表情ひとつ変えないチート美少女を号泣させるのが癖です   作:美少女仮面

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彼女

 この世界に生まれた瞬間から、私は“選ばれて”いた。

 

 赤子だった私の手には、神聖術式の紋章が浮かび、誰の教えもなく“加護”が発動した。

 村人たちは震えながらも喜び、巫女は涙を流して拝んだ。

「救世の光が、ついに現れた」と。

 私は、「そうなるように生まれてきた」存在だった。

 否定される余地など、最初からなかった。

 

 私には力があった。

 剣を握れば風が裂け、魔法を唱えれば空が光る。

 学びも訓練も、まるで何かに導かれるように吸収できた。

 

 でも、“私”という人間は、誰も教えてくれなかった。

 

 何が好きで、何が嫌いで、どんな未来を望むのか。

 誰もそれを聞かなかった。

 だから、私も考えなかった。

 だって、皆が笑っていたから。

「ありがとう」「すごいね」「君なら世界を救えるよ」

 そう言われるたび、私は一歩ずつ“勇者”になっていった。

 誰の疑問もなく、誰の反対もなく、

 私は、「そうあるべき自分」に形を整えていった。

 

 そのうちに——自分が何を感じているのか、わからなくなった。

 

 

  ◼️

 

 

 感情を捨てたつもりはなかった。

 でも、扱いきれなかった。

 憎しみ。恐怖。悔しさ。虚しさ。

 それらを見せた瞬間、誰かが悲しそうな顔をするのが、怖かった。

 だから私は“勇者らしく”あることを、最優先にした。

 

「怖くないですよ。私がいますから」

「安心してください。全部、私が引き受けます」

「私に任せてください。皆さんの未来のために」

 

 そのたびに、周りは安堵した顔をしてくれた。

 ああ、これが正解なんだ。

 私は、こうやって生きていくべきなんだ。

 そうやって何年も過ごした。

 その結果——私は、心の声を失った。

 

 泣きたくても、涙が出ない。

 笑っても、何も感じない。

 嬉しくても、どこか冷めている。

 それでも、私は笑い続けた。

 だって、“勇者”なんだから。

 

 

 

 そんな私の前に、ある日、彼が現れた。

 最初はただの旅人。

 料理が得意で、手先が器用で、やたら軽口を叩く、奇妙な少年。

 彼は、私に言った。

 

「セリカ、たまには自分の好きなもの、食べたら?」

「疲れてる時は、休んでもいいんだよ」

「無理して笑うの、やめてもいいんじゃないか?」

 

 その言葉を聞くたびに、胸が痛んだ。

 

 本当は、認めたくなかった。

 こんなにも、私は“生きる”ことを演じていただけだったのかと。

 でも、それは確かに——私の“仮面”を揺らす声だった。

 あの人だけは、私の目の奥を見ていた。

 どれだけ完璧に振る舞っても、彼は何度も言葉を投げかけてきた。

 それが、怖かった。

 でも、ずっと……ずっと、嬉しかった。

 

 私は、「勇者として生きる」と決めたわけではなかった。

 ただ——そう“期待された”だけだった。

 

 大人たちは、私に畏敬の眼差しを向けた。

「お前の力は祝福だ」「神の加護に選ばれたんだ」

 そう言って私を祭壇に上げ、特別な服を着せた。

 

 同年代の子たちは、私を避けた。

「すごいね」「かっこいいね」——そんな言葉はあっても、誰も私の横に座ってはくれなかった。

 

 おままごとに誘われたこともない。

 鬼ごっこで手をつながれたこともない。

 友達、という言葉は、いつからか他人のものでしかなかった。

 

 だから私は、気づかないうちに“仮面”をつけた。

 心を隠し、感情を整え、周囲が望む「勇者」の形に自分を収める。

 それは痛みがない生き方だった。

 期待を裏切ることもなく、嫌われることもない。

 

「ありがとう」と言われ、「さすが」と褒められ、「お前がいれば安心だ」と頼られる。

 ……それだけで、私の価値は満たされた。

 

 はずだった。

 

 でも、心の奥のどこかで、いつも「これでいいの?」という声が響いていた。

 誰にも言えなかったけど。

 

 

 

  ◼️

 

 

 彼に初めて会ったとき、その声が少しだけ大きくなった。

 

「飯、焦げてるよ」

「うまいけど……味、濃くないか?」

「お前、休んでねえだろ。顔色ヤバいって」

 

 彼の言葉は、どれも無遠慮だった。

 まったくもって“勇者への敬意”なんてものがない。

 最初は、戸惑った。

 私に向かって、そんな風に話しかけてくる人間なんて、いなかったから。

 でも……嬉しかった。

 彼は、私を“勇者”じゃなく、“セリカ”として見てくれていた。

 完璧じゃないことを、責めなかった。

 仮面の裏にある弱さを、引き出そうとしてくれた。

 彼の言葉が重なるたびに、私は“演技”のタイミングを一瞬だけ遅らせてしまった。

 

 笑う前に、迷う。

 返す言葉を選ぶ前に、心が揺れる。

 それを彼は、見逃さなかった。

 むしろ——嬉しそうに笑った。

 

「お前、ちゃんと人間なんだな」

 

 その言葉が、どうしようもなく温かかった。

 

 

 

 私の仮面は、誰にも剥がせなかった。

 神の声すら届かないほど、頑丈に貼り付けていた。

 でも、彼は違った。

 彼は、仮面を壊そうとしたのではない。

 その奥にいる私に、毎日、声をかけてくれた。

 

「お前が何を思ってるのか、知りたい」

「苦しいときは、苦しいって言っていい」

「それが、当たり前なんだよ」

 

 私は、心のどこかでそれを望んでいた。

 けれど……怖くて、踏み出せなかった。

 本音を言えば、全部壊れてしまう気がした。

 優しさも、信頼も、絆も、演技で保っていたもの全てが。

 だから私は、今日も微笑む。

 きちんと礼儀正しく。丁寧に。

 仮面を、崩さないように。

 でも、彼がいる限り——私は、きっと少しずつ変わっていく。

 

 怖くても、心が疼いても。

 私という存在が、誰かにとって“それでいい”と言ってもらえるなら。

 仮面の裏から、ほんの少しだけ顔を出してみよう。

 

 ……いつか、きっと。

 

 

  ◼️

 

 

 “勇者”という役目は、常に静かだった。

 どれだけ血が飛び散っても、叫び声が響いても、心の内は波一つ立ててはいけなかった。

 戦場では、動揺する者が死ぬ。

 だから私は、どんなときも冷静だった。

 泣いている子供に微笑み、瀕死の仲間に手を差し伸べ、絶望に満ちた村を静かに歩いた。

 そのたびに、「勇者様」と呼ばれた。

 そのたびに、「あなたがいてくれてよかった」と抱きしめられた。

 そのたびに——私は「それでいい」と、自分に言い聞かせた。

 

 だけど、心の底にはいつも、

 言葉にできない何かが、静かに沈んでいた。

 それは、怒りだったのか。

 哀しみだったのか。

 それとも、ただの空虚か。

 わからなかった。

 わかってしまったら、立っていられなくなる気がして。

 

 あの人と旅を重ねるうちに、その沈黙が少しずつ崩れていった。

 彼は、私の“演技”に反応しなかった。

 作った笑顔には、眉をひそめる。

 優等生の返事には、「それで?」と首を傾げる。

 完璧な戦いぶりには、「すごいけど、楽しいか?」と訊ねる。

 

 彼は、私を「正しく」扱ってくれなかった。

 だけど、私はそれが、嬉しかった。

 ——私は、誰かに“扱われた”ことがなかったから。

 皆、私を“信仰”していた。

 でも、彼は“人間”として見てくれた。

 

 最初は戸惑いだった。

 次に、苛立ちが来た。

 そして、心が揺れ始めた。

 

 ある夜、焚き火のそばで、彼が訊ねた。

 

「セリカ、お前、好きな色ってある?」

 

 とっさに答えられなかった。

 

 私は、“正解”を探した。

 王宮のカーテンの色? 剣の鞘? 信仰の旗? 

 でも、どれも“自分の好きな色”ではなかった。

 

 ただ、どこかで見た色。誰かが好む色。

 私は、ようやく言った。

 

「……白、です。……たぶん」

 

「嘘だろ」

 

 彼はあっさり言った。

 私は、びくりとした。

 

「白って……お前の服と髪の色だろ。自分に似合う色を好きって言っとけば、丸く収まると思ったか?」

「……そんなつもりじゃ……」

「じゃあ、“嫌いな色”は?」

「……わかりません」

 

 その答えは、偽りなかった。

 私は、自分の好みすらわからなかった。

 感情の選び方を、忘れていた。

 

 

  ◼️

 

 

 彼と話していると、どうしても“素”が出てしまう。

 あるとき、不意に笑ってしまったことがある。

 本当にくだらない冗談だったけれど、不意打ちで——笑ってしまった。

 そしてそのあと、私はとっさに“仮面”を直した。

 表情を整え、声の調子を調え、「そんなことありませんよ」と付け加えた。

 ……彼は、何も言わなかった。

 ただ、少し寂しそうに目を伏せた。

 それが、胸に突き刺さった。

 

 ごめんなさい。

 私はまだ、仮面を外せない。

 心の奥では、誰よりも「普通の会話」をしたいと思っているのに。

 心から笑いたい。

 本気で怒ってみたい。

 誰かの腕に飛び込んで、泣きじゃくってみたい。

 

 でも、怖い。

 それをしたら、「勇者」としての自分が、崩れてしまいそうで。

「私」という存在が、誰にも受け入れられないような気がして。

 

 だから私は、今日も“勇者”を演じる。

 

 彼がどれだけ心を寄せてくれても、

 それを受け取る勇気が、まだ持てなかった。

 だけど、ほんの少しずつ。

 ひとつ、ひとつ。

 私は、自分の顔を取り戻しつつあった。

 

 たとえそれが、“崩れかけた顔”でも——それは、私の顔だから。

 

 

 魔王城へ向かう途中、空はどこまでも黒かった。

 空ではなかったのかもしれない。

 あれは、ただ“上”に広がっている、名もない闇だった。

 私は、その闇を見上げていた。

 まるで、天も地も私の終わりを見下ろしているようだった。

 

「あと少しですね、皆さん」

 

 私は微笑んだ。

 聖女ミリィは頷き、剣士ランガは無言で背を向け、魔導師アゼルは淡々と進路を確認した。

 私たちは、もうすぐ終わる。

 そう、終わらせることが目的だった。

 

 世界を救うために。

 民を守るために。

 願いに応えるために。

 

 そして——私が消えるために。

 それが“正しい終わり”だと、私は思っていた。

 

 

 その夜、彼が火の傍にやってきた。

 私は剣を磨いていた。

 特別な意味はなかった。ただ、手を動かしていないと、心が落ち着かなかった。

 

「……セリカ」

 

 その声に、私は反射的に微笑んだ。

 

「はい、なんでしょう?」

「……本当に、これでいいと思ってるのか?」

 

 彼の問いは、真っ直ぐだった。

 私は、また微笑んだ。

 

「世界が救われるのなら、それで——」

「“お前”はどうなんだよ」

 

 彼の言葉が、刃のように刺さった。

 

「“セリカ・ルミナリア”は、それでいいのか。

 世界を救って、全部終わって、……それで、満足か?」

 

 私は答えられなかった。

 “セリカ・ルミナリア”がどうしたいかなんて——考えたことがなかった。

 

 私は「勇者」だった。

 

 感情は不要だった。

 痛みも、恐怖も、希望も、望まれていなかった。

 ただ、役目を果たせばよかった。

 でも今、目の前にいるこの人だけは、“私”を見ていた。

 

「俺は……お前に、死んでほしくない」

 

 その言葉に、心が強く揺れた。

 

 ——何を言ってるの? 

 ——私はもう十分でしょ? 

 ——私は、ここで終わるべき人間でしょ? 

 

 それなのに。

 それなのに、どうして。

 どうして、涙が出そうになるの? 

 

 私は立ち上がった。

 

「……もう、休んでください」

 

 それだけ言って、彼の前から離れた。

 

 逃げたかった。

 

 あの言葉から。

 

 その優しさから。

 

 “私”という人間が、まだこの世にいてもいいのかもしれないという——その希望から。

 

 

  ◼️

 

 

 仮面はもう、限界だった。

 綻びはとっくに広がっていた。

 ほんの一言で、崩れそうだった。

 それでも私は、明日の決戦を前に、“完璧な勇者”の仮面を磨いた。

 世界に“そうあってほしい姿”を示すために。

 でも、本当はもう気づいていた。

 私は、もう“壊れかけている”。

 あとは、ほんの一押しで。

 たぶん私は、もう、止まれない。

 

 でも——

 誰かが止めてくれたら。

 誰かが、叫んでくれたら。

 その声にすがってしまうかもしれない、なんて。

 そんな弱さを、私は心の奥で、

 確かに望んでいた。

 

 

 

 魔王を斃す──それが、私に与えられた最後の使命だった。

 この手に握られた聖剣は、無数の命を救ってきた。

 私の足跡は、英雄譚となって語られ、人々の希望になった。

 そして今、私は——その物語の終幕に立っていた。

 

 漆黒の玉座の間。

 空に浮かぶ魔王城の最上階。

 荒れ果てた世界の中心で、全てが終わろうとしていた。

 魔王の咆哮。灼熱の闇。痛み。怒り。

 それでも、私は揺れなかった。

 

 私は、勇者だから。

 何があっても、立ち止まってはいけない。

 この命は、希望のための灯火。

 誰かを照らすために、燃え尽きるもの。

 そう信じて、戦ってきた。

 だから私は、剣を振るった。

 神の加護も、己の力も、全てを込めて——魔王の心臓を、貫いた。

 

 崩れ落ちる魔王。

 消えゆく瘴気。

 晴れ始めた空。

 

 人々のための、正しい結末。

 

 でも——

 

 私の中は、空っぽだった。

 

 

 

「勇者セリカ・ルミナリア。使命は完遂された」

「器としての役目、ここに終わる」

「魂、解放開始」

 

 その声が響いたとき。

 私は、ようやく息を吐いた。

 

「ああ、やっと終わるんだ」

 

 そう思った。

 

 もう、期待に応えなくていい。

 もう、誰かの前で笑わなくていい。

 もう、仮面を保たなくていい。

 

 私は、世界の希望だった。

 でも、もうそれは終わる。

 

 これで、全部終わる。

 

 そう思った瞬間——

 

 彼が、叫んだ。

 

「やめろ!!!」

 

 足音が響く。

 怒りが、焦りが、悲しみが混ざった声で、私の名を呼ぶ。

 

「お前は、もう十分だ! もう戦わなくていい! もう誰かの“器”じゃなくていいんだ!!」

 

 やめる? 

 どうして? 

 

 私は、役目を果たした。

 ちゃんと世界を救った。

 これ以上、何を望むというの? 

 

「ありがとう、優しい人」

 

 私は彼を突き放す。

 一つの神話を完結させようとする。

 

「私は……生まれたときから、“選ばれて”いたんです。力を持っていた。使命があった。だから……“死ぬまで誰かのために”と、そう決めていました」

 

 でも、彼は引き下がらない、引き下がってくれない。

 

「そんなの間違ってる!!」

「……いいんです。私はもう、十分に頑張ったと思います」

「違う!! それは“諦め”だ!」

 

 

 その言葉に、胸が、ぐらりと揺れた。

 

「俺は……お前に、生きてほしいんだよ!」

 

 心が、揺れる。

 

「……どうして、そんなことを……」

「俺が、そう思ったからだよ。俺が、お前を“救いたい”って思ったからだ。誰のためでもない……お前自身の“心”が、ここにあるって信じたからよ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 仮面が、崩れた。

 

 

 

「生きて……ほしい?」

 

 私は、つぶやいていた。

 

 そんなこと、言われたことがなかった。

 

 私の価値は、力だった。

 役目だった。

 世界を救う“機能”だった。

 

 でも彼は、そうじゃなかった。

 

 彼は“私”に、生きてほしいと言った。

 

 泣いても、間違っても、怯えても、

 そういう“セリカ”を、受け入れてくれると……叫んでくれた。

 

 私は、わからなくなった。

 

 どうすればいい? 

 

 私は、もう生きてはいけない存在なんじゃないの? 

 終わるべきだったんじゃないの? 

 消えることが、正しいはずだったのに。

 

 なのに。

 

 なのに。

 

「……たすけて」

 

 声が漏れた。

 

「もう、わからない……どうしたらいいかも……何をすれば褒められるのかも……何を望めばいいのかも、わからない……」

 

 涙が、溢れた。

 

「でも……でも……」  

 

 止まらなかった。

 

 

「生きたい……っ!!」

 

 私は叫んだ。

 

 世界の中心で。

 誰にも期待されていない場所で。

 ただ、私の本音だけを——叫んだ。

 

 それは、人生で初めての“私だけの願い”だった。

 

 私は、生きたい。

 誰かのためじゃない。

 自分のために、心から。

 

 生きたいんだ。

 

 

 

 光が止まった。

 

 神の声が、途切れた。

 

 その代わりに、確かに聞こえた。

 

 彼の声。

 震えていた。

 でも、優しかった。

 

「……よく言ったな、セリカ」

 

 私は泣きながら、うなずいた。

 

 この時ようやく——私は初めて、「生きてる」と思えた。

 

 

  ◼️

 

 

 私は、いま、小さな村で暮らしている。

 

 畑を耕し、草を摘み、水を汲み、朝には鳥の声で目を覚ます。

 日差しは柔らかく、風は温かい。

 泥の匂いも、石につまずく痛みも、すべてが愛おしい。

 

 かつての私なら、こんな時間を「無駄」と切り捨てていた。

 役目もない。

 使命もない。

 ただの“日常”。

 

 でも、いまの私は——この“無意味”の中に、確かな“命”を感じている。

 

 何かのために生きるんじゃない。

 誰かの期待に応えるために存在するんじゃない。

 私は、私のままで……生きている。

 

 それが、こんなにも自由で、こんなにも怖くて、

 でも、こんなにも温かいものだったなんて。

 

 

 畑の隣には、彼がいる。

 

 彼は相変わらず、朝から文句ばかりだ。

 

「だからそこ雑草だって言ったろ。なんで刈らないの」

「似てるんです。こっちは薬草、こっちは毒草。形が同じなんです。責めないでください」

「似てねぇよ。見ろ、こっちトゲついてるし」

「じゃあ今度からあなたが全部見分けてください」

「……いや、それは無理」

 

 ふふ、と笑ってしまった。

 

 以前なら、こんなくだらないやりとりをしている自分を想像できなかった。

 

 でも今は、心の底から楽しい。

 

 彼は、私の“弱さ”を知っている。

 泣き顔も、怒鳴り声も、ぐちゃぐちゃな叫びも、全部見てきた。

 

 それでも、ここにいる。

 

 私の隣で、変わらずに。

 

 それが、何よりも嬉しい。

 

 

 

 夜、星空を見上げながら、彼がぽつりと言った。

 

「セリカ、お前……生きてて、楽しいか?」

 

 私は、少し考えてから答えた。

 

「……うん。楽しい。怖いこともたくさんあるけど……でも、楽しいよ」

「そっか」

「ねえ……あなたは、どう?」

 

 彼はしばらく空を見て、それから肩をすくめた。

 

「うーん……まあまあ?」

「ふふっ」

「何笑ってんだよ」

「ううん。ただ……その“まあまあ”って答え、すごく好きだなって思って」

「変なやつ」

「……そう。私は、変なやつなんです」

「知ってる」

 

 彼の声が、少しだけ優しかった。

 

 その優しさに触れただけで、胸がいっぱいになる。

 

 “世界を救った勇者”だった私は、もういない。

 でも今、ここにいる“ただのセリカ”は——

 

 確かに、ちゃんと生きている。

 

 誰かの役に立つことができなくても、

 失敗して、泣いて、立ち止まっても、

 それでも、自分の意思で前を向いて、生きていける。

 

 そう信じられるようになった。

 

 

 

 今日を生きる。

 

 明日を望む。

 

 その繰り返しのなかで、私は少しずつ、“私”を育てていく。

 

 あのとき、私が叫んだ「生きたい」は——

 今も、私の中で静かに灯り続けている。

 

 そして、明日もきっと。

 私は、それを胸に、目を覚ます。

 

 さあ、また一日が始まる。

 

 私は、生きる。

 

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