表情ひとつ変えないチート美少女を号泣させるのが癖です 作:美少女仮面
セリカと小さな畑で過ごす日々は穏やかで、しかし驚きの連続だった。
朝、鳥の声で目覚め、土の匂いを嗅ぎ、太陽の光を全身で浴びる。
かつての俺なら「なんでもない毎日」と切り捨てていたであろうその全てが、セリカにとっては真新しい「生」の体験だった。
そしてそんな彼女の隣にいることで、俺自身もまた世界の彩度が増していくのを感じていた。
「あの、これ、本当に食べられるのですか?」
ある日の午後、セリカは俺が摘んできた野草を怪訝な顔で見ていた。
俺は苦笑いしながら答える。
「ああ、天ぷらにするとうまいんだ。ちょっと苦いけど、それがまたいい」
「苦い……」
彼女は小さく呟き、ためらうようにその葉に指を伸ばした。
以前の彼女なら、そんな些細なことで躊躇したりはしなかっただろう。
与えられたものを完璧に受け入れ、感謝の言葉を述べていたはずだ。
しかし、今のセリカは、自分の「好き」「嫌い」という感覚に、一つ一つ向き合っていた。
「苦手なら無理に食べなくていいぞ」
「いいえ……食べてみます」
彼女はそう言うと、覚悟を決めたように葉を口に運んだ。
そして、途端に顔をしかめる。
「……に、苦いっ! これじゃあまるで毒です!」
その率直な反応に、俺は思わず吹き出した。
「だから言ったろ? でもそれがいいんだって」
セリカはまだ顔をしかめているが、その瞳の奥にはほんの少しの好奇と、そして「新しい発見」への喜びが宿っていた。
以前の「完璧な笑顔」とは違う、人間らしいありのままの表情。
それを見ているだけで、俺の心は温かくなった。
魔王を倒してから三年。
世間は「勇者セリカ・ルミナリア」の功績を語り継ぎ、平和な世界を謳歌していた。
だが、その英雄の姿はどこにもない。
いや、正確には俺の隣で「苦い」と騒いでいるこの少女の中にいる。
セリカは勇者としての記憶も力も全て失ったわけではない。
しかし彼女自身がそれらと距離を置き、まるで「一度死んで生まれ変わった」かのように新しい人生を歩んでいる。
村人たちは俺とセリカを「旅の若者」として受け入れてくれた。
セリカの過去を知る者などこの小さな村には誰もいない。
彼女はただの「セリカ」として土を耕し、水を運び、時には村の子供たちとたわいもない遊びに興じる。
ある日、村の子供たちがセリカを囲んで目を輝かせながら質問をしていた。
「セリカお姉ちゃん、どうしてそんなに強いの?」
「うん、ぼくも強くなりたい!」
セリカは困ったように微笑んだ。
「うーん……どうしてだろうね。昔、たくさん練習したからかな」
彼女は決して「勇者だったから」とは言わない。
過去の栄光を語ることも、自慢することも一切ない。
ただ、子供たちの無邪気な問いかけに精一杯、自分なりの言葉で答えようとする。
俺は少し離れた場所でその様子を見ていた。
セリカの隣にいる子供たちの表情は不安も畏怖もない、ただ純粋な憧れだけだった。
以前の彼女の周りにあった「完璧な勇者への畏敬」とはまるで違う、温かい空気がそこにはあった。
「そうだよな」と俺は思った。
「勇者」という役割に縛られていたセリカは、確かに孤独だった。
だが今は彼女自身の「優しさ」が、素直に周囲に伝わっている。
……ある夕食時、焚き火のそばで、セリカがぽつりと呟いた。
「……私、あの時、本当に死んでしまってもよかったのかもしれないって、時々思うことがあります」
俺は、薪をくべる手を止めて彼女を見た。
「なんでそんなこと言うんだ」
「だって……勇者としての役目を終えたのですから。それで皆が幸せになれたのなら、私の存在はもう必要ないのかもしれないって」
彼女の言葉に、俺は少しだけ苛立ちを覚えた。三年経っても、まだ彼女の中に「役割」という呪縛が残っているのかと。
「違うだろ。お前は、『必要だから生きる』んじゃなくて、『生きたいから生きる』んだ」
セリカは、ゆっくりと顔を上げた。翡翠色の瞳が、焚き火の光を映して揺れている。
「……生きたい、ですか」
「ああ。あの時、お前はそう叫んだんだ。誰のためでもない、お前自身の願いとして」
セリカは静かに目を伏せた。
そして、震える声で言った。
「……そうですね。私は……あの時、生きたかった」
その声にはかつての空虚な響きとは違い、感情が込められていた。
それは、過去の自分と向き合いその選択を受け入れようとする、彼女自身の声だった。
俺は、無言で彼女の肩に手を置いた。
セリカは、驚いたように少しだけ体を強張らせたが、すぐに、その手にそっと自分の手を重ねてきた。
言葉はなかったけれど、その手の温かさが、全てを物語っていた。
数ヶ月後、畑の作物が豊かに実り収穫の時期が来た。
村人たちと協力して収穫を終えた後、村長から頼みごとがあった。
「すまないが、収穫した作物を少し、隣町まで運んでくれないか? 人手が足りなくてな」
俺は快諾し、セリカもまた、「私にできることなら」と笑顔で頷いた。
荷馬車に作物を積み込み、俺とセリカは隣町へ向かった。
道中、セリカは珍しそうに周囲の景色を見ていた。
「こんなに近くに、大きな町があったのですね」
「ああ、ここは何度か来たことがある。活気があって、人も多いからすぐにわかる」
町に近づくにつれて、人々の声や馬車の蹄の音が聞こえてくる。
セリカの顔に、わずかな緊張が走るのを俺は見逃さなかった。
かつて彼女は「勇者」として、このような人々の集まる場所で、常に完璧な振る舞いを強いられてきた。
町の門をくぐると、その賑やかさにセリカは目を丸くした。
市場には新鮮な野菜や果物が並び、行商人たちの声が響き渡る。
「すごい……こんなにたくさんの人がいるのですね」
彼女の隣を歩きながら、俺は時折、周囲の人々がセリカに視線を向けていることに気づいた。
彼女の銀色の髪と、整った顔立ちは、やはり人目を引くようだ。
セリカはそれに気づいているのか、少しだけ俯きがちになっていた。
無意識のうちに、かつての「仮面」を被ろうとしているように見えた。
だから俺は、そっと彼女の腕を軽く叩いた。
「大丈夫だ。お前はただのセリカだ」
セリカは俺を見上げて、小さく頷いた。
その瞳には、まだ少しの不安が残っていたが、それでも以前のように完璧な仮面を被ることはなかった。
作物を届け終え、市場を歩いていると。
「──え?」
それは運命なのか、はたまた……
かつての勇者パーティーの一員だった聖女ミリィが、そこにいた。
「あら、これは……セリカ様ではございませんか!」
ミリィは驚いた顔で俺たちの元へ駆け寄ってきた。
その声には、かつての「セリカ様」への畏敬の念が色濃く残っていた。
セリカは、一瞬だけ硬直した。
彼女の顔に、懐かしさと、そして警戒が入り混じった複雑な表情が浮かぶ。
「ミリィ……さん」
ミリィはセリカの手を取り、感極まったように言った。
「ああ、セリカ様! ご無事でしたのですね! 皆様、どれほどご心配されたことか!」
セリカは、戸惑ったように目を泳がせた。
彼女の心の中では、かつての「勇者セリカ」としての記憶が、呼び起こされようとしているようだった。
このままではセリカがまた「勇者」を演じてしまうと直感した俺は思わず間に入って声をかけてしまう。
「ミリィさん、お久しぶりです。セリカは、今はただの『セリカ』として暮らしているんです。どうか、以前のようには扱わないでやってください」
俺の言葉に、ミリィは呆然とした顔をした。
「た、ただの……?」
「ええ。今は、村で畑仕事をして、普通の暮らしをしています」
とセリカが付け加えた。
ミリィは信じられないといった様子で、セリカと俺を交互に見た。
「セリカ様が……畑仕事を……? そのようなことが……」
彼女にとって「勇者セリカ」は泥にまみれることなどない、そんな高潔な存在だったのだ。
セリカはそんなミリィの反応を見て、ふっと小さく笑った。
それは、かつての「完璧な笑顔」ではなくどこか自嘲にも似た、しかし確かな感情のこもった笑みだった。
「ええ。泥だらけになって、草の匂いにまみれて……でも、私は、これが楽しいんです」
その言葉を聞いてミリィは言葉を失った。
彼女の目に、驚きと困惑、そして、微かな理解が混ざり合った感情が浮かんでいた。
俺は、セリカの肩に手を置き、ミリィに向かって言った。
「俺たちはこれで失礼します。セリカも、もう無理はさせたくないので」
「……ええ、どうか──お元気で」
ミリィは、まだ何か言いたげな顔をしていたが、最終的には何も言わず、俺たちを見送った。
町を出て、村へと帰る道すがら、セリカは静かに歩いていた。
「……私、変でしたか?」
不意に、彼女が問いかけた。
「何がだ?」
「ミリィさんと話している時の、私です。勇者らしく、振る舞えなかった」
俺は首を振った。
「変じゃない。それが、本当のお前だ」
セリカは、夕焼けに染まる空を見上げた。
「……そう、でしょうか」
「ああ。お前はもう、『勇者セリカ・ルミナリア』を演じる必要はないんだ。ただのセリカとして、お前が感じたことを、素直に表せばいい」
セリカは、俺の言葉に小さく息を吸い込んだ。
「……怖いです。まだ、少し。皆が私に期待する『勇者』の姿と、今の私との間に、大きな隔たりがあることが」
「それは当然だ。でも、それでもお前は、お前自身を選んだんだ。それが、何よりも大事なことだ」
俺の言葉に、セリカはゆっくりと頷いた。
「……はい。そうですね」
彼女の表情はまだ少し複雑だったが、その瞳の奥には確かな決意の光が宿っていた。
「きっと、これからだ」と俺は思った。
彼女が「勇者」として生きてきた時間は、あまりにも長く、そして深く彼女の心に刻み込まれている。
その呪縛から完全に解き放たれるには、まだ時間がかかるだろう。
だが、その一歩を踏み出す勇気をセリカは持っていた。
だからきっと、大丈夫。