―翌日―
(私は、確かに調子のっていたかもしれない。
最近、色んな事が順調だった。
楽しかった。
でも、それはきっと私だけ。
結局私は自分の事しか考えていなかったんだ。
本当の私は大切な友達の気持ちすら分からない、気遣ってあげられないダメな子なのに……)
放課後、雪菜は自分の事を責めながら部室棟の廊下を歩いていた。
昨日、電話を切った後こそ放心状態になっていた彼女であったが、やはりこのままでは駄目だと思い至って、本日外の運動部の声が僅かに響く廊下を進んでいるのである。
向かう先は魔術研究会の部室。
個人的な話し合いは失敗に終わってしまった。
もう一度話し合いなど出来ないだろうし、そもそも、自分が相手である以上何回やっても結果は同じだろう。
そこで、第三者の存在が必要になってくる。
が、雪菜の知り得る第三者は、明彦か魔術研のメンバーだけであった。
当然、明彦にこんな話は出来ないし、現在開拓中の友人など持っての他である。
結果、消去法的理由で魔術研の彼女達を頼ることにしたのである。
正直、雪菜にとってそれは苦肉の策であった。
しかし、もう彼女たちに頼る他なかった。
大切な友達との関係を守るためなら、意地だろうがプライドだろうが何だって投げ捨てる。
そんな強い覚悟を胸に、彼女は魔術研究会部室の前に立つ。
ふぅっと深く息を吐き、恐る恐るドアを三、四回ノックする。
(大丈夫、今は修学旅行中だからいるのは白井君か新崎さんと……あとあのおっきな人だけな筈。
おっきな人はちょっと分かんないけど……
兎に角白井君と新崎さんの二人ならきっと親身になって相談に乗ってくれる)
「はいは~い」
ドアの向こう側から返事が聞こえて数秒後。
「えっ、えと……どなたでしょうか……」
おずおずとドアを開けたのは、何故かメイド服に身を包んだ正太郎であった。
彼は、雪菜と目が合った瞬間あっと驚いたような声を上げる。
しかし、ここで驚いたのは正太郎だけではない。
雪菜もまた、彼の格好を見て唖然としていた。
雪菜の記憶では、正太郎は無理矢理やらされていただけで、本人自身に女装の癖はなかった筈だ。
にも関わらず、彼はなぜ女装をしているのだろうか。
「白井く~ん、どうしたんですか~?」
雪菜が怪訝そうに正太郎の姿を見ながら思考を巡らせていると、くぐもってはいるが、どこか聞き覚えのある声が部室の中から聞こえてきた。
「あっ、いえ、またニコ研の人が来てびっくりしただけです」
正太郎が部室の中に向かって言葉を返す。
(また……?)
彼の言葉に内心で小首を捻っていると、部室から使い捨てマスクを着けた女性が顔を出した。
彼女の顔を見た雪菜は、そんな疑問などどこかに吹っ飛んでしまうほどに驚いた。
「あり?
ライオンさん、どうしたんですか?」
不思議そうに首を傾げるその女性は、今はいない筈の魔術研究会会長、城井杏佳であった。
「いや、あなたこそどうしたんですか……」
驚きと焦りが入り交じり、思わず畏まって尋ねる。
「いやぁ、修学旅行の前日に風邪を拗らせてしまいましてね……」
明るかった彼女の表情にさっと影が射す。
「まぁ風邪自体は昨日治ったんですよ。
でもね、花沢さんから送られてくるL○NEが酷くて……
もう時報なんじゃないかって思うほど現状報告してくるんですよ……
しかも半端じゃなく楽しそうに……」
彼女の顔は、一度お見舞いに行った正太郎ですら、風邪を患っていた時の方が顔色がよかったのではないかと思うほどにげっそりとしていた。
「しかも、今日なんか私が補講受けてるの知ってて大量にメッセージ送ってきてますからね。
ほんっと幼い顔してやることがえぐいですよね」
そこまで話すと、杏佳は先程までの表情が嘘だったかのようににかっと笑う。
「だから、その腹いせに白井君で遊んでいるんです!」
「ちょっ、会長!?
笑顔で怖いこと言わないでくださいよ!」
「そうですか、まぁ諸々の経緯は分かりました」
目尻に涙を浮かべて驚く正太郎を他所に、雪菜が酷く面倒臭そうに応える。
「うわぁ~なんか露骨ですね……」
「ええ、まぁ私あなたの事嫌いですし」
「えぇぇ、酷くないですか?
体育祭の時の優しさを思い出してくださいよぉ」
甘えるような杏佳の口調に、苛立ちを通り越して思わず呆れの溜め息を雪菜に吐かせた。
「まぁ、冗談はさておき、中に入ってください」
杏佳が一歩後ろに下がって入室を促す。
「えっ……?」
雪菜はまだ用件は何も言っていない。
しかし、杏佳の対応はどうであろうか。
まるで事前に説明でも受けていたかのようではないか。
(いや、考えすぎか……
普通に中に入ってから用件を聞くつもりなんだろうな。
うん、普通の対応だよね)
「あれ?
もしかして恋愛の相談じゃなかったですか?」
雪菜が思考を巡らせて立ち竦んでいると、杏佳が少し驚いた様子で尋ねる。
「えっ!?
ええっと……」
ズバリと相談内容を言い当てらたことに面食らってしまい、うまく言葉が出てこない。
「あっ、じゃあ友達の事で相談ですか?」
その反応を不正解と捉えたのか、杏佳は人差し指を立て、視線を宙に泳がせてから再び尋ねる。
どちらにせよ正解である。
その事実に雪菜の思考回路はとんでもなく掻き乱されていた。
(あれ?
私記憶とんだ?
おかしいな……事前連絡なんてしてないし……
そもそもあの人達の連絡先知らないし。
じゃあいつ言った……?
あれ……?)
「まぁまぁ、取り敢えず中入ってくださいよ。
どちらにせよパッと終わる話じゃないんでしょ?」
ぐるぐると思考を巡らせる雪菜に杏佳がストップを掛ける。
その言葉は、中に入れば答えが分かるとも言っているように聞こえた。
このまま考えていても時間の無駄だと判断した雪菜は、コクりと頷いて部室の中に一歩踏み入れる。
魔術研究会の部室は薄暗く、至る所にぼんやりとした光が灯っている。
両側の壁際にはびっしりと本の入った本棚が並んでいる。
そして、微かに香る血の匂い。
(この人達本当に生き血で魔法陣とか描いてるの……?)
呆れた表情で部室の奥に目をやると、入り口側を空けるようにしてコの字型に置かれた、えらく年期の入ったソファーと、その中央に置かれた背の低いテーブルが目に入った。
向かって右側のソファーには一人の人が座っており、机の上に置いてあるランタンがその顔を淡く照らし出していた。
「奏……ちゃん……?」
その人物の顔を見るや、雪菜は驚愕の表情で彼女の名前を呟いた。
その声が彼女にも届いたのか、奏は雪菜の方へと顔を向けて、同じく驚愕の表情を浮かべる。
「雪……菜……?」
「どうして、奏ちゃんがここに……?」
「それはきっと、貴女と同じ理由ですよ」
雪菜の疑問に杏佳が答えた。
驚きの色が抜けきってないまま顔を向ける雪菜に、彼女は更に言葉を継いだ。
「貴女と、その広瀬某とかいうモテ男の事で相談を受けていました。
彼女の話を聞いていたので、貴女が何で此処に来たのかもなんとなく分かりました。
ライオンさんも、同じ相談をしに来たんですよね?」
杏佳は口だけで笑みを浮かべながら真っ直ぐに雪菜を見つめる。
まるで幼い少女のようなくりっとした相眸。
しかし、その紺色の瞳の奥には、それとは対照的な大人びた雰囲気を宿していた。
雪菜はそれに対し、ただ頷きを返すことしか出来なかった。
「やっぱり。
ささっ、貴女も座っちゃってください」
彼女はにかっと笑うと、雪菜を奏の隣に座るよう促した。
そして、自分はその二人に対面するように、机を挟んだ向かい側のソファーにどっかりと座り込んだ。
雪菜がソファーの端、奏から人一人分程度の距離を空けたところに座ると、ふしゅぅと空気の抜ける音がした。
正直、座り心地はさほどいいものではない。
手触りもなんだかざらざらしている。
ふと、ソファーを撫でていた手から視線を上げると、奏と目が合った。
が、彼女はそれに気付くと即座に目を伏せてしまう。
雪菜も気まずくなってしまい、視線を手の甲に戻し、視線ごと手を膝の上に乗せる。
まるで喧嘩別れしたカップルのような、そんな気まずさが二人を包み込む。
「では、始めましょうか」
その雰囲気をゆっくりと掻き分けるように杏佳が火口を切った。
「神崎さん、失礼ですけどもう一度相談内容を言っていただけますか?
あっ、勿論ライオンさんに――」
「冬野雪菜です」
「おっと失礼。
冬野さんに聞かれたくない事は言わなくてもいいです」
少しいらっとした声音で突っ込まれ、直ぐに訂正を加える。
言い終えると、奏はゆっくりと頷いて口を開いた。
「俺は明彦の事が好きだった。
でも、あいつは雪菜の事が好きで、雪菜もあいつの事が好きだった。
雪菜も、明彦も、大切な友達だから、邪魔しちゃいけないと思って俺はずっと気持ちを押さえ付けてきた。
何度も、諦めようと思った。
でも、ダメだった。
俺の気持ちは、だんだん抑えが効かなくなって、昨日、爆発した。
明彦に理不尽な我が儘を押し付けた。
雪菜に酷いことを言った。
きっと……二人は俺に失望してる。
でも、このままじゃ嫌なんだ……
最後まで我が儘なのは分かってる。
でも、俺は、俺が壊しちゃったこの関係をどうしても取り戻したい。
だから……力を貸してください……」
奏は静かに頭を下げる。
これまでの経緯と自分の気持ちを何一つ包み隠す事なく告げて。
雪菜はうつ向きながら余った服の袖をきゅっと握り締めていた。
知らなかった。
彼女がそんなにも自分の事を考えて、気を使ってくれていたなんて。
彼女がそんなにも辛い気持ちを内に秘めて、いつも気丈に笑っていたなんて。
その事が、昨日の事とも相成ってチクチクと雪菜を内側から責め立てる。
人の気持ちなんてそんな簡単には分からない。
そんな事は自分が一番よく知っていた筈なのに。
「では、冬野さん。
貴女の番です。
勿論貴女も聞かれたくない事は話さなくても結構です」
杏佳に視線を向けられ、雪菜は徐に顔を上げる。
その瞳は涙で潤み、口はどこか悔しそうにへの字に結ばれている。
頬や鼻っ柱の辺りが赤みを帯び、放っておけば今にも泣き出してしまいそうな表情だった。
まるで、一秒の長さが数十倍に感じるような淀んだ沈黙の後、固く結ばれていた彼女の口がゆっくりと開く。
「私は、大切な友達を傷付けてしまいました。
人の気持ちなんて考えもしないで、自分の事ばっかり考えて……
それなのに友達が離れていくのが嫌で、強引に繋ぎ止めようとしました。
悪いのはバカな私なのに……それが友達を――奏ちゃんをもっと傷付けるとも知らずに。
こんな私から奏ちゃんが離れていくのは当然かもしれない。
でも、やっぱり嫌なんです。
私は、初めて出来た本当の友達を、奏ちゃんを失いたくない。
だから、どうかこんな私の我が儘に協力してください。
お願いします」
そう言って雪菜は深々と頭を下げた。
それは、お願いというよりはどこか懺悔のようなニュアンスが含まれていた。
別に奏の言葉を聞いたからではない。
彼女は始めからこの言葉を用意してここに来ていた。
「成る程。
これでお二人の悩みは出揃いましたね」
杏佳は余韻を残すような間を開けると、視線をゆっくりと雪菜から奏に移す。
「まぁぶっちゃけ冬野さんのお悩みはここで解決ですね」
それから、二人を同時に見れる場所に目を置くと、彼女は軽い感じで笑った。
そんな杏佳に雪菜が射るような鋭い視線を向ける。
「いや、はい。
ごめんなさい……」
そしてそれは、攻撃的な意思表示と同時に、説明を要求しているようでもあった。
「ああ、えと、つまりですね」
それを悟った杏佳は気を取り直して説明を始める。
「お二人の悩みはある一点を除いてどっちも同じベクトルに向いているんですよ」
「えと……どうゆうことだ……?」
奏が難しそうな表情を浮かべて小首を捻る。
「貴女達、自分で言ってて気付かないんですか?」
杏佳が呆れたような溜め息をつく。
「いいですか?
神崎さんは壊れた関係を取り戻したいと言いました。
その一方で冬野さんは神崎さんを失いたくないと言いました。
つまり、仲直りをすればそれで終わりなんですよ。
あっ、なんなら今やっちゃいます?」
杏佳はまた軽い感じで笑いながらどうぞどうぞと掌を二人に差し出す。
「茶化さないでください……!
そんな……そんな簡単な話じゃないんですよ!」
雪菜が感情のままに机を叩いて腰を上げる。
「分かってますって……そんな怒んないでくださいよ……」
彼女のあまりの剣幕に、杏佳は思わず両手の掌を自分と雪菜の間に置く。
その表情は笑っているが、頬には冷や汗が伝っている。
雪菜が不承不承ながらソファーに座り直すと、杏佳が「別に茶化した訳じゃないんですけど……」と拗ねたように呟いた。
それから自分の中に蟠った緊張感を吐き出すように息を吐く。
「で、その簡単な話じゃなくしてるのが、ズバリその明彦とかいう男子な訳です。
彼との関係をどうするかで結末は変わってくる訳ですが……ぶっちゃけ、お二人はどうしたいんですか?」
彼女の質問に、対面する二人は直ぐに口を開くことは出来なかった。
「おっ、俺は……元の関係に戻れるならその、明彦を諦めるよ……」
暫くしてから奏がぼそりと呟いた。
「奏ちゃん……?」
その声に、雪菜が驚いた様子で顔を横に向ける。
「無理ですね」
が、杏佳は冷淡な声で彼女の言葉を一蹴した。
「あんた……ちょっとは奏ちゃんの気持ちを――」
「考えてますよ?」
睨み付けながら放たれた雪菜の言葉を先読みして彼女は応える。
「考えた上で言っています。
神崎さんがその人を諦めるなんて、好きでなくなるなんて不可能です。
友達の為に好きな人を諦めるなんて、私にはその場しのぎの言い訳にしか聞こえません」
「そっ、そんな事ない!!
俺は……本気で――」
「じゃあ今までのは本気じゃなかったんですか?
貴女、言ってましたよね?
何度も諦めようとしたって。
それでダメだったんですから、今回もきっとダメですよ」
杏佳の声に掻き消された奏は、それ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。
ただただ悔しそうに口角を落としてうつ向く。
「ちょっと、そんな言い方……!」
「じゃあ、冬野さんはこれが正しい選択だと思いますか?」
それまでは比較的温和だった杏佳の目付きが一気に鋭くなる。
「思わない……けど……
でも、奏ちゃんの覚悟を無駄にはしたくない……」
答える雪菜の声は弱々しく、イエスとノーの中間をふらふらとさ迷っているようであった。
「冬野さん、貴女、卑怯ですよ」
そんな彼女に、杏佳は冷水のような声を浴びせる。
「そっ、そんなことない……!」
心外そうに雪菜が応えるが、杏佳の態度は依然として変わらない。
「だって、貴女なにもしてないじゃないですか。
気を使って神崎さんが自分を捨てて、貴女がそれに乗っかる。
こんなの完全に後出しじゃんけんですよね?
きっと、貴女は最後までだんまりを決め込むつもりだったんじゃないですか?」
返す言葉は見つからなかった。
あの時、意図的に発言を控えていた訳ではない。
しかし、恐らく何時間たっても彼女の言う通り、自分から口を開くことはなかったとだろう。
「じゃあ、私はどうすればよかったの……?
奏ちゃんばっかりが辛い思いをして、私にはどうすることも出来なくて、なにも分からなくて……
そんな私が何を言えば正解だったのよ……!?
どうすれば奏ちゃんの為になるの!?」
それでも雪菜は、奏を出し抜こうとしていた訳ではない。
奏の為にどうすればよくて、何をすれば正解なのかをずっと考えていた。
でも、分からなかった。
考えても考えても、奏が笑顔になれるビジョンが浮かばなかった。
だから、奏の意見を尊重しようと思った。
しかし、それは奏も同じで、結果としてあのような結論しか産み出すことは出来なかった。
では、杏佳はどうなのだろうか。
彼女は、正しい答えを知っているのだろうか。
雪菜は口をきゅっと結んで彼女の返答を待つ。
杏佳は先程までとは違い、元の温和な表情で優しくこう言った。
「彼女を、ちゃんと失恋させてあげて下さい」
その回答に雪菜は目を見開き、奏は驚いた様子で俯けていた視線を上げた。
「えと……それは……」
雪菜がが驚いた表情のまま、呟くように尋ねた。
「終わらせるんです、彼女の手で、彼女の恋を」
杏佳の声には有無を言わせないような鋭さがあったが、不思議と優しく感じられた。
「それって……もしかして……」
奏が何かを察した様子で呟く。
「ええ、告白して下さい」
その言葉を聞いた瞬間奏顔が一気に真っ赤に染まる。
「いっ、いやいやいや……!!
そっ、そんないきなり……無理だって!!
それに、どうせコクってもふられるだけだし……」
あわあわと言葉を並べ立てる奏に、杏佳は本日何度目かの溜め息をつく。
「だから、それでいいんですよ。
思いっきりふられちゃってください」
言いながら彼女はにししと笑みを浮かべる。
「……っ、だからなんでそんな言い方しか――」
「ふられてください。
笑っちゃうくらい惨めに、どうしようもない程にこっぴどく、敗北してください。
……そうすればきっと、楽になれます」
杏佳は雪菜の言葉を一蹴するかのように言葉を続ける。
「そう……だよな……
そろそろけじめつけないとだよな……」
奏の頬にはまだ僅かに赤みが残っているが、その表情は覚悟に満ちていた。
「よし、じゃあこれで終わりですね」
それを見た杏佳が満足気に両手をパンと合わせる。
その瞬間。
「白井くーん、次はバニー着て下さいよ!
バニー!
新崎さんは引き続き撮影の方をよろしくお願いいたします」
一気にスイッチが切り替わった。
あまりの態度の変わりように二人は思わず唖然としてしまう。
が、雪菜はそこで解決されてない一つの問題を思い出す。
「あっ、あの……私と奏ちゃんの関係修復は……」
「え?
いや、それは最初に解決したって言ったじゃないですか」
まるで酔っ払った迷惑な客のように正太郎に絡んでいた杏佳が、服をひんむこうとしていたその手を一旦止めて答える。
彼女はそう言うのだが、雪菜の中ではまだ納得がいかない。
そもそも、友達と喧嘩をしたことがない雪菜はどうすれば仲直りが出来るのかが分からなかった。
「でも、なんだかこのままはい仲直りっていうのは軽いっていうか……
その、なんというか中身がないみたいで嫌なんです……」
そんな雪菜の言葉を聞いて、杏佳は僅かにうげっと言いたげな表情を見せる。
「冬野さんってちょいちょいめんどくさいですよね……嫌いじゃないですけど」
杏佳はそう言うと、やれやれと呟いて姿勢をただす。
そして、雪菜と向かい合うように体の向きを回転させる。
「じゃあ、貴女が仲直りできると思えるまで徹底的に喧嘩してください。
本音ぶちまけて、汚い部分まで全部剥き出しにして見てください。
自分の言いたいことを全部吐き出したら、二人が納得できる着地点も見えてくる筈です」
杏佳は、ねっ?と確認するように笑う。
それに対して雪菜はどこか呆けたような表情を浮かべていた。
正直、驚いていた。
この城井杏佳という女、普段は飄々としているように見えるが、意外と物事を考えている。
彼女は、そのギャップに驚かされていたのだ。
しかし、そのギャップがどうであれ、杏佳の言葉はしっかりと彼女の胸に染み込んだ。
雪菜は、杏佳から受け取った言葉を噛み締めるように胸の前で手を握り締める。
「まぁ、尤もそれを相手が望んでいるかどうかは別ですけどね」
続いた杏佳の言葉に、雪菜はハッとした様子で隣にいる奏に顔を向ける。
奏はどこか申し訳なさそうな表情で雪菜を見つめると、何かを言おうとして口を開く。
が、そこからはなにも出てこないまま静かに口を閉じてしまった。
言えないことが言えなかった悔しさか、それとも自分の中の罪悪感がそうさせているのか、奏の視線は斜め下へと向かった。
重苦しい沈黙が部室に蔓延する。
杏佳達も空気を読んでか、静謐に保たれた空間は崩れない。
ここは、自分から言うべきだ。
ふと彼女はそう思った。
また、このまま口を紡ぐことは許されない。
そう、人の気持ちなんて簡単には分からないのだ。
だから、自分の気持ちを、心を、真っ直ぐ言葉に乗せて相手に伝える。
「ごめんね……私って本当に自己チューだよね……
でも……さ、私、奏ちゃんとは中途半端な関係にはなりたくないの……」
「そんなの、俺だって嫌だよ……」
奏は俯いたまま呟くように応えた。
そして、ゆっくりと視線を雪菜に向ける。
「でも……先輩の言ってたみたいなの、俺にはよくわかんねぇよ……」
その表情はどこか申し訳なさそうであった。
「私だって……よく分かんない……
それに、正直怖い……」
友達付き合いなど当の昔に忘れてしまった雪菜にとって、腹を割って話すというのは恐怖を覚える行為であった。
それこそ、本音をぶつけるなんてことは実の姉である萌にしかしたことがない。
奏もそれは同じで、彼女の場合は腹を割る以前の問題である。
恐らくそういった行為に関しては雪菜以上に恐怖を感じているのだろう。
しかし、雪菜はここで足を止める訳にはいかなかった。
「でも……それでも、これから……本当にいつになるのか分からないけど、私は奏ちゃんとそんな関係になりたい……」
言葉を手繰れば手繰るほど、雪菜の中からずるずると確信めいた感情が抜け出していく。
口を動かし、声を出す度、私は何をいっているんだという気持ちが強くなっていく。
こんなこと、誰も望まない。
喜ばない。
杏佳の言う通り、素直に、率直に、この場でごめんと、また友達でいてくれと言えば済むことなのだ。
それでも尚、雪菜がこの方法に拘るのは、奏が日頃から本心を隠して生きているという事を、今回の件で知ってしまったからだ。
奏が気持ちをもっと早く打ち明けてくれれば、もっと別の方法もあったかもしれないなんてというつもりはない。
それに、それを聞いたところでどうこうできる問題でないことももう知ってる。
友達が近くで苦しんでるのは辛いから、余計なお節介を焼いてしまうかもしれない。
そんな事をするくらいなら、本心なんて聞かない方がいいのかもしれない。
だが、友達が苦しんでることを知らずに生活してるのはもっと辛い。
今現在でも、雪菜はそれを痛感していた。
だから、たとえエゴだとしても、身勝手だとしても、奏と心から通じ合えるかもしれないこのチャンスを逃したくはなかった。
「だから……私の我が儘、聞いてくれる……かな……?」
雪菜の潤んだ瞳が、不安気に奏を見つめる。
奏は今だ顔を上げず、雪菜からではその表情は窺い知れない。
「……なに言ってんだお前」
少しの間があってから奏の口が動いた。
そして、どこか面倒臭そうにがしがしと頭を掻くと、スッと顔を上げて雪菜を見る。
「雪菜のお願い事を、俺が聞かない分けないだろ?」
真っ直ぐ雪菜に向けたその顔には、しょうがないなと言わんばかりの笑顔が浮かんでいた。
「奏ちゃん……」
それを見た瞬間、心配そうだった雪菜の顔がぱぁっと明るくなる。
「奏ちゃん……!」
そして、ひしっと奏に抱き付き、年相応に育った彼女の胸に顔を埋める。
「ちょっ、雪菜……!?」
「ごめんね……」
突然の出来事にあたふたとする奏の耳に、くぐもった声が聞こえた。
かと思うと、急に嗚咽のような声が追って聞こえてくる。
「ぐすっ……ひっく……うぅ……あぁぁぁ……っ
ごべんねぇ。
ごべんねぇぇぇ奏ちゃんぁぁぁん」
「えぇっ!?
ちょちょちょっ、どうしたの雪菜!?」
奏が先程よりも圧倒的な驚きと困惑を表に出しながら、慌てて雪菜の肩を掴んで引き剥がす。
もう腰に廻していた腕には力がなく、簡単に雪菜の顔は奏の胸から離れた。
それでも尚、彼女は子供のようにわんわんと泣きじゃくる。
「私、わだじ、自分のことばっがりで、奏ちゃんのぎもぢなんて全然知ろうともしないでぇぇぇ。
でもどうすれば分がらなくて、こんなことしか思い付かなくて、ごめんねぇぇぇ最後まで我が儘で、嫌な子でごべんねぇぇぇ」
(そうか、俺のやり方は今の俺じゃダメなのか……
周りに合わせて、隠れて、波風が立たないようにじっとする。
感情を、気持ちを表に出すなんて無駄だし疲れるだけだと思ってた。
でも、そのせいで雪菜は今泣いてるんだよな……
あの時は、こんな風に俺の事を思って泣いてくれる人がいるなんて思わなかったな……)
奏は雪菜の両肩を引き寄せて、今度は自分から彼女を抱き締める。
「俺の方こそ……ごめん……
流石に今からなんて無理だけど、それでも、いつか必ず言えるようになるから……
もう、俺のために泣かせたりしないから……」
「うあぁぁぁ、ありがとぉ奏ちゃぁぁぁん。
よかったよぉぉぉ。
断られたらどうしようかと思ったよぉぉぉ」
「これ、キマシタワーとか言っといた方がいいんですかね……」
「会長、空気読んでください……」
お互いに抱き合う奏と雪菜を見ながらぼそりと呟く杏佳に、正太郎が呆れた様子でツッコミを入れた。