表情ひとつ変えないチート美少女を号泣させるのが癖です   作:美少女仮面

1 / 4
転生者

 目が覚めた瞬間、あまりの静けさに、まず「耳がおかしくなったんじゃないか」と思った。

 

 どこにも、音がなかった。

 

 人の話し声も、車の走行音も、エアコンの低いうなりも、スマホの通知音も、何一つ—─まるで世界が一瞬で電源を落としたかのように、すべてが停止していた。

 そして次に目に入ったのは、あまりにも青すぎる空だった。

 どこまでも透き通っていて、雲ひとつない。

 その青の深さは、現実味をまるで持っていなかった。

 まるで誰かが理想の空を描いたみたいな、フィルター越しの世界。

 少し首を起こして、あたりを見渡した。

 広大な草原が広がっている。

 風はやわらかく、草の香りは新鮮で、目を刺すような日差しもなかった。

 ……まるでゲームのオープニングの中に放り込まれたような景色。

 

「ここ……どこだ?」

 

 とっさに立ち上がろうとして、身体に違和感を覚えた。

 制服──高校のブレザーと、緩んだネクタイ。

 右手にはスマートフォン。

 画面には電源が入っていたが、タップしても反応しない。

 時計は12:00で止まったままで通知も来ないし、電波も掴んでいない。

 そもそもバッテリーの表示すら変わらない。

 

 まるで——これはもう“道具”ではなく、ただの“記憶の残骸”だ。

 

 と、そのときだった。

 

「……目覚めたな、選ばれし転生者よ」

 

 声が頭の中に直接響いた。

 耳ではなく、脳に直接届くような乾いた感情のない声。

 まるで自動案内システムみたいな無機質さだった。

 俺は思わず後ろを振り返るが、そこには誰もいない。

 

「使命を伝える。この世界の勇者──セリカ・ルミナリアの魂を、救済せよ」

「勇者……? 魔王を倒せじゃなくて?」

 

 思わず口に出した疑問に、声は答えない。

 ただ淡々と、告げられるだけだった。

 

「セリカは世界の希望である。しかしその魂は壊れかけている。このままでは、世界は救済を失う」

「……それってつまり、心が死んでるってことか?」

「解釈は任せる、方法も任せる。君は“観測者”であり、“介入者”だ」

 

 そう言って、声は途絶えた。

 一瞬で、世界がまた静かになる。

 風の音と、草のざわめきだけが残った。

 俺は、ぼんやりと青い空を見上げたまま、考える。

 

 これが、俺の「転生の理由」か? 

 

 選ばれた理由なんて知らない。

 俺自身、特別な人間じゃなかった。

 勉強も運動も中の中、友達も数人いるけど特に目立った存在じゃない。

 けれど、なぜか思った。

 

 ──救えるなら、救いたい。

 

 名前も知らない、顔も知らない、けれど“魂が壊れかけている勇者”という存在に、妙な親近感を覚えた。

 

「よくわからんが、放っとけねえよな……」

 

 スマホをポケットにしまい、俺は歩き出した。

 歩く先も、進む理由も、行くべき場所も、何ひとつ知らなかった。

 でも、あの“声”が告げた名だけは、妙に耳に残っていた。

 

 ——セリカ・ルミナリア。

 この世界の勇者、世界の希望。

 そして、壊れかけた魂の持ち主。

 そんな彼女に、俺は出会いに行く。

 

 終わらせるためじゃない。

 ——始めるために。

 

 

 ◼️

 

 

 彼女を初めて見たとき、俺は「ああ、これが“勇者”なんだな」と思った。

 それは俺が想像していたよりも、ずっと美しく、ずっと冷たい存在だった。

 場所は小さな街の外れ。

 魔物の群れが突然出現し、町の防衛線を突破しかけていた。

 俺はその時、まだ冒険者ギルドの見習い登録も済んでいない、いわば「転生して三日目の素人」だった。

 戦えるわけもなく、ただ茂みの陰で息を潜めて誰かが来るのを願っていただけ。

 

 そして、そこに彼女が現れた。

 

 風と共に、ふわりと舞い降りるように、銀のマントを揺らしながら。

 地を蹴る音もなく、まるで月光がそのまま人の形を取ったように、静かに、そこに立っていた。

 

「大丈夫ですよ。今、片づけますから」

 

 微笑みと共に、そう言った。

 その声は、耳元で優しく囁くような響きだった。

 安心させるために調整されたトーン、完璧な口調。

 非の打ち所がない柔らかさ。

 だがその直後、彼女の手が伸び、剣が空を裂いた。

 

 一閃。

 

 巨大な魔物が声もなく崩れた。

 その動作はまるで呼吸の一部だった。

 殺すことに、何の迷いも苦痛もなかった。

 まるで、ただの作業のように。

 続けて、彼女は淡々と敵を屠っていく。

 炎の魔獣、鋼鉄の甲殻を持つ獣、飛びかかる影の群れ……全部が、彼女の剣の前では無意味だった。

 数分で街を包囲していた魔物は一匹残らず地に伏した。

 

 血も飛ばない、悲鳴もない。

 ただ静かに、“勇者”は、戦場を終わらせていた。

 そしてふと振り返ると、彼女は俺の方を見た。

 

 目が合った。

 

 あまりにも整いすぎた顔だ。

 白磁のような肌、翡翠のような瞳、銀の髪。

 

「怪我はありませんか?」

 

 優しい声だった。

 誰にでもかけるような、安心させる音色。

 でも——俺は思わず目を凝らした。

 その瞳の奥に、“焦点”がなかった。

 何も見ていないのに、見ている。

 笑っているのに、心が動いていない。

 

 ——心が死んだ人間の目だ。

 

 表情も言葉も、全てが「人を安心させるための演技」だ。

 だから、俺は直感した。

 この人は、ずっとこうして生きてきたんだ。

 微笑んで、傷つかないように振る舞って、世界を納得させるように優しくあって。

 そうやって、自分の“感情”を置いてけぼりにしてきたんだ。

 

 その夜、街の人々は彼女を讃えた。

「救世の光だ」「神の娘だ」「この人がいれば世界は大丈夫だ」と。

 セリカは、にこやかに応じていた。

 

「いえ、私なんてまだまだです」

「皆さんの協力があってこそです」

 

 そう言って、完璧な受け答えをする。

 そのすべてが、清らかで、美しかった。

 でも、俺はそのたびに、喉の奥が冷たくなっていった。

 あの目の奥には、恐怖も喜びも怒りも、何ひとつない。

 そこにあるのはただ、淡々と“役割”を果たすために残された「勇者の器」。

 

「この人は……今、ちゃんと生きてるのか?」

 

 ふと、そう思った。

 存在しているのに、生きていないような気がした。

 だからその夜、勝手だとは思ったけど俺は決めた。

 俺はこの世界に呼ばれたんじゃない。

 世界を救うために来たんじゃない。

 

 この“誰かが勝手に決めた役割”に、押しつぶされてしまった彼女を——

 救うために来たんだ。

 

 世界がどうなろうが関係ない。

 魔王なんかどうでもいい。

 俺はただ、この優しくて柔らかい“仮面”の裏にある、ほんとうの彼女の声が聞きたかった。

 

 

 勇者一行の荷馬車の後ろに乗り込んだ時、俺の荷物は文字通り、身一つだった。

 

 いや、正確に言えば干し肉と安物の水筒、それに見習い登録証。

 剣もなければ魔法も使えない。

 生き延びるために必死でかき集めた最低限の荷物だけが、俺とこの世界とのつながりだった。

 

 そんな俺を、彼女は快く迎え入れた。

 そう、“快く”——あくまで仮面のように完璧に、だ。

 

「あなたも旅をしているのですね? ならば、しばらくご一緒しましょう」

 

 その時の彼女の笑顔は、まるで聖人のそれだった。

 誰にでも平等で、優しくて、決して拒絶しない。

 だが同時に、それは決して「こちらの内側に踏み込ませない」防御壁でもあった。

 

 傍にいても、どこか遠い。

 その感覚は、しばらく経っても変わらなかった。

 

 

 ◼️

 

 

 勇者パーティーには、確かな“空気”があった。

 

 表面的には明るく、調和が取れているように見える。

 誰もが礼儀正しく、常に勇者に敬意を払っていた。

 

 ──そう、“常に”。

 

 それはまるで、セリカに向けられる言葉がすべて「王族に話しかけるときの丁寧語」であるかのような、不自然な距離を保った会話だった。

 彼女が微笑みながら指示を出すと、皆は一糸乱れず動く。

 魔導師のアゼルは沈黙を貫き、剣士のランガはまるで自分の意志が存在しないかのように従い、聖女ミリィはことあるごとにセリカを讃える言葉を口にした。

 

 まるで、ひとつの儀式を見ているようだった。

 

 それはまさに、「勇者セリカという神話の維持」のために、全員が一役買っているような雰囲気だった。

 その空気に、俺は耐えられなかった。

 

「セリカ、今日の飯、焼きすぎじゃない?」

「ふふ、そうかもしれませんね。慣れない火加減で……ごめんなさい」

 

 俺の冗談に、彼女は笑って答えた。

 でも、その笑顔は妙に“正確すぎる”笑顔だった。

 表情筋の動きに、ため息すら混ざらない。感情の“にじみ”がない。

 完璧すぎる反応は、むしろ心の不在を強調する。

 

 俺は、わざと空気を壊した。

 くだらない冗談を言ったり、時にはミリィに怒られるような軽口も叩いた。

 皆から白い目で見られることもあった。

 でも、構わなかった。

 だって、そのたびに——セリカが、一瞬だけ迷うんだ。

 微笑む前に、ほんの僅かに目が揺れる。

 言葉を発する前に、一瞬、眉間に微かな皺が寄る。

 

 その“迷い”こそが、彼女の生きている証だった。

 

 他の誰もが仮面の彼女だけを見ている中で、

 俺だけが、その裏の“揺れ”を見た。

 たとえ誰も気づかなくても、俺はその僅かな違和感を逃さなかった。

 

 

 

 ある日、パーティーが村に滞在していた夜のことだった。

 ……セリカは一人、焚き火の傍に腰掛け、剣を磨いていた。

 その姿は、絵画のように美しかった。

 月明かりが銀髪に差し込み、静かに火の粉が舞う。

 完璧で、静かで、そして——孤独だった。

 

 俺は隣に座った。

 何も言わずに、少しだけ距離を取って。

 しばらくして、彼女がぽつりと呟いた。

 

「……今日は、月が大きいですね」

「そうだな。でもちょっと欠けてる」

「ええ。……そうですね」

 

 その返答に、妙な虚無感があった。

 それは、感想じゃない。

 ただ“会話として正しい返し”をしているだけ。

 俺は、言葉を選びながら口を開いた。

 

「セリカさ。お前って……誰かに頼ったこと、ある?」

 

 彼女は動きを止めた。

 焚き火の光が、揺れた。

 

「私は……勇者ですから」

「勇者は頼っちゃいけないの?」

「……誰かを守る存在が、誰かに支えられていたら、皆は安心できません」

「それ、お前が思ってるんじゃなくて……周りがそうあってほしいって思ってるだけだろ」

 

 セリカは何も言わなかった。

 ただ、静かに視線を落とし、剣の刃に映る自分の顔をじっと見つめていた。

 その目は、まるで自分という存在を他人事のように眺めているようだった。

 俺は、その時ようやく確信した。

 この人は……ずっと、自分を「他人として生きている」。

 誰かの願い、誰かの理想、誰かの希望。

 そういった“誰かの想像した勇者像”に、自分を合わせ続けて、

 気づけば自分自身の“声”を、完全に見失ってしまっている。

 それを「強さ」と呼ぶのは、間違ってる。

 俺は、セリカの横顔を見ながら、そっと呟いた。

 

「俺は……お前に、自分の言葉で喋ってほしい」

 

 セリカは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、目を見開いた。

 だがすぐに、いつもの柔らかな笑顔に戻った。

 

「ふふ。……ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで、私はとても救われます」

 

 違う。

 そうじゃない。

 でも、今はこれが限界なんだ。

 彼女の“仮面”は、思った以上に分厚くて、長くて、そして丁寧に塗り重ねられている。

 それを壊すには、まだ足りない。

 俺は諦めなかった。

 絶対に——この仮面の下にある“本当のセリカ”に、辿り着いてみせる。

 

 それが、ここに来た意味だから。

 

 

 

 その日、空はまるで地上の色を映したように灰色だった。

 朝から天気は崩れがちで、風は重く、湿った冷気が肌にまとわりつく。

 俺たちは山間の細い街道を進んでいた。

 敵襲の気配はなかったが、空気の緊張感は晴れなかった。

 こんな天気の日は、彼女の「仮面」がより一層よく映える。

 

 セリカはいつも通りだった。

 控えめに口元を笑みの形に保ち、周囲に柔らかい声を配り、何事にも動じない。

 

「今日の昼食は、少し甘めのパンでしたね。ミリィさん、お口に合いましたか?」

「もちろんですわ、セリカ様。あの甘さ、まさに癒しの味でした」

 

 その声には、まるで子供が母親を褒めるような温度があった。

 言葉自体は敬意に満ちていたが、その実、「あなたはそうあるべきだ」という無意識の命令が含まれているように聞こえた。

 セリカはいつも通り、その期待を完璧に演じきってみせる。

 

「それはよかったです。もしもう少し時間があれば、お茶も添えたかったのですが……」

 

 優しい。

 丁寧。

 完璧な受け答え。

 誰が見ても、非の打ちどころがない「勇者」だった。

 だが、そのやりとりの間——ほんの刹那。

 彼女の目が空を泳ぐのを、俺は見逃さなかった。

 

 誰もいない“外”を見ていた。

 会話の輪の中にはいても、魂はそこにいなかった。

 

 ──まるで、自分がここにいることすら信じていないかのように。

 

 それが、「勇者セリカ・ルミナリア」の正体だった。

 

 

  ◼️

 

 

 夜、焚き火を囲んで夕食を取ったあと、俺は彼女を呼び止めた。

 

「セリカ、少し散歩しないか?」

 

 彼女は一瞬、意外そうに瞬いたが、すぐに笑顔で頷いた。

 

「……ええ、少しだけなら」

 

 森の外れまで来たところで、俺は切り出した。

 

「……お前さ、ずっと勇者を演じてるよな」

「……ふふ。何のことでしょう?」

 

 それは、微笑みというより“形式”だった。

 目元は笑っていない。ただ、口角が上がっているだけ。

 俺は立ち止まり、彼女の前に向き直った。

 

「人に気を使ってばかりだ。嬉しいとも、楽しいとも、本当は思ってないのに、笑ってさ」

「……」

「辛くても泣かない、怖くても平然とする。“勇者”として振る舞い続ける。それが正しいと思い込んでるように見える」

「……そうしなければ、誰がこの世界を守るのですか?」

 

 その声には、はっきりと「怒り」があった。

 けれど、それ以上に恐ろしかった。

 そこにあったのは、「完全な諦め」だった。

 

「私は、望まれている“勇者”を演じることでしか、ここに存在できないのです。誰かを救えば、誰かが笑う。ならば、それが私の価値です」

 

「違う!」

 

 思わず声を上げていた。

 

「それは……“優しさ”じゃない、ただの“偽物の優しさ”だろ。お前がそうやって自分を殺してまで誰かを助けたって、そこに“お前自身”がいなきゃ、意味ないだろ!」

 

 セリカは、静かに俺を見つめ返した。

 

「意味……」

「そうだ。お前が笑ってるから、皆が笑うんじゃない。お前が“心から”笑ってるから、皆が嬉しくなるんだよ」

「……私は、笑い方を忘れました」

 

 その呟きは、風に消えそうなほど小さかった。

 

「本当の笑い方を、もう……ずっと、思い出せないんです」

 

 その瞬間、彼女の瞳が、ほんの僅かに揺れた。

 けれど、それでも彼女は“勇者の仮面”を脱がなかった。

 俺はわかった。

 この人の仮面は、周囲が与えたものでも、神が押しつけたものでもない。

 彼女自身が選び、削り、磨き、長い年月をかけて固めた“鎧”だ。

 それを砕くには、まだ何かが足りない。

 でも、確かに“ひび”は入った。

 わずかに揺れた心が、確かにそこにあった。

 俺は、そのひびを——

 これからも、絶対に見失わない。

 この世界で、たった一人だけでも。

 本当のセリカを見ている人間がいる限り。

 

 

  ◼️

 

 

 魔王城は、空に浮かんでいた。

 瘴気に染まった漆黒の塔。終末の象徴。

 その姿は、まるでこの世界の“死”そのものを具現化したかのようだった。

 城の周囲には、雷のように軋む雲と、飛び交う瘴気の竜。

 天と地の境すらもあいまいになっていくような、歪んだ空間。

 そこへ向かう道のりは、想像を絶する戦いだった。

 けれど、そのすべてを、彼女は無言で越えていった。

 一言も弱音を吐かず。

 一滴の汗も見せず。

 いつも通りの微笑を崩すことなく。

 

 それが——怖かった。

 

 誰もが疲労困憊する中で、

 ただ一人、セリカだけが“人間”であることをやめていた。

 

「セリカ、お前……今、何を感じてるんだ?」

 

 最深部手前の静かな回廊で、俺は問いかけた。

 彼女は振り返って、柔らかく微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ。少し疲れただけです」

 

 その声は優しかった。

 まるで、俺が幼い子供であるかのように。

 でも、わかっていた。

 その声に“生”はなかった。

 感情を込めることすら忘れてしまった誰かが、「感情とはこういうものだ」と記憶から引っ張り出した“音声”だった。

 彼女はすでに限界だった。

 心は、ずっと前に壊れていた。

 それでも、止まらない。

 

 止まり方が、わからない。

 

「これが、最後の戦いです」

 

 城の最上階、玉座の間にたどり着いたとき、セリカはそう言った。

 その言葉に、どこか“終わらせたがっている”響きがあった。

 そして、魔王が姿を現した。

 巨大な体躯。黒い炎。地を穿つ咆哮。

 だがセリカは、一歩も引かずに言った。

 

「……あなたは、もう終わりです。私は、あなたを許さない」

 

 そして、笑った。

 

 その笑顔は、神聖で、美しくて——空っぽだった。

 

 

 

 決戦は壮絶だった。

 セリカの剣は閃き、魔王の咆哮を切り裂き、黒い魔力を光で貫いた。

 あらゆる攻撃を読み切り、あらゆる絶望をねじ伏せる。

 神の祝福と、人の願いを背負った剣が、魔王の心臓を撃ち抜いた瞬間——

 

 世界は静寂に包まれた。

 闇が晴れ、空が青く染まっていく。

 誰もが息を呑んだ。

 そして、神の声が再び響いた。

 

「勇者セリカ・ルミナリア。使命は果たされた」

「器としての役目は完了。魂は解放される」

 

 ……待て。

 

 何を言っている? 

 

「汝の存在は、世界の安定に寄与した。よって、役目を終えた器は消滅し、力は次代へと継承される」

 

 俺は——本能で理解した。

 

 これが、彼女の「終わり」だ。

 

 光がセリカの体を包む。

 彼女の姿が、粒子のように崩れ始める。

 笑顔のまま、まるでそれが当然であるかのように。

 俺は叫んだ。

 

「やめろ!!」

 

 走る──叫びながら、足が震えても、心臓が焼けそうでも、それでも走った。

 

「お前は、もう十分だ! もう戦わなくていい! もう誰かの“器”じゃなくていいんだ!!」

 

 セリカは——微笑んだ。

 

「……ありがとう。優しい人」

 

 その声は、なぜだろう。

 涙が出そうになるほど、空虚だった。

 

「私は……生まれたときから、“選ばれて”いたんです。力を持っていた。使命があった。だから……“死ぬまで誰かのために”と、そう決めていました」

「そんなの間違ってる!!」

「……いいんです。私はもう、十分に頑張ったと思います」

「違う!! それは“諦め”だ!」

 

 俺は彼女の肩を掴んで、叫んだ。

 

「俺は……お前に、生きてほしいんだよ!」

 

 その瞬間、彼女の目が——揺れた。

 

「……どうして、そんなことを……」

「俺が、そう思ったからだよ。俺が、お前を“救いたい”って思ったからだ。誰のためでもない……お前自身の“心”が、ここにあるって信じたからだ!」

 

 そして——

 

「あ、ぅ」

 

 セリカが、。

 初めて、俺の目の前で。

 

「……助けて」

 

 その声は、震えていた。

 

「もう、わからない……どうしたらいいかも……何をすれば褒められるのかも……何を望めばいいのかも、わからない……」

 

「でも……でも……」  

 

 その、瞳は。

 

 

「——生きたい……っ!!」

 

 その言葉を、

 あの完璧だった勇者が、

 あの誰の声にも染まらなかった彼女が、

 涙で顔をくしゃくしゃにしながら叫んだ。

 

 その瞬間、光が止まった。

 神の声が、かき消えた。

 理由は、分からない。

 あるいはどうでも良い事なのかもしれない。

 崩れかけていた体が、もう一度この世界に“引き戻された”。

 そして、彼女は——ただの“ひとりの少女”として、その場に膝をついた。

 

 仮面は、完全に砕け散った。

 

 それは、世界の終わりじゃなかった。

 彼女にとっての、“本当の始まり”だった。

 

 

  ◼️

 

 

 あの戦いから、三年が経った。

 

 世界は、驚くほどあっさりと“日常”に戻った。

 魔王の脅威が消え、空は澄み、森には鳥が戻り、村々の市場はにぎわいを取り戻した。

 

 勇者セリカ・ルミナリアは——いなかった。

 

 少なくとも、人々の前からは。

 彼女の存在は、世界に刻まれた“神話”として語られ続けている。

 だがその神話の終わりは、誰にも語られない。

 世界を救ったその英雄が、いまどこで、何をしているのか。

 それを知っているのは、ほんの一握りの人間だけだ。

 

 ……たとえば、いま俺の隣で草をむしっている、このボサボサ頭の女の子とか。

 

「ちょっと待って、これ本当に薬草なの? 雑草じゃない?」

「大丈夫。似てるけど匂いが違うから」

「嘘だ。お前も今“どっちだっけ”って顔してたぞ」

「……気のせいです」

 

 小さな畑、小さな村、小さな暮らし。

 セリカは今、“普通の女の子”としてここで生きている。

 あの光も、剣も、使命も、戦場も、もう必要ない。

 目覚ましをかけて、朝に起きて、土に触れて、昼にご飯を食べて、眠たくなったら昼寝をする。

 隣人と挨拶を交わして、夕方には焚き火を囲んで話す。

 

 たったそれだけの、でも——今まで一度も手に入れたことがなかった日々。

 

「……ふふっ」

 

 セリカが笑う。

 声を出して、自然に。

 

 演技ではなく、本当の“笑い”だった。

 

「なに笑ってんだよ」

「……ちょっとね。幸せだなって思っただけです」

「突然どうした、風邪か?」

「違います」

「……重症かもな。人生で初めて“生きてる”って実感してる病だな」

「……うん。そう、かも」

 

 一拍おいて、彼女はぽつりとつぶやいた。

 

「私ね、あのとき死ななくて……よかった」

「……」

「死んだ方が楽だって、ずっと思ってた。誰も悲しまないし、むしろ称えられて終わるなら、それが一番綺麗だって」

「うん」

「でも、今なら、あの時叫べた理由がわかる。私はあの瞬間——“死ぬ”のが怖かったんじゃない。“自分のことを、自分で決めずに終わる”のが怖かったんだ」

 

 彼女の目は、遠くを見ていた。

 でもその視線の先には、もう“誰かの期待”も“神の声”もなかった。

 

 ただ、静かな草原と、揺れる木々と、吹き抜ける風があるだけ。

 

「今はね、毎朝思うの。“今日も生きたい”って」

 

 それは、小さな願いだった。

 でも、誰かに命じられた使命ではなく、彼女自身が“選んだ”言葉だった。

 俺は、その声が聞けただけで、もう満足だった。

 世界を救うとか、そんな大仰なことはどうでもよかった。

 ただ、彼女が生きていて、笑ってくれて、

 そして時々、泣けるくらいの心を持っていてくれたら。

 

 それで、いい。

 

「……なあ」

「はい?」

「このあと暇?」

「畑仕事終われば、少しは」

「じゃあさ、丘の向こうまで行こう。いつもと違う道を歩いてみたい」

「……いいですね。それ、たぶん、すごく大事なことな気がします」

 

 俺たちは立ち上がった。

 

 手を伸ばせば、触れられる距離。

 けれど、どちらも手を伸ばさない。

 

 それでも、もう不安はなかった。

 

 繋がっているとわかっているから。

 

 今日を生きること。

 明日を望むこと。

 

 そんな小さな「普通の願い」を、勇者と転生者は手に入れた。

 

 世界の外で——

 ようやく、ひとりの人間として。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。