普通の、一般の男子生徒だ!」
薫は拳を握りしめ、力強くそう言いは放った。
が、そんな程度では行列を成す彼女達は引き下がらない。
「なによ!
べつに顔を見たりちょっと話するぐらい良いじゃないの!
向こうにも迷惑かけてないんだし!」
行列の中の誰かがそう言うと、「そうよそうよ」と賛同の声が至るところから飛び交う。
「確かに彼に迷惑は掛かっていないかもしれない……
だが、誰にも迷惑をかけていないかと言えばそうではない!
君達は、この人間関係及び対人コミュニケーション研究会、通称ニコ研に多大なる迷惑をかけているのだ!」
薫の言葉に客達がざわつく。
しかし、それは感嘆と言うよりは困惑によって吐露された言葉と言った方が正しいだろう。
当然である。
大方ここに来ている人の殆どはニコ研の名前程度しか知らない上に現在も活動していると認識している人はほぼ0。
そんな人達にニコ研に迷惑が掛かっているなどと言うのは正しく馬の耳に念仏と言える。
故に、いくら薫が力説しても彼女の思っているような重要性や危機感が相手に伝わる筈がない。
が、薫はそんなことを気にすることもなく言葉を紡いでいく。
「ニコ研は今廃部の危機に陥っている!
それを回避するためにはこの文化祭で実績を納めなければならないのだ!
だが、蓋を開けてみればなんなんだこれは!
影武者君の顔が見たいから、声を聞きたいから!
此処にいる人達はただただ彼に群がっているだけではないか!
人の容姿や声でいくら客を集めようとも、そんなのただのまやかしに過ぎない!
私達は私達の力で自分達の成長と成果をこの発表に込めて全力を尽くし、その上で正当な評価を得なければならない。
それが私達に課せられた使命であり、試練であり、そして罰だ。
君達は、それを邪魔している。
べつに誰が悪いと言うわけではない。
だが、君達のような不純な動機で来られると此方としては酷く迷惑なのだ」
薫は最後に「すまない」と言って客達に向かって頭を下げた。
再びざわつく客達。
薫の言葉は酷く愚直で、理不尽で、我が儘なものだった。
正直、今薫の話を聞かされている客達からすれば彼女に対し怒りを覚えてもおかしくはないだろう。
何故なら空気同然のちんけな部活の存続など彼女達からすればどうでもいい話なのだ。
更に薫はだけかもしれないが一応は相談事をしている自分達を邪魔者扱いまでしているのだから、怒られたとしても文句は言えない。
しかし、彼女達は先程のように直ぐ様反撃に移るような事はしなかった。
それはきっと無茶苦茶な言葉の中に宿る彼女のこの部活を、ニコ研を大切に思い、守りたいと強く願う気持ちが伝わったからなのだろう。
「い、いや、まあ……貴女の言いたいことはなんとなく分かったんだけどさ……
私達、一応は相談事をしているつもりなんだけど……それじゃあ駄目なのかな……?」
行列を成す女子達の中の一人が恐る恐る声を上げた。
その声音に先程までの刺々しさはなかった。
「そうか……」
薫がちらりと壁に掛かっている時計を一瞥する。
「ふむ、少しばかり交代の時間を過ぎてしまったようだな……」
薫はそう呟くと誠の背後に移動し、その両肩にそっと手を置く。
「皆さん、すみませんがここからは彼に変わって私がお相手致します。
貴方達の悩みを少しでも軽減できるように尽力致しますのでどうかよろしくお願いします」
薫の爽やかな声が部室いっぱいに広がる。
薫は嬉しそうに微笑みながら誠と席を変わると、「どんとこい」とでも言いたげな表情で前に座る女子生徒を見る。
期待に胸を踊らせながら、目を輝かせながら、薫は彼女が口を開くのを待つ。
そして、ゆっくりとその唇が動き出す。
「ああ、じゃあいいです……」
「え……?」
固まる薫を歯牙にも掛けず彼女は席を立って出口へと向かう。
「私も……」
「ってかここまで待ったのに有り得なくなぁ~い?」
「マジないわ~」
部室出た彼女を追うように引き波のごとく客達が列を乱して廊下へと出ていく。
「わっ、えっちょ、なんだ!?」
列統制をしていた奏の湧き水のように部室から出てくる生徒達に困惑の声が廊下から聞こえると、部室の中はすっかり人気がなくなっていた。
それはもう閑古鳥達がフルコーラスでも歌っているかのような様相を呈していた。
正にもぬけの殻。
薫は顔を凍らせたまま眉をびくびくと痙攣させる。
「お前……バカだろ……」
誠が同情とも呆れともつかない表情で呟く。
「なぁおい、俺の番は終わった訳だし、服、返してくれ」
「ああ、はい。
そうですね」
いまだ固まったままの薫を尻目に明彦が着ていた誠のパーカーに手を掛ける。
「なぁ~今のなんだったんだ~?
ってかさっきすっげえ怒鳴り声みたいなの聞こえてきたんだけど……」
ジジジジ……と明彦がパーカーのチャックを半分ほど下ろしたところで奏が怪訝そうに廊下をチラチラと窺いながら部室に入ってくる。
奏と目が合い、思わず明彦はその手を止める。
明彦はパーカーの下に半袖のTシャツを着ており、特に変なところはない。
が、何故か背徳的な感情が彼女の胸に沸々と湧き上がる。
そう、それはさながら意図せず裸を目撃してしまったかのような。
「なっ、ななななんでお前こんなところで着替えてんだよ!」
奏が顔を真っ赤に染めて明彦を指差す。
「ああ、これ草苅先輩のなんだよ。
丁度先輩の番終わったし返そうかと思って」
明彦は気を取り直してチャックを下ろす。
「うわっ!
バカバカ!
止めろよ!」
それを奏が慌てて制止使用とする。
しかし、彼女は気付いていなかった。
「いや、なんでだよ……」
明彦は呆れた様子で手を止めて奏に視線を戻す。
そして、明彦は気付いた。
「お前、なんでそんな嬉しそうなんだ……?」
「へ……?」
そう、彼女は気付いていなかった。
自分の顔が知らず知らずの内に煌々としていたことに。
奏は慌てて顔を叛けて両手を頬に当てる。
感覚を確かめるように頬をフニフニと弄る。
たしかに頬がだらしなく緩んでいる気がした。
(う……嘘だろ……)
「お前、意外とムッツリなんだな……」
内心に驚愕の表情を浮かべる奏に誠の呆れたような声が突き刺さる。
「ひえっ!?
うっ……あっ……」
奏はガバッと顔を上げてへどもどした声を上げる。
「ちっ、違う……!
俺は、そんなんじゃない……!」
その顔は今にも湯気が上がるのではないかと思うほど朱に染まり、涙で潤んだ瞳からは今にも雫が零れ落ちそうであった。
「違うんだぁぁぁ!!」
脱兎のごとく走り出す奏。
一陣の風を纏いあっという間にその姿は部室の外の死角に消える。
残された面々は一様に唖然としていた。
「なっ、なんだったんだ……あいつ……?」
明彦が困惑した様子で奏が走り去って行った出口を眺める。
「さぁ?」
誠は興味ないといった様子で肩を竦める。
「そんなことより早く服を返してくれ。
また誰か来ると面倒だ……」
言葉の最後になるにつれて誠の表情が苦々しくなる。
恐らく今日の事をざっと思い返したのだろう。
「そうですね……」
つられて明彦も誠が来てからの事を思い出してうげぇと顔を歪める。
中途半端に下ろされたチャックにもう一度手を掛ける。
今度は誰も止めることはなく一番下のホックが外れる。
明彦は軽く畳んでそれを誠に手渡す 。
誠はもうとっくに脱いでいた服を渡し、受け取ったパーカーを慣れた手付きで羽織り、チャックを上げて調子を確かめるようにフードを目深に被る。
なんとなくその様子を見ていた薫の目が徐々に大きく見開いていく。
「なっ、きっ君は草苅君ではないか!」
薫が勢いよく立ち上がり、イスががたりと音を立てる。
「なっ何故ここに!?」
「いや、会長……今見てたじゃないですか……」
まるで幽霊でも見ているかのような反応に明彦が呆れた様子で呟く。
すると薫はなにかを思い出すように視線を斜め上に飛ばす。
「うん……?
ああ……つまり影武者君は影武者ではなかったということか……?」
独り言ように呟いてから顔を明彦の方へ向ける。
「つまり……どうゆうことだ……?」
どう頑張っても今の見慣れた誠の姿と先程までの誠の姿をイコールで結ぶことができないのであろう。
薫はどこか恐怖の色を滲ませながら困惑の表情を浮かべる。
「いや、知らないですよ……」
目の前で見ていたのに認識されないとなると明彦にはもうどうしょうもできない。
明彦はただ呆れたような声音でそう答えた。
「だから馬鹿だろって言ったんだ」
誠の言葉に薫は「なんの話だ?」と言うように小首を捻る。
誠は面倒臭そうに深々とため息をつくと、不承不承説明を始める。
「お前が部外者だと思ってた奴は俺だったんだ。
つまり、さっきゴミみたいに湧いてた客は正規の部員である俺が集めたって事だ。
なんの不正も横着もしてねぇ。
お前が追っ払わなければもう俺だけで十分な程集客出来てたんだよ」
誠は蔑むような冷やかな声を浴びせると、最後に「お前の言う“この部のため”だったらそっちの方が良かったんじゃねぇの?」と怠そうに呟いた。
しかし、説明を終えても薫はポカンと呆けた表情を浮かべていた。
「なんだよ……
今の説明で分かんなかったのか?
お前バカか……?」
気怠さの中に怒気を内包させた声音。
しかし、薫はそんなこと気にすることもなく平然と答えた。
「なにを言うか、馬鹿は君の方だ」
「はぁ!?」
誠の内に込められていた怒気が勢いよく噴火する。
それでも薫は相も変わらず淡々と、当たり前のように言葉を紡いでいく。
「確かに草苅君の言う通り客は集められていたかもしれない。
だが、それは君の言葉通り“草苅君に集まった”客だ。
ニコ研に集まった客じゃない」
「……っ、なんだそのむちゃくちゃな理論」
「そうか?
それほど的外れな事は言っていないと思うんだが……」
薫は不思議そうに小首を捻ると、更に言葉を継いでいく。
「だって、あの客達は君という人間をを観賞するために集まったのだろ?
それをニコ研に集まった客と言うことは出来ないだろ。
ここはそういう場ではない。
それとも、私が来る前にはちゃんと悩みを抱えた客達が沢山いたのか?」
誠は言い返すことが出来なかった。
薫の言う通り悩みの相談の為にこの部室に来た人間はいなかっだろう。
少なくとも誠の記憶の中にそれに該当する人物は見当たらなかった。
「別に……それでも良いだろ。
周りから見たら内の部活が繁盛してるように思うだろ。
学校のお偉いさんはそれで満足すんじゃねぇのか?
いちいち細かい審査とかしねぇだろ。
要は見た目だ見た目。
世の中外面が一番重要なんだ」
なんだか負けた気がして、少しむきになって言い返したつもりだった。
だが、最後の方はただの自分の愚痴になっている事に誠はその言葉を言い終えてから気づいた。
でも、その言葉に嘘はないし訂正するつもりもなかった。
誠はそれを実際に肌で感じてい たからだ。顔が良いってだけで大体の人はほいほい近寄ってくる。
一回も話したことがないのにいきなり告白されたりもした。
お前は一体俺のどこを好きになったんだと思うことも多かった。
だから、中身なんて二の次だと思った。
松茸は傘が開いている方が美味しいと聞いたことがある。
でも、傘が閉じている方が見映えがいいからそっちばっかりが市場に出回るのだそうだ。
人も、大体それと同じ。
中と外を天秤に掛けたとき、ほとんどの場合は外の方に傾く。
「駄目だ。
たとえ周りが認めても、私が認めない。
私はそんな張りぼての成功なんか求めない」
薫は凛と切り捨てるように誠の言葉を一蹴する。
「例えば草苅君の言う通り外見だけで今回の危機を乗り越えたとしよう。
だが、次また困難にぶつかったとき私達や後輩たちはちゃんとそれを乗り越える事が出来るだろうか。
答えは否だ。
弱い者がどれだけ強固な鎧で武装しても、その弱さは揺るぎはしない。
私は、この部に強くあって欲しい。
だからより良い結果を、内容を、私は求めるのだ。
悔しかったら内面を磨く事だな。
そうすれば今の状態で立派に集客出来るだろう」
薫は最後ににっと笑って誠を指差す 。
「このクソあま……」
笑顔の薫とは対照的に苦々しく口をへの字に歪ませる誠。
しかし、誠は薫の言葉を何処かで納得もしていた。
別に外見の良さに傲って中身を磨く努力を怠っていたというわけではないが、確かに内面をどうにかしようとは考えたこともなかった。
考える時間すらなかった。
外見で勝手に評価をつけられ、日によって持て囃されたり蔑まれたりとあべこべな対応をされる日々の中では自分の保身に必死でそんな余裕はなかった。
でも、と誠は考える。
どうせなにをどう努力しようと無駄だ。
人というのはあまりに身勝手な生き物。
例え誠が聖人のような人間性を得たとしても、それに利用価値がなければ奴等はあっさり誠を悪だと仕立て上げてしまう。
結局、人間性なんて目に見えないものは外見以上に無価値なものなのだ。
「なにが内面を磨く、だ……
そんなの徒労だ徒労。
意味なんかありゃしねぇ」
吐き捨てるように誠の口から放たれた言葉。
「まぁ、そう怒るな。
さっきのはジョークだ」
それを宥めるかのように薫が微笑む。
「いくら中身を変えたとしても環境は変わらない。
故に周りの評価も殆んど変わることはない。
或いは変化など気付かれないまま終わるかもしれない」
ぽつりぽつりと話し出す薫の声には、何処か諦めめいたものが感じられた。
その粛々とした雰囲気に明彦と誠は黙って薫の次の言葉を待った。
「でも、私はそれでもいいと思っているんだ。
何故ならその変化が本物なのであればいつか誰かが気付いてくれるかもしれないだろ?」
「下らない話だ」と嘲笑するように誠が鼻で笑う。
「確かに私の考えは甘いかもしれない。
楽天的で怠惰なものかもしれない。
でも、環境を呪って、自分を嫌って、その場で立ち止まり続けるよりはずっとましだと思うのだ」
薫の言葉には先程の嘲笑を跳ね返すような力強さがあった。
薫に真剣眼差しを向けられた誠は緩んでいた口元を軽く結ぶ。
「その先に答えなんて、希望なんてないのかもしれない。
盲目的だと、愚かだと周りから思われるかもしれない。
それでも、そうでもしないと歩き出せないのなら、きっとその方がいいんだ。
多分、歩き出さないと掴めないものがこの世界には沢山あるから……」
恐らく彼女自身にそういった経験があるのだろう。
薫のその言葉は自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「……それは、俺に対して言ってるのか?」
誠はゆっくりと噛み締めるように尋ねる。
「……ああ、まぁ……そうだな……」
薫は考えるような間を取ってから自嘲気味に笑う。
「そうか……」
そこで一旦会話が途切れる。
お互いにお互いの見てはいけないものを見てしまった、あるいは聞いてしまったかのような厳然とした沈黙。
「はぁ……」
そんな静寂を誠の溜め息が押し潰す。
「くっだんね。
それじゃ結局周りはかわんねぇじゃねえか」
そう、誠の問題は周りが変わらなければなにも変わらないものなのだ。
周りが自分の見方を改めない限り、それは半永久的に解決されることはない。
「あははは、草苅君は中々にひねくれているな。
それとも自覚がないのか?」
快活な笑みを見せる薫に誠が苛立たしげに顔を向ける。
「なにが言いたい」
ぶっきらぼうに問う。
「やはり後者の方だったか」
薫は納得した様子で頷くと、キリリとした凛々しい瞳でじっと誠の顔を見据える。
その視線はフード奥の闇に隠れる誠の表情が見えているのではないかと思うほどのものだった。
数秒の間を置いてから漸く薫が次の言葉を紡いでいく。
「草苅君。
君は、自覚はないだろうが、実はもう歩き出しているんだ」
その言葉に誠は反応を示さない。
恐らく唖然としているのだろう。
それを察したのか、誠の反応を待たずに薫が言葉を継ぐ。
「だって、君はもうすでに私とこんなに話しているではないか」
薫が微笑む。
純粋無垢なその笑顔はいつもの大人びた薫とは違い幼さを感じさせた。
「私は嬉しいぞ?
まぁ、内容が内容だけにそれほど楽しかった訳ではないのだが……
それでも、漸くちゃんと草苅君と話ができた!
私はそれがとても嬉しい!」
薫の無邪気な笑顔が弾ける。
その表情からは一切の嘘や策略を見出だす事はできなかった。
これが薫の言う歩き出さないと掴めないものというやつなのだろうか。
きっと女性を拒絶し、彼女達とのコミュニケーションを完全に遮断していたらこの笑顔を見ることも、こんな気持ちになることも無かったのだろう。
誠は我ながらに自分で自分が嫌になった。
自分も結局外見上の輝きに魅入られていた。
自分が憎んだ彼女達と変わらない。
灯りにまとわりつく夏の虫と変わらない。
ただ明るいから集まる。
そこに理由なんてない。
「なあ草苅君」
誠が自己嫌悪に苛まれていると、まだ少しはしゃいだ雰囲気の残る声が彼の鼓膜を震わせた。
いつの間にか下に向いていた視線を上げて薫の顔を見る。
やはりそこには明るい光がある。
「今度はこんな堅苦しい話ではなくて、もっと楽しい話をしよう!
まぁ、どちらかというと私の方が出来るか不安なんだが……
でも、私はもう少し君の事を知りたい。
同じ部の部員として!」
誠は自分を守ろうとするあまり他人に自分がやられた事をやり返してしまっていた。
彼女達が自分に偶像を押し付けてきたように、自分も彼女達に偶像を押し付けていた。
しかも、誠の場合は女性というカテゴリーを全て同じ型に当てはめていた。
全員が全員その型にぴったりと収まる筈がないのに。
別にこれから女性と仲良くしていこうなんて思わない。
でも存外、明彦の言うようにこの世の中は嫌な女性ばかりではないらしい。
実は、そのことは何と無く気付いてはいた。
だが、信じたくなかった。
傷付きたくなかった。
だから必死で心を閉ざし、拒絶した。
それでも薫は、一年以上も拒絶し続けられた彼女は、笑顔でもっと話したいと言ってくる。
嫌な顔一つせずに、心の底からもっと知りたいと言ってれる。
誠の外面ではなく内側を見ようとしている。
薫は、明らかに他の女性とは違う。
そう思い、誠は口を開く。
「前向きに考えとく」
――俺はただ闇雲に光に群がる夏虫にはならない。
そんな僅かながらの抵抗が言葉に表れていた。
だが、そんな心理を薫や明彦は知るよしもない。
「うむ、期待しているぞ」
薫が嬉しそうに微笑む。
自分は他の連中と違うなんて言うつもりはない。
誠もとどのつまり人間なのだ。
外見の美しさに引かれてしまうのは生まれついた業とも言えるかもしれない。
でも、誠はそこから生まれる痛みを知っている、憎しみを知っている。
だから、進まなければならない。
自分が憎んだ彼女達と同じ道を歩まぬように。
眩い光で白く霞んだ光源を見出だすために。
「おう」
誠はそう返し、まるで過去の自分を捨て去るように迷いなく、振り向かず部室を後にする。
誠の心の中にあるアイアンメイデンは壊れた。
誰かを型にはめ込むのは、誰かを傷付ける事と同じだ。
だからもう、こんなものは要らない。
例えそれが自分の盾を捨て去るような愚行であったとしても。
誠の気だるげな足音は廊下の奥へ奥へと消えていく。