ニコ研!   作:増田 幹太

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天猫院 薫編
Ⅰ


二年生達が修学旅行から戻り、控え目な賑わいを取り戻したニコ研の部室。

 

しかし、今日はいつもと違う声がそこにあった。

 

 

「うわぁぁぁぁぁん奏ちゃぁぁぁぁぁん!!」

 

 

奏に泣きついているのは一年E組、生徒会副会長の新田咲希である。

 

 

「おおよしよし、また会長に虐められたんだな」

 

 

あやすように彼女の頭を撫でる奏。

 

かなり慣れた様子である。

 

それもその筈。

 

彼女、相当ストレスが溜まっているのか、クラスでしょっちゅう奏に泣き言を言っている。

 

最初こそぐったりとしていた奏であったが、徐々に慣れ始めたのか、対応のレベルがぐんぐんと上昇してった。

 

そのせいか、最近では暇さえあれば部室に顔を見せて、現在のように奏に泣きついているのだ。

 

 

「もうあれ神崎いないと生きられないんじゃないか……?」

 

 

誠がちらりと彼女達を一瞥して呟く。

 

 

「上手く懐柔すればうちの部費アップ出来るんじゃね?」

 

 

かと思うと下卑た笑みを浮かべる。

 

 

「ふむ、確かに」

 

 

「いや、会長……否定してください……」

 

 

「その手があったか!」と言わんばかりの表現を見せる薫に、明彦が突っ込みを入れる。

 

 

「奏ちゃん、大丈夫?

 

変わろっか?」

 

 

「おい、冬野が変わってどうするんだよ」

 

 

心配そうに交代を申し出る雪菜に、またも明彦がツッコミを入れる。

 

 

「えっ、ええっと……

 

絵本を読んであげる……?」

 

 

「冬野さん、方向性が違いすぎて訳が分からないよ!?

 

ってか子供か!?」

 

 

「やだぁ!

 

私は奏ちゃんがいいのぉ!」

 

 

雪菜の声が聞こえていたのか、咲希がひしっと奏に抱き着く。

 

 

「いや、だから子供か……!?」

 

 

最早呆れた様子でツッコミを入れる明彦。

 

そんな事など歯牙にも掛けず、咲希は愚痴を再開する。

 

 

「なぁ、冬野さぁ最近奏に過保護すぎじゃないか?」

 

 

それを見ると、明彦はボソッと囁いた。

 

 

「へっ!?

 

いっ、いや別にそんなんじゃないよ……!」

 

 

雪菜はびくりと肩を跳ね上げると、慌てた様子で囁き返した。

 

 

「嘘つけ、今のも明らかに気を使ってる感じだったじゃん。

 

それに、最近ずっとうちの教室覗きに来てるだろ。

 

奏は気づいてないみたいだけど、俺からはバレバレだったぞ?」

 

 

「ちっ、違うもん!

 

私は広瀬くんを見てた――」

 

 

言ってる途中で顔を真っ赤に染め上げる雪菜。

 

純粋な恥ずかしさと、咄嗟の言い訳としても無理のあるカウンターに思わず視線が落ちる。

 

 

「ごめん、忘れて……」

 

 

「おっ、おう……」

 

 

つられて頬を赤らめる明彦。

 

 

「えと……やっぱり私達がいない間だ何かあった……?」

 

 

そんな二人や奏を見て、美華が不思議そうに尋ねる。

 

 

「ああ、いえ。

 

特に何もしてませんよ。

 

ただ先生に部の外でも友達を作れって言われただけです」

 

 

明彦だけが彼女に顔を向けて答えた。

 

 

「それってやっぱりなにかしたんじゃぁ……」

 

 

すると、美華はどこか怯えた様子で表情を曇らせた。

 

 

「いや、本当になにもしてませんって。

 

先生がニコ研の存続が決まったって報告しに来て、そのついでみたいな感じでそういわれたんですよ」

 

 

「そお?

 

だったらいいんだけど……」

 

 

美華は心配そうに明彦を見ると、先程まで読んでいた漫画に手を伸ばす。

 

 

「って――」

 

 

かと思ったが、なにかを思い出したかのように勢い良く立ち上がった。

 

しかし、その時がたりと音を立てたパイプ椅子は一つではなかった。

 

薫と、なんと誠までもが立ち上がっていた。

 

 

「「「ええ゛ぇぇぇぇぇ!!??」」」

 

 

部室に響響く三人の驚愕した声。

 

 

「ひっ、広瀬くん……?

 

その話、初耳なんだけど……」

 

 

美華は表面に影を落とし、わなわなと震えながら言った。

 

 

「まっ、全くだ!

 

そんな報告受けていないぞ!?」

 

 

薫も驚愕覚めやまぬといった様子で明彦の方に身を乗り出す。

 

 

「えっ、ええと……

 

言ってませんでした……?」

 

 

「ああ、ひとっことも話してなかっなぞ……ったく……」

 

 

ポカンとした様子で尋ねる明彦に、誠が呆れながら応えて椅子に座り直した。

 

それぞれの反応は違うものの、彼女達の声には共通して怒気が孕んでいた。

 

 

(やべぇ……いろいろあってすっかり忘れてた……

 

っていうか、そりゃ怒るよなぁ……

 

奏の事とか、文化祭とか、今までやってきたことの殆どは、この部を存続させるためにやってきたんだもんな……)

 

 

そう思うと、沸々と後悔と罪悪感が湧き出てきて、それと比例するように顔が青ざめていった。

 

 

「いや、あの……はい、すいません……

 

部に関わる大切な事なのに……」

 

 

そして、気づけばどこぞの謝罪会見の如く、顔面蒼白で深々と頭を下げていた。

 

 

「わわわ、そっそんな怒ってないから!

 

大丈夫大丈夫!

 

ねっ!?

 

薫ちゃん」

 

 

「あっ、ああそうだな、うん。

 

そこまで反省しているのなら、もう責めることもあるまい。

 

次からは気を付けたまえ」

 

 

想像以上の反応に、逆に二人がフォローするような形で事を修める。

 

 

「よかっね~薫ちゃん」

 

 

「ああ、そうだな。

 

これで暫くはこの部も安泰だ」

 

 

安堵の表情を浮かべながら薫と美華が席に座り直す。

 

 

(やっぱり、もっと早く言うべきだったよなぁ……)

 

 

そんな二人の様子を見ていると、どうしようもなくそんな気持ちが沸き上がってしまう。

 

忘れてしまった事実は今となってはどうしようも出来ないことだが、どうしてもそこが悔やまれる。

 

 

「はぁ……」

 

 

思わずため息を着くと、右肩の辺りに軽い衝撃が走った。

 

なんだと思い顔を向けると、雪菜が自分に体重を預けているのだと分かった。

 

 

「どっ、どうしたの……?」

 

 

「あんまり自分を責めちゃダメだよ?

 

私も言うの忘れてたんだし、広瀬くんだけのせいじゃない。

 

それに――」

 

 

雪菜はそこで言葉を切ると、前方に向けていた視線をゆっくりと明彦に向ける。

 

 

「どんなに報告が遅れても、この部が無くなる訳じゃない。

 

ここにいる誰かがいなくなる訳じゃない。

 

そうでしょ?」

 

 

「うん、まぁそうなんだけどさ……」

 

 

雪菜はうっすらと薄い微笑みを浮かべるが、明彦はいまだ煮え切らない様子だ。

 

 

「もぉ、うじうじ考えないの!

 

広瀬くんバカなんだから!」

 

 

雪菜は頬を僅かに膨らませながら、そんな彼の頬を摘まんで、むにむにと引っ張る。

 

 

「いたたたたっ!

 

分かった、分かったから!」

 

 

「よろしい」

 

 

えへへへと希薄ではあるが悪戯な笑みを雪菜。

 

最近は自然と笑顔が出てくるようになった気がする。

 

明彦は密かにその変化を喜んでいた。

 

が、

 

 

(何故だろう……

 

今の台詞、冬野には言われたくない気がする……)

 

 

同時にそんな事も考えていたことは内緒である。

 

 

「奏ちゃん、あの二人、本当に付き合ってないの?」

 

 

「へ?

 

ああ、うん。

 

そうだけど」

 

 

咲希からの突然の質問に、若干の戸惑いを見せながらも奏が答える。

 

 

「でも、両思いで告白も済ましてるんでしょ?」

 

 

咲希が奏にだけ聞こえるような声で質問を続ける。

 

 

「うん」

 

 

奏も、彼女と同じような声量で答える。

 

 

「変なの」

 

 

「だよな」

 

 

明彦達に探るような視線を向ける咲希に対し、奏はたははと呆れたように笑った。

 

 

「おいこら、何勝手にプライベートな話してんだ」

 

 

すると、明彦が鋭い視線を彼女達に飛ばした。

 

 

「いや、お前どんだけ地獄耳だ!?」

 

 

「何と無くわかんだよ、雰囲気で」

 

 

愕然とする奏に、明彦がキリリと答える。

 

 

「広瀬くん大丈夫?

 

虐められてるの?」

 

 

雪菜が半分だけ開いた瞳いっぱいに涙を溜め、哀れんだ視線を彼に向ける。

 

 

「なんでそうなる……」

 

 

ぼやくようにそう答えると、奏と咲希からも雪菜と同じような視線を彼に向けていた。

 

 

「いや、本当に違うからね!?

 

止めてくんない!?

 

そんな目で見るの!」

 

 

「よしよし、私が頭を撫でてあげようか?」

 

 

「えっ!?

 

いっ、いいよ、恥ずかしいし……」

 

 

雪菜がひょいと伸ばした手を、明彦は思わず体を後ろに反らせて躱す。

 

 

「うっ、うん……ごめん……」

 

 

赤面する明彦を見てハッと我に帰った雪菜が彼以上に顔を赤くさせる。

 

 

「ふふふ、なんか、いい雰囲気ね。

 

この部ってすごく楽しいわ」

 

 

咲希はそんな二人の様子を見てから、部室の全体を見るように視線を動かす。

 

 

「だろ?」

 

 

「ええ、うっかり私も入部したくな――」

 

 

「咲希ちゃんはここかぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 

何処と無くしっとりとした雰囲気をぶち壊すように放たれた声と、粗暴に開かれた扉の音。

 

それにより、部室にいた面々の視線が強制的に入り口付近に釘付けにされる。

 

彼女達の視線の先には、自由ヶ原高校生徒会、柳川聖佳の姿があった。

 

 

「あっ、本当にここにいた!」

 

 

彼女はブンブンと顔を左右に振って咲希を見つけると、子供がなくしていたおもちゃを見つけたような笑顔を見せた。

 

 

「あっ、本当にいたって……

 

もし私がいなかったらどうするつもりだったんですか……」

 

 

そんな聖佳に、咲希がじとっとした視線を向けた。

 

 

「大丈夫、大丈夫、「ドッキリ大成功!!」みたいなこと言っとけばいいのよ」

 

 

「その考え方がもう大失敗ですよ……」

 

 

呆れた様子でそう言うと、咲希は地面から両膝を放して立ち上がり、聖佳の正面に向き直る。

 

 

「で、何のようですか?

 

もう今日分の仕事は片付けた筈なんですけど……」

 

 

「ああ、ううん、違うのよ。

 

今はプライベートな用事」

 

 

ヘラヘラとした笑いに合わせるかのように顔の前で手を振る聖佳。

 

その様子を見て咲希が不思議そうに小首を捻る。

 

 

「いやね?

 

今度私の弟の誕生日なんだけどさ――あっ、十二月一日ね?

 

私、いっつもプレゼントあげてるんだけど、毎回センスないだの要らないだの言われるからさぁ、今回はギャフンと言わせたろうと思うのよ。

 

って訳で、咲希ちゃん、付いてきてくれる?」

 

 

「すいません、意味がわからないんですけど……」

 

 

「だから、買い物に付き合ってほしいの」

 

 

「嫌です」

 

 

即答であった。

 

 

「いや、でもちょっとぐらい――」

 

 

「嫌です」

 

 

眉をピクリともさせずに即答する咲希。

 

対して聖佳は眉をヒクヒクさせて、静かな怒りを露にしていた。

 

 

「あ~もうめんどくさいっ!」

 

 

聖佳はそう言って咲希の腕をガッチリと掴む。

 

 

「えっちょ!?」

 

 

そして、そのまま腕を引っ張ってズルズルと引き摺っていく。

 

 

「いいから来なさい、会長命令!」

 

 

「いや、わけわからないし、職権濫用ですよ!」

 

 

咲希の叫びなど歯牙にも掛けず聖佳は強制連行を続ける。

 

 

「あっ、奏ちゃん、今日もありがとう。

 

……じゃなくて助け――」

 

 

彼女の声は、閉まるドアの音に阻まれて届かなかった。

 

 

「なっ、なんだったんだ一体……」

 

 

突然の出来事に唖然としていた明彦が、疲労した様子で呟いた。

 

 

「さぁ……」

 

 

雪菜もどこか疲労した様子で応える。

 

 

「皆さん、お疲れ様で~っす!」

 

 

そんな声と共に再び扉が開いたのは、咲希が連れ去られてから少ししてからだった。

 

勢い良く開かれた扉に、やはり全員の視線が吸い込まれる。

 

此度の来客は、杏佳であった。

 

 

「……何しに来たんですか?」

 

 

最早情景反射的に白けた視線を向ける雪菜。

 

 

「なんか、来て早々帰りたくなりますね……」

 

 

それを見た杏佳がずぅんと肩を落とす。

 

 

「それで、なにか御用かな?」

 

 

「ああいえ、別に用とかは特にないんですけど……」

 

 

薫が尋ねると、彼女は申し訳なさそうに顔の前で手を振ってから、にやりと怪しげな笑みを浮かべて雪菜に目をやる。

 

 

「ただちょっと途中経過をですね……」

 

 

その言葉が耳に入った瞬間、携帯を弄っていた奏の眉がピクリと動き、雪菜は煙が上がるのではないかと思う程に赤面した。

 

なんだかただならぬ雰囲気を醸し出す二人に、誠以外の部員たちが不思議そうな表情を見せる。

 

 

「にししし、取り敢えずは上手く行ったみたいですね」

 

 

「帰って」

 

 

愉快気に笑う杏佳の目の前に立って雪菜が呟くように言った。

 

その顔にはいまだに赤みが抜けきれていない。

 

 

「えっ、でもまだ――」

 

 

「十分見て理解したでしょ?」

 

 

雪菜がずいっと一歩近付き、杏佳が一歩下がる。

 

 

「いやぁでも色々聞きたいこととかもありますし……」

 

 

「なに?

 

答えられる事だったら答えるから。

 

ちゃっちゃと言っちゃってよ」

 

 

溜め息混じりに応えると、杏佳は再び怪しげな笑みを浮かべる。

 

 

「ぶっちゃけ、あの人とどこまで行きましたか?」

 

 

「――っ!!??」

 

 

一端引いていた顔の赤みがぶり返し、それと同時に恥ずかしさが押し寄せる。

 

 

「あらあれ?

 

どうしたんですか?

 

顔が真っ赤ですよ?

 

キスとかしたんですか?

 

はっ、まさか二人して大人になったりとかしちゃったんですか?」

 

 

その反応に嗜虐心をそそられたのか、畳み掛けるように質問を投げ掛ける杏佳。

 

 

「うっうううっさい!

 

したいけどまだそうゆう関係じゃないのよ!

 

――あ……」

 

 

部室の雰囲気が変わったことを察知し、雪菜は恐る恐る振り返る。

 

すると、部員達全員が驚きの表情をこちらに見せていた。

 

 

「えと……どうかした……?」

 

 

明彦が困惑したような笑顔を浮かべる。

 

 

「……なんでも、ない」

 

 

雪菜は目尻に涙を溜めつつ顔を正面に戻す。

 

そして、きっと目の前にいる杏佳を睨み付ける。

 

 

「あははは、冬野さんを弄るのはほんと楽しいですね。

 

ではっ、また来ますね!」

 

 

彼女は敬礼のように手を目の上辺りに当てると、逃げるように廊下を走っていった。

 

 

「もう二度と来んなぁぁぁっ!!」

 

 

「ほんと全然仲良くならないよな、あの二人。

 

体育祭の時の冬野は一体何処に……」

 

 

息を切らして叫ぶ雪菜の背中を見ながら明彦が呟く。

 

すると、彼女が物凄い形相で睨み付けてきた。

 

 

「あっ、はい。

 

ごめんなさい……」

 

 

明彦が恐怖に打ち震えながら謝罪をすると、雪菜はてくてくと定置に戻って乱雑に椅子に腰掛けた。

 

 

「ほんとにどうしたの?

 

そんなに嫌だったら俺からも何か言おうか?

 

まぁ、どうせ無駄かもだけど……」

 

 

がたりと音が響くと明彦が心配そうに訪ねた。

 

彼の中で、雪菜がここまで怒りを露にしたのは久しぶりだった。

 

それは、彼女の感情が確りと表に出ていると思えば嬉しいことなのかもしれないが、彼の頭の中ではどうしても夏の事を彷彿させてしまって不安になってしまう。

 

まぁ、実際のところそんな大したことではなく、杏佳にいいように遊ばれて腹立たしくなっただけなのだが。

 

 

「え?

 

あっ、ううん。

 

大丈夫だよ」

 

 

雪菜が慌てた様子で体の前で両手を振る。

 

 

「ほんとに?

 

無理してないか?」

 

 

「うん、平気だよ。

 

ごめんね、心配かけて」

 

 

「そうか?

 

じゃあいいんだけど……」

 

 

明彦は不承不承視線を手元の携帯ゲーム機に戻す。

 

 

(はぁ、もうなんだったのよあいつ。

 

広瀬くんにも心配掛けちゃったし……)

 

 

雪菜は溜め息混じりに読みかけの小説を開くと、ちらりと横目で明彦を見つめる。

 

 

「ん?

 

どうしたの?」

 

 

それに気付いた明彦が視線を彼女に向ける。

 

―ぶっちゃけ、あの人とどこまで行きましたか?―

 

不意に、先程の言葉が頭に甦る。

 

―キスとかしたんですか?あっ、まさか二人して大人になったりとかしちゃったんですか?―

 

ねっとりとした杏佳の言葉がぐるぐると脳内を駆け巡り、思考回路を掻き乱していく。

 

 

「お前、大丈夫か?」

 

 

突然様子がおかしくなった雪菜の真っ赤に染まった顔を、明彦が心配そうに覗き込む。

 

 

「だっ、大丈夫。

 

大丈夫、だから……っ!」

 

 

咄嗟に顔を反対方向に向けると、部室のドアが少し空いていることに気付いた。

 

何だろうと目を凝らすと、魔術研究会のメンバーの顔がトーテムポールのように並んで隙間から此方を覗いていた。

 

ほぼ全員がニヤニヤと口元を歪めている。

 

 

「あんた、二度と来んなって言ったでしょ!?

 

ってか戻ってくんの早すぎんのよ!

 

しかも何か増えてるし!」

 

 

立ち上がって怒声を浴びせると、まるでピンポンダッシュに成功した子供のようにきゃっきゃと声を上げて彼女達は去っていった。

 

そして訪れる何度めかの沈黙。

 

 

「ああもう、ほんとやだ……」

 

 

そんな事をぼやきながら溶けるように机に突っ伏す雪菜。

 

 

「あはは、お疲れ様」

 

 

「もお、他人事だと思って……」

 

 

気の毒そうに笑う明彦に、雪菜が不満げに頬を膨らませた。

 

すると、またも部室のドアが勢い良く開かれた。

 

雪菜は最早戦慄の表情で開かれたドアに目を向ける。

 

そこにいたのは、杏佳でも、聖佳でも、ましてやこの学校の学生でもなかった。

 

 

「薫ちゃぁ~ん!!」

 

 

暗い小豆色のロングヘアーを揺らしながら入ってきた彼女は、見た目からして雪菜の姉である萌より少し年下といったところだろうか。

 

彼女は入って直ぐに薫に抱き付こうと考えていたのだが、なにぶん通路側狭いことと、結構な距離があったため諦めて奏の前で立ち止まる。

 

 

「おっ……おねえ……さま……?」

 

 

そんな彼女の姿を見て、薫は驚愕の表情を見せる。

 

が、それは彼女だけではなかった。

 

声には出さなかったものの、部員の面々もまた驚愕の視線を彼女に注いでいた。

 

あまりに唐突な薫の姉の登場に思考が追い付かず、それ以上のリアクションができなかったのだ。

 

 

「薫ちゃん久しぶり~。

 

何年ぶりぐらいだっけ?」

 

 

薫の姉は気を抜くと眠くなってしまいそうなほわほわとした雰囲気を纏いながら、顎の下に指を当てて首を傾げる。

 

 

「えっ、ええと……私の記憶が正しければ確か二年ぶり……ぐらいでしょうか。

 

今回はいつもに比べてかなり長かったですね」

 

 

薫はなんとかこの状況に追い付こうと脳の回転をトップギアに入れ、記憶の欠片をかき集める。

 

 

「ああそうそう、そんれくらい。

 

ほんと漸く帰ってきたって感じだよ~」

 

 

(愚痴を言ってるときですら緩い……)

 

 

全く悪意を汲み取ることの出来ない愚痴に驚いていると、隣の雪菜が声をかけてきた。

 

 

「なんか会長のお姉さんって思ってたのと違うっていうか……その、以外だよね」

 

 

「そうか?

 

まぁ確かに思ってたのとは少し違うけど、以外ってほどでもないかな」

 

 

なぜか少し興奮している様子の雪菜に対し、明彦はしれっと答える。

 

そもそも明彦ご事前に知っていた情報といっても、薫が度々口にする天猫院語録ぐらいしかない。

 

故に雪菜のような感想を持つ程に、彼の中にはきちんとした像ができていなかった。

 

 

「そう、かな?

 

大企業の次期社長であんな感じの人って珍しいと思ったんだけど……

 

わりと普通だったりするの?」

 

 

雪菜は少し恥ずかしそうに言葉を返すと、うむむと薫の姉を品定めするように見つめる。

 

 

「まぁ普通かどうかは兎も角、一概にそれがこれみたいなことは言えないんじゃないかな?

 

やっぱり次期社長っていっても一人の人なんだし、性格はそれぞれ――」

 

 

長々と語ったところで漸く明彦は一つの事に気が付いた。

 

 

(え……次期社長ってなに……?)

 

 

 

「えっ、ちょっと冬野?

 

今なんて言ったの?」

 

 

「だから、次期社長っていうからもっとかっちりとした人かと思ってたのに、すごくほわほわしてて優しそうな人で以外だよねって……」

 

 

雪菜は不思議そうに首を傾げてから答える。

 

が、それだけでは明彦の心に蔓延った靄は消えてはくれない。

 

 

「誰が?」

 

 

「誰がって、そんなの会長のお姉さん以外に誰がいるの?」

 

 

(え……?)

 

 

雪菜の言葉を聞くやいなや、明彦の視線は自然と薫の姉の方へと吸い込まれていく。

 

 

「――そうですか。

 

それで、今回はどのようなご用件ですか?

 

わざわざ部室まで。

 

長期の職務でお疲れだというのに……」

 

 

「あははは、薫ちゃんの顔を見たくなっちゃってさぁ。

 

帰ってくるまで待ってようと思ってたんだけど、我慢できなくて。

ごめんね、迷惑だったかな?」

 

 

「いえいえ、そんな滅相もない」

 

 

そんな和やかな姉妹のやり取りを見て、明彦の思考回路はショート寸前にまで追い込まれる。

 

 

(あれが会長のお姉さんで、会長のお姉さんはどこぞの会社の次期社長で……)

 

 

「え゛ええぇぇぇぇぇ!!??」

 

 

何度かその思考を繰り返すと、漸く自分の中で飲み込む事ができたのか、かなり遅れて驚愕の声が部室に響いた。

 

あまりに唐突な叫びに、最初こそ薫の姉に向いていた視線が一斉に声の方へとベクトルを変える。

 

 

「どっ、どうしたの……?」

 

 

隣で耳を押さえながら雪菜が尋ねる。

 

その表情は少し怒っているようにも見えるが、声音には気遣うような優しさがあった。

 

 

「いっ、いや……だって会長のお姉さんが次期社長って……」

 

 

明彦は動揺のあまりか、餌をねだる魚のようにパクパクと口を明け閉めしていた。

 

その発言に雪菜は瞳の大きさを小さくさせた。

 

 

「……もしかして、広瀬君って気づいてなかったの?」

 

 

「なにが?」

 

 

明彦が合点のいかない様子で聞き返すと、彼女は“やっぱりか”といわんばかりに溜め息をついた。

 

 

「お前……マジか」

 

 

「俺でも分かってたぞ……」

 

 

それに次いで驚愕の表情を見せる誠と呆れた様子の奏。

 

美華に至っては心配そうな目線を送ってくる始末である。

 

 

「えっ、え?

 

なに?

 

みんな何を知ってるの!?」

 

 

仲間内で自分だけの知らない共通理解が確立されているという恐怖に、明彦は混乱した様子で視線と顔をあちこちに向ける。

 

 

「アマネコって知ってる?」

 

 

彼が少し落ち着いた頃を見計らって、雪菜が改めて尋ねる。

 

 

「あまねこ……?」

 

 

「アマネコっていうのは私達が経営してる会社の事だよ~」

 

 

はてと小首を捻ったところで薫の姉の声が聞こえてきた。

 

 

「そう、CMとかで見たことない?」

 

 

「あーそれなら知ってるかも……」

 

 

雪菜の言葉で漸く薄ぼんやりではあるがアマネコという社名を思い出す。

 

そもそも最近の彼は暇があるなら勉強するという、高次元な思考に到達しているため殆んどテレビは見ていないのだ。

 

彼にとって「昨日のテレビを見た?」という話題は、とうの昔に縁遠いものとなってしまっていた。

 

 

(あれ?

 

俺の青春ってこんなんでいいのか……?)

 

 

自分の歩む青春に対して猜疑心が生まれたところで、再び薫の姉の声が聞こえてきた。

 

 

「うちの会社はねぇ~、いろんなとこと取引したり、いろんなものを造ったりするする……何て言うの?

 

マルチな会社とか?

 

取り敢えずいろんな業種に精通してる企業なんだよ~」

 

 

(せっ、説明までほわほわしてる……)

 

 

思わずそんな感想を抱いてしまったが、言っていることは大体分かった。

 

 

「なるほど、おっきな会社なんだな」

 

 

「ううん……一応うちって有名企業の筈なんだけどなぁ……」

 

 

ざっくりとした解釈を口にする明彦に、薫の姉は微妙そうな表情を浮かべる。

 

 

「で、その社長が会長のお母さんの天猫院(てんびょういん) 楓(かえで)」

 

 

雪菜は頭痛でもするのか、目頭を押さえながら呟くように説明する。

 

 

「それで私が薫のお姉ちゃんの恵(めぐみ)だよ~。

 

世間では次期社長なんて呼ばれてるわ。

 

まぁ、実際にはお母さんが引退するまではどうなるか分からないんだけどね……」

 

 

「なるほど……会長って凄いんですね……!」

 

 

「まさかそこまでいくのにここまで時間がかかるとはな……」

 

 

誠がやれやれと嘆息めいた呟きを溢す。

 

 

「ところでお姉様」

 

 

「ん?

 

どうしたの?」

 

 

恵の視線が明彦から薫へと移る。

 

 

「お姉様がお帰りになられたということは……その、お母様もご一緒で……?」

 

 

両方の指先を合わせ、もじもじと薫が尋ねる。

 

その様子はさながらアイドルの握手会に参加したファンの如く、不安と緊張、恍惚と歓喜がいっしょくたになったようなものであった。

 

明らかに母親に対するそれとは違う。

 

明彦は少し疑問にも思ったが普段の心酔ぶりを考えると、この反応もまあまあ頷けた。

 

 

「うん。

 

でもまだ仕事が残ってるらしいから、家に帰ってくるのは夕方ぐらいかもね」

 

 

「そうですか……

 

ならば今から帰っておもてなしの準備を……!!」

 

 

薫は壁に掛かっている時計を一瞥すると、少し考えるような間を取ってから慌てて帰り支度を始める。

 

 

「ああ、大丈夫大丈夫。

 

そうゆうのはしなくていいから」

 

 

恵が少しだけ焦った様子で制止すると、彼女の肩がピクリと小さく跳ねた。

 

 

「そう……ですよね……

 

私なんかのおもてなしなど、お母様は必要としておりませんよね……」

 

 

半分程肩に掛けていたスクールバッグが音を立てて床に落ちる。

 

重苦しい空気は静寂を保ったまま教室を埋め尽くし、真綿で首を締められているかのような息苦しさを感じさせる。

 

それ程までに、彼女の背中から滲み出る黒いなにかは深い悲しみを帯びていた。

 

しかし明彦はそれに見覚えがあった。

 

文化祭の時に垣間見えた彼女の闇。

 

それが今、ありありと目の前に広がっていた。

 

少なくとも、明彦にはそう思えた。

 

彼女の抱える闇の深淵にあるのは彼女の母か、姉か、或いはその両方が関わっているのだろうか。

 

そう思うと、明彦の視線は自然と恵の方へと向いた。

 

彼女は今までの柔和な雰囲気とはうって変わって、とてつもない剣幕で歯を食い縛り、目で見て分かる程に固く拳を握り締めていた。

 

が、その表情は陰っていて窺い知ることはできなかった。

 

 

「あの、恵さん……?」

 

 

明彦が恐る恐る声を掛けると、彼女ははっとした様子で我に返ったようだった。

 

 

「へっ?

 

あっ、違う違う!

 

全然そんなんじゃないから!」

 

 

恵は今更ながら慌てた様子で妹の言葉を否定する。

 

その声を聞いて薫がうつ向かせていた顔を上げる。

 

不安そうに歪んだ眉、涙で潤んだ瞳。

 

どれも普段の彼女のからは到底見ることのできなさそうなものであった。

 

それ故に、先程の言葉が彼女にどれ程の衝撃を与えたかが分かった。

 

 

「変な言い方してごめんね。

 

私はお母さんに薫ちゃんを連れてくるように言われたのよ。

 

まぁ、簡単に言うとお迎えだね」

 

 

「しかし、先程は私に会いにいらっしゃったと……」

 

 

「うん、だからこんな早く来ちゃったって訳。

 

やははは、待ちきれなくてさ……」

 

 

恵はそう言うと恥ずかしそうに笑った。

 

 

「そう……だったのですか……

 

すみません、はやとちりをしてしまったようで……」

 

 

「ああうん、気にしないで」

 

 

薫は申し訳なさそうに頭を下げると、姉の返事も聞かず「お母様が……お母様が……」と繰り返していた。

 

 

「あっ、あの……座り、ます……か?」

 

 

ホッと胸を撫で下ろした様子の恵に、奏がおっかなびっくりに椅子を勧める。

 

 

「わぁ、ありがとう」

 

 

恵はパイプ椅子を受けとると、奏の横に置いて展開させる。

 

気を使ってか奏が横にずれると、微笑みを返して彼女は座った。

 

その所作や座った時の容姿などはどれも美しく、やはり良いところのお嬢様なのだなと実感させた。

 

 

「ところでここってどんな部活なの?

 

ニコ研って名前だってことは聞いたんだけど……」

 

 

恵は少しの間ぼうっと薫の方に視線を向けていると、おもむろに部室の中を見回して尋ねた。

 

 

(まぁ略称だけ聞いたらなんの部活かなんて分からないよな……)

 

 

そう思った明彦は、一先ずちゃんとした名前を口にしようと考えた。

 

 

「人間関係及び対人コミュニケーション研究会。

 

それがこの部の正式名称です」

 

 

「えと……それは、つまり……?」

 

 

突然小難しい単語を長々と並べられ理解が追い付かなかったのか、恵がキョトンとした表情で首を傾げた。

 

 

「それは私説明いたします!」

 

 

そんな声を上げながら、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がったのは薫だった。

 

それを見て、今まで彼女の様子をずっと見ていた美華が「あっ、復活した」と呟く。

 

 

「なんか、会長が凄く輝いて見える……」

 

 

「ああ、心なしかつやつやして見えるぞ……」

 

 

ぼそりと呟く雪菜に明彦が返す。

 

彼らの言うように、誇らしげに胸を張る彼女の姿からは先程とは真逆の幸福オーラが溢れ出ていた。

 

そんな二人の呟きなど知るよしもなく、薫は説明を始める。

 

 

「人間関係及び対人コミュニケーション研究会とは、その名の通り良好な人間関係を築き、スムーズなコミュニケーションを得るためにどのようなことをすれば良いのかを研究し、分析し、理解する部活動なのです」

 

 

彼女はさながら演説の如く声高にニコ研とはなんたるかを語った。

 

 

「俺、こんな説明聞いたの初めてなんだけど……」

 

 

「安心して、私も初めてだから……」

 

 

そんな彼女から隠れるように呟く明彦に、隣で聞いていた雪菜が声を潜めて応える。

 

 

「へぇ~ここって凄い部なんだね。

 

普段はどんな活動してるの?」

 

 

一方で恵はニコニコと顔を綻ばせながら質問を続けていた。

 

無論、質問の対象は明彦から薫に移っている。

 

どうやら彼女は妹の言葉に感動を覚えてしまったのか、興味津々といった様子で今度は部室の隅々にまで視線を飛ばしていた。

 

が、なかなか返事が返ってこないために好き放題飛び交っていた視線は行き場を失い、最終的に薫の顔の辺りで落ち着いた。

 

 

「……?

 

どうしたの薫ちゃん」

 

 

呆けた表情で恵が尋ねる。

 

流石に無言のまま放置されることに違和感を感じたのだろう。

 

 

「ああ、ええと……その……」

 

 

薫いい淀みながら下に向けていた視線を泳がせる。

 

あれほど言葉を並べておきながら、今更特になにもしていないなどとは言い出すことはできなかった。

 

 

「いっつも大体こんなもんですよ」

 

 

が、いとも容易く、淡々と誠がそれを告げてしまう。

 

 

「なっ――!?」

 

 

薫が慌てて顔を向けると、彼は特に悪びれた様子もなくノートパソコンのディスプレイを覗いていた。

 

彼女が恨めしいような、裏切られたような表情を浮かべても彼の表情筋は微動だにしない。

 

 

「えと……それは、つまり……?」

 

 

恵が再び困惑した様子で尋ねる。

 

しかし言葉こそ同じではあったが、その声には明らかに不安の色が色濃く浮かんでいた。

 

 

「その……つまり、我々が人間関係や対人コミュニケーションについて研究しているのは、自分達の為でして……

 

百々のつまり私達には正解が分からないのです。

 

故にこうやって日々コミュニケーションを重ね、どういったものが正しいコミュニケーションであるかを模索しているのですが……

 

どうにも上手くいかず……」

 

 

「え~と、つまりここは体のいい隔離部屋ってこと?」

 

 

恥ずかしそうに告げる薫の言葉を聞いてから少しの間を置いて、薫が呟くように言った。

 

 

「おい……お前の姉貴えらいバッサリ斬り付けてくるな……」

 

 

可愛らしく尖らされた口から放たれた致死量の毒に、思わず誠の顔が青ざめる。

 

 

「ああ、流石お姉様といったところか……」

 

 

薫は汗を拭うように顎の下に手の甲を当てると、ごくりと喉を鳴らした。

 

 

「お前なにも分かってないだろ……

 

俺の言ったことも、姉貴の言ったことも」

 

 

「確かに恵さんの言う通りかもしれません。

 

でも私達は私達なりに良好な人間関係を作れるように努力をしています。

 

だから決してここはゴミ捨て場なんかじゃありません。

 

ちゃんと意味を持った部です」

 

 

誠のツッコミに覆い被さるように雪菜が反論する。

 

 

「いや、そこは否定しようよ……

 

ってかさりげなく冬野の方が酷いこと言ってるよね?」

 

 

その後から更に明彦のツッコミが追い掛ける。

 

 

「まぁでも、確かに俺が入部させられた時よりは大分まともになったよな」

 

 

誠がディスプレイを除きながら同意の言葉を口にする。

 

 

「うん、凄く楽しい部活になったと思う」

 

 

それに乗じて美華も同意の意思を示す。

 

 

「……」

 

 

明彦はこの流れで薫が賛辞の言葉を語り出すだろうと思っていたのだが、彼女はぼうっとしたまま口を開く様子はない。

 

 

「どうしたんですか?」

 

 

その様が少し不思議で、明彦は彼女に声をかけた。

 

薫は少し驚いたような顔を彼に見せると、柔らかな微笑みを浮かべた。

 

 

「ああ、いやすまない。

 

少し、この状況を恥じていた自分が小さく思えてしまってな」

 

 

自分から訊いたものの、突然そんな事を言われて明彦の思考回路が暫し凍結してしまう。

 

それを表情で読みとったのか、薫が言葉を継ぐ。

 

 

「比べてることでもなければ、比べる必要性もないのだが、私はどうしてもこの部と他の部を比較してしまうのだ。

 

活動らしい活動をしていないわが部は、ちゃんと部活動として成立しているのだろうか、部活を盾にして自堕落に群れているだけの愚か者なのではないか、と……

 

とりわけ、この部の事を誰かに説明しようとすると、そういった感情が沸き上がってしまう」

 

 

薫はそう告げると、申し訳なさそうに部室の面々を順番に見ていった。

 

 

「でも、それは違うのだな。

 

今こうしていることこそが、ニコ研の活動に他ならない。

 

だがいに良いところや悪いとことろを認め合い、絆を深めていく。

 

それは決して目に見えることではないし、形として残ることもない。

 

だから、恥ずべき事など初めからなにもなかったのだ。

 

ニコ研での活動の成果は、皆の胸に確りと残っていたのだから」

 

 

しんみりと語られた薫の言葉が、明彦の脳内で埋没していた記憶を呼び覚ます。

 

そこから笑いが込み上げてきて、彼は思わず吹き出してしまう。

 

 

「どうした?」

 

 

圧し殺すように笑う明彦に、薫が怪訝そうに尋ねる。

 

 

「いや、すいません。

 

可笑しくって、つい……」

 

 

圧し殺すように笑う明彦に、薫は尚も訝しく視線を向ける。

 

 

「だって会長、俺が最初にここに来たときに同じようなこと言ってましたよね?

 

なのに今、まるで天啓でも受けたみたいに言うんですもん」

 

 

明彦はふうと息を整えると、無言の問い掛けに答える。

 

薫は少し驚いたような顔を見せると、恥ずかしそうに頬を朱に染めた。

 

 

「べっ、別に笑うこともなかろう」

 

 

彼女は思わず明彦から顔を背けてしまうが、ふっと鼻で息吹いてから微笑みをたたえ、おもむろに視線を戻す。

 

 

「確かに私は同じ言葉を口にしたかもしれない。

 

だが、その意味は違う。

 

きっと……いや、確かに、昔よりもこの言葉は質量を持っている筈だ。

 

まぁ、それでもまだ欠陥だらけで軽々しいものかもしれないが……」

 

 

薫はいい終えると、ハッとした様子で慌て出した。

 

 

「えっ、ええと、その、つまりなにを言いたいのかというとだな……

 

昔よりもずっと、この部の事が好きになったということだ。

 

それを今、再確認した」

 

 

最初こそ困ったような表情であったが、言葉尻ではすっかりいつもの凛々しく快活な笑顔が彼女の顔を埋め尽くしていた。

 

 

「私も、好きだよ。

 

薫ちゃんと一緒で、この部が大好き」

 

 

美華が机に身を乗り出してにかっと笑いかける。

 

 

「俺もだぜ、会長。

 

この部が大好きだ」

 

 

「私も、好き

 

前よりもっと、この部が、好き」

 

 

まるで水面に広がる波紋のように、薫の言葉が、気持ちが、部員達に伝播していく。

 

 

「俺も、この部が大好きです」

 

 

「まぁ、俺も帰宅部よりはましかなとは思ってる」

 

 

そしてそこに明彦と、少しひねくれた誠の言葉が続く。

 

 

「いい、部活なんだね」

 

 

今はもう安堵に満ちた表情の恵が呟く。

 

ニコ研についての説明は曖昧で大雑把で不明瞭なところもあった。

 

しかし、今の彼等の言葉を、態度を、表情を見れば、細かい説明なんて不要であった。

 

だからこそ恵は素直にそう思ったし、薫も真っ直ぐにこう答えるのだ。

 

 

「ええ、とても素晴らしい部活です」

 

 

恵は柔らかな微笑みを浮かべると、思い出したように腕時計に目を向けた。

 

 

「うん、そろそろいい時間だね。

 

そろそろ行こっか」

 

 

彼女はそう言うと長い髪を耳にかけ、音もなく立ち上がる。

 

 

「あっはっ、はいっ!」

 

 

それに対し薫は緊張しきった様子で、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。

 

 

「あははは、そんな緊張しなくて大丈夫だよ~」

 

 

「はっ、はいっ!!」

 

 

和やかに笑う恵に対し、ロボットの如くぎこちない動きを見せる薫。

 

 

「じゃ、行こっか」

 

 

隣に来た妹にそう告げると、薫がくるりと体を回転させ、明彦たちの方へと体を向けた。

 

 

「じゃぁまた明日……」

 

 

そう言いながら右手を少し上げる彼女の動作はさながら、長年手入れもされずに放置されていた機械のようだ。

 

薫はまたくるりと体の向きを変えると、姉と一緒に部室を後にした。

 

 

「かっ薫ちゃんのお母さんってやっぱり怖いのかな……?」

 

 

ばたりと反響したドアの音が消えると、美華が少し怯えたような声色で尋ねた。

 

 

「社長ってなんか厳しそうだよね」

 

 

「うんまぁ確かにそうゆうイメージはあるけど」

 

 

雪菜が呟いた言葉に明彦が応えていると、偶然これから彼が言おうとした台詞を誠が先に口にした。

 

 

「でもあいつを見る限りだとそんな感じゃねぇだろうな。

 

母親が呼んでたって言われた時の顔見たか?

 

すげぇ嬉しそうだったぞ?」

 

 

「ああうん、たしかにそうだったね」

 

 

彼の言葉に、美華が思い出したように頷く。

 

 

「きっと、いや、やっぱり、会長はお母さんが大好きなんですね」

 

 

明彦がそう言うと、美華が「そうだねー」と返す。

 

しかし明彦は自分で放った言葉を、自分自身で呑み込むことが出来なかった。

 

たしかに薫はは母親の事が大好きなのだろう。

 

しかしそれは敬愛か、恩愛か、親愛かそれとも信愛か。

 

はたまた愛とは違うなにかなのか。

 

そんな疑問が明彦の脳内にこびりついて離れない。

 

彼女が部室から出ようとする間際、最後に体の向きを変えたその振り向きざま。

 

ちらりと見えた彼女の表情が、酷く悲し気で、切なそうだったから。

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