そうしてしばらく走るうちに、飲食店が連なる細い路地に入り込んだ。
甘いクレープやワッフルの香り、香ばしい焼き鳥や唐揚げの匂いが鼻先をくすぐり、片手に軽食やジュースを持ちながらに食べ歩きを楽しんでいる人々の姿が目立ち始める。
「わー、めっちゃええ匂いやん!なぁ悟、どれから行こか!」
真幌が嬉しそうに声を上げると、悟も興奮気味に通りの両側に視線を走らせる。
少し進んだところで突然悟が立ち止まり、勢い余って真幌の襟首をぐいっと掴んで引き止めた。
「グえっ!?」
思いがけず強く引かれた真幌は、潰れた蛙のような声を漏らしながら前のめりに体を傾ける。
ぎりぎりのところで踏ん張り、軽く眉を寄せて悟を振り返った。
「悟、急に止まるんやめぇや!引っ張るならもっと優しく頼むわ!」
しかし、悟は真幌の抗議などまったく耳に入っていない様子で、恍惚とした表情のまま通りの向こうを指差している。
「真幌、あれ食べようぜ!絶対うまいやつ!」
悟の指さす先を追うと、通りの隅に小さなクレープスタンドが見えた。
ショーケースには、甘酸っぱいベリーやとろけそうなチョコバナナ、色とりどりのフルーツがぎゅっと詰め込まれ、生クリームがふわふわに盛り付けられている。
店の前には若者たちが列を作り、甘い匂いに誘われるようにひとり、またひとりとその数を増やしていた。
「うわ、ええなぁ!めっちゃ美味そうやんか!」
真幌も思わず頬を緩め、逸る気持ちのまま悟の袖を引いて行列の最後尾に並ぶ。
やがて遅れて追いついてきた傑は、息を切らせながら少しばかり眉をひそめ、二人の背中をじっと睨んだ。
しかし、心底楽しそうにショーケースを眺めてはしゃぐ二人を見ていると、表情をやわらげてため息をつく。
「本当に君らは……まあ、確かに美味しそうだけどさ」
そのすぐ後ろで、ゆったりと合流した硝子が興味深そうに店頭のクレープを眺め、多彩なメニューに見入っている。
「傑も硝子も食べよ?せっかくやから!」
真幌が明るく声をかけると、硝子がすぐさま頷いて列に加わった。
それを見て傑も結局は折れたように苦笑いを浮かべ、後ろに続く。
「まぁ、たまにはこういうのも悪くないか」
いよいよ注文の順番がやってくると、悟はショーケースにぐっと顔を近づけ、目を凝らして真剣に吟味し始めた。
色鮮やかなフルーツと真っ白なクリームを前にして、あれこれ迷うたびに瞳が忙しなく左右へと揺れ動いている。
「うーん……チョコバナナも捨てがたいし、イチゴも絶対うまいよなぁ……いや、決めた!やっぱチョコバナナだ、これっきゃねぇ!」
迷いを振り払うように、力強く指を差して声をあげる悟の様子に、店員がくすくすと笑いながら注文を受け取った。
それぞれが選んだクレープを両手に受け取り、四人は肩を並べてのんびりと通りを歩き始めた。
道沿いには、個性的なファッションを揃えたブティックや、アクセサリーを飾った雑貨屋、小洒落たカフェが連なっている。
陽射しを浴びて店頭の商品が輝き、通り全体がきらめくような活気に包まれていた。
悟はさっそく待ちきれないように大きな口を開けてクレープを頬張り、その甘さに目を細めて至福の表情を浮かべている。
「悟、口の端にクリームついとるで」
「んあ?」
真幌の指摘に、悟は片手で口元のあたりを適当に撫で回すが、肝心なクリームはまるで取れていない。
それを見た真幌はやれやれと小さく肩を揺らし、ポケットからハンカチを取り出して広げると、悟の頬へと手を伸ばした。
「ほら、ここや。ほんま子供みたいやなぁ」
ふわりと柔らかな布地が触れる感触に、悟は思わず身体を強張らせ、照れ隠しのように視線を泳がせた。
さらに通りを進んでいくと、甘く香ばしい香りが幾重にも重なり始める。
通り沿いにはクレープ店だけでなく、カラフルなマカロンを並べたパティスリーや焼きたてのワッフル店、可愛らしいジェラートショップがちらほらと顔を覗かせていた。
悟はそれらを視界に捉える度、ふらふらと吸い寄せられてしまう。
甘い香りに導かれるように歩き去ろうとする悟の背中を真幌が追いかけ、その手首を掴んでは引き止めるのを繰り返す。
「ちょっと待ちぃや悟!そんなんフラフラしとったら迷子になるで!」
「なんだよ、子供扱いすんな!」
文句を言いつつも抵抗はせず、次の瞬間にはまた別の店を気にしている。
注意散漫で浮かれている悟を見ているうちに、真幌はふっと息をこぼして口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「……なんや、弟がもう一人増えた気分やなぁ」
「はぁ!?なんで俺がお前より下なんだよ!」
すぐさま反応した悟は鼻を鳴らして真幌を睨むが、真幌は軽く首を傾げて余裕たっぷりに笑うだけだ。
「だって、どう見ても俺の方がしっかり者やろ?」
真幌はそう言いながら悟の肩に腕を回し、今度こそ逃がさないように引き寄せる。
「大概似たようなもんだろーが!」
口を尖らせながらも、悟は素直に真幌の傍へと寄り添った。
真幌はそんな彼を満足げに見つめ、賑やかな人波が行き交う前方の通りを指差した。
「次はあっちやな。なんか面白そうなもんあったら教えてや、悟」
「はんっ、言われなくてもこの俺の目はごまかせねぇって!」
肩を組み合ったまま仲良く歩く真幌と悟の背中を、一歩後ろから傑と硝子が穏やかな足取りでついていく。
騒がしくも微笑ましい二人の姿を、保護者然とした眼差しで温かく見守っていた。
色鮮やかなショップのショーウィンドウや雑貨店に目を奪われながら、四人は真っ直ぐに通りを進んでいく。
次第に周囲には甘い食べ物の香りに混じって、派手な電子音や歓声が聞こえ始めた。
ふと真幌は視界の端に映り込んだ、色とりどりの光の揺らめきに気づいて足を止めた。
煌びやかなネオンが輝くその一角には、絶え間なく人々が出入りする、ひときわ賑やかな建物がある。
瞬間、好奇心が押し寄せた真幌は勢いよく悟の肩を揺さぶった。
「悟!あれ見てみぃ、めっちゃ楽しそうやで!」
真幌が指し示す先にあるのは、大型のゲームセンターだった。
小気味よいポップミュージックが通りまで溢れ出し、若い男女が入れ替わり立ち替わり店内へと吸い込まれていく。
入り口付近には、女子高生やカップルたちが列を作り、華やかな装飾と看板に彩られた「プリクラ」の文字が目立っていた。
「何だあれ?ぷ、り、くら……?」
「プリクラな。実は俺もよく知らんねんけど……友達と思い出作るやつ、らしいで。俺、今まで友達おらんかったから、入ったことないねん」
友達という言葉を耳にした瞬間、悟の表情に一瞬の驚きと戸惑いが浮かび、しかしすぐに心地よさげに瞳が緩んだ。
「へぇ……友達と思い出か。なんか、悪くないなそれ」
「やろ?そうやろ?」
真幌がソワソワと頬を紅潮させるのを見て、悟は勢いよく腕を振り上げ、拳を掲げた。
「よっしゃ、いいぜ!友達っぽいこと全部やろうぜ!」
「やったー!全部や全部!行くで悟!」
二人は互いに顔を見合わせ、嬉しさを隠し切れないように大きく笑い声を上げると、プリクラコーナーへと飛び込んでいった。
その光景を後ろで写真に収めていた硝子が、携帯を閉じてぽそりと呟く。
「はは、なんなんだあいつら。ムカつくくらい可愛いな」
「まったくだ。あれじゃあ目が離せないよ」
傑も仕方なさそうに眉を下げつつ、諦め交じりの表情で同意した。
店内奥のプリクラコーナーでは、多種多様なプリクラ機がずらりと並び、眩しいほどの照明やデコレーションが施されている。
真幌と悟が飛び込んだのは、その中でも特に新しく人気の機種だ。
ギラギラと彩られた操作パネルには、様々なポーズの例が次々と映し出され、可愛らしい音声が絶え間なく指示を繰り返している。
「あかん、これどれ押したらええの!?あ、ちょ待って! 傑と硝子まだ入っとらんのに、もう始まる!」
操作方法に戸惑いながら必死に画面をタッチしていた真幌は焦って目を見開いた。
その横で悟は困惑しながらも、とりあえず指示通りに控えめなピースサインを作っている。
「アホか悟!プリクラ舐めんな!型にはまってどうすんねん!」
思わぬ真幌の強烈なツッコミに、悟はびくりと肩を震わせた。
はっとした次の瞬間、急速に表情を引き締めると、真幌の顎を指先で持ち上げ、至近距離で熱っぽい視線を注ぐ。
真幌も即座にその意図を察し、芝居がかったように眉を寄せ、伏し目がちに見つめ返す。
〈3、2、1――!〉
カウントがゼロになる瞬間、二人は息を合わせて最も美しい角度を見つけ、カメラに完璧なポーズを決める。
その異様に本格的な撮影風景を、外の待機スペースから見守っていた硝子が吹き出した。
「バカだコイツら……プリクラでそんなガチなポーズ取る奴、初めて見た……!」
「しかもめちゃくちゃ息合ってるし……」
隣にいた傑も目を丸くして呆然としていたが、次の撮影カウントダウンが聞こえると、迷いのない素早い動きで撮影ブースの中へと駆け込んだ。
明るいライトが点滅する中、真幌は背筋を伸ばし、手をピストル型に構えながら正面のカメラを真っ直ぐに見据える。
指先にまで緊張感を宿したそのポーズは、まるで映画のワンシーンさながらだ。
真幌を挟んだ両サイドに立つ傑と悟も、それぞれに自然な流れで同じピストルポーズを決める。
傑はシャープで精悍な眼差しを斜め前方に飛ばし、悟もまたサングラス越しでもわかるようなクールな視線で画面の端を彩った。
〈3、2、1――!〉
三人が作り出した一瞬の構図は完璧なシンクロを見せ、まさに『本気』の撮影そのものだった。
「やるなら徹底的に、だろ?」
傑が唇の端を上げて自信たっぷりに微笑む。その豹変ぶりに耐えかねて、ブースの外にいた硝子はついに膝を折って笑い崩れてしまう。
「ちょ、まって……無理、ほんと無理……!」
涙が浮かんだ目尻を手の甲で拭おうとしていると、真幌が勢いよく撮影ブースのカーテンを引き開ける。
その表情には、いたずらめいた笑みがはっきりと刻まれていた。
「硝子、次が最後やで!ほら、ちゃんと映ってや!」
言うが早いか、真幌は硝子の手首をしっかり掴み、半ば強引にブースの中へと引き入れた。
抵抗しようにも力が抜けてしまっている硝子は、笑いすぎてろくに言葉すら出ないまま、真幌の為すがままになってしまう。
真幌はぐったりと力の入らない硝子の腕を軽々と持ち上げ、操り人形を操る人形師のような巧みな手つきで、その両手を高く掲げてダブルピースを作らせた。
硝子は肩を震わせながらも、笑いを必死に飲み込み、なんとかカメラの方を向いてコミカルなポーズを保つ。
その様子を見守る悟と傑は、はじめこそクールな表情を保とうとしていたものの、結局は耐え切れずに表情が柔らかく崩れてしまった。
〈3、2、1――!〉
撮影が終わり、取り出し口から排出されたシートを手に取る。
奇抜なカラーを背景に、切り取られた四人の笑顔の傍らには、真幌が何気なく書き込んだ『友達』という飾り気のない一言が小さく印刷されていた。