童貞よ、女を抱け   作:リバプールおじさん

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スパイディインダンジョン

 

 翌朝。

 

 なんだかいつもより体の調子がいい気がする。寝ている間に吸った空気が良かったからだろうか。もっと積極的にエイラの部屋を訪れるべきなのかもしれない。熱海とか軽井沢とか南紀白浜とかと同じ様な感じで。

 

「お、おはよ...」

「おはよう。先に顔洗ってきな」

「うん......」

 

 まだまだ寝足りないのか、エイラはトボトボと頼りなく重たそうな足取りで、洗面所の方へと消えていった。気持ちは分かる。寝ている状態と起きている状態の間に、布団に包まれながらゴソゴソ無意味に体を動かしたい時間がある。あれをしてたら時間を忘れるくらい心地良かったせいで遅刻しましたって言い訳は、許されても良いと思うのだがどうだろう?

 

「なーお」

「うわっあっち行けっ、消えろ愚か者め早急に去れ」

 

 足元に音もなく忍び寄り、まるで嫌がらせのように自らの存在を示す鳴き声を上げるヤツを見て、思わず飛び上がってしまった。

 

 そういやこの家には、昨日から不覊奔放の暴れ毛玉がゴロついているのを忘れていた。嫌すぎて記憶から抹消していたという方が正しいか。

 

 とにかくそいつは、2人前のスクランブルエッグを鋭意製作中である炎の料理人、俺の足の甲をじっと見つめていた。そら来るぞ、どうせ前足をググッと伸ばして、そのまま飛びかかって俺の足の甲をズタボロのメッチャクチャにしようってんだろ。知ってんだクソが。ミスリル合金スリッパとか売ってないかな、あったらいくらでも返り討ちにしてくれるのに。

 

 しかしそいつは俺の気持ちも知らないで、無遠慮にトコトコと寄ってくる。やめろ近付いてんじゃねえ。

 

 しかしそいつに遠慮の2文字はない。勿体ぶったように近寄ってきて、そして前足同士をフミフミと小さく踏みつけるような素振りを見せる。

 

 俺には分かる。これは示威行動である。遠きものは耳に聞き、近きものは目にも見よ。我にはこんなにも強大な爪があるのだ、今からこいつでお前の足をグッチャグチャにして、ハンバーグにすら使えないような、薄汚い埃まみれの肉片もどきにしてやるという宣戦布告だ。

 

 負けてたまるものか!もしその爪でバリッとなんて引っ掻いてみろ、今日のお夕飯は猫の丸焼きにお味噌汁とほうれん草のおひたしを添えた健康定食にしてやるからな。

 

しかし、そいつはそのまま尻尾をユラユラ揺らしつつ、こちらに一瞥だけくれてやると、さっさと寝室の方へと消えてしまった。

 

「なんだあいつ...」

 

 もしかして飯を寄越せという催促だったのだろうか。なんとも意地悪くて厚かましいヤツだが、アイツだって食べて寝てヤる一つの生命体には違いない。三大欲求くらいは満たしてやらねば、動物愛護団体が黙っていないだろう。確か冷蔵庫にまだ肉残ってるし、それでも食わせておけば良いか。

 

 菜箸を回す手を止めた。

 

「エイラ、ご飯できたよ〜」

 

 また1日が始まる。軽い足音をゆっくり立てながら、エイラがゆっくりと降りてきた。...あれ、今日の朝飯当番エイラじゃなかったっけ。まぁ良いや。

 

 

 

_______________

 

 

 今日のクエストはダンジョンである。そう、ダンジョン!真っ暗な地下の深みや遥かな大空の頂きへと続いていくような、冒険心をコチョコチョくすぐってくる異質で壮大な、元いた世界だったら建築基準法とか日照権とか土地権利とかに突っつかれて、鉄球とブルドーザーでぶっ壊される超巨大建造物!俺、初めて異世界っぽいことやってるかも!

 

 と、調子よくそんな事を言えるのは、前人未到の暗闇に塗りつぶされた地を、剣と魔法と勇気で切り拓いていく英雄的行為にだけであって。今の俺たちがやっているのは、そういう華々しい物からは程遠い、大変地道な作業だった。

 

 

「えーっと...どうするんだっけ。あー......ダメだトリセツ読めない!西野カナより分からん!ごめんお願いエイラ」

「えっとね、なになに...『公官製 簡易式ワープポイントおかえりくん』設置方法は...18ページ」

「役所のネーミングセンスってどこも変わらないのな...」

「『このワープポイントを設置する際は、周囲の安全と迷惑に配慮し、適切な場所で』...飛ばすね」

「そういうのも変わらないんだ...!」

「『設置したい場所に、丸い面を上にして配置して、赤いシールが貼られているスイッチを押してください。2分ほどで青色の魔力灯が点灯すれば、設置成功です。なお、設置中の2分間は絶対に動かさないでください』...終わり」

「2分!?......おい、なんか魔物来てる!エイラ、支援魔法ちょうだい!」

 

 カサカサと気持ち悪い足音を、びっしりと生えている足の毛をこすり合わせて奏でつつ、壁から這い出てくるデカい蜘蛛。キッショ!せめて家の中に出てくるくらいの、ティッシュ3枚くらいで潰して捨てられる小さいやつにしてくれよ、この蜘蛛、仔馬くらいのサイズあるんだけど!

 

 生理的嫌悪感で背中が粟立つのを感じながらも、まだ握り慣れないロングソードを抜き放った。おかえりくんは全く反応しない。青くなるまであと2分!長いわクソが。

 

 

 

 2分後。ドブよりもずっと汚らしい、黒緑色の蜘蛛汁を、出来る限り見ないように剣から拭き取っていると、ピーと小さな音がしておかえりくんが青色に光り始めた。

 

「長かったね」

「もうやりたくないんだけど。......あと残り何個だっけ?」

「えっとね、確か......あと35個、だね」

「70分!?」

 

 こんなバカデカい蜘蛛が闊歩している場所で!?最低でも70分!?しかも設置場所指定されている上に道も入り組んでいるから、さらに時間かかるんだぞ!?

 

 もう一度、腹を掻っ捌かれた蜘蛛を見た。ギイギイと耳障りな悲鳴が醜悪な牙の間から漏れだしていたが、やがてそれも消えた。

 

 これを最低70分かぁ...。SAN値持つのかね、これ。

 

 

 それから、もう数えたくもないくらい長い時間が経った。

 

「......おわり」

「ん?あー...うん」

 

 結論、持たなかった。人間は1日かけてデカい蜘蛛を手ずからブチ殺していると、頭がおかしくなってしまうことが証明された。誰か助けてくれ。A.E.D.

 

 背中のあたりの魂が抜けたみたいに強烈な虚脱感が、膝のあたりまで下りてくるような感覚。立っているだけですらも不快。マジで早く帰って寝たい...。美人のお姉さんがエロい事させてくれるとかなら話は変わってくるんだけど......。

 

「......あ」

「どしたの」

 

 何かに気が付いたように、エイラが小さく声を漏らした。すわ、また蜘蛛か。もしそうなら、もう魔法でアイツら族滅させてやるからな。

 

 しかしエイラは、先ほどよりも震えた声で、心底絶望した様に呟いた。

 

「......時間に、なっちゃった。今日、ダンジョンで泊まらないと」

「えっ?」

 

 慌てて支給されたダンジョンの地図を見る。右下の隅っこに小さく、ナメクジが這い回ったあとみたいな文字で【警告!ダンジョンの門限は18時までです。それ以降、ダンジョンの内外の出入りは不可能になります。ダンジョン内の方はセーフティハウスへと移動し、生存環境を確保してください】

 

 そう書かれていた。

 

「もうっ...!ほんと、もうっ...!」

 

 クソみてぇな世界だな!

 改めてそう叫びたかった。

 

_______________

 

 

 セーフティハウスは意外と近かった。ダンジョンで言えば4階層目、中の上寄りってところだ。

 

 しかも無機質な石レンガと辛気臭い水漏ればかりの他の場所と違う。

 何故だかここだけ太陽が照らしてくれているみたいに明るくて、柔らかく瑞々しい草花が咲き誇り、気持ちの良い風が頬を撫でる。そして広い広い部屋の中心には、コンコンと清らかな水が湧き出ている泉があった。

 

「おぉ...?なんだこれ」

「魔法。こういう空間魔法があるんだって。あの水、回復効果あるらしいよ」

「へぇ...!」

 

 すごいな魔法、この世界もやるなぁ!1番大事なことを右端に、ケシカスみたいな文字で書いてくる神経の人間がいることを除けば完璧だ!今度、俺の部屋でもやってみようかな?あの水のせいで床が水浸しになったら?知らねーそんなの。

 

 しかしセーフティハウスがここまで優秀だとは思わなかった。もっとこう、奴隷船の船室とか、便所虫の共同墓地とか、そんな感じのギュウギュウ詰めで汚らしくて暑苦しいのを想像していたのだが、それとは真逆の環境だった。

 

「もう駄目だ、俺もう寝る」

「ボクも......」

 

 とりあえず濡らしたタオルで体だけ拭いて、敷くものも無いので草にそのまま寝転がる。魔法だからか、枯草や虫なんかもいないので、心置きなく背中を預けられる。

 

 そして、エイラもすぐに俺の腕を枕にして寝転がる。そうそう、そうすれば近いし寝心地も良いし一石二鳥...。

 

「いや、それはおかしい」

「なんで?いつも、してる」

「いや、でも外だし...」

「でも、ボクたち以外いないよ。いつもしてるんだから、別に良いんじゃないかな?」

「......そういうもんかね」

「うん」

 

 いつものようにスルリと胸元に忍び込んでくるエイラ。......冷静に考えてみたら、恐ろしく刺激的なことをしているのでは?ただ麻痺しているだけなのでは?

 

「ね、ショーマ...」

「なんでしょうか」

「帰ったら、何食べよっか」

「......とりあえず、猫も食うし肉だな......」

 

 アイツ、多分どこかで良い飯食ってるんだろうなぁ......。

 瞼がトロンと落ち始めたエイラの、長いまつ毛が妙に気になった。

 

 

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