入学から約二か月が経過した、とある休日の午後、真幌の部屋にはいつものように傑、硝子、悟の三人が集まっていた。
開け放した窓からは爽やかな風が流れ込み、白いカーテンが揺れている。
真幌のベッドに腰掛けている硝子はクッションを膝の上で抱き、床に座った傑は壁に寄りかかりながら真剣な顔つきでテレビ画面を見つめている。
一方、悟は軽く身体を揺らしながらゲームのコントローラーを握り、ひときわ楽しそうに画面の映像に没頭していた。
真幌もまた、悟に負けじと夢中になってコントローラーを握り締め、目の前の画面を凝視している。
「おい悟、また一人で突っ込んでるぞ。協力プレイだって毎回言ってるだろ?」
傑が顔をしかめつつ、ため息を漏らした。
「んだよ、問題ねーだろ。俺ってば最強だし?」
「はぁ?そう言ってさっき真っ先に死んだのは誰?一人倒れると即負け確定なんだけど。少しは考えなよ」
硝子が鋭い視線を向けながら指摘すると、悟は馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「うるせ―なぁ。さっきのでコツは掴んだんだって。見てろよ、ほら……あ、ああああッ!?」
「あーあ、また悟が勝手にやられてもうたやん。協力プレイ言うてるやろ?」
真幌が困り笑いを浮かべながら声をかけると、悟は口を歪めて真幌を見返した。
「だっていけると思ったんだよ。てゆーか、今のは傑が無理矢理割り込んできたのが原因だからな?俺一人でも余裕だって言っただろーが」
「本当に負けず嫌いだなぁ、悟。私が駆けつけなかったら、君はもっと早くに死んでいたと思うけど?」
傑が負けじと言い返せば、二人の間にバチバチと熱い火花が飛ぶ。
そんな中、真幌はふと思いついたようにコントローラーをテーブルに置き、一触即発の雰囲気を壊した。
「なぁ悟。ゲームもええけど、たまには外出て遊ばん?」
真幌の提案に、悟はまるで未知の言葉を聞いたかのように、不思議そうに首を傾げる。
「外?」
「せや。毎日毎日こんな風にここに集まってゲームばっかやと飽きるやろ?せっかくの休みやねんし、ちょっと街とか出かけて遊んでみようや」
傑が睨み合っていた悟から視線を外し、真幌の意見に賛同するように頷いた。
「確かにそうだね。ここ最近、ずっと部屋に籠もりきりだったし。たまには外の空気も必要だろう」
硝子もクッションを抱き直し、コントローラーをベッドに置く。
「だねぇ。そろそろ太陽浴びとかないと」
しかし、悟だけはまだ納得できない様子で渋々ゲームを止め、腕組みをして首をひねっている。
「外出たってどこ行くんだよ?ゲーム以上に面白いもんなんてあんの?」
「悟、もしかして本当に自由に外出したことないん?」
「箱入りだからね、悟は」
傑が皮肉めいた笑みを浮かべて軽く茶化すと、悟はムッとした表情で視線を逸らした。
「悪かったな、箱入りで」
「まあまあ、悟。外はゲームにはない楽しさがいくらでもあるんやで。俺も子供の頃、こっそり家出てよく街歩いて遊んどったけど、知らんことばっかで飽きんかったわ」
真幌が懐かしげに言うと、悟は少し関心を引かれた様子で顔を上げた。
「へぇー、真幌って結構やんちゃだったんだな」
「まあ俺、家の人間からノーマークやったし?動きやすかったってのもあるなぁ」
「その自虐、突っ込んどいた方が良い?」
悟に続き、硝子が口元を緩め、片眉を上げて真幌を見つめる。
「禪院家の落ちこぼれ、ねぇ……このパワーゴリラが?」
「あの家はマジで術式至上主義なんだよ。実力ある奴を無視して術式だけで評価するなんて、ほんっと頭悪いよな」
悟の言葉に真幌は眉を下げて笑った。
それから皆を見回し、最後に大きく手を叩いて気合を入れるように告げる。
「よっしゃ、まぁとりあえず、決まりやな!今日はみんなで街に繰り出すで!」
真幌の勢いのある宣言に、部屋の空気は一気に明るく賑やいだ。
電車が到着した駅のホームは、休日の外出を楽しもうとする人々であふれかえっている。
四人はホームの端に立ち、扉が開くのをじっと待っていた。
やがて扉が音を立てて開き、人の波が勢いよく押し寄せるのを見た悟は、信じられないといった表情でポカンと口を開けた。
「え、マジで乗んの?これに?」
「なに言うとんねん悟。こんなん普通やろ?まさか人混みも初体験か?」
「いったいどの口が言ってるんだ。君だって最初は随分及び腰だっただろう?今さら余裕ぶられてもな」
ぷーくすくすと悟をからかっていた真幌の表情が、傑の指摘でむっと曇る。
それからすっと傑に近寄ると、わざとらしく目を細め、声のトーンを落として囁いた。
「――いや、いいよ。こういうのは男の私に任せて欲しい」
「いつまでそれを引きずるつもりだ!もう二ヶ月だぞ!?」
周囲に音量の配慮をしながらも傑が声を荒げるのを見て、硝子が可笑しそうに笑った。
「まったくお前ら、もう電車来てるからさっさと乗りなって」
硝子に促され、悟もようやく意を決したように一歩踏み出すが、満員電車の圧迫感に思わず後ずさる。
「ちょっ、いやいや、これは無理じゃね?」
「悟、ほら、迷子になんなよ?」
真幌は意地悪く笑いながら、ためらう悟の背中を押して電車に乗り込ませた。
車内は想像以上に人で埋め尽くされていて、悟は借りて来た猫のように身動きが取れずに縮こまっている。
「ちゃんと吊革掴んどきや。初めてなんやから、ぼーっとしとると転んでしまうで?」
悟は露骨に不快そうな表情を浮かべるが、次の瞬間、何かを企むような笑みを浮かべると、何食わぬ顔で無下限を展開し始めた。
「あれあれー?なんだか人が寄ってこなくなったぞ?」
悟の行動に傑が即座に気づき、表情を険しくしながら小声で叱る。
「悟、無下限を使うのはよせ。一般人に迷惑だろ」
「だって狭いの嫌だしさ、これめっちゃ便利じゃん?」
名案だろうとばかりに胸を張る悟に、硝子も渋い顔をした。
「便利って問題じゃないでしょ。周りのことも少しは考えなよ」
一方で、真幌だけは興味津々といった様子で、じりじりと悟に近づいていた。
その様子を横目に見ていた悟が、面白がってさっと真幌の肩を掴み、自分の側に引き寄せる。
「お、おお……っ!?」
悟のすぐ隣は、満員の車内とは思えないほど圧迫感がなく、誰一人として近づいてくる気配がない。
その居心地の良さに目を輝かせた真幌は思わず感嘆の声を漏らし、その勢いのまま悟の頭を撫で回した。
「なんやこれ、めちゃくちゃ快適やん!悟、お前やっぱり天才やな!」
「へへ、だろ?俺ってやっぱどこでもポテンシャルを発揮しちまうんだよな」
大袈裟な賞賛に完全に浮かれた悟は、口元を大きく綻ばせて調子に乗り始める。
傍でそのやり取りを眺めていた傑は、さらに苛立ちを強めたように深い息を吐き出した。
「真幌、あまり悟を甘やかすな。世間知らずの坊ちゃんが調子に乗るだろう」
真幌と悟は同時に軽く肩をすくめ、「へーへー」と適当な返事を返す。
それからふと、混雑の中で押し潰されそうになっている硝子の姿を真幌は視界の端に捉えた。
「おっと……」
即座に悟のそばを離れ、硝子の腕を優しく掴んで壁際まで導いていく。
そのまま流れるような動きで壁に手をつき、真幌は低く呟いた。
「ほら、ここなら少しは楽だろう?」
「そんなネタまで擦らなくていいんだよ……!」
突然の真幌の行動に、一瞬呆気に取られていた硝子だったが、傑の嘆きを耳にしてすぐに状況を理解した。
それがいつもの真幌の悪ふざけだと分かると、小さく吹き出した後、揉め始めた傑と真幌をよそに、窓の外へと目を向ける。
柔らかな陽射しが窓越しに差し込み、車窓には流れるように続く街並みが映っている。
ビル群の隙間から時折見える青空は澄み渡り、遠くには小さな公園で遊ぶ子供たちや、休日を楽しむ家族連れの姿がちらりと見え隠れしていた。
渋谷駅の改札を抜け、賑やかな駅構内を歩いている途中、悟が突然足を止めた。
視線の先には、構内の一角にあるこぢんまりとしたコンビニがある。
ガラス越しに見える、おにぎりやサンドイッチがぎっしりと並んだ棚。
雑誌やお菓子、冷えたペットボトルが整然と収められたケース――ごく普通のそんな光景に、悟はすっかり目を奪われていた。
「うわ、あれがコンビニってやつ?テレビで見たのと同じじゃん!」
その大袈裟なリアクションに、真幌はくつくつと笑いながら悟の横顔を覗き込む。
「悟、東京やなくても駅ナカコンビニなんてどこでもあるで?」
「五条って本当に箱入りなんだね」
「まあ、世間知らずの坊ちゃんだし仕方ないさ」
「うるせーな、何回言うんだよそれ」
悟は頬を膨らませるも、次の瞬間にはケロリと表情を変え、今度は駅の出口の方へ視線を移した。
「あっち、すげぇ都会っぽくね?」
ズンズンと先を行く悟の勢いにつられて三人も歩き出す。
駅構内を抜けて外に出ると、一気に視界が開け、目の前には人で溢れかえるスクランブル交差点が現れた。
青空の下、真幌は視線を高く上げ、巨大なスクリーンや高層ビル群に圧倒されて立ち止まる。
「悟、見てみぃ!あの大きい画面、テレビでよう見るやつや!めっちゃデカいやん!」
「あの看板もすげぇ派手だな!人もヤベェくらい多いし!」
「ほら、あっちから音楽も聞こえてくる!なんかすげぇオシャレな感じせえへん!?」
ほんの数分前まで悟を揶揄していた真幌だったが、今や完全に彼と同じテンションで大騒ぎしている。
「さっきまでの余裕はどこ行ったの?」
「人間、初めて見るもんにはテンション上がるもんやろ?」
硝子の皮肉を真幌が元気よく笑い飛ばす。
ウキウキと交差点を渡り始めた真幌と悟は、前から後ろから押し寄せる人波に揉まれつつ、目に映る全てに目を輝かせた。
興奮気味に交差点を渡り切ると、その正面には色とりどりの看板と若者で賑わうセンター街の入り口が、誘い込むように口を開けている。
「傑、硝子、なにモタモタしてんねん!はよついて来ぃや、迷子なるで!」
「そうだぞー、置いてくぞー!」
「迷子になるのはあんたらのほうでしょ」
そんなやり取りをしながらセンター街に一歩踏み入れた瞬間、街の熱気と喧騒が一気に四人を包み込んだ。
道の両側には眩しく輝くネオン看板が立ち並び、最新の音楽が響いている。
派手なファッションに身を包んだ若者たちが笑い合い、ショップ店員の威勢のいい呼び込みがあちこちから聞こえてきた。
「真幌、あの店の服ヤバくね!?派手すぎだろ、あれ!」
「ほんまや!あんなの京都じゃ絶対見ぃひんで!あの子らの髪の色もめっちゃ凄ない!?」
「マジだ!あっちの店のアクセもすげぇキラキラしてる!」
「悟、あの帽子見てや!めっちゃオシャレやん、欲しなってきたわ!」
人混みの中、互いの服の袖を引っ張り合いながら、二人は初めての大都会にすっかり夢中になっていた。
テンションが右肩上がりの二人の背中を、傑と硝子が呆れ半分、笑い半分で追いかける。
そんな中、センター街の雑踏を縫うように、一人の若い男が慌てた様子で二人の元に駆け寄ってきた。
髪型や服装が洗練されたその人は爽やかな笑顔を浮かべ、真幌と悟の前で丁寧に頭を下げる。
「すみません!お二人ともすごくスタイルいいし、めちゃくちゃ目立ってたんで……モデルとか興味ありませんか?今ちょうどカップル特集の撮影やってまして……」
唐突な申し出に一瞬驚いた真幌と悟は、互いに顔を合わせると、ニヤリと不敵な笑みを交わした。
「ええやん、ダーリン。せっかくこんなとこまで来たんやから、記念に一枚撮ってもらおか?」
「そうこなくっちゃな、ハニー。俺たちの美貌を渋谷の歴史に刻んでやろうぜ」
言うが早いか、真幌と悟はモデルさながらに息の合った動作で背中合わせに立ち、腕を組んでポーズを決め始めた。
悟はサングラスを軽く下げて鋭い視線を送り、真幌は片手を頬に添え、魅惑的な微笑を浮かべる。
その華やかな様子に周囲の視線が自然と集まり、センター街の雑踏の中で二人はたちまちひときわ目を引く存在となった。
「こんな感じでどないです、お兄さん?」
二人がふざけた仕草を披露すると、スカウトの男性は感激したようにカメラを構え、勢いよくシャッターを切り始めた。
ギャラリーが増えて注目が集まるほど、真幌と悟はますます調子に乗り、ポーズを次々と変えていく。
「待て待て、真幌、悟。知らない人間に迂闊に写真を撮らせるのは少し危機感がなさすぎるんじゃないか?仮にも君らはある意味有名人なんだろう?」
傑が焦りながら二人の間に割り込み、両腕を広げて撮影を制止した。
「てゆーか、禪院は彼女役でいいんだ。男のプライドとかないわけ?」
「今そんなこと言ってる場合じゃないだろ、硝子。そもそもプライドのあるやつが、あんなバカげたポーズを取るわけないだろう」
傑が硝子を振り返ったその隙をつくように、真幌は申し訳なさそうに男に頭を下げていた。
「あー、ごめんなさいねぇ。見ての通り、彼が嫉妬してしもて。せっかくやけどさっきの話、やっぱり遠慮しときますわ」
「はぁ!?ちょっと待て真幌、妙な誤解を与えるな!」
突拍子もない真幌の言葉に傑が慌てて大声を上げる。
その混乱ぶりに悟が吹き出した瞬間、真幌は男から素早くカメラを取り上げ、にっこりと笑いながらデータを削除した。
「ほんまにごめんなぁ、お兄さん。ほな!」
真幌は小さく手を振ると、悟とアイコンタクトを交わし、一目散にセンター街の奥へと駆け出した。
「こら、真幌!悟も待て!」
傑が眉を吊り上げながら後を追いかける。
そのやり取りを硝子は面白がるように眺めながら、折りたたみ携帯を取り出して動画撮影モードを起動した。
「はは、いい顔してるじゃん」
前を走る真幌と並走する悟が、振り返って弾んだ声を上げる。
「ほら傑!本気出さないと追いつかねぇぞー!」
「君たち、本当に子供か!」
その言葉に、真幌はおどけたように傑へと振り返り、ひらひらと手を振った。狭い通りを埋める人々が、驚いたように道を譲る中、二人はさらに速度を上げて笑いながら駆け抜けていく。