…むずい…
歓声は、遠い。
医務室の窓の外から、かすかに響く拍手と実況の声。
体育祭は止まらない。
白い天井を見上げながら、幻乃は静かに呼吸を整えていた。
身体は重い。
だが、意識ははっきりしている。
(……止められた)
あと一段、出力を上げていれば。
藤はもっと広がった。
爆炎を包み込み、競技場を覆えたかもしれない。
けれど、その先は。
踏み越えないと、決めた。
侵食率は限界手前。
自我は保たれていた。
壊れてはいない。
それが、今日の結果。
「目、覚めたか」
相澤の低い声が落ちる。
「大事には至ってねぇ。少し休めば戻れる」
「……はい」
短い返事。
評価も叱責もない。
それが救いだった。
⸻
医務室を出ると、
熱気が廊下まで流れ込んでいた。
体育祭は続いている。
(戻ろう)
特別扱いは、望まない。
負けたのだから。
観客席へ戻ると、最初に気づいたのは麗日だった。
「想夢さん」
明るい声。
けれど少しだけ柔らかい。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫」
それ以上は聞かれない。
切島が「すごかったぜ」と言い、
葉隠が「綺麗だった」と笑う。
怖かった、とは誰も言わない。
危なかった、とも言わない。
ただ、ほんの少しだけ慎重な優しさがある。
それで十分だった。
爆豪は前を向いたまま、振り返らない。
だが一瞬、視線がかすった。
言葉はない。
幻乃はわずかに頷く。
それで終わり。
⸻
午後の光が傾いていく。
決勝戦。
爆炎が走り、氷が広がり、
最後の衝撃が砂煙を巻き上げる。
歓声。
勝者が決まり、敗者が膝をつく。
幻乃は静かに拍手を送る。
胸は荒れていない。
悔しさはある。
けれど、焦げついてはいない。
ただ、確かに刻まれている。
⸻
「これにて全競技終了ォ!!」
プレゼント・マイクの声が高らかに響く。
夕陽が競技場を橙に染める。
表彰台が設置され、
三人の名前が呼ばれる。
歓声。拍手。歓喜。
その中に、幻乃の名はない。
当然だ。
分かっていた。
それでも、胸の奥が少しだけ締まる。
(まだ、足りない)
隣で緑谷が静かに拍手を続けている。
誰も振り返らない。
誰も慰めない。
それが今の距離。
それでいい。
⸻
「以上をもちまして、雄英体育祭を終了します!」
最後の宣言。
大きな拍手が場内を包む。
長い一日が終わる。
ざわめきが帰路の音へと変わる。
クラスメイトたちは笑い合い、
次を語り合い、
すでに前を見ている。
幻乃は、もう一度だけ闘技場を見つめる。
藤色はない。
甘い香りもない。
ただ、踏み固められた砂がある。
そこで、自分は戦った。
踏み越えずに、終えた。
負けた。
けれど。
壊れなかった。
「……次は、もっと上まで」
小さく呟く。
夕風が頬を撫でる。
残り香は、もうない。
それでいい。
体育祭は終わった。
だが、ヒーロー科の競争は終わらない。
幻乃は歩き出す。
夕暮れの光の中で。
静かに。
静かに前を向いて。私は止まらない。
残り香くんはしばらくエース級(自壊)です