幻想の力でヒロアカ生活(リメイク済) 作:からまる#猫餅プロジェクト
朝の寮は、だいたい騒がしい。
廊下の向こうで誰かが走って、どこかの部屋からドライヤーの音が聞こえて、キッチンの方からは「卵が足りない!」みたいな叫びがする。
そういう全部が、私には少しだけ嬉しい。
体育祭の後、私は負けた。
止められて、敗北扱いで、医務室で、みんなの反応があって――そこまではもう、ひとつの“終わったこと”になっているはずなのに。
胸の奥だけが、まだ時々、ざわっとする。
(……今日は、切り替えよう)
私は洗面台の鏡に向かって、軽く頬を叩く。
明るい顔。いつもの顔。
その上で――私はいつもの重みを確かめる。
制服の下、肌のすぐ近く。
見えないのに、確かにある感覚。
E.G.O――『懺悔』
茨のような気配が背中に沿って、呼吸が落ち着く。
これはZAYIN。侵食はほとんどない。
だから私は“ヒーローとして面前に立つ時”は、いつもこれを纏っている。
「よし」
声に出すと、少しだけ身体が軽くなった。
⸻
教室に入ると、みんながそれぞれの話をしている。
「職業体験、どこ行くんだ?」
「俺は、地元の事務所に…」
「え、マジで? いいな!」
そんな中で、私の席の近くに女子が集まってきた。
「想夢さん、今日も早い」
「ね、体調もう大丈夫?」
「体育祭のあと、無理してない?」
私は笑って手を振る。
「大丈夫! ほんとに。心配してくれてありがとう」
……本当のところ、無理してないかって聞かれたら、少しだけ怪しい。
私は“危ない時に踏み込む癖”がある。自覚してる。
でも、だからこそ今日みたいな日常に、ちゃんと足を置きたい。
ホームルーム。相澤先生がいつも通り眠そうに入ってきて、黒板に淡々と要件を書いた。
職業体験の最終確認。
行き先。集合時間。注意事項。
「……いいか。職業体験は、遊びじゃない。勝手な行動をするな。特に、現場判断を学生が独断でやるな」
先生の目が、一瞬だけ私に向いた気がした。
気のせいじゃないと思う。
私は背筋を伸ばして、明るく頷く。
「はい」
……守れるかは、分からない。
でも、守ろうとは思ってる。
⸻
私の職業体験先は、保須のヒーロー事務所だった。
選んだ理由は単純で、現場が近いから。
“街”を知りたかったし、“現場の空気”を吸いたかった。
それに――この辺りは、最近妙に噂が多い。
「ヒーロー殺し」
誰かが口にしただけで、空気が少し冷える言葉。
それでも、私たちはヒーロー科だ。避けて通れない。
(……日常回にするんだった。深く考えすぎない)
私は胸の懺悔を確かめて、駅の改札を抜けた。
⸻
事務所のドアを開けた瞬間、元気な声が飛んでくる。
「おっ、来た来た! 雄英の子だね!」
保須のプロヒーロー、ネイティブ。
テレビで見るよりもずっと軽快で、でも目はちゃんと現場の人の目をしていた。
「こんにちは! 雄英高校一年A組、幻乃です。よろしくお願いします!」
「うんうん、元気だね。……で、これが噂の体育祭の子?」
私は一瞬だけ固まって、すぐに笑った。
「噂、広いですね」
「ヒーロー業界、狭いからねえ。ま、今日は肩の力抜いて。まずは巡回、行こうか」
外に出ると、保須の街は思ったより人が多い。
観光客の声。学生の声。買い物袋の擦れる音。
日常だ。
でも、日常の皮一枚下に、非日常が潜んでいるのも分かる。
それが、この街の空気だった。
巡回中、ネイティブは私の歩き方を見て、さらっと言った。
「君さ、現場で前に出すぎるタイプでしょ?」
私は笑って誤魔化そうとして、やめた。
「……はい。たぶん」
「うん。いいことでもある。けどね、守るってのは“自分が壊れない”のも含むから」
それは、叱責じゃなくて、助言だった。
「君が倒れたら、守れるものも守れなくなる。……現場はね、そういうことが本当にある」
私は「はい」と言って、喉の奥で一度だけ息を飲み込んだ。
体育祭の“止められた瞬間”が、ちらっと頭をよぎったから。
⸻
その日の小さな事件は、本当に“小さかった”。
路地裏でひったくり。
逃げる犯人。追いかける被害者。転びかける子ども。
私は反射で前へ出てしまいそうになって、足を止めた。
(独断で動くな)
先生の声が、胸の奥で鳴る。
私はネイティブを見て、目で合図した。
ネイティブが頷く。
「よし、いくよ!」
私は走る。
懺悔は、体に馴染んでいる。
動きを邪魔しない。むしろ、心が静かになる。
「止まってください!」
犯人が振り返り、舌打ちをして方向を変える。
私は追う。追いすぎない。距離を詰めすぎない。
ネイティブが横から回り込む。
連携。プロの動き。
――そして数秒後には、犯人は取り押さえられていた。
大きな戦闘じゃない。
派手なE.G.Oも使わない。
それでも、胸の奥のどこかがじんわり温かくなる。
(……こういうのが、仕事なんだ)
終わったあと、ネイティブが軽く肩を叩いた。
「いい判断。出すぎず、でも引かない。……それが一番むずいんだよ」
私は照れて笑った。
「ありがとうございます!」
その時は本当に、それだけで充分だった。
⸻
帰り道。電車の窓に映る自分を見て、私はふっと笑う。
「つかれた……」
今度は言い直さない。
疲れは、ちゃんとした疲れだった。
寮に戻って、シャワーを浴びて、髪を乾かして。
いつもの流れの中に戻る。
みんなの声が廊下に溢れていて、私はそれを聞きながら机に向かった。
職業体験の報告書。思ったより文字数が多い。
机に突っ伏して、ペンを転がす。
「つかれた……」と呟きかけて、私は明るく言い直す。
「つかれた! でも、やった!」
自分で言って、自分で笑う。
こういうの、大事だ。沈むと引きずる。
制服の上から、胸元を軽く押さえた。
懺悔はいつもここにある。
私の“顔”で、私の“落ち着き”だ。
でも――落ち着きの奥に、薄い違和感が残っていた。
体育祭の後から、ずっと。
私は虚空に手を差し出す。
必要なとき、光と一緒に現れる“輪郭”。
最近、その輪郭が増えた。
助かる。助かるけど、怖い。
光が、指先にまとわりつく。
E.G.O――『鮮血』
触れただけで、熱が走った。
小さな斧の重さが、まだないのに掌に残る。
心が揺れるほど強くなる――そんな仕組みが、最初から肌の裏に貼り付くみたいで。
(……便利じゃない)
強いのに、強いほど危うい。
私は一度、指を引く。
息を整えて、もう一度。
E.G.O――『不調和』
今度は、冷たかった。
耳の奥に何かが嵌まる気配がして、反射で肩が跳ねる。
勇気と慎重が削がれて、代わりに正義だけが膨らむ予感。
正しいことをしているはずなのに、視野が狭くなる。
(……これも、使うなら一回だけ)
(欲張らない)
私は虚空から手を引っ込めた。
机の上に置いたペンを握り直す。
そのとき、スマホが震えた。
画面に流れた見出しは、嫌な単語ばかりだった。
“違法研究” “押収” “サンプル”。
私は反射で画面を消す。
知らないふりをした。
日常に戻るために。
なのに、背中が冷えた。
(……今、誰かが私の中を覗いた?)
あり得ない。
あり得ないはずなのに、感覚だけが残る。
窓の外で、羽音がした。
黒い影が、電線に降りる。
カラス。
ただのカラス。
……ただの、はず。
目が合った気がして、心臓が一度だけ跳ねた。
カラスは動かない。
じっとこちらを見て――次の瞬間、すっと飛び去った。
私は息を吐く。
「気のせい、気のせい」
明るく言い聞かせた声が、少しだけ震えた。
報告書の最後の行に、ペン先を落とす。
今日の出来事を、いつもの言葉で締める。
――明日も、がんばろ。
そう書いた瞬間、胸の奥で、嫌な確信だけが芽を出した。
(いつか、来る)
(あれは偶然じゃない)
ペン先が紙を離れる音が、やけに大きく聞こえた。
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