.....誰か、俺を殺してください。
「エイラ...さん?その、そろそろ起きる時間が...」
「やーだ」
「えぇ...」
コアラみたいに胸元を掴んできて、そのままおでこで鎖骨の辺りをぐりぐりしてくるエイラ。まず前提として一挙手一投足が可愛い上に、良い匂いの寝癖が鼻先をくすぐってきて、ちょっと色々と我を失いそうなのでやめてほしい。
「良い夢見れた。ふふふ。だから、このままがいい」
「...はい」
「よろしい」
今度は上目遣いで、顎がくっついてしまうくらいに近付いておねだりしてくる。それをされるともう白旗。まだ肉の少ない背中を、ギュッと手のひらで押すように抱きしめてあげると、満足げに深く息を吐いて、こちらへ更に寄ってくる。若干蒸し暑いほどの体温交換。何が彼女をここまで変えたのか。
......いや、理由は分かってる。昨日の俺がはっちゃけすぎました。でも仕方ないじゃん、会いたかったんだもん。大体照れてるエイラが新鮮で、俺の心の戻れないところに深々と突き刺さったのが悪い。俺は悪くない。
「......どうかした?」
「いやなんでも。それよりさ、とりあえず朝ごはんだけでも...」
「......分かった」
「パン焼く?」
「うん」
エイラは俺が手を掴んであげてようやく、渋々と言った感じでベッドから降りて来てくれた。とりあえず、なんとか今日丸一日をベッドの上で過ごすとかいう腐り落ちた生活になることだけは避けられたみたいです。そんな退廃的な暮らし、エロ本のなかのお話ならちょっと...だいぶ好きだけれど、現実ではごめんだ。飯も食わないで交尾とか、蛾か何かの昆虫じゃないんだから。
冒険者たちの集まるギルドに併設されている酒場に耳をすませば、色々な噂話が聞こえてくる。
「第3聖女様、仲間に剣士1人スカウトしてこれから魔王城行くんだってよ」
「へーえ。噂には聞いてたが。まさか2人で行くとは。死ななきゃ良いけどな」
へーぇ。マチルダ、そんなことを。あの女傑はまさかの2人で行こうとしているらしい。俺だったら絶対万単位で人雇うわ。......なんかそっちの方が雑魚っぽくて負けそうか?だけど俺、数に物言わせるタイプが弱いの、あんまり納得行ってないんだよな。ドン・クリークとか絶対新世界でもやっていける船団規模だろあれ。
「ね、ね。ショーマ。スライム討伐だって。やってみよ」
「うぇぇ...?俺ベトベト嫌い.....」
駅の階段でまだ吐きたてホヤホヤの使用済みガムを、無用の色気を出して買ってみたナナキュッパの新品スニーカーで踏み抜いて以来、ベトベトしてるやつは嫌いだ。
もしも俺が魔法チートを得たまま元の世界に帰れたとしたら、まずあのガムを吐いたやつを2度と物を吐き出せない体にする。その後?家と学校にワープポイント設置。それくらいに俺のベトベトに対する恨みは海よりも深く、山よりも高い。俺の心の政子の部分が疼く。
しかし、エイラの並々ならぬ熱意に押され、俺が折れる形でスライム討伐の依頼を受けた。今回は剣は全く使えないので、とりあえず魔法使いの支援に回れと、受付嬢に念入りにしつこく言われた。地方都市の役所らしく、結構年季の入った、もう凡そ半世紀前にはお嬢さん呼ばわりは卒業したであろうおばあちゃんが、受付嬢として今日も仕事場に立っている。彼女は俺が魔法を使えるとを知らない。
それは街の郊外の森で突然現れた。ぶにゅんぶにゅんと音を立てながら、液体のように地面の形を形どりつつ固体のようにバラバラにならずまとまって動いている緑色のスライム。目とか口とか、そういう類のものはない。
......なんだか気持ち悪い。ズルズルとした移動の仕方もそうだが、ベチャッとならずに固体を演じている様子が何より気持ち悪い。水餅にこんな感情抱いたことないのに。
「うわ、キッショ...!」
「かわいい......っ!」
「は?」
ヤバい美的センスの持ち主が隣にいた。可愛い?あれが?あんな自分動物愛護団体の愛護対象内ですよプルプルって言いたげな、生物と呼ぶのも烏滸がましいなにかが?
インテリジェント・デザイン論者にあの姿を見せてやりたいよ。その日のうちに自説を撤回して、神棚にダーウィンの肖像画を貼り始めることだろう。神様はお前みたいな生物モドキ作らないです。
ドラクエは素晴らしい作品だったんだなぁ...。
「ね、ショーマ。今回だけ見過ごしてあげるっていうのは...」
「バカなこと言ってないで、早くやるよ。一思いに、苦しまないような配慮はしてあげるから」
「でも...でも...」
「今日一緒に寝てあげないよ」
「はい」
よし。なんとなく分かって来たぞ。さて魔法を...。そう思い藪の中から半歩踏み込んだ時、パキンと乾いた音がして、ちょうど足を下ろしたところにあった枝が折れた。
一斉にスライムがこちらを見た...気がした。目はないので、俺の推測である。ああああ気持ち悪い!目がない生物なのに、目があるような振る舞いをしているのが気持ち悪い!
しかしエイラは別の意味で息を呑んだようだった。先程まで討伐を渋っていたとは思えないほどに小さく、しかし鋭い声を上げた。
「ショーマ、撃って!早く!」
「え?えっ!?」
突然の叱責に固まっている時間が、そっくりそのまま俺の無能さの証明だった。スライムたちはなんと、ズルリと音を立てて1体が2体に、2体が4体に、4体が8体に...という調子で、バイバインの栗饅頭みたいに分裂し、蜘蛛の子を散らしたみたいに四方八方へノロノロと蠢くように逃走を開始した。うわぁ!きっしょ!
「撃ってショーマ!手遅れになる!」
「ぬあああもうどうにでもなれーっ!」
精度は微妙だったが、もう仕方がない。視界を真っ白に染め上げる雷光を、辺り一体に吹っ飛ばした。
ベッタベタのスライムたちの残滓が大爆発し、それを必死こいて水魔法で洗い流した帰り道。
「なんなの...あれ...」
「分裂魔法。スライムの子達はみんな臆病でね?敵を見つけたら分裂して逃げ始めるの。賢いよねぇ、半分死んじゃっても、半分は生きられるんだから」
「うん本当。賢すぎてもう2度と相手したくない」
本当の言葉は後半だけである。もう2度と相手したくない。してたまるか。ビビリとか言われるかもしれないけど仕方ない。だってさぁ、普通の人たちだって別に殺される心配なんて微塵もないナメクジとかゴキブリとか見て、オーバーリアクションで嫌がるじゃん?あれと同じですよ。
「でも分裂魔法も弱点があってね?2つになったらスピードも魔力も防御力も、全部半分になっちゃうの」
「あぁ...だからあんなに遅かったのか」
「ふふふ...ショーマもスライムのこと好きになったみたいだね」
「いや......?」
ごめんエイラ、俺その高みに行くまでちょっと時間かかるかもしれない。
「そんなぁ」
「だってスライム今日見たの初めてだし。まぁ...エイラが好きなら、努力はするよ」
「......そっか。ふふふ、楽しみにしてる、ね。おいで、スライムの集いに」
なんだその邪教の巣みたいなのは。
....いや、もしかしたらスライムにも俺の知らない、ニッチで奥深い世界があるかもしれないし。頭ごなしに否定するのはおかしいことだ。今度、スライムの絵本でも買ってこようかな?
その時、ベチョッという音が俺の背中から聞こえて来た。続いて、尻の方まで垂れてくるネバネバした液体の感覚。パンツ濡れた。いやらしい意味じゃなくて。
飛び上がって背中を確認したら、スライムの生き残りが潰れて死んで、俺の身体中に液汁をばら撒いていた。
「えっと...」
「ごめんエイラ、無理かも」