禪院直哉の兄が人たらし過ぎる件   作:ぴのっきお

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時間は飛び、真幌、十五歳の春になります。


第2話

 

 

朝の駅構内は人々の往来でごった返していた。

スーツを着た会社員や制服姿の学生が慌ただしく行き交う中、夏油傑は悠々と歩を進めていく。

 

 

初めての呪術高専への登校日。

傑は少しの緊張と、これから始まる新しい日々への期待を胸に歩いていた。

そんな最中、前方に不自然な人だかりができているのに気づき、ゆっくりと足を止めてみる。

 

 

人だかりの中心には、駅構内の大きな路線図の前で眉を寄せ、うんうんと唸っている人物の姿があった。

金色の柔らかなショートヘアが朝の陽光を受けて美しく輝き、大人びた髪型とは裏腹に、その横顔はまだ幼さを残している。

その人物の美貌は周囲の注目を集めていて、傑の目前には男子高校生の集団が遠巻きに集まり、小声で囁き合っていた。

 

 

「どこの学校の子かな?」

 

「めっちゃ可愛い……声かけて来いよ」

 

「無理だって、お前が行けよ」

 

 

そんな周囲のざわつきを感じながら、傑は何気なく視線を固定した。

確かに綺麗な子だな、と心の中で同意する。

 

――あの制服は、呪術高専のものだろうか。

 

華奢な身体に黒い学ラン風の制服をまとい、襟元からは白いパーカーのフードが覗いている。

普通の学生服とは作りが微妙に異なり、どこか個性的なデザインが施されていることに気がつくと、傑はその人物の元へ歩み寄った。

 

 

「あの、もしかして呪術高専に行きたいの?」

 

 

優しく声をかけてみれば、驚いたように肩を跳ねさせ、金髪頭が振り返った。

その瞬間、傑の視界に映し出されたのは、大きな瞳と小さな鼻梁、そして桜色に色づく薄い唇だった。

あどけない印象が残るその顔つきに、傑は思わず息を詰める。

 

 

「そう!行き方が全然わからんくて!その制服、もしかして自分もなん?」

 

「東京の路線は複雑だから無理もないよ。私も今から行くところだから、一緒に行こうか」

 

「ほんまに?ありがとうな。めっちゃ助かるわぁ」

 

 

ハスキーな声で安堵したように笑う少女に、傑は柔らかい笑みを浮かべ返して歩き出した。

 

 

「名前、聞いてもいい?」

 

「真幌や、禪院真幌。そっちは?あ、てゆーか、もしかして先輩?」

 

「夏油傑、君と同じで今日から一年生だよ。よろしくね、真幌」

 

 

肩を並べて歩きながら、傑は真幌の横顔をそっと盗み見た。

耳掛けされた髪の隙間から覗くピアスが、歩くたび、細やかな光を散りばめている。

前を向くその瞳は澄み切っていて、見る者を引きつけるような不思議な輝きがあった。

 

 

 

 

 

 

電車がホームに滑り込み、扉が音を立てて開く。

瞬間、中から溢れ出すような人混みが二人の視界を埋め尽くした。

 

 

「人、多……ッ!こんなんどうやって乗ればええんや」

 

 

真幌が驚きを隠せず目を丸くして、半ば呆然と呟いた。

傑はそんな彼女に優しく微笑みかけると、有無を言わさずその腕を引く。

 

 

「行くよ」

 

「正気か?」

 

 

真幌は半信半疑の表情のまま傑に促されるようにして人混みへと足を踏み出した。

傑は巧みに身体をねじ込んでいき、周囲の乗客を避けながら壁際のわずかなスペースへと真幌を導く。

 

 

「ここなら少しは楽だろう?」

 

 

真幌の前に立ち、壁と自身の身体で小柄な真幌を守るように位置取どった。

こうした振る舞いが中学時代の傑を女泣かせと評判にさせてしまったことは彼自身もよく自覚していたが、それでいて改める気はさらさらないのが傑のクズたる所以である。

 

 

「なぁなぁ、あれ東京タワーちゃう?」

 

 

しかし、身体が密着しそうなほどの至近距離にもかかわらず、真幌は何の気負いもなく朗らかに窓の外を指差した。

緊張の一つも感じさせないあまりにも自然体な仕草。

傑は一瞬困惑しつつも、視線を追って苦笑する。

 

 

「あれは普通の鉄塔だね」

 

 

真幌は赤い舌をちろりと出して小さく笑い、再び窓の外を眺めている。

その無垢な表情と態度に、傑は調子が狂うのを感じ始めていた。

そればかりか、真幌が動くたびに甘い香りが漂ってくることに気づき、自分の鼓動が妙に速まるのを意識してしまう。

 

次の瞬間、電車が急に大きく揺れて二人の身体が軽くぶつかり合った。

 

 

「あ、すまない……」

 

「かまへんで。全然気にせんといて」

 

 

真幌は驚くほど平然とした様子で手を振った。

その落ち着き払った態度に、傑は内心わずかに焦った。

これまで自分に向けられた数多くの女性からの好意的な態度や、揺れ動く視線を思えば、この反応の薄さは完全に予想外だ。

まるで自分を男として特別視していないかのような真幌の態度に、胸の内で妙なざわめきが広がっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、雨降ってるやん……!」

 

 

電車が目的の駅に到着すると、開いたドアから湿った空気が流れ込んできた。

ホームに立つ真幌が頭上を見上げ、絶望の声を漏らす。

どんよりとした灰色の空から細かな雨粒が降り注ぎ、アスファルトを徐々に黒く染め始めている。

先ほどまでの爽やかな日差しは、いつの間にか完全に姿を消していた。

 

 

「朝の天気予報で雨が降るって言ってたから、一応折り畳み傘持ってきてるよ」

 

「おお、さすがやなぁ。都会の子はちゃんと準備しとるんやね」

 

「準備の良さと住んでる地域は関係ないと思うけどね」

 

 

傑の突っ込みに真幌は軽く笑い、すぐに周囲を見回した。

 

 

「ごめんな、ちょっとコンビニで傘買ってくるから、ここで待っとってくれへん?」

 

 

真幌が踵を返して走り出そうとした瞬間、傑はふと自分の奥底でプライドが疼くのを感じた。

これまで傑にとって、女性という生き物は微笑みや挨拶、あるいは少し親切にするだけで容易く心を寄せてくる存在だった。

そんな自負を持つ傑にとって、真幌のようにまったく自分になびかない存在は珍しく、無意識に挑発されているようにすら感じられた。

まるで難易度の高いゲームに挑む時のような心地よいもどかしさを覚えながら、傑は真幌を引き留めた。

 

 

「いいよ、一緒に入ろう。店に寄ってたら遅れちゃうだろ」

 

 

驚いたように振り返った真幌は、丸い瞳を傑に向けた。

その反応に小さな手ごたえを感じながら、傑は余裕を含んだ笑みを浮かべる。

 

 

「いや、でもその傘ちっさいやろ?二人で入ったら絶対濡れてまうって」

 

「大丈夫。こうすれば平気だよ」

 

 

言うが早いか、傑は慣れた仕草で真幌の肩を引き寄せた。

これで少しは動揺してくれるだろうと、観察のために視線を落とす。

ところが、ふいに真幌が顔を上げ、真っ直ぐに視線が交わった。

透き通った翡翠の瞳に至近距離で見つめられ、傑は何故か自分の方が動揺し、先に視線を逸らしてしまう。

 

 

「せやったら、傘持つよ。入れてもらったお礼」

 

「……いや、いいよ。こういうのは男の私に任せて欲しい」

 

 

平静を装いつつ、真幌が伸ばした手を避けるように傑は傘を上に持ち上げた。

対する真幌は不自然に言葉を詰まらせ、数秒間じっと傑の顔を見つめた。

その瞳に一瞬だけ戸惑いの影が過ぎる。

けれど、すぐに気を取り直したように傑の肩をぺしぺしと叩いて引き下がった。

 

 

「ええん?ほんま悪いなぁ」

 

 

小さな折り畳み傘に身を寄せ合い、二人は雨の降り注ぐ街路を歩き始めた。

舗道には雨水が流れ、朝の淡い光が路面を照らし、降り続ける雨粒が傘を打つ音が響いていた。

しばらくして、傑はちらりと真幌を見下ろし、好奇心を滲ませながら問いかける。

 

 

「真幌は関西出身かな?言葉遣いでなんとなくわかったけど」

 

「うん、京都やな」

 

「それなら、なんで京都校じゃなくて東京校に?」

 

「なるべく実家から離れたかったんよ。干渉とか、色々面倒でさ」

 

 

含みのあるその返答に、傑は内心で密かに好機を感じた。

彼の経験則では、何かに疲れている女性ほど少しの優しさで簡単に心を開く傾向がある。そんな内心のたくらみを悟られぬよう、優しい笑みを顔に貼り付け、慎重に真幌の心に寄り添おうと試みた。

 

 

「そうなんだ。家族関係が難しいと大変だよね。何か困ったことがあったら言ってね、力になるから」

 

「ほんま?そう言うてもらえると心強いわ、ありがとうな」

 

 

あっけらかんと笑って答えて歩き続ける真幌に、傑は肩透かしを食らった気分だった。

しかし拍子抜けを覚えつつも、その掴みどころのない反応にすらますます惹きつけられる自分を感じていた。

 

 

 

 

 

 

やがて二人は呪術高専に到着し、木製の扉を開けて教室へ足を踏み入れた。

雨の日特有の薄暗さが広がる室内で、まず一番最初に目についたのは、窓際の後ろの席。そこに座っていた一人の少女だ。

短く整えられた黒髪が肩にかかり、その横顔は曇った窓の外をどこか退屈そうに眺めている。

二人の気配に気が付くと、少女は頬杖をつきながらゆっくりと振り返った。

 

 

「おはよう。君らも新入生?」

 

「おはよーさん。禪院真幌言います、よろしゅうな。こっちは相棒の夏油傑」

 

「へぇ、仲いいんだね。もしかして同中?」

 

「いいや、三十分ほど前に初めて会ったばかりだよ」

 

「はは、ウケる」

 

 

乾いた笑いをこぼした少女は、思い出したように家入硝子と名乗った。

早速硝子の隣にいそいそと着席しようとしていた真幌の左半身をチラリと見やり、硝子はハンカチを差し出した。

 

 

「左側だけずぶ濡れじゃん。雨、ひどかったもんね」

 

「えー、いいん?ありがとうな、硝子ちゃん」

 

「硝子でいいよ。ちゃんって感じのキャラではないから」

 

 

差し出されたハンカチを真幌が受け取ると、傑が申し訳なさそうに声をかける。

 

 

「すまない、真幌……私の注意不足だった」

 

「右半身ずぶ濡れで何言うてんねん。お互いさまやろ」

 

 

真幌は笑いながら傑の肩を軽く拭ってやった。そんな二人の様子をじっと見ていた硝子が、小さく首を傾げて呟く。

 

 

「なに、相合傘で来たんだ?出会って三十分で付き合ったの?」

 

 

真幌はきょとんと目を瞬かせた後、堪えきれずに声を立てて笑い出した。

 

 

「はー、お腹いた。傑も硝子も勘違いしてんで。俺、女の子ちゃうよ。れっきとした男の子やから」

 

 

その言葉を聞いた硝子は瞬きすら忘れたように真幌を見つめ、傑に至っては椅子からずり落ちそうなほど驚愕した。

 

 

「やっぱり傑、勘違いしとったんやな!」

 

 

真幌はいたずらが成功した子供のように目を三日月にしてケタケタと笑い続ける。

その笑い声が室内に響き渡り、どんよりとした曇天の教室に明るさを添えた。

 

 

「き、君なぁ……!」

 

 

傑は呆然と口を開けた後、徐々に頬が熱くなっていくのを自覚した。

何とか体裁を保とうと必死で抗議をするが、その動揺は隠せない。

 

 

「分かってたんなら、もっと早く言えよ!タイミングなんていくらでもあっただろう!?」

 

「いやいや、傑が勝手に勘違いしたんやろ?こっちは別に何もしてへんし!」

 

 

悪びれる様子もなく肩を震わせる真幌に、傑はますます言葉を失い、頭を抱え込むようにしてうなだれた。

 

そんな傑の反応を楽しげに眺めていた硝子が、忍び笑いを漏らしながら小声で囁いた。

 

 

「夏油、もしかして失恋した?」

 

 

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